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四章 永遠の夜編
第20話 決戦の幕開け
しおりを挟むトッサカンの迷宮、仮眠室。
ミツキが目を覚ますと、そこには静寂があった。アダムスとの激戦で擦り切れていた肉体的な疲労は、深い眠りによって幾分か癒えていた。
だが、心の中には得体の知れない「澱(おり)」のようなものが沈殿していた。
パズズから受け取った第四のシギル――『狂気の権能』。
それは今、ミツキの胸の奥で、不気味なほど静かに脈動している。
(……なんだろう、この感覚)
ミツキは胸に手を当てた。
アダムスを「破壊」した時の一瞬の激情。あの時、脳裏をよぎったのは、この異世界での記憶ではなかった。
カーテンを閉め切った、薄暗い自室。
読みかけの本が散らばる床。埃の被った机。
世界から切り離され、誰の声も届かず、何も変えられなかった無力な日々。
ただ膝を抱えて壁を見つめ、自分の弱さを呪い、世界を呪い、それでも何もできずに泣いていた、あの窒息しそうな孤独な部屋の記憶。
転生する前、自分を縛り付けていた「前世」の絶望が、権能の鼓動に合わせて、扉をノックするように微かに疼くのだ。
「……大丈夫。あたしは、ミツキだ。もう、あの頃とは違う」
彼女は自分に言い聞かせるように呟き、拳を握りしめて立ち上がった。
剣を手に取り、仲間たちが待つ広間へと向かう。
広間では、すでに全員が起きて準備を整えていた。
ムルガンは壁に寄りかかって消耗した魔力を練り直し、ロクサーナとルークは地図を広げて議論している。エリシェヴァは子供たちに最後の診察を行っていた。
「おはよう、ミツキ。……顔色は、悪くないわね」
ロクサーナが視線を上げ、杖で地図の一点――太陽の神殿を指し示した。
「あなたが眠っている間に、状況が動いたわ。……トッサカン」
促されたトッサカンが、いつになく神妙な面持ちで口を開く。
「うん。さっき、外の様子を探知してたんだけど……神殿の方で、とてつもない魔力の衝突があったんだ。一つはウリエル。もう一つは……僕の雇い主、ディーヴァ様だ」
「ディーヴァ……様?」
ミツキが聞き慣れない名前に首を傾げる。
「ああ。君たちは知らないだろうけど、とんでもなく強いお方さ。……どうやらウリエルと派手にやり合ってくれたみたいだね。反応が消えたから、今は撤退したみたいだけど」
トッサカンは、主の無茶な行動に肩をすくめつつも、その結果については評価した。
「おかげで、ウリエルの反応も著しく低下した。……アダムス不在、かつウリエルが手負いとなった今こそが、唯一の好機だ」
ムルガンが冷静に引き取り、結論を告げる。
「……あたし、夢の中で翁と話したの」
ミツキは頷き、夢での翁の言葉を仲間たちに共有した。
「翁が教えてくれた。智天使ウリエルは、アダムスみたいな『超人』じゃないって。彼は天上神の『理』そのものに守られてるわけじゃない、ただの『力』だって」
「……ということは?」
ルークが先を促す。
「つまり――あたしの『破壊の権能』が通じる。再生なんてさせない。……ウリエルなら、殺せる」
ミツキの力強い言葉に、ロクサーナが頷いた。
「なるほど、勝機はあるということね。……けれど、腐っても天使よ。その火力は桁違い。普通に接近すれば、あなたの剣が届く前に消し炭にされるのがオチだわ」
「……ねえ、トッサカン」
ミツキは、ロクサーナの懸念を聞き、ある考えを口にした。
「神殿の内部……ウリエルがいる祭壇の間の『近く』まで、あたしたちを直接『転移』させることはできないかな?」
「えっ? 神殿の中に直接?」
トッサカンが目を丸くする。
「うん。正面から攻め込んだら、神官兵やウリエルの攻撃を潜り抜けるだけで消耗しちゃう。だったら、最初から敵の懐……祭壇の近くまでショートカットして、一気に勝負を決めたいんだ」
「うーん……」
トッサカンは腕を組み、唸った。
「普段なら無理だよ。神殿には強力な結界が張ってあるからね。外部からの空間干渉は弾かれちゃう。……でも」
彼はニヤリと笑った。
「今のウリエルは弱ってるし、さっきのディーヴァ様との衝突で神殿自体もボロボロだ。結界にほころびがある……今なら、一点突破でねじ込めるかもしれない」
「本当!?」
「ただし!」トッサカンは人差し指を立てた。
「祭壇の『中』に直接出るのは危険すぎる。転移した瞬間に蒸発させられかねないからね。……だから、転移先は祭壇の直下、『地下通路』の出口付近にするよ。そこなら不意打ちも狙えるはずだ」
場に緊張が走る。
死地への片道切符。だが、これ以外に勝機はない。
「……だったら、私が先頭に立ちます」
その時、セレスティアが一歩前に出た。その表情には、もう迷いはなかった。
彼女はヴィクラムと目を合わせ、小さく頷き合う。
「転移した瞬間、私が『無敵』の力を展開して、皆さんの盾になります。……どんな攻撃が来ても、私が全部受け止めます」
「……なるほど。最強の盾を先頭に送り込むわけか」
ルークが納得したように頷き、剣の柄に手をかけた。
「では、こうしよう。
陣形は、セレスティアを最前列に。ミツキは彼女の背後の『影』に隠れるように配置する。
転移直後、セレスティアがウリエルの初撃を受け止め、その隙に僕とロクサーナ、エリシェヴァが左右に展開して神官兵を牽制。
……そして、ウリエルの意識がセレスティアに向いた瞬間、ミツキが影から飛び出してトドメを刺す」
「最強の盾と、最強の矛……ってことか」
ロクサーナも杖を握り直した。
「悪くないわ。短期決戦、一撃必殺。……それしか勝機はない」
「……わかった」
ミツキは剣を握り直した。
作戦は決まった。だが、胸の奥のざわめきが消えない。
(もしまた、アダムスの時みたいに『怒り』に飲まれたら……?)
