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第3章 合宿オーディション初日
11 個人面談
しおりを挟む純嶺の個人面談は全体の七番目だった。
一人一人にきっちり時間をかけているらしく、昼食を終えてから二時間以上が経っていたが、まだ六人目の面談が終わっていない。
純嶺は外の廊下の椅子に座り、順番を待っていた。
――こっちの建物はスタジオになってたのか。
面談会場は、純嶺たちが泊まる建物とは別棟だった。バスを降りたときに、奥に見えていた建物だ。
廊下の先にいくつもスタジオがあるのが見える。
ガラス張りのダンススタジオの他に、防音がしっかり施されたレコーディングスタジオまで――純嶺から見える範囲だけでも、かなり充実した設備なのがわかる。
「あれ。次、アンタか」
「……お前」
部屋から出てきた人物に、後ろから声を掛けられた。
――春日之、染。
振り返って顔を見る前に、染だと気づいたはなぜなのだろう。
染はなんだか嬉しそうに目を細めて笑っている。
きらきらと輝く銀髪がやけに眩しく感じて、純嶺はきゅっと眉間に皺を寄せた。
「体調どうよ」
「……もう、平気だ」
「ならいいけど」
上機嫌に唇の端を持ち上げた染が、おもむろに純嶺に向かって手を伸ばす。
純嶺の髪を、くしゃくしゃと乱暴に掻き混ぜた。
「おい、やめろ」
「なんで? 触られんの嫌いじゃねえだろ。慣れてないだけで」
「何、勝手なこと言って」
払い除けようとした手を反対の手で掴まれる。
ぐっと顔を近づけられ、純嶺は慌てて顔を逸らした。掴まれたところから伝わってくる染の体温に、心臓がさらに早鐘を打つ。
「いいじゃん。触らせろって」
「――っ」
落ち着かない――なのに、やはり嫌ではない。染の言う通りだ。
昨日、手を振り解けなかったのと同じ。自分のおかしな感覚に動揺と戸惑いが隠せない。
――それに、この手の感触……どこかで。
頭に触れる染の手に、純嶺は不思議な既視感を覚えていた。
ただのデジャヴだろうか。
記憶を手繰ろうにも、なぜかうまくいかない。
「おっと。アンタの名前、呼ばれてんな」
「ぁ……」
少し開いた扉の隙間から、誰かが純嶺の名を呼んでいる声が聞こえる。だが、純嶺の気持ちはそちらよりも離れてしまった染の手のほうに向いていた。
無意識に目で追ってしまう。
動かした視線が、こちらを見つめる染の視線とぶつかった。
「どうかした?」
「いや……なんでも、ない」
「そう? んじゃ、お先」
染はそう言うと、もう一度純嶺の頭に触れてから、ひらりと手を振って去っていった。
離れていく背中から、まだ目が離せない。
「君、芦谷純嶺くんだよね? 中入って」
「……っ」
後ろから掛けられたスタッフの声が、純嶺を一気に現実に引き戻す。
もう一度、振り返った視線の先に染の姿はなかった。
◇
個人面談だと聞いていたのに、部屋に入っていきなり始まったのは写真撮影だった。
ホームページやSNSで使う宣材用のものらしい。
「よし、オッケーっと。じゃあ、撮影はこのぐらいにして、次はその奥の部屋に入ってくれる?」
「あ……はい」
撮影はあっという間に終わったが、個人面談はここからが本番なのだろう。スタッフに言われたとおり、奥の部屋へと向かう。
躊躇い気味にノックすると、扉は内側から開かれた。
「どうぞ、入って」
中から現れたのは、到着した参加者を誘導していたあの黒縁眼鏡のスタッフだった。
笑顔で純嶺を部屋に招き入れ、扉を閉める。かちゃりと鍵をかける音に驚いて振り返ると、穏やかな表情で微笑まれてしまった。
「守秘義務のためだから、そんなに警戒しないで。内側からは簡単に開けられるよ」
「……守秘、義務?」
「ここからはプライベートな話をするからね。あ、中にいるスタッフは信用できる人間だから安心して」
部屋の中には、男性の他にもう一人スタッフがいた。
純嶺と同い年ぐらいの青年が、奥の机でパソコンに向かっている。純嶺の視線に気づいたのか、青年は顔を上げると純嶺に向かってぺこりと頭を下げる。
「あの、ここって」
「まずは自己紹介させてね。僕は宮北万里。この合宿で君たち参加者の健康管理を任されてる――いわゆる医療スタッフってやつだね。そこにいる彼、城戸くんもそう。彼は僕の助手なんだ」
「……医療スタッフ」
「そう。学校でいうところの保健の先生みたいな感じかな。そんな風に思ってくれて構わないよ」
宮北はてきぱきと説明しながら、椅子に掛けてあった白衣を羽織る。
冴えない雰囲気に思えたのに、そうすればきちんと医者に見えるから不思議だ。
「ということで、一人一人、話を聞かせてもらってるんだけど……いいかな?」
「……ああ」
ここまできて、だめだなんて言えるはずがない。
それでも騙し討ちをされたような不快感は抑えきれず、無愛想な返答になってしまった。
「ごめんね。でも、医者との面談があるなんて最初から説明すると、嫌がる人もいると思って」
「……別に構わない」
「そう。じゃあ、時間もないから始めるね」
純嶺がどんな態度をとっても、宮北はニコニコとしたまま表情を崩さない。
診察用の丸椅子に純嶺が腰を下ろすと、助手である城戸が「送りました」と宮北に小さく声を掛けた。
ありがとう、と答えながら宮北が手元のタブレットを操作する。その画面に表示されたのは、純嶺がオーディション応募時に提出した履歴書だった。
「名前を言ってもらえるかな?」
「芦谷純嶺だ」
