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10.屋島の取引編

第73話(1185年4月) 南宋事情

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 屋島で源義経の奇襲を受けた平家は、海上から反撃の機会をうかがっていた。しかし、梶原景時が率いてきた水軍を見ると反撃を諦め、もう一つの平家の海上基地である彦島へ退いていった。その後、四国の平家方だった豪族も次々に源氏方に寝返ったため、四国は完全に源氏の手に落ちた。

 3月には中原広元の献策により、源氏軍は彦島を攻める前に、源範頼のりよりを将軍にした2万を四国から九州の源氏勢力が多い豊後国(大分県の大部分)に上陸させた。平家の逃げ道を塞ぐためである。

 早く攻めたいと言い張る義経に対して、広元は「最高の舞台を用意する」と約束することで納得させた。

 範頼軍は豊前国(大分県北部、福岡県東部)に向けて進軍し、1カ月足らずで彦島の九州側の対岸を制圧した。これにより、彦島の平家軍は完全に孤立する。

 もはや平家は水軍による海戦で大勝し、制海権を取るしか生き延びる道はなくなった。

 源平の最終決戦はすぐそこまで迫っていた――。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 周防すおう国(山口県南部)・壇ノ浦の対岸では、地方都市が新たに誕生していた。彦島にいる平家軍は減ったとはいえ、1万以上いる。敗残兵をできるだけ受け入れようとすると、都市規模の数の小屋を建てなければいけなかった。

 蕨姫も平家の兵士を助けたいと言って、備中びっちゅう国(岡山県西部)から手伝いにやってきていた。
 現場を指揮している貴一のもとに、わらび姫が駆け寄る。

「うふふ。鬼一様の妻になるために、今日も蕨は麻布をたくさん運びましたの」

 貴一の横で元神楽隊副長の小夜が睨んでいるが、蕨姫は気付かない。

「さ、小夜。穏やかな気持ちでいないと、お腹の子に悪いよ」

 小夜は妊娠中、貴一の秘書的な仕事をしていた。
 貴一に冷たい眼を向ける。

「すいません。親友のことを思うと心が乱れまして」

 蕨姫のことはすぐに噂になっていた。神器の秘密は洩れていないが、貴一が蕨姫を妻候補にしたことを、蕨姫が周りにしゃべっていたからである。

――断る前提で条件を出したんだけどなあ、蕨姫に既成事実化されている気がする……。

「あら、大きな釜がたくさん。楽しそう。何をしているのですか?」

 ピリついた空気に気付いているのか、いないのか。蕨姫は蒸気トラックからクレーンで釣り降ろされている鉄釜を物珍しそうに見ている。

「兵は逃げるとき鎧を脱ぎ捨てて泳いでくる。4月の海は冷えるから、鉄釜で体を温めるための湯を沸かしておくんだよ」

「まあ、お優しい」

 2人が話していると、チュンチュンが水玉模様を描いた輿に乗ってやってきた。どう訓練したのか、ツキノワグマが担ぎ棒を持っている。
 チュンチュン配下の熊は今では数十頭もいる。奥州で見つけてきたヒグマを護衛として連れている。すべての熊にリボンがついているが、メスかどうかはわからない。

『よっこいしょういち、っと』

 輿が降ろされると、中からゴロリとチュンチュンが転がり出てきた。赤いシルクのキャミソールと銀のティアラを付けている。成長しても太ってもパンダはかわいい。

『蒸気船の鉄装甲は終わりましたわ。でもベースがジャンク船ですので、あまり期待はなさらないでね。やはり設計からやらないと本格的な蒸気船は難しくってよ』

「鉄心にも考えさせよう。少ない兵で勝つには最新兵器が頼みだからね。米を積んできたんだろう? 南宋国の状況はどんな感じ?」

『皇帝の孝宗は名君ですわ。宿敵の金国と和平を成立させ、良い政治で国を豊かにしています。ですけど、未来は暗いわ。皇太子はお馬鹿さんで、皇太子妃は欲深い』

「それでも硝石(火薬の原料)の輸入のメドが立つのなら、俺たちとしては応援しなきゃね。相手がどんなに大馬鹿野郎だとしてもね」

『皇太子は現皇帝孝宗に太上皇に退いてもらい、皇帝になることを望んでいるわ。だけど、孝宗をはじめ家臣たちから時期尚早と反対されているの。しかし、諦めきれない皇太子は莫大な運動資金を使って皇帝になろうとしている。そこに出雲大社がつけこむ隙があったの』

「石見銀山が空になってもいい。ガンガン支援してくれ。長明や鉄心とは話はついている。ただし、硝石の確保が絶対条件だ」

『わかってますわ――でも後一つ、決め手が欲しいの。無能な皇太子に手柄を立てさせることができれば、皇帝への即位は早められるわ』

「蒸気船や火縄銃の技術ではダメなの?」

「残念だけど、イエスですわ。蒸気船は『風の力で船が動くのに、なぜ高い石炭を使って走らせる必要があるのか?』と笑われたわ。火縄銃は皇太子が自慢げに見せびらかしていたら、和平主義の皇帝に『お前は戦争したいのか!』と叱られる始末よ』

「手柄ねえ……。何があるんだろう」

 チュンチュンと貴一が話す様子を、蕨姫はヒグマのお腹を撫でながら不思議そうに見ていた。普通の人にはチュンチュンの言葉はメェーメェーとしか聞こえない。

「何をお悩みですの。スサノオ様」

「いや、南宋から大事なものを運びたいんだけど、禁止されてさ……」

「どうしてもお使いになりたいのですか?」

「どうしても使いたいね」

「でしたら、向こうで使うのは、いけないのでしょうか?」

 蕨姫の無垢な問いに貴一は笑った。

「いや、日本で使いたいから悩んでいるんだよ。だいたい南宋では使い道が……」

 貴一の頭の中にある考えが浮かんだ。思わず蕨姫の手を握った。
 小夜が冷たい視線を貴一に送る。

「蕨ちゃん。ナイスだ! チュンチュン、手柄が見つからない場合は――」

『どうするの?』

「クーデターだ。火縄銃で皇帝を倒す!」
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