その不安を見透かしたように、広間の奥から低い声が響いた。
「……翁の巫女よ」
『疫病の魔王』パズズだった。彼は眠る妻ラマシュトゥの髪を撫でながら、陰鬱な瞳でミツキを見つめていた。
「私のシギルによる……『狂気の権能』が馴染み始めているようだな。
……忠告しておこう。その力は、お前の精神の壁を溶かす毒だ。使いすぎれば、お前はお前でなくなる。過去の亡霊に喰い殺されるぞ」
「過去の……亡霊……」
ミツキの背筋に冷たいものが走る。
「……気をつけるよ。ありがとう、パズズ」
ミツキは努めて明るく振る舞い、仲間たちに向き直った。
「ムルガン様とトッサカン、それにパズズ様たちは、ここで子供たちとラマシュトゥの護衛をお願いします。万が一、アダムスが戻ってきた時のための最後の砦として」
「承知した。……ミツキ、無理はするなよ」
ムルガンが、父・翁に託された言葉を反芻するように、静かに声をかける。
「行ってきます!」
――
トッサカンが指を鳴らすと、視界が瞬きする間に切り替わった。
足裏に伝わる感触が、迷宮の硬質なタイルから、湿った石畳へと変わる。
鼻をつくのは、カビと古い土の匂い。
転移した先は、以前ラマシュトゥと遭遇した、あの神殿の地下通路だった。
「……よし、成功だ」
ルークが小声で確認する。
頭上からは、風の唸り音と共に、微かな瓦礫の崩れる音が聞こえてくる。
「上よ。……気配がするわ。幸いいきなり攻撃される事は無さそうね」
ロクサーナが杖を握りしめ、天井――神殿の祭壇がある方向を睨み据える。
そこから漏れ出してくるのは、肌がヒリつくほど濃密で、冷徹な神気。
「行きましょう」
セレスティアが震える足を叱咤し、先頭に立つ。
その後ろの影に、ミツキが身を潜める。
一行は息を殺し、崩れかけた石階段を駆け上がった。
――そして、地上へ。
視界が開けた瞬間、ミツキたちは息を呑んだ。
かつては黄金と大理石で飾られ、威容を誇っていた
「太陽の神殿」
だが今、目の前にあるのは、無残な瓦礫の山だった。
ディーヴァとの戦闘で天井は大半が吹き飛び、壁は溶解し、美しい装飾は見る影もない。
崩れ落ちた屋根の大きな隙間からは、凍りついたまま動かない星空と、冷たい月光が静かに差し込んでいる。
その、瓦礫の玉座に鎮座するように、黄金の光が明滅していた。
六枚あったはずの翼のうち一枚は根元からへし折れ、神聖な法衣は煤け、全身から金色の血を流している。
それでもなお、その神威はいささかも衰えていない。
傷ついた姿さえもが、冒涜的なまでに神々しい――智天使ウリエル。
地下から現れたミツキたちの気配を感じ取り、天使はゆっくりと顔を上げた。
その黄金の瞳には、痛みも、怒りも、驚きすらない。ただ、路傍の石を見るような無機質な光だけが宿っていた。
「……侵入者か……」
鈴を転がすような美しい声が、瓦礫の山に響く。だがその抑揚のなさが、逆に肌を粟立たせる。
「業務再開。……これより『浄化』を遂行する」
ウリエルがゆらりと立ち上がる。
それだけで、場の空気が鉛のように重くなり、呼吸さえ困難になるほどの神圧が押し寄せてきた。
「……ッ」
ミツキはセレスティアの背後で、反射的に剣の柄を強く握りしめた。
目の前の存在は、アダムスとは違う。アダムスが「人間を超越した怪物」だとするなら、こいつは「最初から人間ではない災害」だ。
胸の奥で、パズズのシギル――『狂気の権能』が、敵の強大さに呼応するようにドクンと脈打つ。
(……落ち着け。解放しちゃダメ――)
ミツキは奥歯を噛み締め、震えそうになる足を叱咤する。
隣では、ルークが剣を構え、ロクサーナが杖に魔力を充填し、エリシェヴァが祈りの姿勢をとっていた。
そして、最前列にはセレスティア。彼女は恐怖に顔を強張らせながらも、一歩も引かずにウリエルを見据えている。
「……来るぞ!!」
ルークの鋭い警告が飛ぶ。
ウリエルが、無造作に指先をこちらへ向けた。
刹那、その背後に幾重もの魔法陣が展開され、空間を埋め尽くすほどの膨大な光の魔力が収束を始める。
交渉の余地などない。
問答無用の殺戮が、今まさに降り注ごうとしていた。
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