アメジストの呪いに恋い焦がれ~きみに恋した本当の理由~

一色姫凛

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第二章

甘い餌

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(バロン!?)

 その声に心臓がひっくり返るほど驚愕したのはアレクだ。

(なぜここに!?)

 アレクがここに連れてこられてから、まだ数時間しか経っていないはずだ。
 一瞬自分はモーリッシュのアジトではなく直接バロンの屋敷に連れてこられたのかと思ったが、すぐさま考えを改める。

 バロンの屋敷にいたのは数週間ほどだったし、主に地下牢とバロンの寝室の往来のみだったが、地下に続く階段はあの地下牢だけだったはずだ。

 ならバロンは最初からここにいたってことになるのか。それともここに近い場所にアジトを構えているのか。

 動揺するアレクをよそにバロンの冷え切った声が耳に届く。

「そいつは俺のものだ。勝手に手を出しやがって……死ね」

 肉をえぐるような鈍い水音と小さなうめき声を最後に、ノーランの体はアレクの横にどさりと音を立てて崩れ落ちた。

 腹部に感じる濡れた衣の感覚。その正体を見ることはかなわないが、想像はつく。

 ロイムの肩ごしに合った、紫差すバロンの瞳。ロイムの背中に回した手をドクドクと脈打ちながら濡らした、あの生暖かい血の感触。

 瞬時にすべてをあざやかに思い出したアレクは死人のように青ざめた顔で息をのんだ。

「なあアレク。他の奴とこんなことをしちゃいけねえだろう? まだまだ調教が必要みてえだなあ」

「バロンさん……」

「だいたい俺に会いたかったんなら、直接俺のところに来れば良かったじゃねえか。そうすりゃ、こんな手間はかけずに済んだっていうのによ。ああ……居場所が変わっちまってたから無理だったのか……」

 不満そうに一人でぶつぶつとつぶやくバロンにアレクは耳をかたむける。

 バロンはアレクが自分を恋しがって地下街に戻ってきたと思い込んでいるようだ。それなら下手なことをいわなければ疑われることはない。

 だが手間、とはなにを指すのだろうか。それに居場所が変わったとは……

 ひとつひとつ、バロンの言葉の意味をすくい取りながらアレクが思考にふけり始めた時だ。

「アレク。俺はこの国を出る。モーリッシュと一緒にな。上層の顧客は確かにおいしい取引相手だったが、警備隊が突入をしかけてきたってことは暗黙のルールーを無視するやからがいやがるってことだ。だが所詮はたかだか警備隊だ。他国に逃げちまえば手も足もでねえ」

 目隠しの下でアレクの目が大きく見開かれる。

 バロンがモーリッシュと逃げる。まさかそんなことを企んでいたなんて。

 それならバロンがモーリッシュをこの国に呼び寄せたのは、新たなオモチャを手に入れるためではなく国外逃亡の手助けをさせるためだったのだ。

 いつ。どこで。どうやって。

 せっかくベローズ王国警備隊までがこの国にやってきているのに、そうみすみすと逃すわけにはいかない。せめて二日間バロンをここに足止めしなくては。

 焦る気持ちを落ち着かせ、アレクは口を開く。きっとバロンが欲しがっているだろう甘い餌を与えるために。

「それなら僕も一緒にいきたい」

 目隠しの下で小さく動いた赤い唇。そこから紡がれた甘えるような声にバロンはにやりとした笑みを浮かべた。

「いい子にしてろ。そうすりゃ迎えにきてやる」

「いつ? 僕、バロンさんと離れたくない」

「なんだ? ずいぶんと、かわいいことを言うようになったじゃねえか。おまえを手放すことになってイライラしてたが、だいぶ寂しかったみてえだな。これはこれで悪くねえ。くくくく」

 アレクにとっては歯の浮くようなセリフだったが、バロンは至って上機嫌のようだ。気持ちの悪い笑い声をもらし、バロンはアレクの目隠しをほどくと現れた紫色の瞳をじっと見つめて耳元でささやいた。

「今夜迎えにくる」

 甘い色をはらんだその声に思わず全身が総毛立ったが、アレクは小さな笑みを浮かべてこくりとうなずいた。

 何度も聞いたこの声色から、バロンがなにを考えているのかアレクには手に取るようにわかる。

 これでまず、一晩はつなぎ止めることができるだろう。



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