リスティリア救世譚

ともざわ きよあき

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第四章 贖いしカイオディウム

第三話 断罪の聖域①

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 フロルの動きは、とても戦いに携わらない最高権力者であるとは思えないほど素早かった。
 一瞬で総司に詰め寄り、その口元をバッと手で押さえて「黙れ」と伝えると、彼の手を取って強引に引っ張り、総司の背丈の二倍はある大きなクローゼットの中に総司を押し込んだ。フロルの有無を言わさない迫力に気圧されて、総司は何も抵抗が出来なかった。
「黙ってそこにいなさい。魔力も出来る限り抑えて、決して物音を立てぬよう」
 フロルはそれだけ言うと、素早くデスクに戻し、泰然と姿勢を整えていつもの真面目な表情を取り繕った。
 直後、執務室の扉がノックされ、声が掛けられる。
「クレアです。よろしいでしょうか」
「入りなさい」
 クレア・ウェルゼミットが執務室に入り、軽く会釈した。
「報告ですね。聞きましょう」
「ハッ。リラウフの跡地周辺を調査してまいりましたが、やはりスティンゴルドたちの姿はありませんでした。隣のアデルシャでも目撃証言はなく、消息不明です」
「遺体は?」
「ありません」
「やはりそうですか」
 フロルは頷いて、
「オーランドの攻撃によって、自分の居所がバレていると、既にベルの知るところとなりました。ベルは優秀な魔女ですから……こうなってしまえば、痕跡を残すような下手は打たないでしょうね」
「ええ。スティンゴルドであればそれも容易いでしょう」
「ディフェーレス周辺の警備強化に当たってください。あなたが陣頭指揮を執るよう。それと」
「はい」
「少し一人で考えたいことがあります。しばらくの間は、誰も部屋に近づけぬようお願いできますか? ライゼスも例外ではありません」
「畏まりました。お疲れでしょうか? 何か持って来させましょうか」
「それには及びません。お気遣いなく。ありがとう」
 クレアが手早く報告を終えて、足早に執務室を出て行った。
 フロルはその足音が遠ざかっていくのを注意深く聞き、やがて大きくため息をついて、「もう出てきていいですよ」と総司に声を掛けた。
 総司は驚愕の面持ちで、呆気に取られながらクローゼットから出てきた。
「……なんです、その目は」
 フロルは心底気に入らない、とばかり目を細め、ガチャガチャと椅子を準備しながら言った。
「それなりに窮地であったあなたを助けてあげたわけですが、礼の一つもないのですか?」
「あ、いや……た、助かりました……?」
「掛けなさい」
 そっけなくそう言って、フロルは再び自分の椅子に身を沈めた。
 その顔色は、先ほどは気づかなかったが疲れが見えた。
 疲れている表情だと目に見えてわかるからこそ、総司には彼女の行動が理解できなかった。言われるままに椅子を引き、腰を落ち着けた後でも、未だに信じられないのだ。
 フロルが心労を感じているのだと仮定してだが、今まさにその元凶がいるのである。彼女が一声叫べば、たちどころにこの部屋には騎士団員たちが詰めかけて、総司は捕縛されてしまうだろう。全力で抵抗すれば逃げ出すことも不可能ではなかろうが、流石に大きな犠牲を伴う結果を招いてしまう。総司が強硬手段に出る可能性を考慮したところで、フロルの行動はあまりにも不可解だった。フロルが本気になれば、彼女が抱える一番の悩みの種はすぐにでも取り払われるのだから。
「あまりにも大胆不敵ですね。ベルから聞いているものと思っていましたが……この大聖堂の中で、私を傷つけることは敵わないと。単身乗り込んできたところで――――」
「い、いや、そうではないんですけど!」
 総司は慌てて――――慌てたまま、何故か、カイオディウムにおいて最も警戒すべき相手に、これまでのいきさつを簡単に説明してしまった。
 どうしてそういう行動に出たのか、総司にも自分で理解できていなかった。
 更に輪をかけて理解できなかったのは、フロルが総司の身の上話を――――リラウフの街が消し飛んでからローグタリアに神獣の力で飛ばされて、それからここへ戻ってくるまでの、「異世界人」のくだりだけは省いた一連の流れを、興味深げに時々うなずいたりしながら、冷静ながらもそれなりに熱心に聞いていたことである。ローグタリアの老賢者に出会った部分では、フロルもヘレネ・ローゼンクロイツのことを知っているようで、ほう、と目を見張ることすらあった。
 警戒を解くべきではないのに、総司はもう、フロルのことを最大限に警戒すべき相手と認識できないでいた。
「まず、信徒を束ねる枢機卿として、誤解を解かねばなりません」
 フロルは居住まいを正し、話し終えた総司に対して鋭く言った。
「誓って、リラウフの街を消し飛ばせなどと命じたことはありません。部下の失態は上司の失態であり弁明するつもりはありませんが、アレはオーランド・アリンティアスの独断です」
「……枢機卿猊下は、俺達を殺すつもりはなかったと」
「初めて会った時から、あなた達を殺そうとしたことなど一度もないはずですが」
 言われてみれば、その通り。
 フロルは総司とリシアを招かれざる客と断じ、レブレーベントまで強制的に送り返そうとしたが、それだけだ。敵対的と言うよりは取りつく島もないといった調子ではあったものの、殺意は一度も向けていない。
 今回オーランドに出していた指令も「可能ならば捕らえよ」というだけだ。しかもその命令は、枢機卿の意思に反してカイオディウムを出奔した、ベル相手に下されたものと思えば当然の命令でもある。
 彼女の一連の行動には、一切の矛盾がない。体制側の頂点として常に当然の判断を下しているだけなのだ。
