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五章序章 嵐の前の静けさ
第1話 魔界にて
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――人間界でミツキたちがカラート・シャムスで打倒ウリエルの為に奮闘していた時を同じくして。
魔界では、戦争の魔王アスタロトが、ある疑念を胸に、同盟国であるラーヴァナが治める国へと向かっていた。
そこは、血と闇に覆われた他の魔界の領域とは、決定的に異質だった。
荒野を抜けたアスタロトの眼前に広がっていたのは、天を衝くような摩天楼の群れ。
魔力で駆動する幾何学的なネオンサインが街全体を網目のように走り、空には流線型の金属でできた飛空艇が音もなく行き交っている。
魔王ラーヴァナが支配する国――「ランカー国」。
そこは、魔法と超科学が融合した、近未来の魔都だった。
「……相変わらず、目がチカチカする街だな」
戦争の魔王アスタロトは、出迎えた自律機械兵(オートマタ)の先導を受けながら、街の大通りを進む。
整備された金属の歩道を行き交うのは、多種多様な悪魔たちだ。
街では整備服を着た小鬼(インプ)たちが、宙に浮かぶ魔導スクリーンを操作しながら忙しなく飛び回り、スーツに身を包んだ吸血鬼(ヴァンパイア)が、路肩のカフェで赤い液体が入ったグラスを傾けている。
煌びやかなネオンの下では、露出の高いサイバーチックな衣装を纏った夢魔(サキュバス)たちが、ショーウィンドウに映るホログラムの宝飾品を眺めて談笑していた。
原始的な暴力が支配する他の国とは違い、ここには洗練された――されすぎた「文明」の日常があった。
だが、その喧騒は、アスタロトが通りかかった瞬間にピタリと止んだ。
「……おい、あれを見ろ」
「嘘だろ……『戦争』の王だ」
「アスタロト様だ……!」
純白の軍装に身を包み、背には身の丈ほどもある大剣。
その圧倒的な武のオーラを目の当たりにし、インプたちは慌てて道を空け、ヴァンパイアはグラスを置いて恭しく最敬礼をする。サキュバスたちも嬌声を飲み込み、畏怖の眼差しで膝を折った。
モーゼが海を割るが如く、雑踏が左右に開いていく。
アスタロトは、向けられる畏敬の視線を気にも留めず、カツン、カツンと軍靴の音を響かせて、ただ真っ直ぐに歩を進めた。
そして、その超高層ビル群の中心に鎮座していたのは、周囲の近未来的な景観とはあまりに不釣り合いな、古代の伝統様式で築かれた巨大な城塞宮殿だった。
それは、あえて古き良き時代の威容を誇示するかのように、圧倒的な存在感を放っていた。
宮殿の大扉が開く。
アスタロトが一歩足を踏み入れた瞬間、視界が極彩色の輝きに埋め尽くされた。
床は一面、磨き上げられた瑪瑙で敷き詰められ、歩くたびに深みのある赤や緑の模様が揺らめく。
見上げれば、天井はラピスラズリで覆われ、そこに散りばめられた金粉が星空のように煌めいている。
巨大な窓はすべて透明度の高い水晶で設えられ、外の光をプリズムのように屈折させて虹色の光を落としていた。
さらに壁面は金と銀の板が交互に張られ、柱や調度品には無数のシャコ貝と真珠が惜しげもなく埋め込まれている。
(……宝石箱をひっくり返したような有様だな)
アスタロトは、儀礼用の白い軍服の裾を翻しながら、内心で冷ややかに毒づいた。
(これ見よがしに財を飾り立て、客を威圧するつもりか。……相変わらず、あの男(ラーヴァナ)らしく品がない)
武骨と機能美を好む「戦争の魔王」にとって、この「文明の魔王」の悪趣味な応接間は、生理的に受け付けないものだった。
彼女は、眩い光に眉をひそめながら、広間の最奥にある「黄金の玉座」へと進み出た。
アスタロトが足を踏み入れた「黄金の玉座の間」は、その名の通り、富と権力の暴力的なまでの展示場だった。
壁は金銀で覆われ、天井のラピスラズリには金粉の星が瞬く。
だが、その古風で絢爛な空間の中央には、似つかわしくない無機質な光がいくつも浮遊していた。
