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第30話 リュネ
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柔らかな風には、もう冬の冷たさが潜り込み始めている。
森の木は赤く、枯葉は大地を染め、小さな小屋の暖炉は再び働き始める。
「魔女さまあ」
きゃあきゃあと転がり込む声と軽い足音に、リュネは本を読む手を止めた。ドアを開けると、鼻の頭を真っ赤にした子どもたちが、目をきらきらさせていた。
「こんにちは。どうしたの?」
「お手紙が届いてたよ」
「誰からだろう? 魔女さまのお名前は書いてあったけど」
「そうねえ……」
手渡されたそれは、どこにでもある安い紙。麻紐とロウで封じられているが、別段特徴的なものではない。
リュネが思い当たる節を考えている間に、子どもたちはもう別な話題に移っていた。
「あーっ、お前『魔女さま』って、呼んだらいけないんだぞ」
「ああっ! そうだった」
あの春——ある辺境の村に起きた惨劇。大貴族『アルノ家』が内乱を企て、ひとつの村が滅ぼされかけた事件があった。
その蛮行を止めたのは『魔女』と呼ばれる一人の娘。
『魔女』は、彼らの非道な行いを赦し、村に起きたすべてを奇跡の力で救った。その慈悲深い選択から『赦しの魔女』として、彼女の物語は語り継がれることとなった。
——というのが、『赦しの魔女』の物語。ではその後は?
答えは簡単。『赦し』を求める人々が、『赦しの魔女』に救いを求めて、あらゆるところから村を訪れるようになったのだ。
(奇跡の代償……こういうことも、おばあちゃまは予測していたのかしら?)
奇跡の力で復興を遂げたとはいえ、小さな村に大勢を迎え入れる力は無い。リュネとて、赦しを求める全ての人にそれを与えることはできない。
だから、『赦しの魔女』は行方をくらませた。村を去り、赦しを求める旅へと出た——ということになったのだ。
だから今、村の近くにあるこの森に暮らしているのは、ただのリュネ。薬師の役割を担う、『ただの』魔女だ。
「ま……リュネさま。お手紙が届いてた……ました!」
「ふふっ、ありがとう。ちゃんと受け取りました」
ご褒美にお菓子を持って行きなさい。
焼き菓子を振る舞うと、子どもたちはそれはそれは嬉しそうにカゴを取り囲んだ。リュネはそれを微笑ましい気持ちで眺めながら、手紙をテーブルに置いた。
「村では、何かあった?」
『赦しの魔女』が去ったことになってから、リュネはほとんど村に立ち入らなくなっていた。万が一、存在が見つかったら、また迷惑をかけてしまうと判断したからだ。
だからこうして、定期的にやってくる可愛い使者たちから、様子を伺うようにしているのである。
幼い子たちは、お菓子のかけらを口元につけながら、それぞれの顔を見合せて話し始めた。
「最近はお客さんも減ってきたし……あっ、宿題が大変とか!」
「それは村の話じゃないだろ。牧師さまも言ってたけど、何かあったらすぐにリュネさまに言うって」
「分かったわ。もし、あなたたちの身の回りで、困ったことがあったらいつでも呼んでね」
甘いお菓子と約束していた薬草をポケットに入れ、小さな使いは小屋を出る。走ることしか知らないみたいに駆け出す彼らのひとりが、不意にくるりとこちらを向いた。
「リュネさま!」
なあに。尋ねれば、ぴょんぴょんと跳ねながら、子どもは問う。
「春祭りには来るよね?」
「ええ。秋祭りは難しかったけれど……次は参加したいと思っているわ」
「また、ジャム食べられる?」
あの悲劇は、春祭りから始まった。その事を思い出すと、まだ、リュネの胸はつんと痛む。
失ったものは戻らない。家も、畑も、生活も——命も。選択の果ての責任は、まだこの肩に重く確かに存在している。
けれど。けれども。
「もちろん。楽しみにしていてね!」
手を振って、リュネは子どもたちを見送った。きらきらと夕日の差し込む方に駆け出す彼らは、正しく未来の希望だ。
次の祭りには、どんな憂いもないとびきりのお菓子を振舞ってあげたい。そう、強く願うほどに。
「……さて、と」
リュネは扉を閉じて、椅子に座る。目の前には、件の手紙がひとつ。
いくつものメッセンジャーを経由して来たのだろう。紙の表面は、たくさんの擦った跡がついている。『赦しの魔女』ではなく、リュネの名前だけ書かれた、乱雑な文字。
リュネは封蝋をそっと取り外して、手紙を広げた。その文面の素っ気なさに——思わず笑みがこぼれてしまう。
『次の春祭りには手伝いに行く。報酬はとびきり甘いジャムで頼む』
「……もう。しょうがないわね」
リュネは椅子から立ち上がると、薬草棚の在庫を確認した。好んで飲んでいた甘いお茶がまだあるのか、分からなかったから。
何せ彼は、死の淵にいてなお、苦い薬は嫌いだと言うほどの人だから。思い出して、くちびるがくすっとする。愛おしさと懐かしさが、胸いっぱいに広がる。
(待っているわ。とびきり甘いお菓子とお茶を用意して。二人で一緒に、またお祭りに行ける日を)
そして、自由を得た彼が見た、世界の話を——。
冬がまたひとつ、足音を立てる。小さな小屋の暖炉の中で、炎が煌々と焚かれていた。
森の木は赤く、枯葉は大地を染め、小さな小屋の暖炉は再び働き始める。
「魔女さまあ」
きゃあきゃあと転がり込む声と軽い足音に、リュネは本を読む手を止めた。ドアを開けると、鼻の頭を真っ赤にした子どもたちが、目をきらきらさせていた。
「こんにちは。どうしたの?」
「お手紙が届いてたよ」
「誰からだろう? 魔女さまのお名前は書いてあったけど」
「そうねえ……」
手渡されたそれは、どこにでもある安い紙。麻紐とロウで封じられているが、別段特徴的なものではない。
リュネが思い当たる節を考えている間に、子どもたちはもう別な話題に移っていた。
「あーっ、お前『魔女さま』って、呼んだらいけないんだぞ」
「ああっ! そうだった」
あの春——ある辺境の村に起きた惨劇。大貴族『アルノ家』が内乱を企て、ひとつの村が滅ぼされかけた事件があった。
その蛮行を止めたのは『魔女』と呼ばれる一人の娘。
『魔女』は、彼らの非道な行いを赦し、村に起きたすべてを奇跡の力で救った。その慈悲深い選択から『赦しの魔女』として、彼女の物語は語り継がれることとなった。
——というのが、『赦しの魔女』の物語。ではその後は?
