転生したら魔女狩りの世界だった件。嫌なので全力で抗います〜絶望少女と魔王達〜

なないろすらいむ

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一章 エリシェヴァ編

第2話 奇病の異変

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明くる日、聖レクス市の空は朝から重い雲に覆われていた。
診療所の窓から見える大通りは、かつての賑わいを失い、果物の露店は閑散とし、パン屋の前には子どもたちの笑顔がない。代わりに、不安のざわめきが石畳を這っていた。

エリシェヴァは机の上で薬草を刻むが、手は機械的に動くだけ。いつもと変わらない薬草の匂いが漂うが、胸の重さは消えなかった。

数年前、故郷の村で交わした契約が脳裏をよぎる。青年の深緑の瞳、蛾や蜂のように歪んだ翼。

「君は優しい。だから、傷つくだろう。」

癒しの力は、彼女を魔女にした。
この街では、魔女は火刑台に送られる。広場の教皇アダムスの石像が、まるで彼女を見張るようにそびえ立つ。

診療所は、熱気と苦しみの息遣いで満ちていた。
最初に運び込まれたのは、近所の露店で果物を売っていた少年だった。日に焼けた頬は異様に赤く、目は落ちくぼみ、荒い息が木の床に響く。

エリシェヴァは慌てて椅子に座らせ、額に手を当てた。

「どうしたの?」

声は穏やかだが、心臓が締め付けられる。

「朝から、ずっと……寒いんだ……」

少年の細い肩が震え、唇は青白く乾いている。脈を取ると、速すぎる鼓動が指先を打った。

「ただの風邪じゃない……」

呟きが漏れ、エリシェヴァの背に冷や汗が伝う。
彼女は棚から蜂蜜湯と薬草の包みを取り出し、少年に与える。琥珀色の液体が瓶の中で揺れ、薬草の匂いが漂った。

だが翌日、少年はさらに衰弱して戻ってきた。
唇は紫色に変わり、目は虚ろに彷徨っている。

「……水が……苦い……誰かが……呼んでる……」

母親の腕の中で繰り返される言葉。エリシェヴァの胸に恐怖が広がる。

(この病……自然じゃない。)

少年の目は、まるで何かに取り憑かれたように揺れ、母親のすすり泣きが部屋を満たす。
エリシェヴァは薬瓶を握り、ガラスの冷たさに震えた。

やがて、診療所の前には人が列をなすようになった。老人、若い母親、子どもたち──皆、同じ症状を訴える。
高熱、衰弱、幻聴。

「水が苦い……」
「誰かが呼んでる……」

その言葉が、診療所に重い空気を広げた。
こんな病、聞いたことがない。エリシェヴァの声は震え、額に汗が滲む。

薬棚は空になり、煎じ薬も乾いた薬草も尽きた。彼女は布を湿らせ、子どもの額に乗せ、水を飲ませる。だが、熱は下がらず、荒い呼吸が続いた。

(どうしよう…。水がもう無くなってしまったわ汲みに行かないと…。)

群衆のざわめきが窓の外から響き、浄化官の白いマントがちらつく。

(この病……教皇アダムスの目が届く前に、抑えなければ……)

「はい! これでいい?」

明るい声が、診療所の重苦しさを切り裂く。
振り返ると、先日診療所を訪れた黒髪の少女が立っていた。両手で抱えた水桶がずぶ濡れで、服の裾から水滴が落ちる。紅いツバキの髪飾りが、曇天の光に映えていた。

「お、お水! 重かったでしょうに。」

エリシェヴァの声に驚きが混じる。

「まあ、ちょっと腕がプルプルしてますけど、筋トレと思えば平気です!」

少女は肩で息をしながら笑う。
その笑顔は無邪気だが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。エリシェヴァは一瞬、肩の力を抜く。

「どうして、こんなことまでしてくれるの?」

声は小さく、疑念と感謝が交錯する。

「だって……困ってる顔してましたから。」

少女は屈託なく笑う。
その笑顔は、まるで春の陽だまりのように温かかった。だが、エリシェヴァの胸にざわめきが広がる。

(この子……私の秘密を見抜いてる?)

