デルタトロスの子どもたち ~曖昧な色に染まった世で奏でる祈りの唄~

華田さち

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少年期

第26話 影踏み

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バミルゴ兵士達の前に再びテルウが姿を現す。
木々の中に佇むその細くて華奢な体と、中性的な美しい顔は兵士たちをも誘惑するかのように、微笑みを浮かべながらじっと彼らを見つめた。
兵士達三人は今度こそ取り逃がさないよう慎重に彼に近づき距離を詰めようとしている。

そうだテルウ。もっともっと三人の注意を惹くんだ。思っていた通り、お前には手出しできないのだから。

カイは木の上からテルウとヒロ、二人の指揮を執っていた。
兵士たちはまるで惑わされているかのようにゆっくりとテルウに近づき、ついにあと一歩まで迫った時、一番後ろにいた二十代の兵士を背後からヒロが斬りつける。

残りの三十代の兵士二人が驚きひるんだ一瞬の隙を突いて、テルウは目の前にいる兵士の胴体に回し蹴りを決めた。兵士は数メートル吹っ飛ばされ、その弾みで握っていた剣を落としてしまう。テルウはその剣をすぐさま拾い上げ、吹っ飛ばされた兵士の脇腹を天使のような微笑をして躊躇うことなく刺した。

兵士の壮絶な悲鳴が狭い一本道いっぱいに響き渡るのを聞いたもう一人の兵士は、そんな光景に思わず身の危険を感じて腰を抜かしてしまう。
まさか大人である自分たちが、こんな年端もいかない子どもたちに短時間で決着をつけられるとは思っていなかったのだ。
ヒロは立つことが出来なくなった兵士の喉元に剣を突きつけ、その青い瞳で語りかけるように言った。
「すぐに剣を置いてバミルゴに助けを求めに行った方がいい。四人の急所は外してあるからなるべく早く。時間がかかればかかるほど苦しいだけだから」

テルウとヒロ、木から降りてきたカイ三人にとりかこまれた兵士は剣を置いたまま逃げるようにバミルゴ方面へと走り去った。

「思っていた以上だ……」

ペンダリオンは双眼鏡を覗き込みながら、大人を叩きのめす子どもたちの様子を見ていた。
「それなら今度こそ早く行きましょう」
子どもたちに早く慰労の言葉をかけたいロイは、ペンダリオンを急かせて彼らの元へ行こうと求めた。

しかし急にペンダリオンはただならぬ気配を感じて双眼鏡を別の方へ向け、ただ何も言わずにじっと覗き込む。

やがて凄い速さで、黒い人影のような煙のような何かが彼らの元へと向かっている。
その何かは、さきほど立ち去った兵士とすれ違ったにもかかわらず、兵士はあまりの速さにまったく気付く素振りさえ見せなかった。

「あっちが本命か! 彼らが危ない! 行くぞ、ロイ」
「えっ?」

双眼鏡を外し、ペンダリオンは大きな石の後ろから彼らに向かって一気に走り出したので、ロイもつられて後を走り出した。
すぐには助けないといったり、急に助けるといったり。
ほらやっぱり思考が読めないと思いながらもロイはその後ろ姿を慌ただしく追いかけた。

「いつバミルゴ兵士が戻って来るかもしれない。早く本を拾って逃げるぞ!」
カイは本を落とした地点、つまり木が生い茂る道に入る手前の場所で、テルウとヒロに落とした本を拾うのを手伝わせながら叫んだ。
思っていたより広範囲に散らばっていた本を三人はすべて回収するべく、大急いで一冊ずつ腰を屈めて集めている。カイがシキから貰った兵法の一冊を見つけた時、突如テルウの悲鳴が聞こえてきた。

「うわぁぁぁ!」

驚いたヒロとカイがテルウの方を振り向くと、周りには何もないにもかかわらず彼は後ろを向いて立ったまま明らかに何かに怯えている。

「踏んだ、踏んだ! 十数えるうちに逃げないと何があっても知らないよ」

何処からともなく聞こえてきた、その地の底から湧き出てくるような、どす黒い声には聞き覚えがなかったため、カイとヒロは互いに顔を見合わせ、同時に体から血の気が引いていく。
すると、テルウの足元に伸びる影がグニュグニュと生きているように動きはじめる。

影の中にギョロっとした目が現れたかと思うと右と左を確認し、次に怯えているテルウを捕えた。
その瞬間、影からまるで生まれたての子鹿が立ち上がるように、ゆっくりとテルウの前に真っ黒い人影が姿を現したのだった。
人影はギョロっとしたふたつの目しかなく、すぐにテルウと同じ背の高さになり、その人影から真っ黒い煙のような手が伸びる。
黒い手はテルウの細くて美しい喉元に伸ばされ徐々に首を絞めあげた。

