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18.現象としての白地さん
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そして、ぎりぎりのタイミングで追いついた夕暮れの校門。景色は男の血で赤色に染め直される。
「……間に合った」
安堵したようにそう呟いたのは僕ではなく、白地さんだった。
こちらを向いてのことではない。彼女らが見ていたのは校外だった。
校門から目前のゆるい坂道。ガードレールの向こう。
紫色の雲が手の届かない場所まで伸び続ける逆光。
その光景の中心はたった今殺されたはずの背中が歩み去って行く姿だった。
現時点、この場所にはA組の担任であった男が二人いた。
一人は彼らの足元で喉を切られて、血溜まりに痙攣しながら死んでいて。
もう一人は何事もなかったかのように、振り返りもせず帰宅の路へと。
「何これ」、なんて。
思わず漏れた間抜けな呟きに、殺戮者たちが振り返る。
こちらを視認した白地さんが疲れきったようなため息を吐く。
「また見たのね、星田くん」
「……あれは、何?」
視線を向けた先の皆葉くんは、気まずそうに目を逸した。
去り行く背中は、もう見えないほどに遠ざかっていた。
「ひとつだけお願いよ、星田くん」どこかその声音は、「見た範囲だけですべてを判断しないで」
悲しそうに。
「私たちは人なんて殺していないの」
私たちは誰一人死んでなんかいないの。
「私の予想が少し当たりました」
僕が目撃してきたことについて浮月さんはそうコメントした。
あれから浮月さんと合流して、今日こそは平和裏な下校と相成ったその帰宅路。
凪。
夕闇の暗がりが次第に陰影を増し、街灯が灯り始める間際。すれ違う人影も疎らになり、景色の凹凸が空の輪郭と同じ色に溶ける。
「『異常』が絡んでいるにしては人死にが過ぎていると感じていたのですが」
やはり本当の意味では殺していなかったみたいです、と。
後半の言葉も気になるけれど。
「死に過ぎて何か問題あるの?」
「バランスが悪くなるんです」
なおも首を傾げた僕に、つまりですね、と浮月さんは説明を重ねた。
「『異常』が人に作用する場合、その方向性って一方通行になりやすいんです。制限がない乱獲のようなもので、そうなると当然、元にあったはずの人間の生態系は壊滅します」
人間の生態系などという聞きなれない言葉のせいか、上手くイメージが湧かない。
「決壊したダムのように?」
「……あるいは」
思い付きで口にしたその比喩はやはり大して上手くなかったらしく、浮月さんも首を傾げつつな一応といった感じの同意だった。
「でも『異常』な存在が人間の生き死ににまで影響するなんて、本当はおかしなことなんですよ」
と、見せつけてくれる。拾って捨てるコミュ力。
「と言うのも実は、その間にはいくつもの別の層があって、複雑な利害関係は基本的に一致しないはずなんです。だから大量虐殺なんて滅多に起こらない。起こるとしても『異常』の側にとっての目的自体はまったく別にある、行為の副作用のようなものになると思うのです」
さて。そんな浮月さんの抽象的に過ぎる言葉を、僕は少し真剣に想像してみる。彼女が説明してくれたイメージは、たぶん人間の環境破壊に似たような様相を帯びてくるのだと思う。別に木が憎くて森林を減らしているわけじゃなく、建材に必要な分を切り出しているうちに、森の方こそが勝手に姿を消していくのだ、と。
「つまり、今回の件は焦点が人間に合いすぎている?」
例えばそれは如何にも彼らに都合のいい感染方法だとか、一クラス単位でゆっくりと進む物事だとか。
彼らのあり方はその侵食が人間にバレないように特化しすぎている。設計者の悪意さえ感じるほど。
しかし言うまでもなく、僕ら『異常』は持って生まれてくる能力を自分で決められるわけでもないし、この場合の設計者に当たる存在はたぶん、神様とかになるんじゃないかと思う。
まさか遺伝子組み換え人外なんているのかな、なんて。