少女の瞳は、まるで彼女の心を覗くようだった。

――

その日の夕刻、最年少の患者が運び込まれた。八歳の少年。衰弱した体は母親の腕に抱かれ、唇は紫色に変色している。

「どうか、この子だけは、お願い!」

母親の叫びが診療所に響く。
エリシェヴァは奥歯を噛み、扉に鍵をかけた。外のざわめきを遮断し、灯りを一つだけ残す。

(やめなさい、エリシェヴァ。これは禁忌。見つかれば火刑台だ。)

心の中で、あの青年の声が彼女を止める。
だが、少年の荒い息と母親の涙が、彼女の心を締め付けた。

(目の前で死なせるのは、もっと嫌……)

震える指を組み、古い言葉を紡ぐ。

「お願いします……魔王様。
“豊穣”の魔王ベルゼブブ様……どうか私に力をお与えください……」

詠唱を終えると掌から淡い緑の光が溢れ、少年を包んだ。
熱が引き、荒い息が落ち着く。母親はすすり泣き、子を抱きしめる。

「生きてる……ありがとう……!」

エリシェヴァは唇を噛み、光が消えるのを待つ。
胸に残るのは安堵と罪悪感。

あの青年の声が脳裏に響く。

「君は優しい。だから、傷つくだろう。」

彼女は目を閉じ、震える手を握りしめた。

その瞬間、窓の外で人影が走り去る。怯えた目がこちらを振り返り、通りへ駆け出していった。

(見られた……!)

診療所の周囲に、ひそひそ声が広がる。

「光を見たぞ。」
「やっぱり、あの娘は……」

救いの奇跡が、“魔女の証”へと変わる瞬間だった。

エリシェヴァの心臓が跳ね、薬瓶が机に当たってカタンと鳴る。

(この街は、私を許さない……)

だが、あの少女の笑顔が脳裏に浮かぶ。

「困ってる顔してましたから。」

その言葉が、なぜか希望のように胸に残った。

 
――――


──数年前。

エリシェヴァの故郷の村は、酷く荒廃していた。
畑は干上がり、ひび割れた土は赤茶けた傷口のようだった。井戸は涸れ、底に残る泥が腐臭を放つ。村人たちは痩せ細り、頬はこけ、目は希望を失っていた。

朝になると誰かが倒れ、そのまま動かなくなる。夜には常にすすり泣きが響いた。
幼いエリシェヴァは手に握ったパンの欠片を母に差し出すが、母は病に伏し、熱で赤らんだ顔で弱々しく微笑むだけだった。
父の瞳は、かつての温もりを失い、ただ空虚に遠くを見つめている。

エリシェヴァの胸を満たすのは、恐怖と絶望だけだった。

村の祭壇に集まり、村人たちは神に祈った。粗末な木の台に供物を置き、声を合わせて唱える。

「神よ、恵みを……」

だが、空は灰色に閉ざされ、風は冷たく吹き抜けるばかり。神は答えなかった。

――エリシェヴァは、両親の墓前で膝を抱え、震える唇で祈りを繰り返す。
だが、母の荒い息、父の空虚な目が思い出され、涙が止まらなかった。

(神はいない……この村は、死ぬだけ……)

村人たちは次々に倒れ、彼女も飢えに体が弱っていく。

ある日、村の外れで老人が焚き火の前で語った。
声は枯れていたが、どこか懐かしさに満ちていた。

「むかしむかし、この地には“豊穣の神”がいたという。田畑を潤し、病を癒し、大地に恵みをもたらした。だが、いつしか忘れられてしまったのだ。」

老人の目は遠くを見、炎の揺らめきに映る。

「その神は、森の奥の祠に眠ると言う。だが、近づく者は呪われるとも……」

村人たちは顔を見合わせ、恐怖に身をすくめた。
だが、エリシェヴァの胸に、かすかな希望が灯った。

(神が応えないなら……その“忘れられた神”に縋るしかない。両親の分まで、生きてみせる。)

