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10.屋島の取引編
第72話(1185年2月) 箱入り娘
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瀬戸内海を走る蒸気船の船倉で、貴一は慌てていた。
「蕨ちゃん、どうして!」
「初めてお父様に逆らいました。うふふ」
美しい黒髪を指で遊ばせながら、蕨姫はうれしそうに笑っている。
「蕨は政治の道具になる覚悟もできておりました。でも、安売りされるのは傷つきます……」
「安売りって、蕨ちゃん。義経は鎌倉殿の弟で源氏の将軍。格で言えば俺より上だよ」
「鬼一様は1番で、義経様は3番……」
「何それ? 勢力内での順位ってこと?」
「――違います。源義経様には妻も妾もおられます。だとしたら蕨は3番目の女になります。でも鬼一様にはまだ誰もいません。だから1番です。うふふ」
――モテないと、ディスられているような気がしないでもないけど……。
「蕨は1番愛用される道具になりたいのです」
――政略道具の意味をわかっていないような……。まあ、箱入り娘なりにいろいろ考えたってことか。
「時実兄様に無理を言って、この箱の中に入れてもらったのです。うふふ」
「だから、時実殿はあんなに詫びていたのか――でもね、このまま出雲大社に連れて帰るワケにはいかないよ。熊若、船を引き返すよう船長に言ってきてくれ」
熊若が出て行った後、貴一は蕨姫に優しく話す。
「ねえ、蕨ちゃん。箱から出てこようか。草薙の剣が傷ついたりしたら大変だ」
「草薙の剣はここにはありませんわ。蕨しか知らない場所に隠しました」
「ちょ! 何でそんなことを」
「うふふ。蕨は平時忠の娘ですよ。多少は交渉の仕方を存じておりますわ。鬼一様、蕨を妻にしてくだされば、神器のありかを教えて差し上げます」
――マジかよ。おとなしい娘だと思っていたのに、まさかこんな大胆な一面があるとは。
微笑んでいる蕨姫を見て、貴一は舌を巻いた。
熊若が甲板から戻ってくると、大きく首を振った。
「法眼様、すでに屋島は戦場になっています! 戻っても時忠様に蕨姫を返すどころか、この蒸気船も奪われるかもしれません」
貴一は大きくため息をつく。
「しょうがない……。備中国の港に向かおう」
貴一たちが離れた後の屋島では、どよめきが起こっていた。
そこには平家が船の上に立てた扇の的を、火縄銃で撃ち落とした義経の姿があった。
――――――――――――――――――――――――――――――
1日後、備中国府庁舎の一室
屋島から帰ってからも、貴一は粘り強く蕨姫を説得していた。
「あのね、俺が連れ返さなくても、いずれ時忠様から迎えがくると思うよ」
「時実兄さまに伝言をお願いしました。もし蕨を連れ戻そうとしたら、お父様には一生、草薙の剣の隠し場所を言わないって」
――神器を時忠様との取引材料にも使うとはね。世間知らずのお嬢様と思っていたのは、俺よりも時忠様かもしれないな。
「時忠様は元検非違使別当(警視庁長官)だよ。恐ろしい取り調べをするかもよ」
「お父様が? 蕨にですか?」
脅しの言葉にも、蕨姫は動じない。貴一は深呼吸すると意識して真面目な表情を作った。
――蓮華のときみたいにならないように、わかりやすく誠意を見せないと……。
「蕨ちゃん。聞いてくれ。俺は子供を作らないと決めているんだ」
「構いませんわ」
「え!? えーと、出雲大社は身分の無い公平な国だ。だから妻になってもお姫様扱いはできない」
「構いませんわ」
「いや、でもそれだと蕨ちゃんも働かなきゃいけないよ」
「構いませんわ」
「ん~、他には……」
「鬼一様、ご心配はいりません。何を申されても蕨は従います。幼き頃から理不尽なことがあろうとも夫に倣うのが妻の務めと育てられてきました」
貴一は続ける言葉を失ってしまった。
――困ったな。蓮華とは違う意味で芯が強い。説得に反発しないことで、説得を無効化するとは。とほほ。こうなったら時間をかけて諦めさせるしかないか……。
貴一は持久戦を取ることにした。
「言葉だけじゃ信用できないね。箱入り娘だった蕨ちゃんが、本当にみんなと同じく働けるか、しばらく様子を見させてもらうよ」
「構いませんわ。えーっと、何のお仕事をしようかしら。鬼一様、出雲大社のお役に立つことなら良いのですよね?」
「あ、ああ。前向きだね……。仕事のことは鴨長明と話すように」
――蕨ちゃんは平家のお姫様だ。いずれ、働くことなど嫌になる。今も気まぐれで言っているだけだ。そうであってくれ……。
貴一はそう自分に言い聞かせると蕨姫から逃げるように部屋から出ていった。
しかし、公平とはいっても、他の民とは違い、護衛を付けさせざるをえなかった。何しろ草薙の剣の場所を知っている唯一の人間である。