そんな詮無いことを考えていた僕に、浮月さんは続ける。
「やはり人が死んでしまうと、必ず誰かが騒ぎ立てて物事はややこしくなります。そんなことは『異常』の側だって望むはずはありません」
「でも人が死んでないとするなら、僕らの目の前で何度も死んでいる白地さんは何なんだろう」
「私は現象としての白地さんだと思います」
と、浮月さんは真顔で言い切った。
「現象としての白地さん」
僕はその言葉を復唱してみたけど、意味は上手くつかめなかった。
本当の意味では殺していなかったみたい、の真意がもしもそれだと仰るつもりなら、やはり浮月さんは少し説明不足だと思う。
そういった旨を遠回しに伝えてみたところ、ごもっともです、との首肯が返ってきた。
少し考え込む様子があって。
「人にはいくつかの側面があって、それは場面に応じます」、と。
「言葉遣いとか?」
「見る人が違えば、違う白地さんが見えてくると言うべきかもしれません」
そこでですね。
「この『異常』で殺されて別人に入れ替わっているのは、あくまで『学校の白地さん』でしかないのではないかと」
「じゃあ『学校の白地さん』以外の白地さんは」
「無傷だと思います」
そんな馬鹿な。
「恐らく記憶や因果の連続性もありません。もしかしたら数年後、この学校を卒業する彼女の記憶にも、この一連の事件は残ってさえいないかもしれません」
「……それはすごい」
言ったあとで、自身の感想に滲んでしまった皮肉っぽさに呆れた。
「馬鹿げているのは仕方ないでしょう。『異常』なんですから」
案の定、そんな機微に浮月さんは少しの不機嫌を返す。
「とは言え、やはり。これからどうするかというのは悩みどころです」
「さっき停戦協定結んだばかりでしょ」
「効力はいつまでも続かないと思うので」
「落とし所を見つける?」
「そのためにもやはり向こうの目的を知りたいのですが」
拷問はダメでしたしねと顎に指を当てる。
しばしの沈黙。
「まぁ、そこはお互い考えておきましょう。それではまた明日、星田くん」
気付けば彼女が手を振るそこは僕の家へと続く道との分岐点で、浮月さんの爪先はすでにあぜ道方向へと傾いていた。
「また明日」と、僕は手を振り返す。
「……間に合った」
安堵したようにそう呟いたのは僕ではなく、白地さんだった。
こちらを向いてのことではない。彼女らが見ていたのは校外だった。
校門から目前のゆるい坂道。ガードレールの向こう。
紫色の雲が手の届かない場所まで伸び続ける逆光。
その光景の中心はたった今殺されたはずの背中が歩み去って行く姿だった。
現時点、この場所にはA組の担任であった男が二人いた。
一人は彼らの足元で喉を切られて、血溜まりに痙攣しながら死んでいて。
もう一人は何事もなかったかのように、振り返りもせず帰宅の路へと。
「何これ」、なんて。
思わず漏れた間抜けな呟きに、殺戮者たちが振り返る。
こちらを視認した白地さんが疲れきったようなため息を吐く。
「また見たのね、星田くん」
「……あれは、何?」
視線を向けた先の皆葉くんは、気まずそうに目を逸した。
去り行く背中は、もう見えないほどに遠ざかっていた。
「ひとつだけお願いよ、星田くん」どこかその声音は、「見た範囲だけですべてを判断しないで」
悲しそうに。
「私たちは人なんて殺していないの」
私たちは誰一人死んでなんかいないの。
「私の予想が少し当たりました」
僕が目撃してきたことについて浮月さんはそうコメントした。
あれから浮月さんと合流して、今日こそは平和裏な下校と相成ったその帰宅路。
凪。
夕闇の暗がりが次第に陰影を増し、街灯が灯り始める間際。すれ違う人影も疎らになり、景色の凹凸が空の輪郭と同じ色に溶ける。
「『異常』が絡んでいるにしては人死にが過ぎていると感じていたのですが」
やはり本当の意味では殺していなかったみたいです、と。
後半の言葉も気になるけれど。
「死に過ぎて何か問題あるの?」
「バランスが悪くなるんです」
なおも首を傾げた僕に、つまりですね、と浮月さんは説明を重ねた。
「『異常』が人に作用する場合、その方向性って一方通行になりやすいんです。制限がない乱獲のようなもので、そうなると当然、元にあったはずの人間の生態系は壊滅します」
人間の生態系などという聞きなれない言葉のせいか、上手くイメージが湧かない。
「決壊したダムのように?」
「……あるいは」
思い付きで口にしたその比喩はやはり大して上手くなかったらしく、浮月さんも首を傾げつつな一応といった感じの同意だった。
「でも『異常』な存在が人間の生き死ににまで影響するなんて、本当はおかしなことなんですよ」
と、見せつけてくれる。拾って捨てるコミュ力。
「と言うのも実は、その間にはいくつもの別の層があって、複雑な利害関係は基本的に一致しないはずなんです。だから大量虐殺なんて滅多に起こらない。起こるとしても『異常』の側にとっての目的自体はまったく別にある、行為の副作用のようなものになると思うのです」
さて。そんな浮月さんの抽象的に過ぎる言葉を、僕は少し真剣に想像してみる。彼女が説明してくれたイメージは、たぶん人間の環境破壊に似たような様相を帯びてくるのだと思う。別に木が憎くて森林を減らしているわけじゃなく、建材に必要な分を切り出しているうちに、森の方こそが勝手に姿を消していくのだ、と。
「つまり、今回の件は焦点が人間に合いすぎている?」
例えばそれは如何にも彼らに都合のいい感染方法だとか、一クラス単位でゆっくりと進む物事だとか。
彼らのあり方はその侵食が人間にバレないように特化しすぎている。設計者の悪意さえ感じるほど。
しかし言うまでもなく、僕ら『異常』は持って生まれてくる能力を自分で決められるわけでもないし、この場合の設計者に当たる存在はたぶん、神様とかになるんじゃないかと思う。
まさか遺伝子組み換え人外なんているのかな、なんて。
そんな詮無いことを考えていた僕に、浮月さんは続ける。
「やはり人が死んでしまうと、必ず誰かが騒ぎ立てて物事はややこしくなります。そんなことは『異常』の側だって望むはずはありません」
「でも人が死んでないとするなら、僕らの目の前で何度も死んでいる白地さんは何なんだろう」
「私は現象としての白地さんだと思います」
と、浮月さんは真顔で言い切った。
「現象としての白地さん」
僕はその言葉を復唱してみたけど、意味は上手くつかめなかった。
本当の意味では殺していなかったみたい、の真意がもしもそれだと仰るつもりなら、やはり浮月さんは少し説明不足だと思う。
そういった旨を遠回しに伝えてみたところ、ごもっともです、との首肯が返ってきた。
少し考え込む様子があって。
「人にはいくつかの側面があって、それは場面に応じます」、と。
「言葉遣いとか?」
「見る人が違えば、違う白地さんが見えてくると言うべきかもしれません」
そこでですね。
「この『異常』で殺されて別人に入れ替わっているのは、あくまで『学校の白地さん』でしかないのではないかと」
「じゃあ『学校の白地さん』以外の白地さんは」
「無傷だと思います」
そんな馬鹿な。
「恐らく記憶や因果の連続性もありません。もしかしたら数年後、この学校を卒業する彼女の記憶にも、この一連の事件は残ってさえいないかもしれません」
「……それはすごい」
言ったあとで、自身の感想に滲んでしまった皮肉っぽさに呆れた。
「馬鹿げているのは仕方ないでしょう。『異常』なんですから」
案の定、そんな機微に浮月さんは少しの不機嫌を返す。
「とは言え、やはり。これからどうするかというのは悩みどころです」
「さっき停戦協定結んだばかりでしょ」
「効力はいつまでも続かないと思うので」
「落とし所を見つける?」
「そのためにもやはり向こうの目的を知りたいのですが」
拷問はダメでしたしねと顎に指を当てる。
しばしの沈黙。
「まぁ、そこはお互い考えておきましょう。それではまた明日、星田くん」
気付けば彼女が手を振るそこは僕の家へと続く道との分岐点で、浮月さんの爪先はすでにあぜ道方向へと傾いていた。
「また明日」と、僕は手を振り返す。
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