その夜、彼女は両親の墓前に花を供え、村の外へ走った。

森は暗く、木々の間を冷たい風がうなる。足元の小石が素足を刺し、棘がスカートを裂いた。
だが、エリシェヴァは止まらなかった。母の温もり、父の優しい手──それらが、彼女の小さな体を突き動かした。

やがて森の奥、苔むした祠が現れる。
古びた石には誰も読めない文字が刻まれ、湿った空気に草の匂いが混じる。

祠の前で、彼女はなんとか掻き集めた少量の葡萄酒とパンを供え、膝を折り、両手を組んだ。

「どうか……この村を救ってください……! 私をどうなさってもかまいません。だから、お願い……!」

涙が頬を伝い、雫が地を濡らす。

その瞬間、祠から淡い緑の光が零れ、視界が歪んだ。
エリシェヴァの体が浮き上がり、まるで何かに引き込まれるように闇に溶ける。

森の木々が遠ざかり、彼女は目を閉じる。
次の瞬間、足元に固い石の感触が戻った。

開いた目に広がったのは、古びた神殿のような空間だった。
柱は苔むした石ででき、壁には古い文字が刻まれている。天井は高く暗く、淡い緑の光が全体を照らしていた。空気は湿り気を帯び、草の香りが濃く漂う。

(ここは……どこ?)

「その願い、確かに聞いたよ。」

背後からの声に振り返ったエリシェヴァは、息を呑んだ。

月明かりのような淡い光に照らされ、そこに立っていたのは青年の姿をした存在だった。
淡い茶髪が風に揺れ、草原を思わせる深緑の瞳が彼女を見つめる。整った顔立ちは穏やかで、微笑みは人間以上に優しい。

だが、その背に広がる羽が、彼の正体を物語っていた。
頭には二本の羊のような大きな角。片翼は蛾の翅のように透け、粉を散らすほど脆い。もう一方は先が蜂の羽のようにねじれた異形。

かつて白く美しく輝いていたはずの神の翼は、天の神々の呪いによって歪められていた。

「あなたは……」

エリシェヴァの声は震えた。恐怖と希望が交錯し、足が動かない。

「かつては“豊穣の神”と呼ばれた者。今は──ベルゼブブと呼ばれている。」

その名は、村人たちが恐れ忌む“魔王”の名だった。
だが、目の前の存在は恐怖を煽るどころか、膝を折り、幼い彼女と目線を合わせた。

「怖がらなくていい。君の祈りが、あまりに必死で、応えたくなっただけだ。」

声は柔らかく、まるで風に揺れる草のようだった。

「村を……救ってくださるんですか?」

エリシェヴァの声は涙で掠れる。
ベルゼブブは頷き、静かに言った。

「そのために来た。だが、力を渡すには契約が要る。君の命の一部を私に預ける代わりに、“癒し”の力を授けよう。」

彼の深い緑の瞳は、悲しみと優しさに満ちていた。

エリシェヴァは震える手でスカートを握り、両親の顔を思い出す。母の温もり、父の優しい手──それらが、彼女の小さな体を突き動かす。

「……はい。」

ベルゼブブは微笑み、彼女の小さな手を取った。
瞬間、緑の光が二人を包み、熱と温もりが体を駆け抜ける。心臓が脈打ち、命そのものが流れ込むようだった。

光が収まると、エリシェヴァの手にはかすかな緑の輝きが残っていた。

村に戻ると、奇跡が起こっていた。
衰弱していた村人たちが呼吸を取り戻し、頬に血の色が差す。畑に緑が芽吹き、井戸に水が湧く。村人たちは地に伏して涙を流した。

「神の恵みだ!」

彼らは叫んだ。

だが、エリシェヴァは知っていた。
救ったのは“神”ではなく、忘れられた“豊穣の魔王”であることを──。
 
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