群青色-まだ名前のない色-

菊池まりな

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第120話 まっすぐな声

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放課後の昇降口は、ゆっくりとした時間が流れていた。
 まだ部活へ向かう生徒の足音が少し響く程度で、昼間よりずっと静かだ。

 靴箱から上履きをしまい、ふとガラス扉の方へ目を向けると──
 その前に、ひとりの背の高い影が立っていた。

 海野陸だ。

 外の光を背にしているから、横顔の輪郭だけがくっきり見える。
 彼はこちらに気づくと、少しだけ照れたように手を上げた。

「蒼、来たんだな」

「陸……待ってたの?」

「うん。話、したくて」

 そう言って彼は、昇降口の外を指さした。

「ちょっと、校庭の方まで歩かない? ここじゃ人が多いし」

「……うん」

 ふたりで校舎を出ると、夕方の風が頬に触れた。
 夏が終わって間もない九月の風は、ほんの少し塩の匂いを含んでいる。

 青海高校の校庭の向こうには、細く海が見える。
 そのあたりまで来ると、陸は立ち止まった。

 彼は何か言いたげに空を見上げ、しばらく黙っていた。
 その沈黙の間も、私はあえて口を開かない。

 陸が、息を吸う気配がした。

「……“群青の手紙”、見に行ったんだ」

「え?」

「美術展。蒼の入選作品。遠かったけど、どうしても本物が見たくてさ」

 胸がじんとあたたかくなる。

「陸……見てくれたんだ」

「当たり前だろ。蒼の絵だから」

 少し照れるように笑って、でも目だけはまっすぐだった。

「正直、悔しかった」

「悔しい?」

「うん。同じ海を見てるはずなのに、蒼の方がずっと遠くの色を知ってる気がして。俺には、あんな青は描けない」

 その言葉は、言い方こそ優しいけれど、とても強い気持ちがこめられていた。

 私は何も言えず、ただ陸の言葉を受け取る。

 彼は続けた。

「でもな、それと同じくらい……いや、それ以上に嬉しかった。蒼があの海を描いたこと」

 そして、少しだけ歩み寄る。

 夕陽が彼の肩越しに差し込み、髪の縁を金色に染めた。

「蒼のことが好きだ」

 その言葉は、驚くほど静かで、驚くほど真剣だった。

 胸の奥が大きく揺れる。

 千尋がくれた言葉の色。
 澪がくれたまっすぐな眼差し。
 そして陸が、こうして想いを口にしている。

 私はゆっくりと息を整えた。

「陸……ありがとう。ほんとに」

「返事は急がなくていい。蒼が困るなら、ずっと待つ」

 陸はそう言って、穏やかに笑った。

 風が吹いて、少しだけ海の匂いが強くなった。

「……少し、考えさせて」

「うん」

 私が言うと、陸はそれで十分だと言うように頷いた。

 校庭に長い影が伸び、放課後が夕暮れに溶けていく。

 私は胸の奥に手を当てながら、そっと思う。

 ──今、私の“色”はいったいどこへ向かおうとしているのだろう。

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