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穂刈月の幽霊騒動
第125話
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「ええ。ちょっと。それだけ好奇心の強い方なら、他にも何か噂をご存知かと思って」
「情報源にするのもよいのではないかと、私が進言いたしました」
フレートがぶどうを皿に乗せてローデリヒへ差し出す。ローデリヒはさして気にした様子も見せず、ぶどうへ手を伸ばして頷いた。
「今度会ったら聞いとくよ。他になんかあるか?」
「そうですね、レームケ卿へお声をかけるより前に、エステン公爵家でゼクレス子爵邸を購入したと噂を流してください。必ず、です。じゃあ、お願いしますね。リヒ様」
「おう。じゃ、ゼクレス子爵んとこを買ったってハナシは明日親父に付いて皇宮へ行って、他の家の騎士たちに話して来るよ。オレは一旦家に帰るわ」
「お気を付けて。フレート」
「はい。馬車が整いましたらお呼びいたします」
ローデリヒが乗る馬車を準備するため、フレートがコモンルームを出て行く。入れ違いでイェレミーアスがコモンルームへ入って来た。
「ギーナ様のお加減はどうでした? イェレ兄さま」
尋ねると、イェレミーアスは当たり前のようにぼくを抱えてソファへ座った。ぼくを抱えたままソファへ深く凭れられてしまい、ぼくはほぼ、寝そべった状態になった。
「疲れが出たのだろうね。二、三日休めば大丈夫だとディハニッヒ先生がおっしゃっていたよ」
クラーラ・ディハニッヒはアイスラーから紹介してもらった女性医師である。とにかく人が増えたし、ローデリヒやイェレミーアスが剣の稽古で怪我をするので、住み込みで働いてもらっているのだ。完全なる封建社会の皇国では、女性医師は嫌厭されがちである。だからぼくが雇用を打診したら、二つ返事でタウンハウスへ来てくれた。
「クラーラ先生に後でお茶をご用意してね」
侍女へ伝えると、見習いらしき少女が頭を下げて出て行った。フレートが顔を覗かせる。
「ローデリヒ様、馬車の準備が整いました」
「あんがと! じゃあな、アス、スヴェン、ベステル・ヘクセ様。また明日!」
「明日も来るのか、リヒ」
「あんだよ、来ちゃいけねぇのか? アス」
「君の家はどこだったか、覚えているか? リヒ」
「仕方ねぇだろ、スヴェンちが居心地いいんだもん」
侍女までがくすくすと笑っている。まったくローデリヒは、こういうところが憎めないのだ。
手を振って出て行くローデリヒを見送る。窓へ目を向けると、しばらくして馬車に乗り込むローデリヒと、それを見送るフレートが見えた。ローデリヒの見送りを終え、戻って来たフレートと入れ替わりで侍女が出て行くと、ルクレーシャスさんが口を開く。
「それで? 君が意味もなく、騎士の名を確かめるとは思えないね、わたくしは」
「……肝試しを始めた騎士は、ミレッカーの密偵という可能性があるかと思いまして」
「なるほど。肝試しなら疑われにくい。その上、敷地内をくまなく動き回っても不審がられない」
イェレミーアスが身を乗り出した。ぼくも押し出されて、身を乗り出す格好になる。
「はい。幽霊が出るとの噂を、ミレッカーが放置しておくとは思えませんし、噂を流した意図に気づかないわけがありません。邸内を調べたければゼクレス子爵邸を買い取ればよかったのに、それもしなかった。関与を一切、疑われたくなかったからでしょう。そこまで慎重なミレッカーが、何も手を打たなかったとは考えにくい」
ならば初めに、肝試しをしようと言い出した者が怪しいのではないだろうか。
ルクレーシャスさんもイェレミーアスも、同じ考えに至ったらしい。
「捕らえたいな、その騎士」
