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三 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの婚約者と会うことになったのだが、聞いて欲しい
三の2
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ここに僕とアホ殿下の熱いようで薄っぺらい友情が芽生えた。ごめん、君は僕の童貞を守るための生贄だ。でも僕、君のこと嫌いじゃないよほんとだよ。だから精いっぱいの良縁を君へ運ぶと約束しよう。童貞の繊細な股間に優しい大人しいご令嬢を見つけてあげるから安心おし。できれば僕も、シリアナ嬢のような得体のしれない迫力があるご令嬢に鼻血を垂れ流しながら鼻息荒くのしかかられるのではなく、お淑やかな普通のご令嬢に頬を赤らめて遠巻きに視線を送られてみたかった。君にはそんな恐怖を味わわせないと誓おう。君への友情は薄っぺらいが、君が嫌いじゃないという思いは本物だよ!
「殿下、ロマンチックはお好きですか」
「好きだとも。夢見がちな童貞ゆえに」
「……!」
「友よ!」
僕らは馬上でがっちりと手を握り合った。夢見がちな童貞同盟ここに締結である。童貞には、童貞同士にしか通じ合えない言葉を越えた感覚があるのだ!
「ロシィ、見てはいけません。変な童貞が感染ってしまうよ」
「でもあにうえ、エインはおかおがてんさいなのです」
「ええ、ロシィ。言っていることはバカらしくかつ童貞くさくとも、エインのお顔は国宝級なのですわ」
童貞の! 何が悪い! 童貞が! 夢を見てはいけないのか!
オシリスキナ兄弟をキッと睨み、再びアホ殿下と頷き合う。必ずや、夢見がちな童貞に似合う夢見がちなご令嬢を見つけてみせる。僕の股間の危機を脱するためにも!
「公爵家怖い……公爵家怖い……」
気遣えないでいたが、小アホ殿下は何やらすっかり怯えた様子で弾いた弓の弦がごとく震えている。これでオシリスキナ公爵家に自ら近づくようなことはないだろう。知らない間に特大のトラウマが植え付けられてしまったようで気の毒である。
そっと前を行くエロアナル令息へ指でサインを送る。
目標捕捉。これより僕は単独任務に入る。
目で頷いたエロアナル令息が、シリアナ嬢へとサインを送る。エロアナル令息の意図を察したシリアナ嬢が、少し馬の速度を下げてアホ殿下と僕へ並んだ。
「アナルアルト殿下。エインをお気に召した様子ですので、バカンスの間は殿下の侍従としてお使いくださいませ。エイン、殿下に誠心誠意お仕えするようにお願いいたしますわね」
「はい、シリアナ様」
バカンスが終わる頃には、アホ殿下自ら公爵家へ婚約破棄を申し入れさせてみせる。なんせエロアナル令息とリストアップしたご令嬢はすでにプライベートビーチへご招待済み、夢見がちな童貞のこの僕が精査した選りすぐりの夢見る乙女ばかりである。僕には確信があった。
アホ殿下と僕、多分ご令嬢の趣味が合う!
熊の首を素手でねじ切るご令嬢ではなく、二人でロマンチックに夜空の星座について語り合うことを喜ぶご令嬢を選びました! 下ネタ叫んで変な鳴き声上げないご令嬢ばかりを選びました! ド変態の精霊王を椅子にしていないご令嬢を選びました! つまりシリアナ嬢以外は皆まともなご令嬢だよ! シリアナ嬢だけが異常だよ! 選び放題ですよ、殿下!
御者へ馬を預けてアナルアルト殿下へ割り当てられた客室へ同行する。
「狩りで汗をおかきになったでしょう。湯あみなさいますか」
「ああ。そうしよう」
侍女へ申しつけてアナルアルト殿下の客室を出る。エロシリダ令息の護衛騎士が廊下の先からこちらを見ていた。
「可憐な従者殿が、殿下に売り渡されてしまった……」
誤解しかしていない。売り渡されてないし! 僕はまだ、誰のものでもないんだからネッ!