「……てっきり、終わったな、と思ったんですけど」
「この場であなたを捕縛すると? 何をバカなことを」
 フロルは呆れたように言った。
「私には大聖堂の護りがありますが、騎士団の者たちにまで適用されるものではない。ここで荒事になったら何人が死ぬことになるかわかったものではないでしょう。あなたの強さに関しては聞き及んでいますよ、女神の騎士」
 これもまた当然の判断、ではある。総司が強行突破の賭けに出ないという保証はどこにもないのだ。今のところカイオディウムの体制側にとっては危険人物である総司を相手にうかつな真似は出来ない、と言ってしまえばその通りなのだが、しかし納得は出来ない。
 だからと言ってこうして茶飲み話の如く会話を交わす必要もないのだ。
 それに何よりも違和感があるのは、フロルが総司のことを「女神の騎士」と呼んでいることだ。彼女は女神教のトップとして、「女神が脅かされている」証拠とも言うべき女神の騎士の存在を、絶対に認めないという姿勢ではなかったのか。
「……枢機卿猊下」
「フロルで結構。あなたは……名を何と言いましたか。忘れてしまいました」
 ティーカップを手に取りながら、フロルが流れるように言った。心底意外だったが、総司は自分の名を答えた。
「総司と言います」
「ソウシ。そうでしたね、聞きなれない名前と思っていました。レブレーベントではそういう名前が流行りですか?」
「いえ、俺は……」
 総司は一瞬だけ躊躇って、思い切って言った。
「俺は、リスティリアではない別の世界から、女神に呼ばれてきたんです」
 フロルの手がぴたりと止まった。紅茶の入ったティーカップから目を離し、総司の顔をじっと見つめる。
「……エイレーン女王陛下は、それを信じたのですね」
「はい。と言ってもあの方は最初から、その方が面白いからと仰っていて……」
 フロルは一口紅茶をすすると、わずかに目を閉じて何事かを思案した。
「意外に思いますか。私がこうしてあなたと話をしていることが」
「ええ、まあ……かなり」
「ハッキリさせておくべきかと思ったので。あなたという存在と、ベルの目的と、私の目的について。あなたがここへ乗り込んできたのも、女神様の御導きと言っていいでしょう」
 フロルが女神の騎士との対話を選んだのは、この突然の会合が、ここから先の物語の分水嶺になるだろうと予感したからだ。
 彼女は思考を巡らせて、何が最も適切なのかを考えていた。わずかな時間でも相当に考え抜いた結果、彼女は対話を選んだ。
「まずあなたが女神様によって遣わされた騎士であるということについて、これは私にとってはどうでもよいことでした。異世界の民と言う点については、エイレーン女王陛下の信任がなければにわかに信じがたかったところですが」
「え……いや、しかし……」
「最初に会った時のことを言いたいのでしょうが、そもそもあなたがどんな目的を持っていようと、こちらには“レヴァンフェルメス”を渡すという選択肢はなかったので。要らぬ問答に時間を掛けたくなかっただけです」
 フロルの話は一つ一つがあっさりとバッサリと、切れ味が鋭い。彼女は決断に迷いがないのだ。己の芯にあるものを自覚しているからこそ、彼女の決断は強く、迷いがなく、故にカリスマがある。
「女神の騎士であろうとなかろうと、リスティリアの命運を得体の知れない男に委ね、国宝を譲り渡す選択肢などありえるはずがないでしょう。その点、エイレーン女王陛下にしては愚かな決断を下されたものだと不思議でしたし……陛下には大変失礼ながら、間違ったご決断をされたと考えていました」
 フロルは一息ついて、
「しかしオーランドの話を聞いて合点がいきました。あの男は私にはない情報網を持っているので、彼から聞くまでは知らなかったのですが……アレイン王女と敵対し、あなたが勝利した。そうですね」
「はい、その通りです」
「アレイン王女の強さは……戦いだけではありません、個人としての強さは、私の耳にも届いています。噂通りの方であれば、リスティリアの危機にじっとしているわけもなし。そして王女は国宝を賭けてあなたと戦い、あなたが勝利し、アレイン王女はあなたに託した」
 フロルは総司を見つめた。鮮やかなエメラルド色の瞳が、総司をまっすぐに射抜いていた。
「あなたは自分自身の価値を、その行動と結果で以てレブレーベントの為政者に認めさせたということです。エイレーン女王陛下は“女神の騎士”に信を置いたのではありません。“あなた”を信じ、託したのです」
 総司が目を丸くした。
 同時に、その脳裏に、レブレーベントの最後の日、女王と交わした会話が思い起こされた。女王は確かに、こう言ったのだ。
――――レブレーベントの騎士であるお前に勅命を与える!――――
 エイレーン女王にとって、総司の旅路は「女神が与えた」ものではなく、レブレーベントの騎士である総司にその主が勅命として与えた使命なのだと。
 総司自身も気付いていなかったことだ。ルディラント王に「与えられた使命に踊らされているだけ」と叱責されたが、総司はレブレーベントの騎士として、確かに自らも望んで、女王の勅命を確固たる決意と共に受け止めていたのだ。
 そしてその事実は――――本人すら気付いていなかった「価値を示した先の信頼」は、同じく一国の、事実上の為政者であるフロル・ウェルゼミット枢機卿にとってはどんな言葉よりも重いものだった。
「それならば確かに、私の知るエイレーン女王陛下の決断そのものです。あの方は夢物語に全てを委ねるような愚かな暗君ではない。そんな無責任な為政者ではない。女神の騎士だから手放しで支援しているのではなく、あなた自身を認めたからというのであれば、実にあの方らしい。あなたはそれだけのことをレブレーベントで成し遂げたのでしょうね」
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