この特別扱いが、出雲大社内で蕨姫の存在感を徐々に大きくしていくことになる――。
「蕨ちゃん、どうして!」
「初めてお父様に逆らいました。うふふ」
美しい黒髪を指で遊ばせながら、蕨姫はうれしそうに笑っている。
「蕨は政治の道具になる覚悟もできておりました。でも、安売りされるのは傷つきます……」
「安売りって、蕨ちゃん。義経は鎌倉殿の弟で源氏の将軍。格で言えば俺より上だよ」
「鬼一様は1番で、義経様は3番……」
「何それ? 勢力内での順位ってこと?」
「――違います。源義経様には妻も妾もおられます。だとしたら蕨は3番目の女になります。でも鬼一様にはまだ誰もいません。だから1番です。うふふ」
――モテないと、ディスられているような気がしないでもないけど……。
「蕨は1番愛用される道具になりたいのです」
――政略道具の意味をわかっていないような……。まあ、箱入り娘なりにいろいろ考えたってことか。
「時実兄様に無理を言って、この箱の中に入れてもらったのです。うふふ」
「だから、時実殿はあんなに詫びていたのか――でもね、このまま出雲大社に連れて帰るワケにはいかないよ。熊若、船を引き返すよう船長に言ってきてくれ」
熊若が出て行った後、貴一は蕨姫に優しく話す。
「ねえ、蕨ちゃん。箱から出てこようか。草薙の剣が傷ついたりしたら大変だ」
「草薙の剣はここにはありませんわ。蕨しか知らない場所に隠しました」
「ちょ! 何でそんなことを」
「うふふ。蕨は平時忠の娘ですよ。多少は交渉の仕方を存じておりますわ。鬼一様、蕨を妻にしてくだされば、神器のありかを教えて差し上げます」
――マジかよ。おとなしい娘だと思っていたのに、まさかこんな大胆な一面があるとは。
微笑んでいる蕨姫を見て、貴一は舌を巻いた。
熊若が甲板から戻ってくると、大きく首を振った。
「法眼様、すでに屋島は戦場になっています! 戻っても時忠様に蕨姫を返すどころか、この蒸気船も奪われるかもしれません」
貴一は大きくため息をつく。
「しょうがない……。備中国の港に向かおう」
貴一たちが離れた後の屋島では、どよめきが起こっていた。
そこには平家が船の上に立てた扇の的を、火縄銃で撃ち落とした義経の姿があった。
――――――――――――――――――――――――――――――
1日後、備中国府庁舎の一室
屋島から帰ってからも、貴一は粘り強く蕨姫を説得していた。
「あのね、俺が連れ返さなくても、いずれ時忠様から迎えがくると思うよ」
「時実兄さまに伝言をお願いしました。もし蕨を連れ戻そうとしたら、お父様には一生、草薙の剣の隠し場所を言わないって」
――神器を時忠様との取引材料にも使うとはね。世間知らずのお嬢様と思っていたのは、俺よりも時忠様かもしれないな。
「時忠様は元検非違使別当(警視庁長官)だよ。恐ろしい取り調べをするかもよ」
「お父様が? 蕨にですか?」
脅しの言葉にも、蕨姫は動じない。貴一は深呼吸すると意識して真面目な表情を作った。
――蓮華のときみたいにならないように、わかりやすく誠意を見せないと……。
「蕨ちゃん。聞いてくれ。俺は子供を作らないと決めているんだ」
「構いませんわ」
「え!? えーと、出雲大社は身分の無い公平な国だ。だから妻になってもお姫様扱いはできない」
「構いませんわ」
「いや、でもそれだと蕨ちゃんも働かなきゃいけないよ」
「構いませんわ」
「ん~、他には……」
「鬼一様、ご心配はいりません。何を申されても蕨は従います。幼き頃から理不尽なことがあろうとも夫に倣うのが妻の務めと育てられてきました」
貴一は続ける言葉を失ってしまった。
――困ったな。蓮華とは違う意味で芯が強い。説得に反発しないことで、説得を無効化するとは。とほほ。こうなったら時間をかけて諦めさせるしかないか……。
貴一は持久戦を取ることにした。
「言葉だけじゃ信用できないね。箱入り娘だった蕨ちゃんが、本当にみんなと同じく働けるか、しばらく様子を見させてもらうよ」
「構いませんわ。えーっと、何のお仕事をしようかしら。鬼一様、出雲大社のお役に立つことなら良いのですよね?」
「あ、ああ。前向きだね……。仕事のことは鴨長明と話すように」
――蕨ちゃんは平家のお姫様だ。いずれ、働くことなど嫌になる。今も気まぐれで言っているだけだ。そうであってくれ……。
貴一はそう自分に言い聞かせると蕨姫から逃げるように部屋から出ていった。
しかし、公平とはいっても、他の民とは違い、護衛を付けさせざるをえなかった。何しろ草薙の剣の場所を知っている唯一の人間である。
この特別扱いが、出雲大社内で蕨姫の存在感を徐々に大きくしていくことになる――。
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