反対側の廊下の奥で待っていたエロアナル令息と短く会話を交わす。
「今現在ドエロミナへ観光にいらっしゃっているご令嬢方の身上書は?」
「ここにある。抜かるなよ、エイン」
「承知しております」
先日、オシリスキナ一家が飲み物かと言う勢いでゴクゴク食べた対胃袋専用秘密兵器トライフルを準備した。フィストファック商会でドライフルーツの入ったケーキを食べて思い付いたのだ。スポンジケーキやパイ生地、生クリームとカスタードクリームと生のフルーツを何層も重ねたものだ。スポンジ生地はだな、オシリスキナ公爵家の筋肉たちの筋肉をふんだんに使って卵白を極限まで泡立てたらとてもふわふわになったのでそれを使って焼き上げたのだよ。そう、これは僕と筋肉たちのコラボレーションの賜物だ。筋肉は暑苦しいが美味しいものを作るために、筋肉も時には必要だと僕は知ってしまったのだ。
そのふわふわのスポンジ生地にこれまた僕の気まぐれでバターと卵黄、砂糖や小麦粉を混ぜたものに牛乳を加えて温めたら出来上がったカスタードクリームを重ねたら、素晴らしいスイーツが誕生してしまったのだ。味だけではない。季節の果物の彩りが目も楽しませる美しい仕上がりになっている。オシリスキナ一家に出した時は見た目の美しさにこだわりリキュールグラスに作って出したが、足りないとおかわりされて何度も作る羽目になったので今回はロックグラスを器にした。サワーグラス辺りで作ってプライベートビーチで貴婦人向けに売り出そうかな。それならカクテルグラスじゃなくてなんか専用の器欲しいな。かわいくてキレイなやつ。
トライフルと命名したのは言わずもがなのシリアナ嬢である。前世で同じ食べ物があったそうだ。
これで殿下の口も心も軽くなるというもの。美味しいものの前では、人は無防備になるのだっ!
湯あみを終えてバスローブですっかりくつろぎ、ソファへ凭れたアナルアルト殿下の前へ紅茶とトライフルを置く。皆、気を抜くと殿下の名前を忘れてしまうだろう? 僕がちゃんと時々アホ殿下の正式名称を呼ぶので忘れてはいけないぞ。
「これは……また見目の美しい甘味が出て来たな」
「殿下のお気に召していただけると良いのですが」
「うむ」
光速でグラスの中を往復する銀の匙。殿下、殿下。無言やめなさいよ。僕を一人にするな。寂しくて泣くぞ。
「おかわりを所望する」
満足気に背もたれへ体重をかけ、ロックグラスを差し出すアナルアルト殿下へすでに準備させておいたトライフルのおかわりを出す。
「エイン」
「はい」
「ほんと、シリアナの侍従が嫌なら俺のところへ来い。それくらいの交渉はしてやるから」
ぐぬ。シリアナ嬢よりお給料くれるなら、アホ殿下の侍従になるのもやぶさかではないがそうするとシリアナ嬢が僕の純潔を奪いに来てしまうのでごめん殿下断腸の思いでお断りします。僕は思慮深い上に分別もありなおかつ紳士的な童貞なので、例えシリアナ嬢より強かろうと女性へ手を上げることはできない。例え深刻な貞潔の危機であろうとも、だ!
