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三章 業火の魔王編
エピローグ 月の影とあるお伽噺
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カルデア・ザフラーンの喧騒から遠く離れた、名もなきオアシス。
月光が砂丘を銀色に染め、静かな水面に満天の星が映り込んでいる。そのほとりに、王侯の宿営かと見紛うほど豪奢な天幕が張られていた。
天幕の中は、上質な絨毯が敷き詰められ、焚かれた香が異国の甘い香りを漂わせている。その中心にある寝椅子に、一人の貴婦人が腰かけていた。
絹のヴェールで顔の半分を隠し、夜空を映したような深い色の瞳だけが、燭台の炎を静かに反射している。謎の貴婦人、ディーヴァ・ヒムノールム。
その彼女の前に、一人の使い魔が恭しく跪いていた。
「――戻りました、ディーヴァ様」
トッサカンだった。カルデア・ザフラーンで見せた軽薄な態度は影を潜め、その声には主君に対する絶対の忠誠が滲んでいる。
ディーヴァの視線が、ゆっくりと彼に向けられる。
「ご苦労様でした、トッサカン。報告を聞きましょう」
その声は鈴を転がすように美しいが、感情の温度を一切感じさせなかった。
トッサカンは深く頭を下げたまま、悔しさを押し殺して報告を始めた。
「申し訳ありません、ディーヴァ様。お探しの方…セレスティアは、あの街にはおりませんでした。街に残された魔力の残滓も調べましたが、彼女のものではありません」
天幕の中に、しばし沈黙が落ちる。ディーヴァは指先で肘掛けをなぞるだけで、何の反応も見せない。その沈黙が、トッサカンには何よりも恐ろしかった。
やがて、トッサカンはもう一つの疑問を口にした。
「しかし、不可解なことが一つ。あれほどの力を持つ“業火の魔王”イブリースが、なぜあの街から一歩も出られなかったのか…。まるで、見えぬ檻に囚われているかのようでした」
その言葉に、ディーヴァの唇が、ヴェールの下で初めて微かな弧を描いた。
「ああ、それ、私が彼に魔法をかけたの。永遠にあの場所をさ迷い続ける魔法をね。」
「え……」
トッサカンが驚きに顔を上げる。
「“業火の魔王”という大きな餌をあの街に閉じ込めておけば、騒ぎを聞きつけた有力な魔女たちが集まる。もし“彼女”がその地に潜んでいるのなら、必ず何らかの動きを見せる……そう考えたのですが。……どうやら、空振りだったようね」
「………………。」
淡々と語られる言葉に、トッサカンは背筋が凍る思いだった。魔王一人を駒として弄ぶ、あまりにも強大で、あまりにも冷徹な計略。
彼は再び頭を下げ、最後の報告を続ける。
「もう一つ、ご報告が。翁の巫女たちが、二体の魔王を召喚しました。豊穣の魔王ベルゼブブと……戦争の魔王アスタロトです」
「アスタロトとベルゼブブ……ね」
ディーヴァの瞳が、初めて鋭い光を宿した。
「はい。そして…厄介なことに、アスタロトに勘づかれたやもしれません」
トッサカンは、あの小部屋でのやり取りを正確に再現する。
「彼女は私に、単刀直入に尋ねてきました。『セレスティアという娘に心当たりはないか?』と」
「……それで、あなたはどう答えたの?」
「おっしゃる通りに。『聞いたこと無い名前だ』と、しらを切りました。ですが、あの目……納得しているようには見えませんでした」
ディーヴァは静かに目を伏せた。
「……そう。やはり、アスタロトは鋭い。彼女がルークという契約者を通してセレスティアを探している以上、いずれ私たちの動きと交差するでしょう。……面倒ね」
その呟きには、明らかな苛立ちが滲んでいた。
「申し訳ありません。私の失態です」
「いいえ、あなたのせいではありません。下がって休みなさい。長く迷宮を維持し、疲れたでしょう」
「はっ…」
トッサカンは深く一礼し、音もなく天幕から姿を消した。
一人残されたディーヴァ・ヒムノールムはゆっくり立ち上がり、天幕の入り口から砂漠の月を見上げた。
「……私としては今すぐにでもあの呪われた街を消し去りたいのだけれど、"彼女"はセレスティアを求めているみたい。本当に仕方のない契約者ね。」
そう呟くとディーヴァは指にはめられたラピスラズリの指輪を眺めた。
「まぁ良いわ。この調子だとどちらにせよあの街に辿り着く事になるでしょうし。」
――――
人間たちの喧騒が嘘のように去り、カルデア・ザフラーンの廃墟に、再び砂漠の静寂が戻ってきた。
