最後の手紙

菊池まりな

文字の大きさ
5 / 6

第5話 最後の贈り物

しおりを挟む
風が冷たくなり、秋の終わりを告げるような空気が街を包み込んでいた。

美咲は駅から少し離れた介護施設の前で、深く息を吸い込んだ。
祖母・花子が入所することになったのは、医師やケアマネージャーとの相談の結果だった。

最近では、昼夜の区別がつかなくなり、火をつけたままコンロの前を離れてしまうことも増えた。
母・恵子の疲れも限界に近づいていた。
施設での生活が始まることは、誰にとっても苦渋の選択だった。

引っ越し当日、美咲は母と共に、花子の家の片付けに向かった。

「……ここ、しばらく来てなかったね」

美咲がそうつぶやくと、恵子は黙って頷いた。
埃の積もった窓辺には、色あせたカーテンが揺れている。

花子の部屋に入ると、そこにはいつもと変わらない光景が広がっていた。
小さな机の上には、使い込まれた万年筆と便箋の束。
引き出しの中には、丁寧に並べられた封筒と切手。
そしてその奥、美咲はふと、手紙の束にまぎれて一枚の未完の手紙を見つけた。

破れかけた便箋に書かれていたのは、震えた字で綴られた言葉だった。



> 美咲ちゃんへ
おばあちゃんは、もうすぐあなたの顔を忘れてしまうかもしれません。
でも、あなたを愛している気持ちは、絶対に忘れません。

愛は記憶よりも深いところにあるのです。
おばあちゃんが教師として学んだことは、
愛は形を変えても永遠に続く、ということです。

この手紙たちが、私の愛の証です。

あなたが困った時、悲しい時、
このお手紙を読んでください。

おばあちゃんの愛が、いつもあなたを支えています。

字が書けなくなっても、
おばあちゃんの愛は……続いています……

あなたの幸せを、
いつも、いつも祈っています。





最後の行には、インクがかすれていた。
涙がにじんだのか、それとも手が震えていたのか、文字は途中で止まり、ページの端には小さなインクのしみがひとつだけ残されていた。

「……おばあちゃん」

美咲は唇を噛みしめ、そっと便箋を胸に抱いた。
祖母は、言葉が綴れなくなってもなお、最後まで愛を伝えようとしてくれていた。




数日後、美咲は祖母のいる施設を訪ねた。

窓際の椅子に座っていた花子は、美咲の姿を見ると、少し首をかしげた。

「……あなたは、どなた?」

その問いに、美咲は少し笑って答えた。

「美咲だよ。おばあちゃんに手紙を読みに来たの」

「……手紙?」

「うん。おばあちゃんが、ずっと送ってくれた手紙。今度はわたしが読む番だと思って」

そう言って、美咲は白い封筒を取り出した。
中には、かつて祖母が書いた思い出の手紙と、美咲が新しく綴った返事が入っている。

便箋を開いて、声に出して読み始めると、花子は少し目を細めて、美咲の声に耳を澄ませた。
そして時折、ふっと穏やかな笑みを浮かべる。

言葉はもう届いていないのかもしれない。
でも、声の響きや、想いのぬくもりは、花子の中に確かに届いているようだった。

「……ありがとうね。きれいな声ねえ」

かすかな声でそうつぶやいた花子に、美咲はそっと微笑んだ。

「うん。また来るから。今度は、新しい手紙、持ってくるね」

そしてその日から、美咲は毎週、祖母に手紙を届けるようになった。
それは過去を思い出すためのものではなく、「今」を共有し続けるための、小さな橋だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...