彼女はこのあと、僕がおいしく頂きました

なしひと

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6.部則その三、生き残れ

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 場所を少しだけ移して、部室の内側。壁際の床には荷造り紐とガムテープでがちがちに縛り転がされた白地さんがいて、その隣。僕らはそれぞれのマグカップに紅茶を淹れて、机を挟み、向かい合っていた。カップを置くタイミングが重なってしまう。

「なるほど」

 見て来た通りのことを話してみても、浮月さんは驚いた様子さえなく頷いた。

 星田くん、と。

「頭のお医者さんを呼ばれたくなければ、真面目に話してください」
「……」

 まったく信じられていないだけだったみたい。

 おかしいな、さっきまでは何を言っても受け入れてくれそうな雰囲気だったのに。

「どうしましたか星田くん。黄色い救急車の人たちは容赦ないですよ」
「信じてよ」

「確率で考えてください。もし星田くんが言う通りの『異常』が私たちの学校で起こっているとするなら」浮月さんは少し言いよどんだ。
「この場所には今、私たちとは別の『異常』が重なっていることになります」

 それは浮月さん自身が言葉にもしたくなかったかのように。

 しかし僕は無神経にも、彼女の危惧を口に出す。

「僕らが呼び寄せた?」

 嫌がるように首を振った。

「そんな記憶はないし、向こうから寄ってきたとも信じたくはありません」

 正直困ります、と。

「気持ちはわかるけど」
「ここで言い合いをするより先に、A組の死体とやらを見に行きませんか」と、浮月さんは立ち上がった。「やはりそれにしても実感は伝聞に勝ると思うのです」

 僕も同意して、彼女の後に続く。転がされた白地さんはそのまま放っておくことにした。

 廊下を、先ほどと同じ道順で進んでいく。

 しばらく行ったところで。

「でも冷静に考えてみれば、星田くんがあんな面白い嘘を吐けるはずもありませんからね」
「面白かった?」
「ユニーク」

 言ってみただけといった感じの感想だった。

「そもそもの発端は昨日、星田くんが白地さんの死体を見過ごしたことにあるような気もします」少しだけの恨めしさを滲ませて。「その時点で星田くんが『普通』に振る舞っていれば、事態はもう少し変わったものになっていたかもしれません」
「つまり警察に通報するとか救急車を呼ぶとか?」

 すなわち目撃者を増やすこと。浮月さんは頷いた。

「そうすれば白地さんの死は確定していたかもしれません」
「確定ね……」

 不確定な死、なんて。聞き慣れない響きに首を傾げる。観測者を増やせば増やした分だけ箱の中の猫が生き返るわけでもあるまいに。

「少なくともそうしていたなら、今朝時点で白地さんが登校したことに矛盾を感じる人間がもっと存在したはずでしょう」
「まぁ、確かに」

 そうこうするうちに、僕らはA組の手前までたどり着く。

 手信号での議論の末、僕を先頭に、恐る恐る廊下から教室の内側を覗いてみる。

「……あれ?」

 期待したのは赤色。

「あら」

 後ろから覗いた浮月さんも似たような声をあげる。

 しかしそこには誰もいなかった。生きてる者はもちろん、死んでる者も。それは血しぶき一つない清潔な放課後の教室だった。

 まるで殺戮なんて一切行われなかったかのように。

 夕陽に染まるそんな光景へと歩み入って、浮月さんはため息混じりで。

「あぁ、これは確定ですね」、と。
「ちょっと待ってよ、浮月さん。説明させて」

 僕は浮月さんに、僕の供述した内容が嘘ではないのだということを信じてもらうつもりで口を開いた。

 しかし浮月さんは冗談の欠片さえ滲ませずにぴしゃりと跳ね除ける。

「その必要はありません、星田くん」

 彼女の言葉に僕は、目の前が暗くなる思いだった。けれどもちろん、改めて考えてみても言葉は出てこない。動かしようがないはずの証拠は、動かした形跡もなく消え去っているのだから。

