彼女はこのあと、僕がおいしく頂きました

なしひと

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36.ホシダはウツキサンのつかいかたをわすれた

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 静寂を無遠慮に揺るがす、厳かな駆動音で目を覚ます。

 ふといつの間にか仰向けにされていたことに気付き、続けて手足へと目を向ければ、あれだけ浴びた血肉のヘドロが身体表面のみならず衣服からも綺麗に消え去っていて、向こうの能力はやはり変に隠蔽性が高いのだななんてことを意味なく思った。

 そして尋ねる。

「どうして殺さないの」
「どうして死なないの」

 そんな風に問い返されて、言葉に窮してしまう。

 僕が起き上がれない横で、説明書片手に小型エンジンらしきものをいじっていた白地さんは、視線をこちらに向けもしないままに。

「正直、あれだけの重圧を受けて死んでない方が驚きなんだけど」

 だからそれは、両親と低予算のお陰なのだと。言っても返ってくるだろう視線の質が容易に想像できて、僕は今更な見栄を守るために口をつぐむ。

 代わりに、話を逸らすつもりというわけでもなく、僕は尋ねた。

「……それは何?」
「業務用小型ポンプ」
「……」

 よく見れば赤い液体をぐいぐい吸い込んでいるらしき機械から伸びる管の先は僕の喉元の針へと繋がっていて、さっきからどうにも視界が暗いと思ったら。

 僕は何も言うより先に管を引き抜いた。

 ホースから溢れた僕の血がタイル溝にどくどくと流れ行くのを目の当たりにして、さらに血の気が引く。

 というか、理性が飛びかける。

「ちょっと、抜かないでよ」

 低血圧な抗議を聞き流しながら湧き出る性欲と食欲をどうにか抑えて、目の前の何とかさんの鎖骨に齧り付く映像を脳裏から振り払う。そんな想像を行動に移せていたかが怪しまれる程度には貧血がひどくて、僕の身体はますます渇きを訴える。

 億劫な口元を動かして殺す気かと尋ねようと思ったけど、そんな当たり前のことを尋ねるのも馬鹿らしいと思い直し、せめて気を紛らわせようとホースの先にビニールテープで固定されていた注射針を片手で折った。

 そんな僕の所作を不満に思ったのか。

「……まぁいいけどさ」良くない。「どうせこの程度じゃ、無力化にしかならないって聞いてるし」

 まともに働かない頭で必至に、意識を失う以前の記憶をかき集める。

 深呼吸を幾度も繰り返してようやく。

「……浮月さんは?」

 それだけを言葉にするのにも、一瞬吐きそうになった。

 白地さんはほんの少だけ憐れむような目を僕に向けて、手作り採血機のエンジンを止めた。駆動音が消えた静寂の中に、夜の悲痛を自身ごと引き裂こうとするような鳥の声がして、視線のみを動かせば空の端はいつの間にか白み始めている。

「おいでよ、立てる?」

 その言葉に鉛のような重さの首を起こして、錆びついた軋みが響く肘関節を割れタイルに突き立てる。狙ったわけでもなく生まれたての子鹿のような震え足になってしまいつつも、ようやく立ち上がることが出来た僕を、白地さんが心配そうに見ていた。

 そんな顔をするくらいなら、立ち上がるのを手伝ってくれてもバチは当たらないんじゃないか、なんて思っていたところにちょうど目が合って言い訳でもするように。

「……ここで私が肩貸したりするのも、どこか卑怯じゃない」
「何の話?」

 すっと目を逸らされる。

 手を貸してくれればもっと早く起き上がれたろうにと思いつつ、結局そこから先はもう歩き出せなくて、白地さんの肩を借りることと相成った。

 相変わらず無人の校舎内を素通りする形で、学校裏手の方へと向かう。

 ひっそりとした廊下をおぼつかない足取りで進む。白地さんも僕も、お互いに言いたいことや尋ねたいことはたくさんあったに違いないけれど、静寂に身を任せたまま何ひとつ言葉を交わさずにただ肩の貸し借りをした。