空中に投影された複数のホログラム・ウィンドウ。そこには、魔界全土の魔力分布図や、兵器工場の稼働状況を示す数値が、目まぐるしい速度で流れている。
その光の情報の海に囲まれ、豪奢な玉座に座っていたのは、ラーヴァナではなかった。
「――ようこそお越しくださいました、アスタロト様」
玉座の主が、指先で空中のウィンドウを弾いて消し、ゆっくりと立ち上がる。
父譲りの健康的な褐色の肌に、夜空のような漆黒の長髪。その髪の束には、魔力回路のごとき青白い光のラインが幾何学的に走っている。
白を基調とした詰襟の軍服に、金糸の刺繍が入った伝統衣装を羽織ったその姿は、この国の「過去と未来」を体現しているようだった。
ラーヴァナの息子、メーガナーダ。
彼はリムレスの鋭い眼鏡の位置を直すと、感情の読めない能面のような美貌で、恭しく一礼した。
「父、ラーヴァナに代わり、留守を預かる息子メーガナーダが歓迎いたします。……本日は、我が国の新型魔導兵器の視察と伺っておりますが」
「うむ。久方ぶりだな、メーガナーダ王子」
アスタロトは鷹揚に頷き、周囲の宝石だらけの壁と、ハイテクなホログラムの対比を見渡した。
「して、肝心の王はどうした? 同盟国の王が訪ねてきたというのに、顔も見せぬとは」
「……申し訳ありません」
メーガナーダは表情一つ変えず、滑らかに答えた。
眼鏡のレンズに、電子的な数値が走る。彼はあくまで事務的に、用意された回答を口にする。
「父は現在、地下の第8工廠にて極秘兵器――対高次元干渉用魔導砲の開発に没頭しておりまして。何人たりとも立ち入りを禁じられております。息子である私でさえ、ここ数ヶ月は声を聞いておりません」
「ほう、開発か。あの発明狂らしい理由だ」
アスタロトは薄く笑った。だが、その紫色の瞳は笑っていない。
彼女はカツン、カツンと軍靴を鳴らし、ゆっくりと玉座へと歩み寄る。
「だが、妙だな。私の契約者(ルーク)からの報告によれば……人間界で奇妙な現象が起きているらしい」
「……奇妙な現象、ですか?」
メーガナーダの手が止まる。
「ああ。一つは、ある人間の少女が、天使の神罰すら無効化する『無敵』の権能を行使したこと。
そしてもう一つは……数日前まで、人間界の『夜』が明けなかったことだ」
アスタロトの言葉に、メーガナーダの眉がピクリと動く。
「天体の運行を止め、物理法則を無視する絶対防御を展開する。……そんなデタラメな芸当ができるのは、神話の時代広しといえど、貴様の父『文明の魔王』ラーヴァナをおいて他にはおらぬ」
アスタロトは、鋭い視線でメーガナーダを射抜いた。
その体から、隠しきれない武の覇気が滲み出し、空中に浮かぶホログラムをビリビリと震わせる。
「単刀直入に聞こう。ラーヴァナは今、本当に地下にいるのか?
……それとも、何らかの手段で『境界の掟』をすり抜け、人間界に干渉しているのではないか?」
広間に、重苦しい沈黙が落ちた。
水晶の窓から差し込む虹色の光が、二人の間で冷たく揺らめく。
メーガナーダはしばらく無言でアスタロトを見返していた。眼鏡の奥の瞳が、アスタロトの殺気と、嘘を突き通す際のリスク(国家間の問題)を高速で計算している。
やがて、彼は小さく溜息をついた。
「……やはり、貴女様をごまかすことはできませんか。流石『戦争』の魔王。貴方の目は、戦況だけでなく真実をも見抜く」
彼は眼鏡の位置を直すと、諦めたように玉座の肘掛けにある琥珀で出来たスイッチを押した。
ゴゴゴ、と低い音を立てて、金と銀で装飾された玉座の背後の壁がスライドする。
そこに現れたのは、兵器工場ではない。
無数の光る石板と、複雑なホログラムが浮遊する、厳重に管理された「機密資料庫(アーカイブ)」への入り口だった。
「……父は今、ここにはおりません。貴女様の推察通り、人間界へ『出張』しております」
「やはりな」
アスタロトは満足げに頷いた。
「どうぞ、こちらへ。……父が何をしようとしているのか、そして我々の真の『敵』が何なのか。貴女様には知る権利があるでしょう」