 だからその言葉の意味も、自身が取り違えたのではないかと一瞬迷ったほど。

「私は星田くんの言葉を信じましたから」
「……え」

 少し意地の悪い、してやったりな瞳で振り返る。

「机の周りを見てください」

 浮月さんは教室の内側のそれらを包帯まみれの左手で指差した。

「気付きませんか? 鞄が結構残っています」
「……」

 たしかに放課後であることを鑑みれば、無人の教室に通学カバンのほとんど全員分が残っているその光景には違和感を覚える。

「これらの鞄の持ち主は全員死んだと見て間違いないでしょう」
「そう?」

 当事者の僕でもちょっとどうかと思うほどの発想の飛躍だった。

「はい、論理的に組み立てていきましょうか」

 彼女は誰もいないA組の奥へと踏み入っていった。躊躇しながら僕も続く。

「星田くんの話によれば、昨日の白地さんは間違いなく死んでいたようです」
「でも白地さんはさっき二人で見た通り、何故か生きている」
「その上、彼女が死んだことを知っているのは星田くんだけ。つまりまだ、死体は見つかっていないのです」

 そう言い添えつつ、教室内を見て回る。

「そして教室でのこの状況。ここでも死体は見つかりませんでした。ということは」
「ということは?」

 それぞれの机を調べていた彼女は振り返って、得意気に告げた。

「死体は消失したと考えるのが妥当でしょう」
「……」

 理屈としては間違ってないんだけど何か常識らしきものを大いに無視している気がする。というより理屈も何も、ただ起きた現象を指摘しただけだ。

 そういった旨を面と向かって尋ねてみると、浮月さんはぱっと見て分からない程度に包帯の下で膨れた。

「じゃあ、星田くんは惨殺された死体が血痕ごと、この短時間で消えた理屈をどう説明しますか?」
「僕の妄想」

 上履きが飛んできたので避ける。

「誰のために……」

 とは言うけれど、黄色い救急車などと先に仰っていたのはどなただったか。

 片足で立ったまま返してくださいと言うので、拾って投げ返した。

 何事もなかったかのように上履きを履き直しながら、改めて浮月さんは続けた。

「もしこれがミステリーなら他には、縦方向に階を間違えた。横方向に教室を間違えた。奥行方向に棟を間違えた。時間軸方向に日にちを間違えた、辺りがトリックとしては妥当かもですね」

 しかしですよ、と。

「ここはミステリーではなく現実の世界です」
「そりゃね」
「誰かが星田くんをトリックにかけて得するとも思えませんし、第一、ミステリーにしては人が死に過ぎています」
「ならこれは、」
「はい。『異常』です」

 彼女はあっさりとそう結論した。

 さっきまで余程その事実を認めたくない様子だったのに。手のひらを返すのにだって、とてつもない勇気がいるのだろう。実感は伝聞に勝るという浮月さん自身の言葉が思い出されて、それは覚悟のために不可欠な、ある種のプロセスだったのかもしれないと思い至る。

「確率で考えれば極めて少ないながら、でもそれはあり得ないことじゃないんです。私たちが所属する学校で、今この瞬間、何かが起こっている。ならば私たちがなすべきことはすでに決まっています」

 その台詞は覚えていた。僕は言葉の先を取る。

「世界の軸を『普通』に戻すための」
「現実的な対処です」

 あの夜、私たちが出会ってしまった偶然と同じように。

「……」

 いかにも私に期待してくれて構いませんよ、とでも言いたげな浮月さん。しかしあの時の彼女が言う現実的な対処が『普通部』の設立だったんだよなと思うにつけ、その成果の実効性はあまり期待できそうにないかなと思った。

「ひとまず部室に戻りつつ、多少の仮説を立ててみましょうか」

 その言葉に僕は首を傾げた。

「仮説を立てるにしても、まだ情報が足りなさ過ぎるんじゃない?」
「その点は否定しかねますね」と、恐らくは眉をしかめた。
「だからどちらかと言えば、この『異常』におけるルールの模索です。中身の構造自体はともかく、起こっていることを整理すればその法則くらいなら推理できるものと考えられます」

