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59 呪いを身体に刻む
しおりを挟む――全部、飲んだの……?
シディア様は、空になった小瓶を素早く懐にしまう。
おれに小声で告げたことといい、ラーギ先輩に目を瞑らせたことといい、シディア様が小瓶の中身のことをあまり知られたくないと考えているのは確実だった。
おれにはまだ、自分の生み出した黒い液体がどういう危険を秘めているものなのか、よくわかっていないんだけど。
「……ぐ、ッ」
ラーギ先輩の苦しそうな声が聞こえて、おれは視線をそちらに向けた。
苦悶に歪んだラーギ先輩の顔が目に入る。
慌てて近寄ろうとしたけど、シディア様の腕に捕まってしまい、一歩も動くことができなかった。
「お前にできることは何もない」
「っ、でも」
「バン」
「……わかりました」
おれはシディア様の腕の中でくるりと身体を反転させると、床に膝をついて苦しむラーギ先輩をはらはらとした気持ちで見守る。
最初は胸を掻きむしっていたラーギ先輩だけど、今は何かに耐えるように床に右手をついて背中を丸めていた。
荒い呼吸を繰り返す中で、ときどき痛みを堪えるみたいに息を詰めている。
「本当に……大丈夫なんですか?」
「おそらく――俺の予想が間違っていなければな」
「ラーギ先輩……」
シディア様も確実なことは言えないみたいだった。
しばらくすると、ラーギ先輩の呼吸が目に見えて落ち着いてくる。
顔を上げる気力はまだないみたいだけど、痛みを堪えるような苦しそうな表情ではなくなっていた。
「峠は越えたようだ」
「これで、ラーギ先輩は助かるんですか?」
「〈地下〉行きは変えられないが、少なくともビィの実験で命を落とすことはないだろう」
「……〈地下〉行きは、変えられない……」
「黒印命令書に署名した時点で、それをなかったことにするのは不可能だからな」
「やっぱり、そういうものなんですね……」
できるなら〈地下〉行き自体をなくしたかったけど、黒印命令書に逆らうことは命を落とすことに繋がる。
それは絶対に避けなければならなかった。
――〈地下〉に行っても、ちゃんと戻ってこられるなら。
シディア様は、ラーギ先輩を最悪の結末から救う方法を見つけてくれたのだ。
がっかりするのは間違っている。
「……ありがとうございます、シディア様」
おれは後ろから抱きしめるシディア様の腕に手を置いて、お礼を言った。
「ラーギ」
「……ッ、はっ」
動けるようになったラーギ先輩は、おれたちの前に跪く。
「これから、お前の身体に呪印を刻む。黒印より強制力の強い印だ」
「え……シディア様、何を言って」
呪印――初めて聞く言葉だけど、黒印よりも強い強制力を持つ印と聞いて、驚かずにはいられなかった。
「身体に、呪印を……?」
ラーギ先輩も驚いていた。
目を見開き、シディア様を見上げている。
「お前は黒印の支配下に置かれ、人格と意思を奪われることになる。少なくとも実験中は、ビィの従順な僕にされるというわけだ」
「……っ」
「そのとき、こちらの敵に回ってもらっては困る」
――待って。マッド・ビィとシディア様は敵対関係にあるの? 同じ組織の幹部なのに……?
おれには、何がなんだかわからなかった。
ラーギ先輩もおれと同じで、理解が追いついていないようだ。少しでも事態を飲み込もうとしているみたいだけど、眉根には皺が寄ってしまっている。
そんなラーギ先輩に対して、シディア様は言葉を続けた。
「――身体に呪印を刻み、バンに忠誠を誓え」
「ぇえ!? おれですか!?」
いきなり挙がった自分の名前に、おれ自身もびっくりするくらい大きな声が出た。
目をぱちぱちと瞬かせながら、シディア様を見る。
「ラーギ先輩が、おれに忠誠? ……シディア様じゃなくて?」
「そうだ。今ここで誓ってもらう」
「ご命令どおりに」
ラーギ先輩は、シディア様に対して恭しく頭を下げた。
いや、これ……もしかして、おれに対して?
「ラーギ。立って、胸が見えるようにしろ」
「はっ」
「バン、手を出せ」
シディア様は淡々と呪印を刻む準備を進めていく。
おれはよくわからないまま、シディア様に向かって手を差し出した。
――あ……おれがラーギ先輩に呪印を刻むの?
シディア様はおれの手首を掴むと、ラーギ先輩の胸の中央へおれの手を誘導する。
「呪印って、胸に刻むんですか?」
「胸ではなく心臓に直接刻む。そういうものだ」
「……っ」
おれはラーギ先輩の表情を確認した。
だって心臓に直接印を刻むなんて、どう考えたって怖すぎる。
でも、びびっているのはおれだけだった。
「……ラーギ先輩、怖くないんですか?」
「あれに署名するほうが怖かったよ」
――それなら、なんで。
その言葉は呑み込んだ。
だって、家族のためにそうしたのはもう知っているから。
「今はどちらかというと、ほっとしてるよ……内心じゃ、誰かに助けてほしいと思ってたのかもな」
「それがわかったなら、今度はちゃんと相談してください。おれじゃ、頼りないかもしれないけど」
「いや……お前ほど仲間思いで頼れるやつは、なかなかいねーよ。ありがとな、バン」
自分本位に勝手なことばかりして、迷惑だと思われていなくてよかった。
でも、おれ一人の力じゃどうにもできなかった。
ラーギ先輩を救えたのは、シディア様が助けてくれたおかげだ。
「――始めるぞ」
掴まれた手首から、シディア様の魔力が流れ込んできた。
その魔力はおれの手のひらを通じて、ラーギ先輩の身体へと流れ込んでいく。
「く……ぁっ」
「抵抗はするなよ。余計に長引く」
そういうものらしい。
おれは二人を繋ぐケーブルのような役割なので魔力が流れている感覚以外に何も感じないけど、ラーギ先輩は痛みを感じているのか、ずっと険しい表情をしていた。
――あ、でも……シディア様に刻まれた刺青が。
シディア様の魔力に反応した舌と下腹部に刻まれた刺青が、ほんのりと熱を持つ。
その熱を少しでも意識してしまったからか、二つの刺青が鼓動に合わせて、じわじわと甘い痺れを生み始めた。
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