「殿下」
「うむ」
「シリアナ嬢は強者を求め、私の棲み処までドラゴンの巣があるシリズキーネ山脈を一人で越えるご令嬢でございます。……生半な理由で私を侍従から外すとは思えません」
「……シリズキーネ山脈だぞ? ミナエロイ大陸で唯一、ドライオル・ガズムを主神として崇めていないこのアナルファック帝国が長年戦禍に見舞われずに済んだ最大の理由と言ってもいい、シリズキーネ山脈を? あのいけ好かない神聖メ・スイキ法王直属騎士団、デラエロイケツですら越えられないあのシリズキーネ山脈をか? そんなの、そんなの……っ!」
「断れるわけがございません」
再び「絶望」と顔に書いたアナルアルト殿下がそれ以上沈み込めないというのに、さらにソファへ体重をかけた。それはアナルアルト殿下の絶望の重さを示している。だよね。普通の公爵令嬢がドラゴンの巣を一人で通過したりしないんだよね。
「私はシリアナ様に逆らえません。しかし殿下。殿下は違います。殿下はまだ間に合う」
瞳を潤ませ、小刻みに顔を左右へ振りながら、片膝をついてアナルアルト殿下の手を祈りを捧げるような形にそっと両手で包み込む。
「殿下には、私のような思いをして欲しくないのでございます」
「……エイン……! お前と俺の友情だけは本物だ!」
うん。君への友情「だけ」は本物だよ。それ以外は全部嘘だけども。ごめんね。君にはシリアナ嬢に怯えながら一生過ごすなんて似合わない。アホだけど死ぬほどチョロいけど悪い奴じゃないもん。普通の貴族令嬢を娶って幸せになって欲しい。これは本心だ。
「殿下、シリアナ嬢との婚約を破棄する方策がこのエインめにはございます」
「……な……に……? そんな秘策があるのか?」
「ございます。人は恋に落ちると多少、無理でも押し通したくなるものでございます。また恋が理由の無理は承諾せざるを得ない空気というものが存在するのでございます、殿下」
んな訳あるか。まともな社会人ならそんな人間とっとと放逐するわい。だが現王ならアホ殿下を擁護しそう。
「うむ」
「恋をなさいませ。清らかな童貞に相応しい、美しくも初々しい恋を。このエイン、必ずや殿下のお眼鏡に適うご令嬢を探し出して参ります」
アナルアルト殿下の手を包んだ僕の手を今度は寝かせ、手の甲を優しく叩く。そう、赤子の背をあやすようにあくまでも優しく、だ。
「幸せを、殿下ご自身で選んでいただきたいのでございます」
「……~っ、エイン……っ、お前は本当に童貞の繊細な心の機微の痒い所に手が届く……っ!」
分かるよ! だって僕も夢見がちな童貞だからねっ! 例え他人にお膳立てされたものだろうと、偽りだろうと「自分で選び」たいんだ。王族にそれは許されていないから余計にだろう。しかも与えられた相手が見た目は最高に美しかろうが、幼い頃は熊だった特S級冒険者のドラゴンすら相手にならない公爵令嬢とか怖いよね。僕も怖い。
「というわけで殿下の好みを把握するべく、ここに今現在ドエロミナへ観光にお越しのご令嬢をリストアップしてございます。まずはごゆっくり、トライフルのおかわりを召し上がりながらお選びくださいませ」
「うむ!」
アホ殿下がアホでよかった。ヒュース卿も身上書が準備されていることに疑問を感じないらしい。ヒュース卿が殿下と同じくらいアホで良かった。もうちょっと知恵があったらこんな準備よくお膳立てされてるのおかしいと思うでしょ、普通。なんだろうな、攻略対象皆チョロいのか。アホ殿下、将来騙されないか僕心配になって来た。これが終わっても時々会いに行ってやることにするか。友達だからな。
「できたぞ、エイン!」
「殿下のお手を煩わせて申し訳ありません。さすが殿下。仕事がお早いですね」
とりあえず褒め千切っておく。さすがも何も己の未来の嫁候補を選ぶのだから己がやって当然だが、アホ殿下にここで疑念を抱かれては困る。結局アホ殿下はトライフルを三つおかわりした。しかし魔法念写で僕が絵姿を焼きつけ、エロアナル令息がフィストファック商会に頼んで調べさせた身上書を眺めるとアホ殿下のご令嬢の趣味が丸分かりだ。
つまり大人しそうなリスが如く容姿のご令嬢ばかりで、シリアナ嬢とは真逆である。シリアナ嬢はというと花に例えれば白とかピンクとかうっすらした色ではなく血のように濃い赤の、輪郭も存在感もくっきりはっきりした薔薇といったところだ。アホ殿下の選んだご令嬢たちは皆、雑草……野の花が如く可憐で控えめなご令嬢である。どちらかと言えば何と言うか、ぼんやりふんわり印象がうっすらした感じの。
とにかくアホ殿下の好みは把握できた。ここからさらに、素敵な出会いを演出し、その中からアホ殿下が「これぞ!」と思ったお相手と夢見がちな恋愛街道を突き進んでいただく所存だ。そしてついでにヒュース卿の好みも把握しておいた。
「ヒュース卿は豊満な女性がお好きなのですね」
「自分は口下手なので、気にせず話をしてくれる方が良いです」
嘘を吐いてはいけないヒュース卿。君、豊満なご令嬢の身上書をちらちら見ているのを僕は見逃さなかったよ。豊満でぐいぐい来てくれるご令嬢が好み、と。魔王、覚えましたし!
「ふむふむ」
エロアナル令息と作戦を練ること数日。作戦決行の日がやって来た。いざ、観光地に浮かれて開放的になった貴族で溢れるドエロミナの目抜き通りへ繰り出す。
「活気があっていいな!」
「ええ。このシリエロイ通りはドエロミナ一の観光スポットでございます」
ところで、だ諸君。ヒュース卿は子爵位を賜っている。しかも殿下の護衛騎士だ。それなりに実入りもいい。下級貴族のご令嬢からすれば中々の優良物件である。そんなヒュース卿の好みに合いそうな豊満なボディを持つ男爵家のご令嬢がたまたま「偶然」路地から飛び出して卿にぶつかり、足を捻挫した。あくまでも偶然だ。断じてオシリスキナ家の暑苦しい筋肉の裏工作などあったりなかったりあったりしない。
「ヒュース卿、殿下の護衛はこのエインめにお任せください。ご令嬢をお屋敷まで送って差し上げてくださいませ」
帝国最強の女傑であるシリアナ嬢が直接スカウトした僕という侍従を、ドエロミナ城の全員が認めている。何より妹を溺愛しているエロアナル令息がそれを許しているのだから、ヒュース卿も僕の実力に疑問を差し挟むことなく素直に頷いた。
「……そう、ですね……」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんわ、騎士様」
「ヒュースとお呼びください、レディ」
「レディなんて。パイズ・リシテ・クレールと申します。貧乏子爵家の行き遅れですのよ。イズとお呼びくださいませ。……年上は、お嫌い?」
ご令嬢が狩人の表情になった。うん。がんばれ。そのまま奪っておしまいなさいください。既成事実が出来上がってしまったらもう逃げられないのだよ、ヒュース卿。君にもここで戦線から離脱していただく。美味しくいただけれてしまってくれ。パイズ嬢が僕へ向けて密かにサムズアップして見せた。
「ありがとね、オシリスキナの侍従さん。いいモノ持ってるのに気が弱そうで押しが弱そうで口下手とか、超好みよ。うふふ」
やる気だ。馬車を呼び、ヒュース卿と子爵令嬢を見送る。馬車が動き出した瞬間、「レディ・パイズ?! おやめください、レディ、あっ」と叫ぶ声がした。しばらくガタガタ揺れる馬車を眺めていると、寡黙なヒュース卿の口から出て来たとは思えないほどの甘ったるい低音で「あふぅん」と聞こえて来たが僕は何も聞いていない。聞いていないったら。
さよならヒュース卿。さすがに童貞ではないだろうが、さして経験がありそうでもないヒュース卿にパイズ令嬢が御せると思えない。陥落すると見ていいだろう。
「殿下、ロマンチックはお好きですか」
「好きだとも。夢見がちな童貞ゆえに」
「……!」
「友よ!」
僕らは馬上でがっちりと手を握り合った。夢見がちな童貞同盟ここに締結である。童貞には、童貞同士にしか通じ合えない言葉を越えた感覚があるのだ!
「ロシィ、見てはいけません。変な童貞が感染ってしまうよ」
「でもあにうえ、エインはおかおがてんさいなのです」
「ええ、ロシィ。言っていることはバカらしくかつ童貞くさくとも、エインのお顔は国宝級なのですわ」
童貞の! 何が悪い! 童貞が! 夢を見てはいけないのか!
オシリスキナ兄弟をキッと睨み、再びアホ殿下と頷き合う。必ずや、夢見がちな童貞に似合う夢見がちなご令嬢を見つけてみせる。僕の股間の危機を脱するためにも!
「公爵家怖い……公爵家怖い……」
気遣えないでいたが、小アホ殿下は何やらすっかり怯えた様子で弾いた弓の弦がごとく震えている。これでオシリスキナ公爵家に自ら近づくようなことはないだろう。知らない間に特大のトラウマが植え付けられてしまったようで気の毒である。
そっと前を行くエロアナル令息へ指でサインを送る。
目標捕捉。これより僕は単独任務に入る。
目で頷いたエロアナル令息が、シリアナ嬢へとサインを送る。エロアナル令息の意図を察したシリアナ嬢が、少し馬の速度を下げてアホ殿下と僕へ並んだ。
「アナルアルト殿下。エインをお気に召した様子ですので、バカンスの間は殿下の侍従としてお使いくださいませ。エイン、殿下に誠心誠意お仕えするようにお願いいたしますわね」
「はい、シリアナ様」
バカンスが終わる頃には、アホ殿下自ら公爵家へ婚約破棄を申し入れさせてみせる。なんせエロアナル令息とリストアップしたご令嬢はすでにプライベートビーチへご招待済み、夢見がちな童貞のこの僕が精査した選りすぐりの夢見る乙女ばかりである。僕には確信があった。
アホ殿下と僕、多分ご令嬢の趣味が合う!
熊の首を素手でねじ切るご令嬢ではなく、二人でロマンチックに夜空の星座について語り合うことを喜ぶご令嬢を選びました! 下ネタ叫んで変な鳴き声上げないご令嬢ばかりを選びました! ド変態の精霊王を椅子にしていないご令嬢を選びました! つまりシリアナ嬢以外は皆まともなご令嬢だよ! シリアナ嬢だけが異常だよ! 選び放題ですよ、殿下!
御者へ馬を預けてアナルアルト殿下へ割り当てられた客室へ同行する。
「狩りで汗をおかきになったでしょう。湯あみなさいますか」
「ああ。そうしよう」
侍女へ申しつけてアナルアルト殿下の客室を出る。エロシリダ令息の護衛騎士が廊下の先からこちらを見ていた。
「可憐な従者殿が、殿下に売り渡されてしまった……」
誤解しかしていない。売り渡されてないし! 僕はまだ、誰のものでもないんだからネッ!
反対側の廊下の奥で待っていたエロアナル令息と短く会話を交わす。
「今現在ドエロミナへ観光にいらっしゃっているご令嬢方の身上書は?」
「ここにある。抜かるなよ、エイン」
「承知しております」
先日、オシリスキナ一家が飲み物かと言う勢いでゴクゴク食べた対胃袋専用秘密兵器トライフルを準備した。フィストファック商会でドライフルーツの入ったケーキを食べて思い付いたのだ。スポンジケーキやパイ生地、生クリームとカスタードクリームと生のフルーツを何層も重ねたものだ。スポンジ生地はだな、オシリスキナ公爵家の筋肉たちの筋肉をふんだんに使って卵白を極限まで泡立てたらとてもふわふわになったのでそれを使って焼き上げたのだよ。そう、これは僕と筋肉たちのコラボレーションの賜物だ。筋肉は暑苦しいが美味しいものを作るために、筋肉も時には必要だと僕は知ってしまったのだ。
そのふわふわのスポンジ生地にこれまた僕の気まぐれでバターと卵黄、砂糖や小麦粉を混ぜたものに牛乳を加えて温めたら出来上がったカスタードクリームを重ねたら、素晴らしいスイーツが誕生してしまったのだ。味だけではない。季節の果物の彩りが目も楽しませる美しい仕上がりになっている。オシリスキナ一家に出した時は見た目の美しさにこだわりリキュールグラスに作って出したが、足りないとおかわりされて何度も作る羽目になったので今回はロックグラスを器にした。サワーグラス辺りで作ってプライベートビーチで貴婦人向けに売り出そうかな。それならカクテルグラスじゃなくてなんか専用の器欲しいな。かわいくてキレイなやつ。
トライフルと命名したのは言わずもがなのシリアナ嬢である。前世で同じ食べ物があったそうだ。
これで殿下の口も心も軽くなるというもの。美味しいものの前では、人は無防備になるのだっ!
