58 / 146
第三章
覗く瞳
しおりを挟む
「何日も留守にしてしまってすまなかったね。不便はないかい?」
「ええ、まあ……その」
ロナルドの脱いだ上着を受け取りながらアレクは困ったように眉をさげて口ごもると、奥からバタバタと走ってくる足音に小さく肩をすくめてみせた。
「アレク様!」
「ケルトがいますから……」
マーリナスが負傷し昏睡状態となってから、アレクはロナルドの計らいでしばらくの間ロナルドの自宅でお世話になることが決まった。
バレリアの呪いのこともあるし、なによりアレクはまだ未成年だ。保護者代わりだったマーリナスが不在では監視の名目も崩れるし、保護の意味がなくなる。
そういって聞かせれば、アレクは大人しく首を縦に振った。
そこに嚙みつくように割って入ってきたケルトの存在はロナルドにとって予想外のものであった。ベローズ王国警備隊が止めるのも聞かず、自分もアレクと一緒に行くといって隊を飛び出してきたのだ。
そして隊長のギルといえば、もともとケルトは自国の人間ではないし警備隊でもない。自由にしろと、あっけないほど簡単に了承してしまったのである。
ケルト・リッシュ。アレクの従者だった男。そしてバレリアの呪いにかけられた第一被害者。
それ以上のことをアレクもケルトも話そうとしなかったが、貴族ならば従者のひとりやふたりいても不思議はない。
もっともロナルドが懸念したのは呪力の影響下にあることだったが、アレク本人がケルトは大丈夫だと強くロナルドに説得を試みた。
愛おしさが溢れてやまないアレクから頼むから一緒に置かせてくれと懇願されれば、ロナルドは折れるしかなかったのである。
それに元従者であったケルトならアレクの素性についてなにか教えてくれるのではないか。そんな期待もあったりしたのだが――
「なぜ帰ってきたんだ。仕事は。もう終わったのか?」
そんな期待はケルトがロナルドに向ける敵意むき出しの視線によって儚く消え失せた。
手負いの獣のように牙をむいてうなるケルトは、アレクと共に同行してきたときからロナルドに対し辛辣な態度をとり続けている。
アレクが何度言葉遣いを改めろといっても耳をかさず、傍若無人な振る舞いばかり。そんなケルトにアレクはそっとため息をもらした。
だがロナルドはすました顔でそんなケルトに答える。
「俺は有能なんでね。やるべきことは片付けてきたよ。明日また行かなければならないが、半日は休暇だ」
こんな状態ではケルトがアレクの秘密を打ち明けることはないだろう。逆に素性を嗅ぎ回っているといま以上に警戒されかねない。
そうなってしまえばバレリアの呪いにかかっているケルトが、アレクの身を案じてどのような行動にでるのかわからないのだ。下手を打てばここを出て行くといいだすかもしれない。
そのためロナルドはできる限りケルトに敵意を向けないように心がけていた。アレクを手元から離すつもりなど彼にはなかったのだから。
それにロナルドにはケルトの気持ちがよくわかる。自分はアレクよりもずっと大人だし自制を効かせなければならないが、ケルトにそんなことは関係ないのだろう。
そうやって自分の気持ちを素直に態度に表せるケルトはロナルドにとって羨望の対象であったが、そんなことは決して顔にださない。
なぜならアレクは自分が瞳をみてしまったことを覚えていない。
それは幸運なことだったが、自分がバレリアの呪いの影響下にあるとアレクが知ったら離れていってしまうのではないか。そんな不安が胸をよぎる。
だからロナルドは耐える。誰よりも愛おしく誰よりも尊い天使を誰よりも近い場所でずっと見守れるように。
◇
その夜――とうに時刻は深夜を回っているというのに、ロナルドはふと目を覚ました。うつろうつろとするあたまでぼんやりすれば、誰かの話し声がくぐもって聞こえてくる。
ロナルドはゆっくりとベッドから体を起こすとガウンを羽織り廊下へ歩みでた。首をかしげて視線を流してみればロナルドの自室から数部屋先。そのドアの隙間から明かりがもれている。
(アレクの部屋か?)
内容の読み取れないくぐもった話し声はまだ聞こえている。ここには自分とアレク、そしてケルトしかいない。
話し相手はケルトだろうが、まったくこんな夜中までアレクのところにいかなくても。ひとこと注意しなければ。
小さくため息をついてロナルドはアレクの部屋の前まで歩みを進めた。その時だ。怒ったようなケルトの声が耳に飛び込み、半分寝ぼけていたロナルドのあたまを覚醒させる。
「もうあれから三日です! 死んでしまいますよ!」
「だけど……」
「じゃあ、誰に頼むつもりなのですか! まさかロナルドに頼むつもりなのですか!?」
「違う!」
「わたししかいないでしょう。お願いですから拒まないでください! わたしは……あなたがいなくなったらいきて生きていけません」
「ケルト……」
いったいなんの話をしているのか。
ロナルドはドア越しに交わされた会話に、思わず息をのんでその場に立ち尽くす。死ぬとはなんだ。誰が死ぬって?