答えは簡単。『赦し』を求める人々が、『赦しの魔女』に救いを求めて、あらゆるところから村を訪れるようになったのだ。
(奇跡の代償……こういうことも、おばあちゃまは予測していたのかしら?)
奇跡の力で復興を遂げたとはいえ、小さな村に大勢を迎え入れる力は無い。リュネとて、赦しを求める全ての人にそれを与えることはできない。
だから、『赦しの魔女』は行方をくらませた。村を去り、赦しを求める旅へと出た——ということになったのだ。
だから今、村の近くにあるこの森に暮らしているのは、ただのリュネ。薬師の役割を担う、『ただの』魔女だ。
「ま……リュネさま。お手紙が届いてた……ました!」
「ふふっ、ありがとう。ちゃんと受け取りました」
ご褒美にお菓子を持って行きなさい。
焼き菓子を振る舞うと、子どもたちはそれはそれは嬉しそうにカゴを取り囲んだ。リュネはそれを微笑ましい気持ちで眺めながら、手紙をテーブルに置いた。
「村では、何かあった?」
『赦しの魔女』が去ったことになってから、リュネはほとんど村に立ち入らなくなっていた。万が一、存在が見つかったら、また迷惑をかけてしまうと判断したからだ。
だからこうして、定期的にやってくる可愛い使者たちから、様子を伺うようにしているのである。
幼い子たちは、お菓子のかけらを口元につけながら、それぞれの顔を見合せて話し始めた。
「最近はお客さんも減ってきたし……あっ、宿題が大変とか!」
「それは村の話じゃないだろ。牧師さまも言ってたけど、何かあったらすぐにリュネさまに言うって」
「分かったわ。もし、あなたたちの身の回りで、困ったことがあったらいつでも呼んでね」
甘いお菓子と約束していた薬草をポケットに入れ、小さな使いは小屋を出る。走ることしか知らないみたいに駆け出す彼らのひとりが、不意にくるりとこちらを向いた。
「リュネさま!」
なあに。尋ねれば、ぴょんぴょんと跳ねながら、子どもは問う。
「春祭りには来るよね?」
「ええ。秋祭りは難しかったけれど……次は参加したいと思っているわ」
「また、ジャム食べられる?」
あの悲劇は、春祭りから始まった。その事を思い出すと、まだ、リュネの胸はつんと痛む。
失ったものは戻らない。家も、畑も、生活も——命も。選択の果ての責任は、まだこの肩に重く確かに存在している。
けれど。けれども。
「もちろん。楽しみにしていてね!」
手を振って、リュネは子どもたちを見送った。きらきらと夕日の差し込む方に駆け出す彼らは、正しく未来の希望だ。
次の祭りには、どんな憂いもないとびきりのお菓子を振舞ってあげたい。そう、強く願うほどに。
「……さて、と」
リュネは扉を閉じて、椅子に座る。目の前には、件の手紙がひとつ。
いくつものメッセンジャーを経由して来たのだろう。紙の表面は、たくさんの擦った跡がついている。『赦しの魔女』ではなく、リュネの名前だけ書かれた、乱雑な文字。
リュネは封蝋をそっと取り外して、手紙を広げた。その文面の素っ気なさに——思わず笑みがこぼれてしまう。
『次の春祭りには手伝いに行く。報酬はとびきり甘いジャムで頼む』
「……もう。しょうがないわね」
リュネは椅子から立ち上がると、薬草棚の在庫を確認した。好んで飲んでいた甘いお茶がまだあるのか、分からなかったから。
何せ彼は、死の淵にいてなお、苦い薬は嫌いだと言うほどの人だから。思い出して、くちびるがくすっとする。愛おしさと懐かしさが、胸いっぱいに広がる。
(待っているわ。とびきり甘いお菓子とお茶を用意して。二人で一緒に、またお祭りに行ける日を)
そして、自由を得た彼が見た、世界の話を——。
冬がまたひとつ、足音を立てる。小さな小屋の暖炉の中で、炎が煌々と焚かれていた。
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