 それから渡り廊下を抜けて、連れられた先は校舎隅の焼却炉。灯油タンクが足元に転がる人だかり。白みかけの夜空をより塗りたくろうと煙を吹き上げ続ける煙突。絶賛稼働中らしき固く閉じられた焼却炉を、葬式か何かのように取り囲む影のうちの一人が僕らを振り返り、それは砂音だった。

「思ったより遅かったね」

 と、それだけを告げたきりこちらの反応も待たずに鉄扉へと視線を戻す。

 彼女らが何を見ているのかと訝しんでいたら、距離を縮めるに連れて空色の天蓋を割らんばかりに大きくなっていた鳥の鳴き声が、焼却炉の内側から聞こえていたことに今更気づく。煙はもうもうと上がり、かんぬきの掛かっている鉄扉が壊されかねないほどに内側から強く叩かれている。

「流石に焼けば死ぬでしょう」

 そんな誰かの独り言にはっとする。

 鳴き声だと思っていたそれが、浮月さんの慟哭だったのだとようやく気付く。

 扉を叩く力が心なし弱まる、肉と頭髪と衣類が一緒くたに焼ける独特の臭気が漂ってくる。

「……」

 そんな現実を前にしかし僕は、何をすることもできなかった。

 血を抜かれて身体が動かない以上に、溢れかえる無力感で足が動かなかった。

 彼女を助け出すには戦力差が開きすぎていた上に、無謀を試みるまで到底達し得ない程度にはこちらの心が折れきっていた。

 ただ感慨もなく尋ねる。

「この次は僕も焼くの?」

 と。しかし意外にも砂音は首を傾げた。

「別に焼いてもいいけど」

 お兄ちゃんも焼かれたいのと率直に尋ね返されて、貧血の朦朧とした意識のせいで危うく頷きかけた。

「どうして」
「だってどうせ。お兄ちゃんはもう『普通部』じゃないんでしょ?」

 そんな嘲りさえも含まない無関心を向けられて初めて、彼女の指摘がどうしようもなく正しいことを自覚させられる。

 恐らくどちらかといえばそれは指摘というより、脅しのつもりだったのだろうけれど。

 その言葉は存外僕に、重く響いた。

 途端、僕は部則の第三条なんてろくでもないものを思い出してしまって、自身が最後、浮月さんに向かって何度も念じた言葉を思い出す。

 生き残るために仲間を見捨てろと。

 ……。正直なところ。

 みっともないことにその時、僕の心は少しの安堵さえ覚えた。

「一応、抵抗されないように血抜きしといてもらったけどさ。そんなのなくたって浮月さんを助けようともしなかっただろうし」

 その通りだ、なんて叫んでみようかとも思った。むろんそんなことをすれば砂音は機嫌を損ねて僕の余命は残り一日を割るだろうから、あえてやろうとは思わない。ふとした瞬間に絡み合ってしまった白地さんの視線から、自分の立ち位置が推し量られていることはすでに知っていた。

 きっと僕は生死の瀬戸際に立たされていた。

 どうして浮月さんの死に際なんて場面へと僕が連れてこられているのか。

 改めて考えるまでもなく答えは明白で、僕は裏切りへの悪寒さえ表情に漏らさない。

 誰のために『普通部』をやってきたのか、なんて。

 そんなの自分自身のために決まっている。

 僕は浮月さんを利用し、浮月さんも僕を利用して。ただそれだけの関係だった。だから僕が屋上から突き落とされて死にかけた時、浮月さんにとっての正解は、きっと顔色一つ変えずに砂音へと襲いかかることだったのだ。

 しかし愚かな彼女は僕を助けようとした。普段の冷静さを失って、合理的な判断を手放して。手段と目的を履き違えてしまったのだ。その結果こうして、僕の目の前で焼け死のうとしている。いつの間にか焼却炉からの鳴き声は枯れかけていて、今はただ扉が力なく揺すられるばかりだった。喉が焼けてしまったのかもしれないと考えるだけで、浮月さんを救い出せる最後の機会だとも思えない僕には、やはり鬼の血が流れている。

