まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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花冷月

第32話

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「夕餉の準備をしてまいります」
 コモンルームを出て行くベッテと入れ違いで、ルチ様が入って来た。ぼくの目には藍色の帳が薄く降りたように見えるけど、他の人には見えてないだなんてもったいないな。とっても綺麗なのに。
「ルチ様」
 立ち上がって抱え上げてもらおうとしたら、するりと近付いて来たルチ様にルクレーシャスさんの膝から奪うように抱き上げられた。すり、と頬ずりされる。ルクレーシャスさんが一つ大きなため息を吐いて、向かいのソファへ移動する。
「ご寵愛が過ぎないかい?」
「うーん。あはは……」
 覚えず見惚れてしまうほどの笑みを浮かべたルチ様に体ごと揺らされて、ぼくは苦笑いをした。
 新年行事が終わっても忙しいのか、それとも対外的にはぼくは体調不良ということになっているせいか、年明けもジークフリードが離宮へ来ることはなかった。
 三月、皇国歴でいう花冷月の八の日、ぼくは六歳になった。ルクレーシャスさん、ラルク、ベッテ、フレート、ヴィノさん、それと料理人のダニーを招いてささやかな昼食会をした。ダニーがクルミ入りのパウンドケーキを焼いてくれて、みんなで食べた。ルクレーシャスさんからは錬金術の本を、ラルクからはビー玉を。ベッテからは手編みの手袋を、フレートからは青紫のガラスペンを貰った。本来のぼくの瞳の色によく似ているガラスペンは、握るとひんやりした。穏やかで、いい誕生日だった。ルチ様にはぼくが生まれて六年目ですよと伝えると、いつも以上にすりすりちゅっちゅされてしまった。
「なんだろう、もうものすごい加護が備わってるんだけど備わり過ぎてよく分からなくなってる……」
 翌日、ルクレーシャスさんは少し投げやりにそう言った。伸ばしていたぼくの髪は、おかっぱくらいの長さに揃えられるようになった。
 ルチ様も相変わらずで、陽が落ちるとコモンルームへやって来る。最近のぼくの日課は仕事が一段落したフレートやベッテ、ラルクやヴィノさん、ルクレーシャスさんとタウンハウスについて話し合うことである。やっぱ、働くみんなの意見を取り入れたいからね。
 結局、タウンハウスは貴族居住区画の西にある前シュトラッサー伯爵が所持していたタウンハウスを土地ごと買い取って、元々建っていた建物を孤児院に、ぼくらの住む場所は新しく建設することに決まった。マウロさんが張り切って大工さんを雇ってくれたらしく、通常なら何年もかかるところを二年で施工してみせると言った。
「わたくしの部屋はスヴァンくんの部屋の近く、それと書庫があればそれでいいよ」
 ルクレーシャスさんはそれだけ言うと、お菓子を食べながらぼくらの話を聞いているだけになった。意外なことにタウンハウス建設について、一番意見を出してくれたのはヴィノさんだった。
「ここは死角になりやすいので、物置小屋を造るのはお止めになった方がよいでしょう。あと、こちらへ噴水を作るよりはこちらの方がありがたいです。庭から室内が見晴らせますので。それから、ルクレーシャス様とスヴァンテ様のお部屋は外から位置が分からぬ場所がよいと思います」
 なんとなく予感はしていたけれど、やっぱりヴィノさんはただの庭師ではなかったんだね……。
「うん。分かりました。他にはありますか?」
「他には特にございません」
 言うべきことは言った、とばかりにヴィノさんはテラスのある窓辺へ下がってしまう。さり気なく庭へ気を配っている様子だ。やっぱこの人が本物のぼくの護衛だろうな……。
「それでは大まかな希望は纏まったということでよろしいでしょうか」
 フレートが確認する。一同頷いた。暖炉の火でオレンジ色に染まった顔を見渡す。