混乱するロナルドを置いてさらにふたりは会話を続ける。
「それ以上のことはしないとお約束します。ですから!」
「……わかった」
その言葉を最後に会話が途絶えた。不意に訪れた沈黙を不審に思い、ロナルドはドアの隙間からそっと中をのぞき見る。
そして見たのだ。壁に背を預けたアレクを両腕で挟みこみ、ケルトがアレクの唇に自身の唇を重ね合わせているところを。
「ええ、まあ……その」
ロナルドの脱いだ上着を受け取りながらアレクは困ったように眉をさげて口ごもると、奥からバタバタと走ってくる足音に小さく肩をすくめてみせた。
「アレク様!」
「ケルトがいますから……」
マーリナスが負傷し昏睡状態となってから、アレクはロナルドの計らいでしばらくの間ロナルドの自宅でお世話になることが決まった。
バレリアの呪いのこともあるし、なによりアレクはまだ未成年だ。保護者代わりだったマーリナスが不在では監視の名目も崩れるし、保護の意味がなくなる。
そういって聞かせれば、アレクは大人しく首を縦に振った。
そこに嚙みつくように割って入ってきたケルトの存在はロナルドにとって予想外のものであった。ベローズ王国警備隊が止めるのも聞かず、自分もアレクと一緒に行くといって隊を飛び出してきたのだ。
そして隊長のギルといえば、もともとケルトは自国の人間ではないし警備隊でもない。自由にしろと、あっけないほど簡単に了承してしまったのである。
ケルト・リッシュ。アレクの従者だった男。そしてバレリアの呪いにかけられた第一被害者。
それ以上のことをアレクもケルトも話そうとしなかったが、貴族ならば従者のひとりやふたりいても不思議はない。
もっともロナルドが懸念したのは呪力の影響下にあることだったが、アレク本人がケルトは大丈夫だと強くロナルドに説得を試みた。
愛おしさが溢れてやまないアレクから頼むから一緒に置かせてくれと懇願されれば、ロナルドは折れるしかなかったのである。
それに元従者であったケルトならアレクの素性についてなにか教えてくれるのではないか。そんな期待もあったりしたのだが――
「なぜ帰ってきたんだ。仕事は。もう終わったのか?」
そんな期待はケルトがロナルドに向ける敵意むき出しの視線によって儚く消え失せた。
手負いの獣のように牙をむいてうなるケルトは、アレクと共に同行してきたときからロナルドに対し辛辣な態度をとり続けている。
アレクが何度言葉遣いを改めろといっても耳をかさず、傍若無人な振る舞いばかり。そんなケルトにアレクはそっとため息をもらした。
だがロナルドはすました顔でそんなケルトに答える。
「俺は有能なんでね。やるべきことは片付けてきたよ。明日また行かなければならないが、半日は休暇だ」
こんな状態ではケルトがアレクの秘密を打ち明けることはないだろう。逆に素性を嗅ぎ回っているといま以上に警戒されかねない。
そうなってしまえばバレリアの呪いにかかっているケルトが、アレクの身を案じてどのような行動にでるのかわからないのだ。下手を打てばここを出て行くといいだすかもしれない。
そのためロナルドはできる限りケルトに敵意を向けないように心がけていた。アレクを手元から離すつもりなど彼にはなかったのだから。
それにロナルドにはケルトの気持ちがよくわかる。自分はアレクよりもずっと大人だし自制を効かせなければならないが、ケルトにそんなことは関係ないのだろう。
そうやって自分の気持ちを素直に態度に表せるケルトはロナルドにとって羨望の対象であったが、そんなことは決して顔にださない。
なぜならアレクは自分が瞳をみてしまったことを覚えていない。
それは幸運なことだったが、自分がバレリアの呪いの影響下にあるとアレクが知ったら離れていってしまうのではないか。そんな不安が胸をよぎる。
だからロナルドは耐える。誰よりも愛おしく誰よりも尊い天使を誰よりも近い場所でずっと見守れるように。
◇
その夜――とうに時刻は深夜を回っているというのに、ロナルドはふと目を覚ました。うつろうつろとするあたまでぼんやりすれば、誰かの話し声がくぐもって聞こえてくる。
ロナルドはゆっくりとベッドから体を起こすとガウンを羽織り廊下へ歩みでた。首をかしげて視線を流してみればロナルドの自室から数部屋先。そのドアの隙間から明かりがもれている。
(アレクの部屋か?)
内容の読み取れないくぐもった話し声はまだ聞こえている。ここには自分とアレク、そしてケルトしかいない。
話し相手はケルトだろうが、まったくこんな夜中までアレクのところにいかなくても。ひとこと注意しなければ。
小さくため息をついてロナルドはアレクの部屋の前まで歩みを進めた。その時だ。怒ったようなケルトの声が耳に飛び込み、半分寝ぼけていたロナルドのあたまを覚醒させる。
「もうあれから三日です! 死んでしまいますよ!」
「だけど……」
「じゃあ、誰に頼むつもりなのですか! まさかロナルドに頼むつもりなのですか!?」
「違う!」
「わたししかいないでしょう。お願いですから拒まないでください! わたしは……あなたがいなくなったらいきて生きていけません」
「ケルト……」
いったいなんの話をしているのか。
ロナルドはドア越しに交わされた会話に、思わず息をのんでその場に立ち尽くす。死ぬとはなんだ。誰が死ぬって?
混乱するロナルドを置いてさらにふたりは会話を続ける。
「それ以上のことはしないとお約束します。ですから!」
「……わかった」
その言葉を最後に会話が途絶えた。不意に訪れた沈黙を不審に思い、ロナルドはドアの隙間からそっと中をのぞき見る。
そして見たのだ。壁に背を預けたアレクを両腕で挟みこみ、ケルトがアレクの唇に自身の唇を重ね合わせているところを。
2
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~
蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。
転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。
戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。
マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。
皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた!
しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった!
ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。
皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる