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17.取引じゃなくてただの脅迫
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僕らはちょうど職員室前で、運良く白地さんたちを捕まえる。
「取引しませんか、白地さん」
浮月さんは彼女らと正面から対峙する。僕はといえば、浮月さんの背後に目立たぬよう立つことで、どちらが交渉すべき相手かを控えめに主張するばかりだった。
「……」
対する五人のうち、リーダー格にあたるのはやはり白地さんだったらしく、自然と彼女が前に出てくる。
ただし残念なことにそんな白地さんの瞳は、目の前の浮月さんを今にも殺しかねない輝きを帯びていて。僕としては彼女が、ここは職員室前であるという事実をゆめゆめ忘れないでいてくれることを願うばかりだった。
「何です、その顔。またご自分の脳漿を鼻から啜りたいのですか?」
「浮月さん、お願いやめて」
思わず頼み込んでしまった。今更手遅れだけど、彼女がナイフを携帯するのを僕は見過ごすべきじゃなかったなと反省する。
「白地さんもお願い、その拳を抑えて」
向こうは向こうで今にも飛びかかろうとしていた白地さんが、一人のA組生徒に羽交い締めにされている。表情も崩さずに自分の為すべきことをやるのだから、A組の名も知れない彼は偉い。僕らは通じ合うものを感じて、頷きあった。
「俺、皆葉」と、淡い金髪の彼は名乗る。
片耳ピアスにわずかな煙草の匂い。不良くんかなと思いつつ。
「僕は星田。彼女は浮月さん」、と。
互いの上司を背後に隠し、部下二人が調整役に回り握手を交わす。僕に至っては自己紹介まで代行する。
「その手を切り落としてください、星田くん」
「……」黙っているかナイフを捨ててきてよ浮月さん、なんて。
背後からの悪魔(浮月さん)の囁きを無視する。
「あんまり長居してもあれだし、要件だけ聞かせてもらえっかな?」
と、大人な皆葉くんの方から話を振ってくれるから、絶賛、僕の内で彼の好感度が鰻上りだったり。
……。他が酷すぎて比較的マシに見えるだけという説も頭を過りつつ。
「うちの部長が言いたかったのはつまり」
と言いかけて、悩んでしまう。どう表現をマイルドに抑えても荒っぽい言い方になりそうで。
「僕らを無視して、あまり勝手なことばかりしないで欲しいってことなんだ」
「そっちの顔を立てろって?」
「もちろん君らと敵対するつもりはないけど、ただ僕らにも事情があってね」
喧嘩腰にならないよう、注意を払って。
「筋を通せってことですよ」
「……」
後ろからの声に台無しにされた。
温厚そうな皆葉くんの表情も流石に困惑を浮かべる。
「筋って……おたくら、ヤの付く職業?」
と、不良っぽい見た目なのに若干引き気味なリアクション。
「違います、失礼な。私たちは『普通部』です」
気付けばすでに、調整役を跨いで険悪なムードができ上がっていて、僕はここから再度割り入ることを諦める。
「それよりあなた方、まともに受け答えできたんですね。もっとゾンビチックかと」
それは僕も内心訝しんだけど、せめて貶すような語彙を入れずに尋ねることはできなかったのかと頭を抱える。
「ミイラみたいなのに言われたくないし。てかいい加減キレるよ?」
あぁそうか。例えそれが無駄な行為であるとわかっていたとしても、僕はめげずに繰り返し、彼らに教え諭すべきだったのかもしれない。
ここは職員室の真ん前なのだと。
しかし一方の浮月さんは、皆葉くんの付け足されたような脅しを気にする様子もなく、恐らくは悪意抜きに尋ねていた。
「あなた方は……いつか本当に、何かが変えられると思っているのですか」
「……何の話だよ」
彼は本当にわからないように首を傾げた。なら質問を変えましょう、と浮月さんが仕切り直す。
「あなた方は何を見返りとしてそんな存在に甘んじているのですか」
自分を殺した相手の配下として、今度は自身が誰かを殺すような。
「見返りなんてないよ、ただやる必要を感じるだけだって」
「まるで奴隷や洗脳みたいだと思いませんか」
「上手く説明できないけど、変な感覚があるんだよ」苛立たしげに。「『こう』なってからずっと伝わってくるんだ」
ふと目が合った。真剣な。偽りでも陶酔でもなく。
「あの子が可哀想だって」
「……」
冗談のような言葉が置かれて、僕と浮月さんは顔を見合わせた。
一方で向こうの陣営はと言えば、誰一人としてその単語に違和を覚えた様子もなくて、つまり皆葉くんの言う感覚とやらは彼らに共通なものなのだろう。
何となくだけれど、こんな多くの人間が一つの意思のもとで従順に動くからくりを理解できた気がする。
いや、今はそれよりも。「あの子って、ことは」
まさか彼らの感染源にいるのは年下か。
「あんたらもこうなってみればわかるって、きっと」
「それは……どうでしょうね」
わずかな躊躇いを残しつつも、浮月さんは言い切った。
「庇護欲を抱かせることは、手軽に人を動かす方法の一つです」
「……」
それは彼らに対して、口にしてはならない言葉だったのだと思う。
決別。そんな言葉では生温いほどの温度差を感じた。
「……そんな、わけない」
「そうでしょうか。そもそも自分たちがすでに人じゃない自覚はありますか」
「俺たちは」「もうやめよう」
そう遮ったのは、それでもなお表情を変えない白地さんだった。
「無駄に情報ばらしてどうするの。釣られてるんだよ」
「……」
浮月さんは僕と目が合うと舌を出した。そんな仕草でもコミカルに可愛いから困ってしまう。
気まずげに黙り込んでしまった皆葉くんの代わりに、白地さんが口を開く。
「浮月さんは私たちのことが気に入らないみたいだけど」「お互い様でしょう」
睨み合った。のも束の間、浮月さんの方から相好を崩し微笑んだ。
「再度の申し出になりますが、取引をしましょう」
「……」
敵愾心むき出しの視線を前に白々しさを隠しもしない。
僕の脳裏に過ぎったのは部則第二。『よく喋る愛想の良い善人であれ』なんて。
「私たちに無抵抗で潰されてください」
「……」
それでは取引じゃなくてただの脅迫だと思ったのは、たぶん僕だけじゃない。
「具体的には以下の三つを要求します」
まず一つ、と指を立てた。
「感染源を差し出してください」
「ふざけんな」
ようやく我に返った皆葉くんが、吐き捨てる。浮月さんは無視して続ける。
「二つ目、あなた方もこれからは人間のふりをしてください」
「……誰が」
これが一番重要ですが、と三本目の指を立てた。
「『普通部』に所属してください」
「おい、聞けよ。頼むから」
最後のは余計だったかなと秘かに思う。たぶん最初に三つと言ってしまったから、二つしかなかったところを無理に付け足したんじゃないかな、とか何とか。
まぁどちらにしても、全体的に言い掛かりのようなものだし。
「白地さんも、お仲間に言ってあげてください」と、火に油をどぷどぷ注ぐ。「拷問は失禁するくらい怖かったって」
ぶちっと音がしてまさかと思ったけれど、ちぎれたのは誰の神経でもなく浮月さんの襟ボタンだった。
どちらかと言えば平均より小柄な浮月さんのこと。同じ女子でも比較的上背のある白地さんの手で壁へと叩きつけられれば必然、吊るし上げを食らうような格好になり、足元はつま先立ちの形で、それでも丈が足りず、わずかに浮いた。
「いい加減にしてよ、大人しく聞いていれば」
「星田くん」
目の前の白地さんなんか眼中にないと言いたげな顔で。されど彼女はやや苦しげに、僕の方へと恨めしそうな視線を向けた。
「見てないで、……助けてくださいよ」
「……自業自得じゃない」
僕は意図して冷たい返事をした。
浮月さんの細腕は僕と違って、凡人のそれと大差なく見た目通りの腕力しかない。しかし恐らくその腕っぷし事情は、いくらかリミッターが外されていようとも白地さんの方とて同じ平均並で、この場で優劣が付いているのは単純に体格差の問題なのだと思う。にも関わらず多人数相手に挑発的な言葉を投げ続けていたのは浮月さん自身で、それすら最初からこちらの擁護をあてにしていたのだとしたら、僕としても多少は思うところがある。
とは言え、彼女自身が自力でこの状況を脱しようとするならセーラー服内側のナイフは抜かれざるを得ず、もちろん白地さんはそんな場所に凶器を隠すような神経を想定していなくて、浮月さんの左手の動きに気付かない。このまま僕が見過ごしてしまえば彼女のチタンナイフが誰かの致命傷に埋まるのは必至で、そうなってから事情を知らない部外者にこの乱闘現場が見つかれば、もうどんな言い訳も通用しないだろう。
再三になるけれど。ここは校舎裏でも屋上でもなく職員室真ん前で、生徒が同級生を壁に押し付けている現状だって見られて大変喜ばしいというわけではない。万一にもことが刃傷沙汰になってから目撃されるなら、僕らがA組の側でなくとも、教師の口を塞ぐためにその喉笛を切り落とすなんて根本的な解決策を選ぶ必要に迫られるかもわからず、もちろんそんな事態は何としても避けたかった。
適当なところで止めに入るつもりで足を踏み出しかけて。
不意打ちで職員室から出てきた人影に硬直する。
「……何してるの君ら」
それは今や、僕と浮月さんを押しのけて抹殺対象リストトップに躍り出たばかりなA組の担任その人だった。タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど帰るところだったらしき彼は訝しげな視線のまま。組み合った形の白地さんと浮月さんを見遣り、それを囲う僕らを眺め回し、再び視線を戻して浮月さんの手元のナイフをはっきりと見て、見開いた目元を誤魔化すように視界から外した。
……おい。
「みんなも、あぁその。……早く帰りなさいね」
誰に聞かせるつもりもなさそうな声量でそう呟いて、自身の鞄をかばうように抱えたままこそこそと小走りに去って行く。余程自身のクラスで起こっている『異常』とは関わり合いになりたくないらしく、気持ちはわかるけどそれは問題の先送りなんじゃないかなんて、他人事ながら思ってしまう。
そんな僕の目の前ではまったく予想を裏切らず、担任の影が廊下の向こうへと消えるのを待っていた白地さんが、すでに興味の対象から外れてしまった浮月さんを手離し、他の仲間とともに彼の背中を追いかけようとするところだった。
「待ち、なさい」
若干のしゃがれ声でつい今し方、攻撃対象から外されたばかりの浮月さんは健気にも彼女らを呼び止めた。
むろんこちらに用のない相手が、待つはずもない。
そしてそんな無礼を、浮月さんが見咎めないはずもない。
一人が崩れ落ちる。
その音で振り返ったもう一人の喉元奥深くに、抜いたばかりのナイフを突き刺す。
「だから。待ってくださいと、言っているでしょう」
頸動脈を切られたのが一人と、気管まで穴を穿たれたのが一人。
それがこの一瞬で浮月さんが殺した人間の数だった。
振り返って驚愕を浮かべた白地さんらへと、相変わらずの咳混じりを抑えたような声音で。
「死体が消えるという特性も場面次第ではデメリットですね、白地さん。校舎内でも躊躇いなく人が殺せてしまいます」
「……」
白地さんはこの時ようやく、浮月さんこそが最優先で排除されるべき敵なのだと認識し直したらしい。
「死体が消えるまで五分程度でしょうか。しかしその間、ずっと放置というのも少し怖いですね」
「こんな場所で殺してくれて、見つかったらどうするつもりなのよ」
「どうもしませんよ。どうせ消えるんですから」
それよりも、と彼女は白々しく首を傾げた。
「話の途中でしたけど、取引は受けていただけるのでしょうか」
「……」
苛立たしげな視線は誰にも気付かれないほどの一瞬、僕の方へと向いた。浮月さん一人が相手なら、あるいは残った三人で制圧できるものと考えたのかもしれない。されどこちら側には先ほどから手を出しもしないまま無傷の僕がいて、その傍観者がどれほどの脅威かを自前で体感済みな白地さんは行動を躊躇ってしまう、といったところだろうか。
あるいは一方的な虐殺ならまだしも、三対二での乱闘は相当に騒がしくなる。加えて自分たちが殺されるならまだしも、僕らを殺してしまえばその死体の処理も問題になってくる、なんて。
僕へと視線を向けた一瞬の間に、そんな思考のいくつかが脳裏を過ぎったのかもしれない。
彼女は苦々しげに両手を上げて言った。
「取引は無理だけど、停戦協定なら」
浮月さんだって自身の無茶な要求がまま通るとは思っているはずもなく、そんな妥協じみた提案をよどみなく了承する。
お互いに数日間硬直状態を保持する。また、何か行動を起こす場合は事前に通達する、という即席で定められた口約束以上の何かを押し通そうとは、流石にしなかった。
「でもあの男だけは殺させてよ」と、担任の消えた廊下の奥を指差す。「残しておくと中途半端で危険なの」
「他の殺害は止めてくれるんですよね」
頷いて、皆葉くんへと視線を投げる。彼は携帯を取り出しメールを打つ。
「クラスの子に停止命令を出したよ」
「ではどうぞ、あなた方の担任は見逃します」
と、両手を上げる浮月さんを背に、しかし彼らはこちらを警戒しながら階段を降りていった。
去り際の皆葉くんが手を振っていたので思わず振り返していたら、浮月さんに睨まれた。
そしてそれは、彼らの背中が見えなくなってほっと一息ついた途端の言葉だった。
「星田くん、何してるんですか。早く彼らの後を追ってください」、と。
「……それは停戦協定的に許されるのかな」
「明言してない向こうが悪いということで」
期待せず、されど一応尋ねてみる。
「えっと……、浮月さんは?」
「この死体が消えるまで、下手に騒ぎにならないよう見張っている人間が必要です」
「じゃあ、それを僕が」
「向こうに私が行っても、戦闘力的に阻まれたらそれでおしまいなので」
死体に刺さっていたナイフを抜いて、こちらに渡す仕草をする。
「一本貸してあげます」、と。
「……」
血に滑るそれを黙って受け取る。もちろん僕に拒否権なんてない。
「さっき棒立ちだった分、今からでも働いてください」
「…………」
言いたいことはたくさんあっても、言い返されない言葉が見つからない。
なんて。
「取引しませんか、白地さん」
浮月さんは彼女らと正面から対峙する。僕はといえば、浮月さんの背後に目立たぬよう立つことで、どちらが交渉すべき相手かを控えめに主張するばかりだった。
「……」
対する五人のうち、リーダー格にあたるのはやはり白地さんだったらしく、自然と彼女が前に出てくる。
ただし残念なことにそんな白地さんの瞳は、目の前の浮月さんを今にも殺しかねない輝きを帯びていて。僕としては彼女が、ここは職員室前であるという事実をゆめゆめ忘れないでいてくれることを願うばかりだった。
「何です、その顔。またご自分の脳漿を鼻から啜りたいのですか?」
「浮月さん、お願いやめて」
思わず頼み込んでしまった。今更手遅れだけど、彼女がナイフを携帯するのを僕は見過ごすべきじゃなかったなと反省する。
「白地さんもお願い、その拳を抑えて」
向こうは向こうで今にも飛びかかろうとしていた白地さんが、一人のA組生徒に羽交い締めにされている。表情も崩さずに自分の為すべきことをやるのだから、A組の名も知れない彼は偉い。僕らは通じ合うものを感じて、頷きあった。
「俺、皆葉」と、淡い金髪の彼は名乗る。
片耳ピアスにわずかな煙草の匂い。不良くんかなと思いつつ。
「僕は星田。彼女は浮月さん」、と。
互いの上司を背後に隠し、部下二人が調整役に回り握手を交わす。僕に至っては自己紹介まで代行する。
「その手を切り落としてください、星田くん」
「……」黙っているかナイフを捨ててきてよ浮月さん、なんて。
背後からの悪魔(浮月さん)の囁きを無視する。
「あんまり長居してもあれだし、要件だけ聞かせてもらえっかな?」
と、大人な皆葉くんの方から話を振ってくれるから、絶賛、僕の内で彼の好感度が鰻上りだったり。
……。他が酷すぎて比較的マシに見えるだけという説も頭を過りつつ。
「うちの部長が言いたかったのはつまり」
と言いかけて、悩んでしまう。どう表現をマイルドに抑えても荒っぽい言い方になりそうで。
「僕らを無視して、あまり勝手なことばかりしないで欲しいってことなんだ」
「そっちの顔を立てろって?」
「もちろん君らと敵対するつもりはないけど、ただ僕らにも事情があってね」
喧嘩腰にならないよう、注意を払って。
「筋を通せってことですよ」
「……」
後ろからの声に台無しにされた。
温厚そうな皆葉くんの表情も流石に困惑を浮かべる。
「筋って……おたくら、ヤの付く職業?」
と、不良っぽい見た目なのに若干引き気味なリアクション。
「違います、失礼な。私たちは『普通部』です」
気付けばすでに、調整役を跨いで険悪なムードができ上がっていて、僕はここから再度割り入ることを諦める。
「それよりあなた方、まともに受け答えできたんですね。もっとゾンビチックかと」
それは僕も内心訝しんだけど、せめて貶すような語彙を入れずに尋ねることはできなかったのかと頭を抱える。
「ミイラみたいなのに言われたくないし。てかいい加減キレるよ?」
あぁそうか。例えそれが無駄な行為であるとわかっていたとしても、僕はめげずに繰り返し、彼らに教え諭すべきだったのかもしれない。
ここは職員室の真ん前なのだと。
しかし一方の浮月さんは、皆葉くんの付け足されたような脅しを気にする様子もなく、恐らくは悪意抜きに尋ねていた。
「あなた方は……いつか本当に、何かが変えられると思っているのですか」
「……何の話だよ」
彼は本当にわからないように首を傾げた。なら質問を変えましょう、と浮月さんが仕切り直す。
「あなた方は何を見返りとしてそんな存在に甘んじているのですか」
自分を殺した相手の配下として、今度は自身が誰かを殺すような。
「見返りなんてないよ、ただやる必要を感じるだけだって」
「まるで奴隷や洗脳みたいだと思いませんか」
「上手く説明できないけど、変な感覚があるんだよ」苛立たしげに。「『こう』なってからずっと伝わってくるんだ」
ふと目が合った。真剣な。偽りでも陶酔でもなく。
「あの子が可哀想だって」
「……」
冗談のような言葉が置かれて、僕と浮月さんは顔を見合わせた。
一方で向こうの陣営はと言えば、誰一人としてその単語に違和を覚えた様子もなくて、つまり皆葉くんの言う感覚とやらは彼らに共通なものなのだろう。
何となくだけれど、こんな多くの人間が一つの意思のもとで従順に動くからくりを理解できた気がする。
いや、今はそれよりも。「あの子って、ことは」
まさか彼らの感染源にいるのは年下か。
「あんたらもこうなってみればわかるって、きっと」
「それは……どうでしょうね」
わずかな躊躇いを残しつつも、浮月さんは言い切った。
「庇護欲を抱かせることは、手軽に人を動かす方法の一つです」
「……」
それは彼らに対して、口にしてはならない言葉だったのだと思う。
決別。そんな言葉では生温いほどの温度差を感じた。
「……そんな、わけない」
「そうでしょうか。そもそも自分たちがすでに人じゃない自覚はありますか」
「俺たちは」「もうやめよう」
そう遮ったのは、それでもなお表情を変えない白地さんだった。
「無駄に情報ばらしてどうするの。釣られてるんだよ」
「……」
浮月さんは僕と目が合うと舌を出した。そんな仕草でもコミカルに可愛いから困ってしまう。
気まずげに黙り込んでしまった皆葉くんの代わりに、白地さんが口を開く。
「浮月さんは私たちのことが気に入らないみたいだけど」「お互い様でしょう」
睨み合った。のも束の間、浮月さんの方から相好を崩し微笑んだ。
「再度の申し出になりますが、取引をしましょう」
「……」
敵愾心むき出しの視線を前に白々しさを隠しもしない。
僕の脳裏に過ぎったのは部則第二。『よく喋る愛想の良い善人であれ』なんて。
「私たちに無抵抗で潰されてください」
「……」
それでは取引じゃなくてただの脅迫だと思ったのは、たぶん僕だけじゃない。
「具体的には以下の三つを要求します」
まず一つ、と指を立てた。
「感染源を差し出してください」
「ふざけんな」
ようやく我に返った皆葉くんが、吐き捨てる。浮月さんは無視して続ける。
「二つ目、あなた方もこれからは人間のふりをしてください」
「……誰が」
これが一番重要ですが、と三本目の指を立てた。
「『普通部』に所属してください」
「おい、聞けよ。頼むから」
最後のは余計だったかなと秘かに思う。たぶん最初に三つと言ってしまったから、二つしかなかったところを無理に付け足したんじゃないかな、とか何とか。
まぁどちらにしても、全体的に言い掛かりのようなものだし。
「白地さんも、お仲間に言ってあげてください」と、火に油をどぷどぷ注ぐ。「拷問は失禁するくらい怖かったって」
ぶちっと音がしてまさかと思ったけれど、ちぎれたのは誰の神経でもなく浮月さんの襟ボタンだった。
どちらかと言えば平均より小柄な浮月さんのこと。同じ女子でも比較的上背のある白地さんの手で壁へと叩きつけられれば必然、吊るし上げを食らうような格好になり、足元はつま先立ちの形で、それでも丈が足りず、わずかに浮いた。
「いい加減にしてよ、大人しく聞いていれば」
「星田くん」
目の前の白地さんなんか眼中にないと言いたげな顔で。されど彼女はやや苦しげに、僕の方へと恨めしそうな視線を向けた。
「見てないで、……助けてくださいよ」
「……自業自得じゃない」
僕は意図して冷たい返事をした。
浮月さんの細腕は僕と違って、凡人のそれと大差なく見た目通りの腕力しかない。しかし恐らくその腕っぷし事情は、いくらかリミッターが外されていようとも白地さんの方とて同じ平均並で、この場で優劣が付いているのは単純に体格差の問題なのだと思う。にも関わらず多人数相手に挑発的な言葉を投げ続けていたのは浮月さん自身で、それすら最初からこちらの擁護をあてにしていたのだとしたら、僕としても多少は思うところがある。
とは言え、彼女自身が自力でこの状況を脱しようとするならセーラー服内側のナイフは抜かれざるを得ず、もちろん白地さんはそんな場所に凶器を隠すような神経を想定していなくて、浮月さんの左手の動きに気付かない。このまま僕が見過ごしてしまえば彼女のチタンナイフが誰かの致命傷に埋まるのは必至で、そうなってから事情を知らない部外者にこの乱闘現場が見つかれば、もうどんな言い訳も通用しないだろう。
再三になるけれど。ここは校舎裏でも屋上でもなく職員室真ん前で、生徒が同級生を壁に押し付けている現状だって見られて大変喜ばしいというわけではない。万一にもことが刃傷沙汰になってから目撃されるなら、僕らがA組の側でなくとも、教師の口を塞ぐためにその喉笛を切り落とすなんて根本的な解決策を選ぶ必要に迫られるかもわからず、もちろんそんな事態は何としても避けたかった。
適当なところで止めに入るつもりで足を踏み出しかけて。
不意打ちで職員室から出てきた人影に硬直する。
「……何してるの君ら」
それは今や、僕と浮月さんを押しのけて抹殺対象リストトップに躍り出たばかりなA組の担任その人だった。タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど帰るところだったらしき彼は訝しげな視線のまま。組み合った形の白地さんと浮月さんを見遣り、それを囲う僕らを眺め回し、再び視線を戻して浮月さんの手元のナイフをはっきりと見て、見開いた目元を誤魔化すように視界から外した。
……おい。
「みんなも、あぁその。……早く帰りなさいね」
誰に聞かせるつもりもなさそうな声量でそう呟いて、自身の鞄をかばうように抱えたままこそこそと小走りに去って行く。余程自身のクラスで起こっている『異常』とは関わり合いになりたくないらしく、気持ちはわかるけどそれは問題の先送りなんじゃないかなんて、他人事ながら思ってしまう。
そんな僕の目の前ではまったく予想を裏切らず、担任の影が廊下の向こうへと消えるのを待っていた白地さんが、すでに興味の対象から外れてしまった浮月さんを手離し、他の仲間とともに彼の背中を追いかけようとするところだった。
「待ち、なさい」
若干のしゃがれ声でつい今し方、攻撃対象から外されたばかりの浮月さんは健気にも彼女らを呼び止めた。
むろんこちらに用のない相手が、待つはずもない。
そしてそんな無礼を、浮月さんが見咎めないはずもない。
一人が崩れ落ちる。
その音で振り返ったもう一人の喉元奥深くに、抜いたばかりのナイフを突き刺す。
「だから。待ってくださいと、言っているでしょう」
頸動脈を切られたのが一人と、気管まで穴を穿たれたのが一人。
それがこの一瞬で浮月さんが殺した人間の数だった。
振り返って驚愕を浮かべた白地さんらへと、相変わらずの咳混じりを抑えたような声音で。
「死体が消えるという特性も場面次第ではデメリットですね、白地さん。校舎内でも躊躇いなく人が殺せてしまいます」
「……」
白地さんはこの時ようやく、浮月さんこそが最優先で排除されるべき敵なのだと認識し直したらしい。
「死体が消えるまで五分程度でしょうか。しかしその間、ずっと放置というのも少し怖いですね」
「こんな場所で殺してくれて、見つかったらどうするつもりなのよ」
「どうもしませんよ。どうせ消えるんですから」
それよりも、と彼女は白々しく首を傾げた。
「話の途中でしたけど、取引は受けていただけるのでしょうか」
「……」
苛立たしげな視線は誰にも気付かれないほどの一瞬、僕の方へと向いた。浮月さん一人が相手なら、あるいは残った三人で制圧できるものと考えたのかもしれない。されどこちら側には先ほどから手を出しもしないまま無傷の僕がいて、その傍観者がどれほどの脅威かを自前で体感済みな白地さんは行動を躊躇ってしまう、といったところだろうか。
あるいは一方的な虐殺ならまだしも、三対二での乱闘は相当に騒がしくなる。加えて自分たちが殺されるならまだしも、僕らを殺してしまえばその死体の処理も問題になってくる、なんて。
僕へと視線を向けた一瞬の間に、そんな思考のいくつかが脳裏を過ぎったのかもしれない。
彼女は苦々しげに両手を上げて言った。
「取引は無理だけど、停戦協定なら」
浮月さんだって自身の無茶な要求がまま通るとは思っているはずもなく、そんな妥協じみた提案をよどみなく了承する。
お互いに数日間硬直状態を保持する。また、何か行動を起こす場合は事前に通達する、という即席で定められた口約束以上の何かを押し通そうとは、流石にしなかった。
「でもあの男だけは殺させてよ」と、担任の消えた廊下の奥を指差す。「残しておくと中途半端で危険なの」
「他の殺害は止めてくれるんですよね」
頷いて、皆葉くんへと視線を投げる。彼は携帯を取り出しメールを打つ。
「クラスの子に停止命令を出したよ」
「ではどうぞ、あなた方の担任は見逃します」
と、両手を上げる浮月さんを背に、しかし彼らはこちらを警戒しながら階段を降りていった。
去り際の皆葉くんが手を振っていたので思わず振り返していたら、浮月さんに睨まれた。
そしてそれは、彼らの背中が見えなくなってほっと一息ついた途端の言葉だった。
「星田くん、何してるんですか。早く彼らの後を追ってください」、と。
「……それは停戦協定的に許されるのかな」
「明言してない向こうが悪いということで」
期待せず、されど一応尋ねてみる。
「えっと……、浮月さんは?」
「この死体が消えるまで、下手に騒ぎにならないよう見張っている人間が必要です」
「じゃあ、それを僕が」
「向こうに私が行っても、戦闘力的に阻まれたらそれでおしまいなので」
死体に刺さっていたナイフを抜いて、こちらに渡す仕草をする。
「一本貸してあげます」、と。
「……」
血に滑るそれを黙って受け取る。もちろん僕に拒否権なんてない。
「さっき棒立ちだった分、今からでも働いてください」
「…………」
言いたいことはたくさんあっても、言い返されない言葉が見つからない。
なんて。
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