「うん。じゃあ、これでお願いしましょう。フレート、近々のうちにマウロさんへ依頼してもらえますか」
「かしこまりました」
「あ、大事なことを忘れていました。タウンハウスと孤児院は、同じような外観で建てるつもりです」
「建設途中も、どちらに住むつもりか分からなくするためですか」
「そうです」
 黙って話を聞いているだけだったルクレーシャスさんが、口を開いた。ルクレーシャスさんの方を向いて頷く。
「君はどこまでも慎重ですね……」
 突然、ルチ様がぼくの頭へ頬をぐりぐりと押し付けた。
「?」
 振り返って仰ぎ見ると、どこか不満げだ。ルクレーシャスさんはぼくらへ視線を送った後、自分のこめかみを揉んでいる。
「まぁ、とにかくこれで来年か、再来年には離宮を出ることに決まりですね」
「はい」
 ぼくが離宮を出ることは、ルチ様にとっても喜ばしいことらしい。ルチ様は上機嫌でぼくを乗せた膝を揺らしている。花便りの月の初め、もうすぐ春が来ることを感じる頃にタウンハウスと孤児院建設は始まる、らしい。ぼくは外に出られないかららしい、としか言えない。マウロさんが悪い人で、騙されていたらぼくは来年か再来年には家なき子になる。そう考えるとちょっと怖い。
「明星の精霊様は、春になると姿を見せなくなるのかい?」
 パルミエパイを頬張っていたルクレーシャスさんがぼくへ尋ねる。
「いいえ。冬以外や日中にも、いらっしゃることはありましたよ」
「そうなんだ……興味深いな……人が付けた名はあくまでやはり概念的なものでしかないのか……となると本質は別のものという可能性もある……」
 ふわあ、とあくびをするとルチ様はぼくを抱えたまま立ち上がる。ぼくはルチ様の胸へ凭れた。
「おやすみ、スヴァンくん」
「おやすみなさいませ、スヴァンテ様」
 フレートとベッテ、ヴィノさんがぼくを見つめる。ラルクはいつの間にかおんぶされていて、ヴィノさんの背中でウトウトしている。
「おやすみなさい、また明日」
 ぼくの挨拶が済むとルチ様は廊下へ出た。ルチ様が進むと廊下は淡い藍色のベールが降りていく。とても綺麗だ。ぼくはそれを眺めながら、目を閉じた。
 冬の間はそんな日が続いた。化粧水と保湿クリーム、石鹸の開発も進んでいるようだ。冬木立が蕾を付け始めた。ラルクとヴィノさんも庭へ春の花を準備し始めている。暖かな日がちらほらと増え始めた頃、久しぶりにジークフリードが遊びに来た。
「壮健であったか。……髪を伸ばしているのだな。良く似合う」
「……はい。ジーク様もお変わりなくご健勝のようで何よりです」
 髪を伸ばしていることについては、ただの無精ですとは言えず困った。似合うか似合わないかはよく分からないので、結局濁して笑っておいた。
「うむ。そういえばそなた、先月六才になったのであったな。この一年も変わりなく過ごせ」
 離宮に来ない間にジークフリードは少し変わったようだ。落ち着きのようなものを感じる。子供の成長ってすごいよね。オーベルマイヤーさんが暖かくなったとはいえそこまで暑くないはずなのに、大量の汗を拭う。
「スヴァンテ様によい影響を受けたのか殿下はこの冬、大変精力的にお勉強なさっておられまして」
「そうなんですか? それは大変に素晴らしいことですね。でもジーク様は元々賢くていらっしゃるので心配要りませんよ。好奇心は知識欲に繋がります。ジーク様は好奇心が旺盛で、よく気のつく方なのでいずれ知識欲が追いつきましょう」
「お……うむ。スヴェンに追い付くよう、努力しよう」
 あらあらまぁまぁ。ご近所の幼子を見守るような気分だ。元々素直な子なんだよね、ジークフリードは。生まれた時から皇族として育てられているのだ。皇族特有の鷹揚さは別にあってもいい。だが皇としての資質がないのも、為政者としての自覚がないのも困る。支配者ならば誰でもなれるだろう。だが統治者というのは難しい。ジークフリードは、以前のまま育つのであれば統治者には程遠いだろう。
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