「うん、間違いないね。さて、いきなりの質問で悪いんだけど――君はSubだよね?」
「…………」
医療スタッフだと説明された時点で聞かれるような気はしていたが、まさかこんなに単刀直入だとは思わなかった。
「芦谷くん?」
「……そうだ。間違いない」
驚いたが、別に嘘をつく場面ではない。
履歴書にだって、そう書いてある。
純嶺は一瞬言葉に詰まったものの、頷きながら答えた。
「うん。じゃあ、もう一つ質問。君がある時期を境にステージに上がることを辞めてしまったのは――Subだということと関係あるのかな?」
その問いは、 純嶺が一番答えたくないものだった。
Subであることは紛れもない事実だ。隠すつもりもない。だが、自分がステージに上がれない人間だということは、ここまでひた隠しにしてきた。
事前に申告する必要はあったのかもしれない。
でも、言えなかった。
それを言葉にすれば、このオーディションもその場で終わりを告げられるかもしれない――そう思っていたからだ。
――隠し通せるわけないのは、わかってた。
でもまさか、こんなすぐにバレてしまうなんて。
いや、これまでの経歴を見れば予想は簡単につくだろう。相手が宮北のように医者であれば当然のことだ。
「……そうだと認めれば、ここで終わりか?」
質問に質問を返すのはよくないとわかっていても、そうとしか答えられなかった。
俯いたまま、沙汰を待つ。
答えを聞くのが怖い。緊張で気分まで悪くなってくる。
「終わったりしないよ。終わらせない。そのために僕たちはいるんだから」
「え――?」
想像していたのとは全く違う答えに、純嶺は驚いて顔を上げた。
――終わらないと、言ったのか?
聞き間違いだろうか。
はっきりと「ここで終わりだ」と「このまま荷物をまとめて帰れ」と言われるのだと思っていたのに。
信じられないといった表情を浮かべる純嶺に向かって、宮北は相変わらず笑顔を浮かべている。
「僕たちを信用してくれないかな? 僕たちに、君の手助けをさせてほしい」
「……っ」
掛けられるはずがないと思っていた言葉に、急に身体の震えが止まらなくなった。
涙はかろうじて堪えたものの、きっと目も鼻も赤くなっている。わななく唇では、言葉もうまく紡げなかった。
――なんだよ、これ。
自分でも訳がわからなかった。
こんな言葉だけで、ここまで取り乱してしまうなんて。
感極まってしまった純嶺のことを、二人は黙って待ってくれた。
なんとか必死に気持ちを落ち着ける。城戸から差し出されたティッシュで鼻を噛み、ひとつ咳払いをしてから、純嶺はきちんと宮北に向かい合うように座り直した。
「……すみません」
「ううん、気にしないで。さて、さっきの話の続きだけど」
「その通りです。おれは……Subだという理由でステージに立てない、そういう体質です」
「やっぱり、そっか。薬を試したことはあるのかな?」
「……はい。どれも、だめでしたけど」
それは、純嶺にとって苦い告白だった。
薬はいくつも試した。
何年もかけて諦めずに探して、試して――それでもだめだった。
「その薬の名前は覚えてる?」
「今まで飲んだやつは全部、アプリに記録してます」
「え? 本当? 見せてもらってもいい?」
純嶺は頷くと、ポケットからスマホを取り出す。
最近は開くこともなかったアプリを立ち上げると、数年分の記録が並ぶその画面を宮北に見せた。
「これは……すごいですね。薬の名前だけでなく、飲んだ量や期間、身体に起こった変化についても詳細にまとめてある」
そう感嘆の声を上げたのは、一緒に画面を覗き込んでいた城戸だ。
宮北もそれに同意するように大きく頷いている。
「芦谷さんは抑制系の効果がほとんどなかったんですね。抗不安薬は副作用が強すぎて動けなくなってしまう、か。確かにこれじゃ治療は厳しかったでしょう」
「薬が効きにくい体質なのかな? それとも、飲み合わせ?」
「この時に試している組み合わせでも全く効果がなかったとなると、アプローチから間違っていたのかもしれません。最初から見直したほうがいいでしょうね。少し調べてみる必要がありそうですが」
「うん。そっちは城戸くんに任せるよ」
城戸と宮北の間だけで話が進んでいる。
これだけ試してもだめだったのなら、もう打つ手はない――それぐらいのことは言われる覚悟をしていたのに、二人の反応は全く違っていた。
本気で純嶺の症状に立ち向かおうとしてくれているのが伝わってくる。
――まだ、どうにかなる方法があるのか?
信じられない気持ちだった。
まさか、オーディションでこんな助力が得られるなんて。
「これから、いろいろ薬を試してもらうことになるかもしれないけど大丈夫かな?」
「それは問題ないです。あ、でも金は」
「お金のことは心配はしなくていいよ。うちの社長が全部出してくれるから」
――そんなことまで、してくれるのか。
このオーディションでは、あり得ないことばかりが起きている。
手の震えはまだ、止まりそうになかった。
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お読みいただきありがとうございます。
彼らの合宿オーディションを見守るファン視点のおまけコンテンツも更新始めました。
本編にあわせて更新していくので、ぜひそちらも一緒に楽しんでいただければ!
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