メーガナーダは玉座を降り、音もなく滑るように歩き出した。
その背中には、父の無茶に付き合わされる苦労人の哀愁と、隠しきれない不穏な決意が漂っていた。
魔界では、戦争の魔王アスタロトが、ある疑念を胸に、同盟国であるラーヴァナが治める国へと向かっていた。
そこは、血と闇に覆われた他の魔界の領域とは、決定的に異質だった。
荒野を抜けたアスタロトの眼前に広がっていたのは、天を衝くような摩天楼の群れ。
魔力で駆動する幾何学的なネオンサインが街全体を網目のように走り、空には流線型の金属でできた飛空艇が音もなく行き交っている。
魔王ラーヴァナが支配する国――「ランカー国」。
そこは、魔法と超科学が融合した、近未来の魔都だった。
「……相変わらず、目がチカチカする街だな」
戦争の魔王アスタロトは、出迎えた自律機械兵(オートマタ)の先導を受けながら、街の大通りを進む。
整備された金属の歩道を行き交うのは、多種多様な悪魔たちだ。
街では整備服を着た小鬼(インプ)たちが、宙に浮かぶ魔導スクリーンを操作しながら忙しなく飛び回り、スーツに身を包んだ吸血鬼(ヴァンパイア)が、路肩のカフェで赤い液体が入ったグラスを傾けている。
煌びやかなネオンの下では、露出の高いサイバーチックな衣装を纏った夢魔(サキュバス)たちが、ショーウィンドウに映るホログラムの宝飾品を眺めて談笑していた。
原始的な暴力が支配する他の国とは違い、ここには洗練された――されすぎた「文明」の日常があった。
だが、その喧騒は、アスタロトが通りかかった瞬間にピタリと止んだ。
「……おい、あれを見ろ」
「嘘だろ……『戦争』の王だ」
「アスタロト様だ……!」
純白の軍装に身を包み、背には身の丈ほどもある大剣。
その圧倒的な武のオーラを目の当たりにし、インプたちは慌てて道を空け、ヴァンパイアはグラスを置いて恭しく最敬礼をする。サキュバスたちも嬌声を飲み込み、畏怖の眼差しで膝を折った。
モーゼが海を割るが如く、雑踏が左右に開いていく。
アスタロトは、向けられる畏敬の視線を気にも留めず、カツン、カツンと軍靴の音を響かせて、ただ真っ直ぐに歩を進めた。
そして、その超高層ビル群の中心に鎮座していたのは、周囲の近未来的な景観とはあまりに不釣り合いな、古代の伝統様式で築かれた巨大な城塞宮殿だった。
それは、あえて古き良き時代の威容を誇示するかのように、圧倒的な存在感を放っていた。
宮殿の大扉が開く。
アスタロトが一歩足を踏み入れた瞬間、視界が極彩色の輝きに埋め尽くされた。
床は一面、磨き上げられた瑪瑙で敷き詰められ、歩くたびに深みのある赤や緑の模様が揺らめく。
見上げれば、天井はラピスラズリで覆われ、そこに散りばめられた金粉が星空のように煌めいている。
巨大な窓はすべて透明度の高い水晶で設えられ、外の光をプリズムのように屈折させて虹色の光を落としていた。
さらに壁面は金と銀の板が交互に張られ、柱や調度品には無数のシャコ貝と真珠が惜しげもなく埋め込まれている。
(……宝石箱をひっくり返したような有様だな)
アスタロトは、儀礼用の白い軍服の裾を翻しながら、内心で冷ややかに毒づいた。
(これ見よがしに財を飾り立て、客を威圧するつもりか。……相変わらず、あの男(ラーヴァナ)らしく品がない)
武骨と機能美を好む「戦争の魔王」にとって、この「文明の魔王」の悪趣味な応接間は、生理的に受け付けないものだった。
彼女は、眩い光に眉をひそめながら、広間の最奥にある「黄金の玉座」へと進み出た。
アスタロトが足を踏み入れた「黄金の玉座の間」は、その名の通り、富と権力の暴力的なまでの展示場だった。
壁は金銀で覆われ、天井のラピスラズリには金粉の星が瞬く。
だが、その古風で絢爛な空間の中央には、似つかわしくない無機質な光がいくつも浮遊していた。
空中に投影された複数のホログラム・ウィンドウ。そこには、魔界全土の魔力分布図や、兵器工場の稼働状況を示す数値が、目まぐるしい速度で流れている。
その光の情報の海に囲まれ、豪奢な玉座に座っていたのは、ラーヴァナではなかった。
