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とりあえず、状況把握

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葉宮織羽、二十九歳。
目が覚めたらなんか固い寝台に寝てました。
「へっ……?」
掛けてるのは着物みたいな布、角ばった箱みたいな枕(良くこれで寝てられたな私?)、目の前には屏風、だろうか?

……えーと……

「映画のセット……?」
私、昨夜「そうだ、京都行こう」とか思って旅立ったっけ?んでこんな高そうな旅館に飛び込み宿泊しちゃった??
「……うーん」
……………………
「ないな」
じっくり考えてみたが、そんな記憶は全くない。
ついでに酔っ払った覚えもない。
誘拐された、にしては待遇がおかしいし寝る前に怪しい儀式とかもしてないし、あと考えられるのは__ラノベにありがちな、異世界転移、とか?
「んなワケ、ないか」
異世界転移とか召喚とかってのは、中世ヨーロッパみたいな世界に飛ばされるのがお約束だ。
こんなどう見ても日本な世界が異世界なわけない、きっと私が道端で倒れてるのを見付けてくれた誰かがこの邸宅のご主人かなんかだったに違いない、そうと決まったらお礼を言わないと__そう結論付けたところに、
「お方様、お目覚めですか?」
と襖の向こうから声がかかる。
「は、はいっ!」
と咄嗟に大きな声で答えてから(ん?お方様?)と疑問符を飛ばす間も無くからりと襖が開き静々と水を張ったたらいを手にした女性が入って来て私は固まった。
水を張った盥(それだって異常っちゃ異常だけど、用途は理解できる)はまだいいとして問題はその女性の服装だ。
どう見ても時代劇でしか見ない着物__それも現代でいう振袖の類でなく、どちらかといえば__十二単、と称ばれる類に近いものだった。
「お手水をお持ちいたしました」
「えぇと……貴女は?」
お手水はわかる。
昔の言葉で水で手を清めることだ。
今でも参拝の作法としてある。
けど、この女性のことは知らない。
「お方様__いえ姫様、どこか具合でも?幼き頃よりお仕えしこちらに嫁ぐ際にも共に付いて参りましたこのあきのことをお忘れで?」
へ?
「嫁いで……?」
私、二十代ぎりぎり独身バリバリOLのはずなんだけど?
「はい、あなた様は今上帝のニの姫・蓮花れんかさま、一昨年このお屋敷のあるじ薫大将の君に降嫁されましたたっときお方です。思い出されましたか?__まぁ、確かにこのお屋敷の主である方はお忘れ気味のことが多いようですが」
おう、いきなり辛辣な物言い。てか、薫……薫?どこかで聞いたことがあるような?
「旦那さまは昨夜も遅くお帰りで。『女二の宮さまはどうしておられるか』と形だけは気遣うような台詞を吐いておられましたが、何のつもりやら。就寝されてるに決まってますのに」
「えぇと、晶?」
「何でしょう、姫さま?」
「……私って今いくつだっけ?」
「御年十六におなりです。花の盛りですわね」
「じゃあ結婚した時は、十四?」
「左様でございます。誠実な人柄と評判の薫大将の君とのご縁でしたから、これで姫さまの将来は明るいと喜んだのは遠い夢でございました」
「……鏡を見せてもらえるかしら」
晶は無言で鏡を差し出し、私はおそるおそる鏡をのぞきこんだ。
そして、
「っ、嘘でしょぉぉっーー!!」
と絶叫した。

鏡の中には、長い黒髪に長い睫毛をぱちぱちさせた十五、六の美少女が映っていた。

「お方さ、いえ姫さまっ?!やはりお加減が優れないのでっ?!__誰か、旦那さまを__いえ、薬師をっ!」

今上帝、女二の宮、 薫大将の君。
それにこの姿。
これってどう見ても、

源氏物語の世界じゃないかーーっ!
あれは ばっちり創作のはず。
てことはつまり__ここも、いわゆる異世界。

葉宮織羽、二十九歳。目覚めたら源氏物語の登場人物になってました。





わかる限りで状況整理したところでは、私は蓮花という今上帝の二の姫。
中宮腹でない為、父親である今上帝が持て余して早々に嫁がせた感がある十六歳。因みにこの中宮が源氏と明石の君との間に生まれた娘で現在最大の権勢を誇っている。
薫に嫁がされて二年目、数えるほどしか顔を合わせておらず、会っても時節の挨拶のような会話ばかり。先ほどの晶の様子からもわかるように、当然蓮花の側近く仕える女房たちは薫の態度をあまり良く思ってはおらず、表にこそ出さないもののそれを薄々察している薫の足はますます遠のいている。