天には満月が懸かり、銀色の光が焼け落ちた宮殿の瓦礫や、ひび割れた石畳を静かに照らしている。風が吹き抜け、灰と砂をかすかに巻き上げる音だけが、この街に残された唯一の音だった。
その、静寂の中で。
ぽつり、ぽつりと、瓦礫の影や壊れた水差しの中から、小さな光が生まれ始めた。
それは蛍のように淡く、星屑のようにきらめいている。
砂と月光が集まって形を成したかのような、半透明の小さな人影――イブリースの呪縛から解放された、街の古き精霊「ジン」たちだった。
「……あぁ、終わったね」
「永い悪夢だったな……」
風鈴が鳴るような声が、あちこちから響き始める。
ジンたちは嬉しそうに宙を舞い、くるくると輪舞を踊り始めた。イブリースに囚われ、その憎悪の炎のために無理やり使役されていた彼らの苦しみは、ようやく終わったのだ。
やがて、一際大きなジンが、最も高く月の見えるミナレットの残骸に腰を下ろし、懐かしむように仲間たちに語りかけた。
「……ねえ、みんな。思い出すかい? こんな静かな夜は、本当に久しぶりだ。…世界が、まだ愛だけで満ちていた頃の話を」
その声に、踊っていたジンたちがふわりと集まってくる。
「うん、覚えてるよ」と、小さなジンが答えた。
「大地の神様や女神様が微笑んで、僕たちみたいな精霊が、ただ笑って暮らしていた頃だよね。懐かしいなぁ。」
ジン達は懐かしむように語り始めた。
――昔々、世界は愛に満ちていました。
――大地の神様と女神様とそして沢山の精霊達が皆で仲良く暮らしていました。
――ある日空から冷たい神々がやって来ました。
――神々は神も女神も精霊も大地に蔓延る命あるもの全てを汚いと言い、全て奪おうとしました。
――そんな中、たった一人だけ
『皆で一緒に暮らそう』と言った空の神がいました。
その神は死と命と愛を大切にしていました。
――でも他の神々は聞く耳を持たず、大地の神々を次々と悪魔に変えて行きました。
――そして遂に優しい大地の女神が殺されてしまったのです。
――激しく怒った空の神は、忽ち他の空の神々をやっつけてしまいました。
――神々は皆怖くなって遠くに逃げてしまいました。そして大地に再び平和が訪れました。
――でもその神も、とても悲しくなってどこか遠くに行ってしまいました。
語り終えたジン達の声が、静かな夜に溶けていく。
別の小さなジンが、その物語に悲しげに言葉を継いだ。
「いつ聞いても悲しいお話だね……」
「そうだね……きっと、その神様はたくさん殺しちゃったのが、悲しくなっちゃったんだ。」
その言葉に、他のジンたちは何も言わず、ただ黙って月を見上げていた。
やがてジンたちは、夜明けの光が差す前に、再び砂と風の中へと溶けるように姿を消していった。
後に残されたのは、小さな墓標がひとつ立つ、静寂の廃墟だけだった。
月光が砂丘を銀色に染め、静かな水面に満天の星が映り込んでいる。そのほとりに、王侯の宿営かと見紛うほど豪奢な天幕が張られていた。
天幕の中は、上質な絨毯が敷き詰められ、焚かれた香が異国の甘い香りを漂わせている。その中心にある寝椅子に、一人の貴婦人が腰かけていた。
絹のヴェールで顔の半分を隠し、夜空を映したような深い色の瞳だけが、燭台の炎を静かに反射している。謎の貴婦人、ディーヴァ・ヒムノールム。
その彼女の前に、一人の使い魔が恭しく跪いていた。
「――戻りました、ディーヴァ様」
トッサカンだった。カルデア・ザフラーンで見せた軽薄な態度は影を潜め、その声には主君に対する絶対の忠誠が滲んでいる。
ディーヴァの視線が、ゆっくりと彼に向けられる。
「ご苦労様でした、トッサカン。報告を聞きましょう」
その声は鈴を転がすように美しいが、感情の温度を一切感じさせなかった。
トッサカンは深く頭を下げたまま、悔しさを押し殺して報告を始めた。
「申し訳ありません、ディーヴァ様。お探しの方…セレスティアは、あの街にはおりませんでした。街に残された魔力の残滓も調べましたが、彼女のものではありません」
天幕の中に、しばし沈黙が落ちる。ディーヴァは指先で肘掛けをなぞるだけで、何の反応も見せない。その沈黙が、トッサカンには何よりも恐ろしかった。
やがて、トッサカンはもう一つの疑問を口にした。
「しかし、不可解なことが一つ。あれほどの力を持つ“業火の魔王”イブリースが、なぜあの街から一歩も出られなかったのか…。まるで、見えぬ檻に囚われているかのようでした」