「――ようこそお越しくださいました、アスタロト様」
玉座の主が、指先で空中のウィンドウを弾いて消し、ゆっくりと立ち上がる。
父譲りの健康的な褐色の肌に、夜空のような漆黒の長髪。その髪の束には、魔力回路のごとき青白い光のラインが幾何学的に走っている。
白を基調とした詰襟の軍服に、金糸の刺繍が入った伝統衣装を羽織ったその姿は、この国の「過去と未来」を体現しているようだった。
ラーヴァナの息子、メーガナーダ。
彼はリムレスの鋭い眼鏡の位置を直すと、感情の読めない能面のような美貌で、恭しく一礼した。
「父、ラーヴァナに代わり、留守を預かる息子メーガナーダが歓迎いたします。……本日は、我が国の新型魔導兵器の視察と伺っておりますが」
「うむ。久方ぶりだな、メーガナーダ王子」
アスタロトは鷹揚に頷き、周囲の宝石だらけの壁と、ハイテクなホログラムの対比を見渡した。
「して、肝心の王はどうした? 同盟国の王が訪ねてきたというのに、顔も見せぬとは」
「……申し訳ありません」
メーガナーダは表情一つ変えず、滑らかに答えた。
眼鏡のレンズに、電子的な数値が走る。彼はあくまで事務的に、用意された回答を口にする。
「父は現在、地下の第8工廠にて極秘兵器――対高次元干渉用魔導砲の開発に没頭しておりまして。何人たりとも立ち入りを禁じられております。息子である私でさえ、ここ数ヶ月は声を聞いておりません」
「ほう、開発か。あの発明狂らしい理由だ」
アスタロトは薄く笑った。だが、その紫色の瞳は笑っていない。
彼女はカツン、カツンと軍靴を鳴らし、ゆっくりと玉座へと歩み寄る。
「だが、妙だな。私の契約者(ルーク)からの報告によれば……人間界で奇妙な現象が起きているらしい」
「……奇妙な現象、ですか?」
メーガナーダの手が止まる。
「ああ。一つは、ある人間の少女が、天使の神罰すら無効化する『無敵』の権能を行使したこと。
そしてもう一つは……数日前まで、人間界の『夜』が明けなかったことだ」
アスタロトの言葉に、メーガナーダの眉がピクリと動く。
「天体の運行を止め、物理法則を無視する絶対防御を展開する。……そんなデタラメな芸当ができるのは、神話の時代広しといえど、貴様の父『文明の魔王』ラーヴァナをおいて他にはおらぬ」
アスタロトは、鋭い視線でメーガナーダを射抜いた。
その体から、隠しきれない武の覇気が滲み出し、空中に浮かぶホログラムをビリビリと震わせる。
「単刀直入に聞こう。ラーヴァナは今、本当に地下にいるのか?
……それとも、何らかの手段で『境界の掟』をすり抜け、人間界に干渉しているのではないか?」
広間に、重苦しい沈黙が落ちた。
水晶の窓から差し込む虹色の光が、二人の間で冷たく揺らめく。
メーガナーダはしばらく無言でアスタロトを見返していた。眼鏡の奥の瞳が、アスタロトの殺気と、嘘を突き通す際のリスク(国家間の問題)を高速で計算している。
やがて、彼は小さく溜息をついた。
「……やはり、貴女様をごまかすことはできませんか。流石『戦争』の魔王。貴方の目は、戦況だけでなく真実をも見抜く」
彼は眼鏡の位置を直すと、諦めたように玉座の肘掛けにある琥珀で出来たスイッチを押した。
ゴゴゴ、と低い音を立てて、金と銀で装飾された玉座の背後の壁がスライドする。
そこに現れたのは、兵器工場ではない。
無数の光る石板と、複雑なホログラムが浮遊する、厳重に管理された「機密資料庫(アーカイブ)」への入り口だった。
「……父は今、ここにはおりません。貴女様の推察通り、人間界へ『出張』しております」
「やはりな」
アスタロトは満足げに頷いた。
「どうぞ、こちらへ。……父が何をしようとしているのか、そして我々の真の『敵』が何なのか。貴女様には知る権利があるでしょう」
メーガナーダは玉座を降り、音もなく滑るように歩き出した。
その背中には、父の無茶に付き合わされる苦労人の哀愁と、隠しきれない不穏な決意が漂っていた。
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