「ええ。リヒ様のお話ですと平民のようですし。そもそも本当にミレッカーが関わっているなら、居なくなったら誰かが探しそうな人間に接触するとは思えません。そういう意味でも居なくなっても誰もさして気にしないでしょう。……ミレッカー以外は」
ぼくは自分の顔の前で、人差し指を立てて見せた。イェレミーアスが楽しそうに喉を鳴らすのが伝わった。
「……本当にわたくしの弟子は、恐ろしいことをさらっと言うね……」
ルクレーシャスさんが、ぼくをじっくり見つめている。
「まぁ確かにリヒくんが動き回って、エステン公爵の関与が疑わしい今回はミレッカーもおいそれとは手出しできないだろうね」
「今なら、証人を確保するのに絶好の時期です。そう思いませんか、フレート?」
「……かしこまりました」
少々変わった主ににっこりと微笑まれたフレートは、困惑することなく腰を折った。
「ですがこの話は、リヒ様には内緒です」
「リヒが嘘を吐けるとは思えないからね」
「はい」
ローデリヒには悪いが、顔見知りの騎士がミレッカーの密偵だなんて知った上で相手を問いただすことなどできないだろう。真っ直ぐで素直な子だ。だからぼくは、その正直さを逆に利用させてもらう。
「それに、リヒ様があの土地をエステン公爵が買ったと言って回ったら?」
「動揺して、行動を起こす」
「そうしてもらえると、ぼくにとっては実に分かりやすくてありがたいですね。というわけですよ、フレート」
「……承知いたしました。しばらくはレームケの周囲に人を付けておきます」
「?」
何とも言えない表情でぼくを見ているフレートを仰ぐ。首を傾げると、ルクレーシャスさんがぼそりと零した。
「まったく、君だけは敵に回したくないよ」
「私は、私の主がスヴァンテ様でよかったと思っておりますよ。あなた様が敵対家門の令息だったら、執事を辞めて田舎暮らしをします」
「全く同感だ。だが味方なら、これほど頼もしい者が他に居るだろうか。そう思いませんか。ベステル・ヘクセ様、フレート」
イェレミーアスの声が背中から響く。同時に、廊下が何やら騒がしくなった。
「オレの居ない時に、何やら楽しそうな相談をしているじゃないか! スヴェン!」
バーン! と開かれた扉に覚えず目が向く。こんな登場の仕方をする知り合いを、ぼくは二人しか知らない。一人はローデリヒ。しかしローデリヒはぼくがわざわざ用事を作ってお帰りいただいた。ならば、もう一人は。
「……ジーク様、いらっしゃい、ませ……?」
「リヒに聞いたぞ! 肝試しだろう! そんな楽しそうなことに、何故オレを呼ばない! ズルいぞ!」
わぁ、めんどくさい時にめんどくさい人来ちゃった。ルクレーシャスさんもフレートも、ぼくと似たようなことを考えている顔をしたのを見逃さない。
「ジーク様……ごめんなさい。肝試しは昨夜、終えてしまいまして」
「なにっ!? リヒに聞いて楽しみにして来たのに! 父上にも外泊の許可を取ったのだぞ!」
「うう~ん、では今夜は我が家へお泊りください」
本気で悔しそうなジークフリードは、案内されるまでもなくぼくの向かいへ歩み寄った。それから、まるで自分の家だとでもいうが如く、寛いだ仕草でソファへ凭れる。
「フレート、お茶だ!」
「かしこまりました」
うちの使用人たちが何事にも余り動じないの、このせいじゃないかな。皇太子がしょっちゅう前触れもなく遊びに来る家なんて、皇国中探してもここだけだろう。上機嫌でブッセへ齧りついたジークフリードへ、手招きをする。
「その代わり、諸々ご報告がございます」
「……聞こうか」
ぼくが声を潜めると、ジークフリードはニヤリと笑って身を乗り出した。ゼクレス子爵邸の肝試しから始まり、ギーナを保護したこと、どうやらミレッカーの悪事を暴く証拠がありそうなこと、それからレームケという平民の騎士が怪しいことなどをかいつまんで話す。