「お兄ちゃんには、浮月さんが持っていたような信念なんて欠片もないんだよ」

 きっとそれは最後の審問だった。僕は今、かろうじて首の皮一枚を繋ぎかけている。

 向こうが望む解答なんてわかりきっていて、あとはただその通りに演じるだけで、僕はこの日を生き延びることができるだろう。

 裏切る。偽る。騙す。籠絡する。人が日々をより良く生きるために当たり前にできることを、同形たる僕ができない道理はない。

 浮月さんは間違えた。だから僕は間違えない。

「……そうだね」、と。

 言った途端、自身の精液を口移しで喉奥に注ぎ込まれたような不愉快が吐き気を催す。

 偶然、目の合った白地さんは少し楽しそうだった。

 こちらを見透かされているのかと恐怖する胸中を押し隠して、微笑み返す。

 笑顔は従属の証で、自分の顔から砂がこぼれ落ちたような幻覚とともに、寒気のする屈辱が僕の喉元を掻きむしる。

 一般に、楽しさの本質とは他者を自身の感情に同調させる暴力なのだと、ふいに悟る。

 ほっとしたような声音で砂音が続ける。

「合理的に考えちゃうんだよね。だから今まで浮月さんの側に付いていたし、彼女にメリットが無くなれば呆気なく見捨てる」

 私も同じ、と。

「だてに人外やってないからね」、なんて嘯きながら。

 心を殺す一瞬。

 脳裏で自身がこれまで大切にしてきた価値を貶め、汚し、罵倒し。自身の根幹を叩き壊して、内面の価値体系を作り変える。

 1・2の…ポカン! ホシダはウツキサンのつかいかたをきれいにわすれた!

 吐気がするほどの目眩と懺悔。しかし次の瞬間、表情を一ミリも変えないままに僕の中の『本当』は軸足を変えている。

 鬼の本領はきっと怪力でも食欲でもない。

 その証拠に今の僕は、ついさっきまで感じていた彼女への罪悪をすでに解さなくなっている。むしろ現状僕の頭を占めているのは、どうやって砂音らをたらし込もうかという画策で、そんな自分が心底嫌になる。

 相手の次の台詞は、とっくに予想がついていた。

「だから今度はさ、私たちと一緒に戦ってよ」

 それはきっと裏切りを促す言葉ですらなく、ただの雇用契約。

 僕が返す言葉だってただの追認だった。

「……いいよ」

 僕の無感動な返事に、砂音は嬉しそうに笑った。

 ふと煙が昇る先を目で追っている途中、見上げた校舎の窓に巳寅さんの姿が映る。彼はそんな半端な高みから、焼却炉周りに群がる僕らを無感動に見下ろしていた。

 こちらから見上げられていることに気付いたに違いないけれど、何の反応もなくふとした次の瞬間。彼の姿は消えていた。

 そんな一連の動作で、その男が初めから僕ら『普通部』に何の期待もしていなかったのだと悟る。彼は僕らを利用するつもりですらなく、ただ砂音らの力量を推し量るための当て馬程度のつもりだったのだろう。あるいはそれはたった今、何の行動も起こそうとしない僕へと失望した結果だったのかもしれない。

 何故なら、彼と僕だけが『それ』の存在を知っている。

 手加減を知らない浮月さんが、気まぐれに残した保険を。

 されど極限まで熱した刃物のような彼女の意志を引き継ごうとするものがいない今、そんな置き土産にはきっと何の意味もない。雨に打たれ、日に色褪せ。いつか朽ち果てるだけの儚い感傷だろう。

 僕は周囲に気付かれぬよう、小さくため息を吐いた。

 ちょうどその時、鎮火した焼却炉が開かれてその内側から煙混じりの灰がらに、骨らしき塊と黒炭がもたれかかるようにボロボロとこぼれてきた。飴細工のように溶けて歪んだ眼鏡。その形は笑っているようにも泣いているようにも見えた。

 こうして浮月さんが死んで、僕らは敗北した。
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