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 ◇◇◇

 あの日、咲人が要らんことを話したんだろうな、と思っていた。
 けれど、凜の態度や様子は変わることはなく、咲人や琉もやいやい言いはするが、特に深入りしてくることはない。
 親父から連絡はあったが、やはり俺が文句を言っても聞きやしない。おかしなことをするなよ、と逆に釘を刺されてしまった。
 凜のヒートまであと少し、そこで決めてやる、と考えてはいるものの、はっきりとした案は思いついてない。

 無理矢理襲われたことにするか?
 いや、俺の方が力は上だし、なんなら逆だろうと言われるだろう。それに、実際オメガとそういう行為をする気はない。

 仕事をしないと文句を言うか?
 休ませろと既に親父から言われているから使えない手だ。

 凜のあの調子じゃあ、責められるような悪いことをしなさそうなんだよなあ。
 ……良い子が演技ではないのは、流石にもうわかってきた。あれはもう凜の性格だ、そうだ、悪い子ではないのは俺だってもう認める。
 そんなことをぼんやり考えていると、手元が緩んだ。
 あっ、と小さく声が出て、その声に凜がこっちを向く。
 手にしていたオレンジを落としそうになり、少し強く掴んでしまったのだ、その結果、着ていたシャツに果汁を飛ばしてしまった。

「……あーあ」

 やっちまった。
 結構気に入ってたシャツだったけど、白地にオレンジの染みは目立つ。だからといってクリーニングに出す程でもない、似たようなものはまだあるし、新しいものを買った方が早い。
 思わず、捨てるか、と呟いてしまった。

「あの、洗います、シャツ……」
「いいよ、捨てるし」
「でも」
「いいって、もう結構着たし、似たようなのあるし」
「えっ、あの、じゃあ、捨てるなら、その……」

 珍しく凜が自分から寄ってきたと思ったら、少しもじ、としながら、貰っても、いいですか、と尻すぼみに訊いてくる。
 オレンジの染みのついたシャツを?
 凜には大分サイズが合わないと思うけど、と考えて、琉の惚気を思い出した。

『巣作りする時の咲人がかわいくてかわいくて』

 俺は出来るだけオメガを避けてきたから、実際にその様子を見たことがないし、これから先見ようとも見たいとも思わない。
 寧ろ見たくない、そんな浅ましい姿を。

「……そういうの、気持ちわりぃから止めて」
「……ッ」

 喉がひゅっと鳴り、躰が小さく震えたのがわかる。
 俯いて、ごめんなさい、そうですよね、ごめんなさい、とまた消えそうな声。逃げるように背を向け、どこかに行ってしまった。
 嫌悪感。
 オメガの習性にも、俺の刺々しい言葉にも、だ。
 凜といると、どんどん性格が悪くなるのを実感する。
 元々性格が良かった訳でも上品だった訳でもない、それでもこの約二ヶ月、間違いなく自分の性根がひん曲がってきてるのが嫌でもわかる。
 もう嫌だ。嫌だ、こんなことばかり考えるのも、誰かを傷付けるのも、そう思いながらも傷付けるしかない状態も。
 俺じゃなくていいじゃないか。手近だからって……

 そう考えた時、あ、これだ、と思った。


 ◇◇◇

「荷物……ですか」
「そう、あの箪笥お前使ってないだろ、元々俺の荷物置きだったしいいよな」
「あ、えっと、はい……」

 有無を言わせず強引に行動に移したのは、元々置いてあった箪笥に自分の服を入れる、それだけのこと。
 両開きの箪笥にはコートなんかの冬物やたまに着るだけのスーツを掛けていたのだけど、この部屋を凜の為に空ける時に、中身を寝室のクローゼットに移したのだった。
 重い箪笥を移動する程収納が足りない訳ではない。
 あまり着ないものとはいえ、知らない奴が住む部屋に自分のものを置いておくのが嫌で中身だけ移したけど、特にお気に入りでもない服をわざと戻すことにした。
 ……ヒートの時にでも、汚してくれないかな、と思って。
 そしたら出ていって欲しいと言える、その言い訳にならないかなって。

 ずるい考え方なのはわかってるよ、でもこれ以上のことって、もう傷付けることしか浮かばなくて。
 これなら凜も自分で悪いことをした、と思ってくれるんじゃないかって、そう半ば願いも込めて。
 やんわり出てって欲しいと伝えれば罪悪感を抱えた凜は頷くだろうし、なんなら自分から言い出すかもしれない。
 そっちの方が、きっと、ましだから。

「汚さんでね」
「あ……は、はい」

 敢えて念を押しておく。
 先日のシャツの件があるからか、気まずそうに凜は頭を下げる。
 それでも視線が泳いでるであろうことはわかった。

 細い肩だな、と思う。
 オメガは元々華奢だったり小柄だったりが多いけど、なんというか、普通ならこれが守らなきゃ、と庇護欲を唆るんだろうけれど、俺にはどうしても、その細い肩がこわかった。
 突き放す力も、押し退ける力も、どう考えたって、自分の方が強いのに。強いから、壊してしまう方がこわいと感じてしまう。

 こわい。
 そうだ、俺にはオメガは、嫌悪と恐ろしさの、どちらももった動物のようないきものに見えてしまうのだ。
 全員が全員そうではないのかもしれない。でも知らなくていい。
 俺はこれからも彼等に関わる気はないのだから。
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