「くそう、行きたかったな井戸の中に牢とは。オレだけ仲間はずれで悔しいぞ、スヴェン」
「情報源にするのもよいのではないかと、私が進言いたしました」
フレートがぶどうを皿に乗せてローデリヒへ差し出す。ローデリヒはさして気にした様子も見せず、ぶどうへ手を伸ばして頷いた。
「今度会ったら聞いとくよ。他になんかあるか?」
「そうですね、レームケ卿へお声をかけるより前に、エステン公爵家でゼクレス子爵邸を購入したと噂を流してください。必ず、です。じゃあ、お願いしますね。リヒ様」
「おう。じゃ、ゼクレス子爵んとこを買ったってハナシは明日親父に付いて皇宮へ行って、他の家の騎士たちに話して来るよ。オレは一旦家に帰るわ」
「お気を付けて。フレート」
「はい。馬車が整いましたらお呼びいたします」
ローデリヒが乗る馬車を準備するため、フレートがコモンルームを出て行く。入れ違いでイェレミーアスがコモンルームへ入って来た。
「ギーナ様のお加減はどうでした? イェレ兄さま」
尋ねると、イェレミーアスは当たり前のようにぼくを抱えてソファへ座った。ぼくを抱えたままソファへ深く凭れられてしまい、ぼくはほぼ、寝そべった状態になった。
「疲れが出たのだろうね。二、三日休めば大丈夫だとディハニッヒ先生がおっしゃっていたよ」
クラーラ・ディハニッヒはアイスラーから紹介してもらった女性医師である。とにかく人が増えたし、ローデリヒやイェレミーアスが剣の稽古で怪我をするので、住み込みで働いてもらっているのだ。完全なる封建社会の皇国では、女性医師は嫌厭されがちである。だからぼくが雇用を打診したら、二つ返事でタウンハウスへ来てくれた。
「クラーラ先生に後でお茶をご用意してね」
侍女へ伝えると、見習いらしき少女が頭を下げて出て行った。フレートが顔を覗かせる。
「ローデリヒ様、馬車の準備が整いました」
「あんがと! じゃあな、アス、スヴェン、ベステル・ヘクセ様。また明日!」
「明日も来るのか、リヒ」
「あんだよ、来ちゃいけねぇのか? アス」
「君の家はどこだったか、覚えているか? リヒ」
「仕方ねぇだろ、スヴェンちが居心地いいんだもん」
侍女までがくすくすと笑っている。まったくローデリヒは、こういうところが憎めないのだ。
手を振って出て行くローデリヒを見送る。窓へ目を向けると、しばらくして馬車に乗り込むローデリヒと、それを見送るフレートが見えた。ローデリヒの見送りを終え、戻って来たフレートと入れ替わりで侍女が出て行くと、ルクレーシャスさんが口を開く。
「それで? 君が意味もなく、騎士の名を確かめるとは思えないね、わたくしは」
「……肝試しを始めた騎士は、ミレッカーの密偵という可能性があるかと思いまして」
「なるほど。肝試しなら疑われにくい。その上、敷地内をくまなく動き回っても不審がられない」
イェレミーアスが身を乗り出した。ぼくも押し出されて、身を乗り出す格好になる。
「はい。幽霊が出るとの噂を、ミレッカーが放置しておくとは思えませんし、噂を流した意図に気づかないわけがありません。邸内を調べたければゼクレス子爵邸を買い取ればよかったのに、それもしなかった。関与を一切、疑われたくなかったからでしょう。そこまで慎重なミレッカーが、何も手を打たなかったとは考えにくい」
ならば初めに、肝試しをしようと言い出した者が怪しいのではないだろうか。
ルクレーシャスさんもイェレミーアスも、同じ考えに至ったらしい。
「捕らえたいな、その騎士」
「ええ。リヒ様のお話ですと平民のようですし。そもそも本当にミレッカーが関わっているなら、居なくなったら誰かが探しそうな人間に接触するとは思えません。そういう意味でも居なくなっても誰もさして気にしないでしょう。……ミレッカー以外は」