「いーち」
テルウは苦しそうにその黒い手を振りほどこうと両手で抵抗するが、凄い力で絞めあげられているため振りほどくことが如何してもできない。

「にーい」
カイは真っ赤になって苦しんでいるテルウの顔を見て、人影の真の意図を探ろうとするが皆目わからない。。

アルギナなら絶対にテルウは殺さないはずだと思っていたが、目の前のこの人影からは明らかに殺意が感じられる。
冗談なんかじゃなく、本気でテルウを殺す気なんだ。

「さーん」
ついにテルウの体は首を絞められたまま持ち上げられ、体が宙に浮いてしまった。

「しーい」
「テルウの首がへし折られる!」
ヒロはテルウの元へ助けるために駆け寄ろうとする。

「ごーお」
カイは必死になって考えた。

踏んだのは何だ? あの状況だと影しか考えられない。だからテルウは身動きができなくなったのか?

「ろーく」
(踏んだ踏んだ……。逃げないと……)

逃げるってどうやって? 
しかもここは木が生い茂る道から抜け出た場所。隠れようにも他に影になるものが何もない。

カイはハッと気が付いて、テルウの元に向かうヒロに声を限りに叫んだ。
「こっちに来い、ヒロ! テルウを救うぞ」

「しーち」
カイは本を包んでいた布が落ちている場所まで死ぬ気で走り、布を拾ってからヒロの元へ向かった。

「はーち」
「これを広げて、布の影でテルウを覆うんだ!」
二人は布を思いっきり広げて太陽の前に翳し、自分達も影の中に入りながらテルウを大きな布の影で覆った。

「きゅう……。ちぇつまんないの」

布の影に包まれた人影は、煙のようにシュルシュルと消えたが、テルウはそのまま地面に倒れたまま動かない。カイとヒロは布に包まりながら、彼に駆け寄り体を抱き起こした。
「テルウしっかりしろ!」
何度読んでも返事がなく、首には絞められた手の跡がくっきりついている。
あの人影が布の影から出た瞬間、次にまた影を踏んで襲ってくるかと思うと二人は身動きできなかった。曇り空なら解決策も見出せるかもしれないが、その日に限って雲ひとつない晴天だった。

「ビュウ」
どこかで聞いたことのある、口笛のような音階がかすかにどこからか聞こえてくる。
ヒロとカイが布の中から顔を出すと、丘の上から頭巾の男二人がこちらに走って来る。

(立つんだ!)

その頭巾の男は笛言葉で合図を送っている。ヒロとカイは笛言葉を自分達以外にも使いこなせる人物がいることに驚き、互いに顔を見合わせたのだが、ヒロは覚悟をきめて布から飛び出した。そしてなにも無い平地に太陽を背にし、大きく手を広げて立った。

そうだ俺には君の力があるんだ。共に一緒に戦ってくれる力が!

ヒロの長く伸びる影に、黒い影がどこからともなく忍び寄ってやがてふたつが重なる。
そしてその重なった影が動き出して、中からギョロっとした二つの目がヒロの事を見つめている。

「フフ、今度は逃がさないよ」

あのどす黒い声が聞こえてきて、影から黒い目だけの人影が姿をあらわし、ヒロの方に近づいてきた。
そしてその目は血走った人間の目をしていたのだ。

こいつは人なのか?
夢の中にいた金髪の赤い眼の子どもは人間の眼をしていなかったのに。

その人影が手をヒロに伸ばそうとした時、ペンダリオンは走りながら、茶色のベルトの後ろに忍ばせてある小型ナイフを取り出し、後ろ姿のヒロの背中めがけて思いっきりナイフを投げた。

(しゃがみ込め!)

笛言葉が聞こえてきて、ヒロは思わずその場にしゃがみ込んだ。
彼の頭上をナイフがかすめ、ナイフは人影の心臓ど真ん中に突き刺さっていた。
すぐにおびただしい血が噴き出して、人影はゆっくりと倒れたかと思うと煙のように消えて行き、残されたのは真っ黒な血だまりとナイフだけであった。

ペンダリオンは走ってヒロの元へ駆け寄り
「ふう、危機一髪だったね」
そしてしゃがみ込んでいる彼に手を差し伸べた。

振り返るとロイがカイとテルウの傍で
「大丈夫だよ。気を失っているだけだ。よく頑張った、本当によく頑張った」
とすこし涙目になりながら一生懸命二人を励ましていた。

ヒロは状況把握が出来ないままぼうっとしていると、彼らと同じ格好をした頭巾の男たち五人が馬に跨りペンダリオンの方にやってきた。
「バミルゴ兵士がこっちに向かっています。早く子どもたちを連れていきましょう」
「ああそうだな。弟君の治療もしなくては……」
こうして子どもたちは大量の本を抱えて、頭巾の男たちと一緒にバミルゴからフォスタへと続く街道をさらに北へと向かった。
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