湯あみを終えてバスローブですっかりくつろぎ、ソファへ凭れたアナルアルト殿下の前へ紅茶とトライフルを置く。皆、気を抜くと殿下の名前を忘れてしまうだろう? 僕がちゃんと時々アホ殿下の正式名称を呼ぶので忘れてはいけないぞ。
「これは……また見目の美しい甘味が出て来たな」
「殿下のお気に召していただけると良いのですが」
「うむ」
光速でグラスの中を往復する銀の匙。殿下、殿下。無言やめなさいよ。僕を一人にするな。寂しくて泣くぞ。
「おかわりを所望する」
満足気に背もたれへ体重をかけ、ロックグラスを差し出すアナルアルト殿下へすでに準備させておいたトライフルのおかわりを出す。
「エイン」
「はい」
「ほんと、シリアナの侍従が嫌なら俺のところへ来い。それくらいの交渉はしてやるから」
ぐぬ。シリアナ嬢よりお給料くれるなら、アホ殿下の侍従になるのもやぶさかではないがそうするとシリアナ嬢が僕の純潔を奪いに来てしまうのでごめん殿下断腸の思いでお断りします。僕は思慮深い上に分別もありなおかつ紳士的な童貞なので、例えシリアナ嬢より強かろうと女性へ手を上げることはできない。例え深刻な貞潔の危機であろうとも、だ!
「殿下」
「うむ」
「シリアナ嬢は強者を求め、私の棲み処までドラゴンの巣があるシリズキーネ山脈を一人で越えるご令嬢でございます。……生半な理由で私を侍従から外すとは思えません」
「……シリズキーネ山脈だぞ? ミナエロイ大陸で唯一、ドライオル・ガズムを主神として崇めていないこのアナルファック帝国が長年戦禍に見舞われずに済んだ最大の理由と言ってもいい、シリズキーネ山脈を? あのいけ好かない神聖メ・スイキ法王直属騎士団、デラエロイケツですら越えられないあのシリズキーネ山脈をか? そんなの、そんなの……っ!」
「断れるわけがございません」
再び「絶望」と顔に書いたアナルアルト殿下がそれ以上沈み込めないというのに、さらにソファへ体重をかけた。それはアナルアルト殿下の絶望の重さを示している。だよね。普通の公爵令嬢がドラゴンの巣を一人で通過したりしないんだよね。
「私はシリアナ様に逆らえません。しかし殿下。殿下は違います。殿下はまだ間に合う」
瞳を潤ませ、小刻みに顔を左右へ振りながら、片膝をついてアナルアルト殿下の手を祈りを捧げるような形にそっと両手で包み込む。
「殿下には、私のような思いをして欲しくないのでございます」
「……エイン……! お前と俺の友情だけは本物だ!」
うん。君への友情「だけ」は本物だよ。それ以外は全部嘘だけども。ごめんね。君にはシリアナ嬢に怯えながら一生過ごすなんて似合わない。アホだけど死ぬほどチョロいけど悪い奴じゃないもん。普通の貴族令嬢を娶って幸せになって欲しい。これは本心だ。
「殿下、シリアナ嬢との婚約を破棄する方策がこのエインめにはございます」
「……な……に……? そんな秘策があるのか?」
「ございます。人は恋に落ちると多少、無理でも押し通したくなるものでございます。また恋が理由の無理は承諾せざるを得ない空気というものが存在するのでございます、殿下」
んな訳あるか。まともな社会人ならそんな人間とっとと放逐するわい。だが現王ならアホ殿下を擁護しそう。
「うむ」
「恋をなさいませ。清らかな童貞に相応しい、美しくも初々しい恋を。このエイン、必ずや殿下のお眼鏡に適うご令嬢を探し出して参ります」
アナルアルト殿下の手を包んだ僕の手を今度は寝かせ、手の甲を優しく叩く。そう、赤子の背をあやすようにあくまでも優しく、だ。
「幸せを、殿下ご自身で選んでいただきたいのでございます」
「……~っ、エイン……っ、お前は本当に童貞の繊細な心の機微の痒い所に手が届く……っ!」
分かるよ! だって僕も夢見がちな童貞だからねっ! 例え他人にお膳立てされたものだろうと、偽りだろうと「自分で選び」たいんだ。王族にそれは許されていないから余計にだろう。しかも与えられた相手が見た目は最高に美しかろうが、幼い頃は熊だった特S級冒険者のドラゴンすら相手にならない公爵令嬢とか怖いよね。僕も怖い。
「というわけで殿下の好みを把握するべく、ここに今現在ドエロミナへ観光にお越しのご令嬢をリストアップしてございます。まずはごゆっくり、トライフルのおかわりを召し上がりながらお選びくださいませ」
「うむ!」