 そう言いつつ、ちょうどA組を調べ終わった浮月さんが戻ってきた。

 どうやらこの教室ですることはもうないとの判断らしかったので、連れ立って渡り廊下の方へ。

 窓から覗いた広場の真ん中では園芸部が水を蒔いていた。

 例えばそうですね、と。

「仮説その一。人が死ぬと一定時間後に死体が消える、なんてどうでしょう」

 どうでしょう、と尋ねられても僕とてそう非現実的な事態に精通しているわけでもなく。

「それなら、さっきのA組がもぬけの殻であった理由を説明できるね」

 と、当たり障りのない意見で濁すに止める。

 探偵さながら浮月さんは鋭く指摘した。

「それだけではありませんよ、星田くん。昨日の白地さんの死亡が話題にならなかった理由も説明できます」

 昨日の放課後、僕が死体を置き去ったあとに白地さんのそれが消えたとするなら、たしかに今朝から誰の口端にも上らなかったことは当然のように思える。しかし。

「そうです。死体が消えただけなら死体の話はなくても」
「行方不明の話くらいはあって良かったはず」

 白地さんにだって、急に失踪すれば心配する家族くらいいるだろう。

「しかし何の因果か、白地さんは生き返って恐らくは今朝から登校していました。そして放課後になった途端、何を血迷ったか自身のクラスメイトを虐殺し、こうして」部室にたどり着いた浮月さんは相変わらず気絶したままの白地さんを指差した。「私たちの部室で拘束されています。だから仮説その二は」

 手を向けて僕に答えを促した。少し考える。

「死んだ人間が生き返る?」

「その辺りが妥当でしょう」首肯が返ってくる。
「あるいは似た姿をした別の何かに入れ替わる、なんてのも悪趣味で良いですね」

 悪趣味が優良なるかはともかく。

「……浮月さんならそういう発想になるよね」
「身近ですから」と、包帯の上から腕を擦る。

 そんな動作を横目に、僕は改めて浮月案を検討してみる。元々の白地さんがどういった人格かは存知あげないけれど、突拍子もなく自身のクラスの人間を血祭りに上げたり、下着を見られた程度で異性に(物理的に)襲いかかるとは思えない。確かに、何か似た姿形の別物に成り変わられた、なんて線の方が意外とあり得そうに聞こえる。

 そう独り言半分に漏らすと。

「下着は関係ないと思いますよ」

 浮月さんはぼそっと言い足した。

「テンプレじゃない?」
「たぶんテンプレのジャンルが違いますね。それはラブコメです。こっちは差し当たり、スプラッター。まぁともかくです」

 再び地面に転がる白地さんを指差す。

 たぶん包帯に隠れた表情は、平然としたものだった。

「情報が欲しいのでこの白地さんを拷問しちゃいましょう」
「拷問?」

 僕は驚いたように尋ねてしまった。だって。

「それは『異常』じゃないの?」

 拷問なんて、かつての僕らが馴染んでいた世界の単語だ。『普通』から最も程遠い。

 思わず取り乱した僕に浮月さんは、ふっと包帯の下で微笑んだみたいだった。

「星田くん、部則その三です」
「……あぁ」

 部則はぜんぶで三つ。最終にして最短にして最重要の。


『部則その三、生き残れ』


「その通りです。『異常』な私たちが『普通』であろうとすることの理由は、そうあることが正しいからでも他人に優しいからでもなく、あくまで『生き残る』ためです。そのためなら私たちはどんな『異常』にでも躊躇わず足を踏み入れ、そこに残存するモラルを片っ端から蹂躙すべきです」
「そう、だったね」

 僕は苦笑してしまう。

「さて、」浮月さんは嬉しそうに。「彼女を静かな場所へお連れしましょうか」
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