群青色-まだ名前のない色-

菊池まりな

文字の大きさ
83 / 126

第83話 描きかけの空

しおりを挟む
八月も終わりに近づいていた。
蝉の声が少し弱まり、校庭を渡る風の音が心なしか涼しい。
私は誰もいない美術室にひとり、キャンバスと向き合っていた。

絵のタイトルは、まだ決めていない。
けれど、頭の中にはぼんやりとした色があった。
淡い群青と、そこに溶け込む白。
──あの日の、雲のかけらみたいな色。

「また来てたんだ、蒼」

ドアの向こうから声がして、顔を上げる。
千尋が制服のまま、手に冷たいペットボトルを二本持って立っていた。
彼女は私の隣に腰を下ろし、ペットボトルを一本差し出す。

「はい。スポドリ。集中すると水分忘れるでしょ?」

「ありがとう……。千尋こそ、文芸部は?」

「今日は部誌の印刷終わって、一段落。だから覗きにきたの」

そう言って、彼女は机の上のスケッチブックをめくる。
そこには、空の色を試した跡がいくつも残っている。
群青、青灰色、少しだけ混ざる朱。
どれも「完成」には届かない色だった。

「……この空、見たことある気がする」

千尋の言葉に、私は小さく頷く。

「多分、あの日の放課後。
 文化祭の準備でみんなが残ってたとき、窓の外に見えた空。
 あの色が、ずっと頭から離れなくて」

「へえ……」
千尋は少しのあいだ黙って、それから微笑んだ。
「いいね、そういうの。蒼らしい。
 “思い出の切れ端”を、色で残す感じ」

その言葉に、胸の奥が少し熱くなる。
うまく言えないけれど、誰かが“私の中の色”を分かってくれた気がした。

「でも、描きかけなんだ」
私は苦笑して、筆を握り直した。
「まだ“名前のない色”のまま」

千尋は静かに頷いた。
「じゃあ、完成したら最初に見せて。
 そのとき、名前を一緒に考えようよ」

窓の外、沈みかけた太陽が雲を赤く染めていく。
群青が混ざる前の、ほんの一瞬の色。
私はその光を見つめながら、そっと筆を動かした。

描きかけの空の中に、少しずつ群青が滲んでいく。
それは、私の心の奥で生まれた“まだ名前のない色”──。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...