その言葉に、ディーヴァの唇が、ヴェールの下で初めて微かな弧を描いた。
「ああ、それ、私が彼に魔法をかけたの。永遠にあの場所をさ迷い続ける魔法をね。」
「え……」
トッサカンが驚きに顔を上げる。
「“業火の魔王”という大きな餌をあの街に閉じ込めておけば、騒ぎを聞きつけた有力な魔女たちが集まる。もし“彼女”がその地に潜んでいるのなら、必ず何らかの動きを見せる……そう考えたのですが。……どうやら、空振りだったようね」
「………………。」
淡々と語られる言葉に、トッサカンは背筋が凍る思いだった。魔王一人を駒として弄ぶ、あまりにも強大で、あまりにも冷徹な計略。
彼は再び頭を下げ、最後の報告を続ける。
「もう一つ、ご報告が。翁の巫女たちが、二体の魔王を召喚しました。豊穣の魔王ベルゼブブと……戦争の魔王アスタロトです」
「アスタロトとベルゼブブ……ね」
ディーヴァの瞳が、初めて鋭い光を宿した。
「はい。そして…厄介なことに、アスタロトに勘づかれたやもしれません」
トッサカンは、あの小部屋でのやり取りを正確に再現する。
「彼女は私に、単刀直入に尋ねてきました。『セレスティアという娘に心当たりはないか?』と」
「……それで、あなたはどう答えたの?」
「おっしゃる通りに。『聞いたこと無い名前だ』と、しらを切りました。ですが、あの目……納得しているようには見えませんでした」
ディーヴァは静かに目を伏せた。
「……そう。やはり、アスタロトは鋭い。彼女がルークという契約者を通してセレスティアを探している以上、いずれ私たちの動きと交差するでしょう。……面倒ね」
その呟きには、明らかな苛立ちが滲んでいた。
「申し訳ありません。私の失態です」
「いいえ、あなたのせいではありません。下がって休みなさい。長く迷宮を維持し、疲れたでしょう」
「はっ…」
トッサカンは深く一礼し、音もなく天幕から姿を消した。
一人残されたディーヴァ・ヒムノールムはゆっくり立ち上がり、天幕の入り口から砂漠の月を見上げた。
「……私としては今すぐにでもあの呪われた街を消し去りたいのだけれど、"彼女"はセレスティアを求めているみたい。本当に仕方のない契約者ね。」
そう呟くとディーヴァは指にはめられたラピスラズリの指輪を眺めた。
「まぁ良いわ。この調子だとどちらにせよあの街に辿り着く事になるでしょうし。」
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人間たちの喧騒が嘘のように去り、カルデア・ザフラーンの廃墟に、再び砂漠の静寂が戻ってきた。
天には満月が懸かり、銀色の光が焼け落ちた宮殿の瓦礫や、ひび割れた石畳を静かに照らしている。風が吹き抜け、灰と砂をかすかに巻き上げる音だけが、この街に残された唯一の音だった。
その、静寂の中で。
ぽつり、ぽつりと、瓦礫の影や壊れた水差しの中から、小さな光が生まれ始めた。
それは蛍のように淡く、星屑のようにきらめいている。
砂と月光が集まって形を成したかのような、半透明の小さな人影――イブリースの呪縛から解放された、街の古き精霊「ジン」たちだった。
「……あぁ、終わったね」
「永い悪夢だったな……」
風鈴が鳴るような声が、あちこちから響き始める。
ジンたちは嬉しそうに宙を舞い、くるくると輪舞を踊り始めた。イブリースに囚われ、その憎悪の炎のために無理やり使役されていた彼らの苦しみは、ようやく終わったのだ。
やがて、一際大きなジンが、最も高く月の見えるミナレットの残骸に腰を下ろし、懐かしむように仲間たちに語りかけた。
「……ねえ、みんな。思い出すかい? こんな静かな夜は、本当に久しぶりだ。…世界が、まだ愛だけで満ちていた頃の話を」
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ジン達は懐かしむように語り始めた。
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――でもその神も、とても悲しくなってどこか遠くに行ってしまいました。
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「いつ聞いても悲しいお話だね……」
「そうだね……きっと、その神様はたくさん殺しちゃったのが、悲しくなっちゃったんだ。」
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