さもありなん、と私は盛大にため息を吐いた。

“薫大将の君”とは要するに何故か源氏の死後も続いた(宇治十帖以降は紫式部の娘作であるという説もあるが、真偽は不明)源氏物語の末節の主人公である。表向きは源氏と源氏の正室・女三の宮との息子だが実は女三の宮と柏木という青年との不義の子である。“柏木の章”は有名なので知ってる人も多いだろう、大雑把に言うと寝取りの天才・源氏が晩年に迎えた孫のように若い妻を小童こわっぱの若造に寝取られた話である。

この薫大将の君、見目も実の親より美しいばかりでなく生まれつき咲いた梅のような良い香りを放つという特異体質で、とにかく周りに持て囃されて育つ。
当人は幼少のみぎりに口さがない女房たちの噂話から「薫さまは源氏の君の子ではない」と聡っており、周囲の引き立てを煩わしく思いつつ高飛車な青年に育つ。ついでに言うと、血が繋がってないのに性格は源氏そっくりだ。

そう、学生時代源氏物語をひと通り読破した私は知っている。
この“薫大将の君”という男「真面目で控えめ」という周囲の評価とは裏腹に、正妻以外の女性に懸想してばかりの「浮気の虫がもぞもぞしっぱなし」男なのである。



「可哀想になぁ……」
言っちゃなんだがこの女二の宮・蓮花ちゃんは美少女だ。
しかも花も恥じらう十六歳。母である承香殿の女御が若くして亡くなり、後ろ盾もなかったことから、裳着(当時の成人式)をしたのだかなんだかのうちにあれよあれよと薫に降嫁させられてしまう。
「帝の命令だから臣下としてお仕えするのみ」っていう薫も薫だが「碁の勝負で負けたから梅の枝我が娘を許す」って主上父親も酷い。碁の勝負の賞品て。いや、当時の帝は娘の身の振り方を案じててそれが口実だったってのはわかるよ?けど、当時女二の宮を(単にそれが権力志向でも)娶りたいって人はいっぱいいた。
なのに、何だって一番女二の宮を大事にしない男を選んだんだ?
多少身分や容姿が劣っても、そっちのが大事にしてくれたんじゃない?
どうせ滅多に顔なんて合わせないんだし、何なら住んでるとこも離れてるんだし、少しは姫宮の希望も聞いてあげたら良かったのに。
もしかしたら姫宮__いや蓮花も、いつぞやの管弦の折に とか 僅かな月明かりの下 とか__御簾越しに見た誰かに心ときめいたことだって、あったかもしれないのに。

薫は浮かない顔で何度か女二の宮の元へ通った後、「いつまでも梅壺に忍んで行くより我が家へお迎えしたい」と願い出て、帝も「尤もだ」と二つ返事で了承し、女二の宮、いやもう蓮花と呼ぼう(大体この時代の女性はまともな名前がなく呼び名しか残ってないのってどうなんだ、こんな可愛い名があるんだから呼んでやれよ勿体ない)、蓮花は薫の屋敷へ迎え入れられる。
そして直ぐに薫はフラれ続けたまま亡くなってしまった宇治の“大君おおいぎみ(前八の宮の娘)”にそっくりな“浮舟うきふね(大君の異母妹)“に夢中になって追っかけまわしはじめるのだ。
大君や浮舟がどれほど美しいか知らないが、こんな美少女を放置して他に走るとか何考えてんだ、だから蓮花は色々嫌になっちゃって意識どっかに飛ばしちゃったんじゃないの?
とにかく『おっとりと、殿方に従順に』育てられた蓮花は、見た目こそ拗ねてみせたりしなかっただけでほんとは傷ついてたんじゃないの?



ねぇ、紫式部。
本名も(紫式部は若紫に因んで呼ばれるようになったペンネームのようなものらしく、本名は不明で香子という漢字だけ残っているがどう読むかは不明、書物によってバラバラな読み仮名が振られてるのが現状)、どういった経緯で物語を書き始めたのかも私は知らないけど__貴女は蓮花この子を、この物語を、どうしたかったの?















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