アホ殿下がアホでよかった。ヒュース卿も身上書が準備されていることに疑問を感じないらしい。ヒュース卿が殿下と同じくらいアホで良かった。もうちょっと知恵があったらこんな準備よくお膳立てされてるのおかしいと思うでしょ、普通。なんだろうな、攻略対象皆チョロいのか。アホ殿下、将来騙されないか僕心配になって来た。これが終わっても時々会いに行ってやることにするか。友達だからな。
「できたぞ、エイン!」
「殿下のお手を煩わせて申し訳ありません。さすが殿下。仕事がお早いですね」
とりあえず褒め千切っておく。さすがも何も己の未来の嫁候補を選ぶのだから己がやって当然だが、アホ殿下にここで疑念を抱かれては困る。結局アホ殿下はトライフルを三つおかわりした。しかし魔法念写で僕が絵姿を焼きつけ、エロアナル令息がフィストファック商会に頼んで調べさせた身上書を眺めるとアホ殿下のご令嬢の趣味が丸分かりだ。
つまり大人しそうなリスが如く容姿のご令嬢ばかりで、シリアナ嬢とは真逆である。シリアナ嬢はというと花に例えれば白とかピンクとかうっすらした色ではなく血のように濃い赤の、輪郭も存在感もくっきりはっきりした薔薇といったところだ。アホ殿下の選んだご令嬢たちは皆、雑草……野の花が如く可憐で控えめなご令嬢である。どちらかと言えば何と言うか、ぼんやりふんわり印象がうっすらした感じの。
とにかくアホ殿下の好みは把握できた。ここからさらに、素敵な出会いを演出し、その中からアホ殿下が「これぞ!」と思ったお相手と夢見がちな恋愛街道を突き進んでいただく所存だ。そしてついでにヒュース卿の好みも把握しておいた。
「ヒュース卿は豊満な女性がお好きなのですね」
「自分は口下手なので、気にせず話をしてくれる方が良いです」
嘘を吐いてはいけないヒュース卿。君、豊満なご令嬢の身上書をちらちら見ているのを僕は見逃さなかったよ。豊満でぐいぐい来てくれるご令嬢が好み、と。魔王、覚えましたし!
「ふむふむ」
エロアナル令息と作戦を練ること数日。作戦決行の日がやって来た。いざ、観光地に浮かれて開放的になった貴族で溢れるドエロミナの目抜き通りへ繰り出す。
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「ええ。このシリエロイ通りはドエロミナ一の観光スポットでございます」
ところで、だ諸君。ヒュース卿は子爵位を賜っている。しかも殿下の護衛騎士だ。それなりに実入りもいい。下級貴族のご令嬢からすれば中々の優良物件である。そんなヒュース卿の好みに合いそうな豊満なボディを持つ男爵家のご令嬢がたまたま「偶然」路地から飛び出して卿にぶつかり、足を捻挫した。あくまでも偶然だ。断じてオシリスキナ家の暑苦しい筋肉の裏工作などあったりなかったりあったりしない。
「ヒュース卿、殿下の護衛はこのエインめにお任せください。ご令嬢をお屋敷まで送って差し上げてくださいませ」
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「……そう、ですね……」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんわ、騎士様」
「ヒュースとお呼びください、レディ」
「レディなんて。パイズ・リシテ・クレールと申します。貧乏子爵家の行き遅れですのよ。イズとお呼びくださいませ。……年上は、お嫌い?」
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「ありがとね、オシリスキナの侍従さん。いいモノ持ってるのに気が弱そうで押しが弱そうで口下手とか、超好みよ。うふふ」
やる気だ。馬車を呼び、ヒュース卿と子爵令嬢を見送る。馬車が動き出した瞬間、「レディ・パイズ?! おやめください、レディ、あっ」と叫ぶ声がした。しばらくガタガタ揺れる馬車を眺めていると、寡黙なヒュース卿の口から出て来たとは思えないほどの甘ったるい低音で「あふぅん」と聞こえて来たが僕は何も聞いていない。聞いていないったら。
さよならヒュース卿。さすがに童貞ではないだろうが、さして経験がありそうでもないヒュース卿にパイズ令嬢が御せると思えない。陥落すると見ていいだろう。
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