ぼくは自分の顔の前で、人差し指を立てて見せた。イェレミーアスが楽しそうに喉を鳴らすのが伝わった。
「……本当にわたくしの弟子は、恐ろしいことをさらっと言うね……」
ルクレーシャスさんが、ぼくをじっくり見つめている。
「まぁ確かにリヒくんが動き回って、エステン公爵の関与が疑わしい今回はミレッカーもおいそれとは手出しできないだろうね」
「今なら、証人を確保するのに絶好の時期です。そう思いませんか、フレート?」
「……かしこまりました」
少々変わった主ににっこりと微笑まれたフレートは、困惑することなく腰を折った。
「ですがこの話は、リヒ様には内緒です」
「リヒが嘘を吐けるとは思えないからね」
「はい」
ローデリヒには悪いが、顔見知りの騎士がミレッカーの密偵だなんて知った上で相手を問いただすことなどできないだろう。真っ直ぐで素直な子だ。だからぼくは、その正直さを逆に利用させてもらう。
「それに、リヒ様があの土地をエステン公爵が買ったと言って回ったら?」
「動揺して、行動を起こす」
「そうしてもらえると、ぼくにとっては実に分かりやすくてありがたいですね。というわけですよ、フレート」
「……承知いたしました。しばらくはレームケの周囲に人を付けておきます」
「?」
何とも言えない表情でぼくを見ているフレートを仰ぐ。首を傾げると、ルクレーシャスさんがぼそりと零した。
「まったく、君だけは敵に回したくないよ」
「私は、私の主がスヴァンテ様でよかったと思っておりますよ。あなた様が敵対家門の令息だったら、執事を辞めて田舎暮らしをします」
「全く同感だ。だが味方なら、これほど頼もしい者が他に居るだろうか。そう思いませんか。ベステル・ヘクセ様、フレート」
イェレミーアスの声が背中から響く。同時に、廊下が何やら騒がしくなった。
「オレの居ない時に、何やら楽しそうな相談をしているじゃないか! スヴェン!」
バーン! と開かれた扉に覚えず目が向く。こんな登場の仕方をする知り合いを、ぼくは二人しか知らない。一人はローデリヒ。しかしローデリヒはぼくがわざわざ用事を作ってお帰りいただいた。ならば、もう一人は。
「……ジーク様、いらっしゃい、ませ……?」
「リヒに聞いたぞ! 肝試しだろう! そんな楽しそうなことに、何故オレを呼ばない! ズルいぞ!」
わぁ、めんどくさい時にめんどくさい人来ちゃった。ルクレーシャスさんもフレートも、ぼくと似たようなことを考えている顔をしたのを見逃さない。
「ジーク様……ごめんなさい。肝試しは昨夜、終えてしまいまして」
「なにっ!? リヒに聞いて楽しみにして来たのに! 父上にも外泊の許可を取ったのだぞ!」
「うう~ん、では今夜は我が家へお泊りください」
本気で悔しそうなジークフリードは、案内されるまでもなくぼくの向かいへ歩み寄った。それから、まるで自分の家だとでもいうが如く、寛いだ仕草でソファへ凭れる。
「フレート、お茶だ!」
「かしこまりました」
うちの使用人たちが何事にも余り動じないの、このせいじゃないかな。皇太子がしょっちゅう前触れもなく遊びに来る家なんて、皇国中探してもここだけだろう。上機嫌でブッセへ齧りついたジークフリードへ、手招きをする。
「その代わり、諸々ご報告がございます」
「……聞こうか」
ぼくが声を潜めると、ジークフリードはニヤリと笑って身を乗り出した。ゼクレス子爵邸の肝試しから始まり、ギーナを保護したこと、どうやらミレッカーの悪事を暴く証拠がありそうなこと、それからレームケという平民の騎士が怪しいことなどをかいつまんで話す。
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