歩く15億の花嫁~契約婚約から始まるオフィス・シンデレラ~

YOR

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第2章:公の役割(オフィシャル・ロール)

第9話:佐伯涼子、オフィスに現る

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日高は、最上階を示すエレベーターにカードキーをかざした。

――カードキー!すごい、映画でしか見たことない!
私もあれ、もらえるのかな。あれがあれば、堂々とこの最上階まで行けるってことだよね?そんなことを考えていると、日高が私に視線を向けた。

「奈月様、まず社長室でご挨拶を。その後、瑛斗様の副社長室へとご案内いたします。」

エレベーターが最上階へ着くと、そこは静寂に包まれた別世界だった。
日高がノックをすると、「どうぞ」という、重々しい声が響いた。

社長室は、壁一面が窓となっており、眼下に東京の街並みが広がっていた。巨大なデスクの奥には、白髪をきっちりと整えた神谷社長が座っている。ホームページで見た通りのダンディさが引き立っていた。その瞳には、私を品定めするように鋭い視線を向けていた。

「おはようございます。水野奈月です。よろしくお願いいたします。」
私は、緊張しながらも、これまでの人生で最高の礼儀をもって挨拶をした。

「うん。水野敬一さんのお孫さん、奈月君だね。契約の通り瑛斗の許嫁、そして社員として勤めてもらう。」

社長は、デスクに手を置き、真っ直ぐ私を見た。

「スターライト企画の今があるのは、私の父である会長が大変お世話になった敬一さんの先見の明と、あの時の支援のお陰だ。そのおかげで当社は上場を果たせた。だからこそ、その孫である君には、安心してこの家、会社に来てもらった。他ならぬ敬一さんの孫だ。瑛斗が困らぬよう、最大限力を尽くしてほしい。」

社長の言葉は短く、感情がないように見えたが、そこには恩義と期待が込められていた。挨拶はすぐに終わり、社長は再びデスクの書類に視線を戻した。

「それでは、社長、私たちはこれにて失礼いたします。」と、日高が言い私たちは社長室を出た。
「さあ、お隣の副社長室へ。瑛斗様が、奈月様の席をご用意しております。」
副社長室は、社長室よりもさらに広く、機能的だった。巨大なデスクの前に、昨日と同じく黒のスーツを完璧に着こなした神谷瑛斗が座っている。彼は私が入室したことにも気づかないかのように、タブレットから視線を上げなかった。

「本日より、副社長室付き特別補佐として着任いたしました。」
私は、背筋を伸ばし、瑛斗へ簡潔に挨拶をした。
しかし、瑛斗は顔を上げない。数秒の沈黙が、重い空気となって私を圧迫した。

「業務内容は、日高から聞いているな。」

瑛斗がようやくタブレットから視線を上げ、冷たい瞳を向けた。

「はい。秘書業務全般、および副社長の雑務を承知しております。」

「結構だ。その席を使え。」

瑛斗は、巨大なデスクの斜め前に置かれた、もう一つのデスクを顎で示した。

顎で指した先を見ると私の名前が入ったネームプレートが置かれていた。

瑛斗のデスクにあるのは、無機質で冷たい印象を与える、分厚いガラスに鋭利な黒文字で名前が刻まれただけのものだ。だが、私のデスクに用意されていたそれは、どこか違っていた。

同じ高級感のあるガラス製ではあるが、その中には、舞い散る花びらのような繊細な文様がさりげなく散りばめられている。刻まれた名前も、彼のものより少しだけ柔らかい色味の黒で、私の存在をこの冷たいオフィスの中でそっと肯定してくれているかのように見えた。

(……あんなに冷たい人なのに、こんなところだけ、柔らかいのね)

意外な配慮に戸惑いながらも、そこが私の新しい居場所なのだと実感する。

「日高。」
「水野を連れて、関連部署への挨拶とすぐに社内を案内しろ。」

日高は「承知いたしました」と深く頭を下げた。

私は、業務内容が雑務中心であることに内心でため息をつきつつも、まずは社内を回るという指示に少しだけ気が軽くなった。

「では、奈月様。着任早々ですが、ご案内させていただきます。」

日高は、私を連れて副社長室を出た。

エレベーターで下の階へと降りていくと、一気に人の話し声やキーボードを叩く音で満たされた。ここが、スターライト企画の心臓部、広大なオフィスフロアだ。

その広大なフロアの向こうには、「ブランド戦略部」や「広報部」といった部署の看板が見えるが、壁で仕切られてはおらず、部署間の仕切りは低いパーティションだけだった。

就活で回ったどの会社のオフィスとも違う。窮屈な雑居ビルの一室ではなく、この一棟すべてがスターライトのもの。自社ビルだからこそ許される、この天井の高さ、そしてデスク間のゆとり。磨き上げられた床はどこまでも光を反射し、空気すら洗練されているように感じた。

ある会社の面接では、毎朝のデスク掃除に加え、フロア、シンク、階段掃除の当番制があり、しかもそれは出勤時間の30分前という勤務時間外の強制業務だと説明された。さらには夏前の草刈りや年末の大掃除まで社員の業務だと。

(この時代に、サービス残業があるなんてあり得ないこと)

だが、このスターライト企画は違う。プロの業者が完璧に管理しているのが一目でわかる。ここにいる社員は、ただ自分の業務に集中すればいい。面倒な雑務はすべて、お金で排除されている――その事実が、神谷家の持つ権力と富を雄弁に物語っていた。

社員たちは、常にプロジェクトごとにチームを組むらしく、部署間の連携が非常に重要になる、と日高は説明した。そのオープンで機能的な空間は、まるで洗練された巨大な戦場のように見えた。

私は、スーツ姿の社員たちが忙しなく動く様子を、少し圧倒されながら見つめていた。どの社員も、目が合うと丁寧に会釈をしてくる。

(契約の婚約者という立場だから?)

その時、一際甲高い、鈴を転がすような声が、近くの廊下から響いた。

「日高さん、お久しぶりでございます!」
「涼子お嬢様!ご無沙汰しております。」

私が声の方に視線を向けると、そこに立っていたのは、まるで雑誌から飛び出してきたような完璧な女性だった。

(涼子?……まさか、あの音声着信の『佐伯涼子』のこと?)

昨夜の夕食中に鳴り響いた、瑛斗の携帯の無機質な着信音、「サエキリョウコ」という合成音声が頭をよぎる。あの音声が、今目の前にいるのだとしたら――。

「日高さん、そちらの方は?」

涼子と呼ばれた女性は、微笑みを絶やさないまま、しかしその瞳はまっすぐ私を射抜いていた。

「あ、こちらは――」

日高が説明しようとした瞬間、私は涼子の圧倒的なオーラに飲み込まれないよう、一歩前へ出て深々と頭を下げた。

「水野奈月と申します。本日よりお世話になります。」

――ここが、私の新しい戦場。

顔を上げた私の視線の先で、涼子の微笑みが、一瞬だけ鋭く歪んだ気がした。

(つづく)
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