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(天使の爪痕編)
崩壊のはじまり
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美紀は久し振りに、自分の家に帰ろうと思っていた。
ここのところ、家族と全く顔を合わせていない。家出をしてずっと卯月の部屋に泊まり込んでいたからだ。
両親は美紀に辛く当たっていた訳ではなく、ただ夫婦の中の悪さがピークに達してしまい、板挟みに合っている様な気がして居心地が悪くなってしまっただけだ。一人で家計を支える傍ら、家庭の事は全て母に押し付ける父親。家庭を支えながら、父の事を財布としか思っていない母親。お互いなるべく口を利かないように行動し、時にはあからさまに美紀を仲介して遣り取りをする。マシな事と言えば、家庭で暴力を振るう事がなかったくらいだろうか。
それでも今なら自分が間に入る事で何となく、少しずつではあるがうまくやっていける様な気がしていた。理恵の様に、素敵な親子の関係を築いてみたいと思う様になっていた。
家の中に入る前に、その異変に気付く事はできなかった。玄関のドアには鍵が掛かっていたが、持っていた合鍵で、容易に開ける事ができたからだ。
その異変に最初に気付いたのは、玄関のドアを開けた後だった。外からでは気付かなかったが、家中の雨戸が閉まっていて、廊下の奥の部屋が全て真っ暗だった。
「……ただいまー……」
そう言ってはみたものの、やはり返事は返って来なかった。別に今更、温かい歓迎を期待している分けではないのだが、こちらの都合で顔を合わせるタイミングを逃してしまったと思い、少し落胆していた。
どこか遠出でもしているのだろうか。もしかしたら仲直りをして、二人で旅行にでも出掛けているのかも知れない。もしそうだとしたら、置いて行かれても仕方がない。それは自分が悪いのだ。美紀はそんな事を考えていた。
何故かブレーカーを上げても電気が点かないので、美紀はキッチンの格子窓から射し込んでくる光を当てに、ゆっくりと前進した。
家の中は、静かだった。まるでそこだけが真空状態の様な、耳が痛くなりそうな程の静寂だった。
キッチンには少々の生ごみが残っていて、腐敗が始まっていた。もう何日も経っている様だ。食器は全て棚に整頓されていた。ガスコンロは使えず、水道の蛇口を捻っても、水が出て来ない。冷蔵庫の電源が入っていないのにも拘らず、中には幾つかの食べ物が入れ放しになっていた。バスルームも既に乾燥しきっていて、白い粉が吹いている。もう何日も使用していない様だった。
狐に頬を摘まれた様な、虚ろな気持ちで家の中を歩き周り。美紀は衣服や下着が大凡なくなっている事に気付いた。勿論、洗濯物は一枚もない。テレビ、ビデオ等の電化製品、家具類は全て置き放しだった。
何だか、とても嫌な予感がする。次第にどう仕様もない寒気が美紀の体を襲った。
居た堪れない気持ちになり、美紀は自分の部屋に逃げ込んだ。さすがにこの部屋の荷物だけは、美紀が家を出た時のままだった。尤も、最初から何の飾り気もない地味な部屋だった上に、衣服や下着は殆ど正人の部屋に持って行ってしまった。今となっては、他の部屋と何等変わりはない。
部屋の片隅のごみ箱に、黒色のリボンとフリルの付いたハンカチが捨てられていた。それを見て、美紀は吐き気がする程切ない気持ちになった。それは、美紀が母から貰った筈のハンカチだった。
今考えると、とても下らない事で母に逆恨みしてしまい、勢いに任せて、美紀はそのハンカチを母の目の前でごみ箱に投げ捨ててしまったのだ。
違う。本当に嫌いな分けじゃない。分かっている。母は買い物の序でにそのハンカチを買ってきただけだ。決して他意はない。それでも美紀は当時、それがご機嫌取りや点数稼ぎの類に思えてしまったのだ。当時の状況が鮮明に蘇る。
「こんなの恥ずかしくて使えるわけないでしょ!大きなお世話だから、さっさと出て行ってよ!」
「そう、ごめんね」
それが美紀が母と交した、最後の言葉だった。母は美紀を叱る事もなく、気を落としたまま部屋を出て行った。美紀は間もなく、家を出ていった。
もう二度と、会う事はできないのだろうか。そんな悪い予感だけが、空しく頭の中を過る。
今はただ置き去りにされたハンカチを手に取り、呆然と立ち尽くしている。悲しみよりも恐怖に近い、押し潰されそうな胸の不安に、耐えるしかなかった。
ここのところ、家族と全く顔を合わせていない。家出をしてずっと卯月の部屋に泊まり込んでいたからだ。
両親は美紀に辛く当たっていた訳ではなく、ただ夫婦の中の悪さがピークに達してしまい、板挟みに合っている様な気がして居心地が悪くなってしまっただけだ。一人で家計を支える傍ら、家庭の事は全て母に押し付ける父親。家庭を支えながら、父の事を財布としか思っていない母親。お互いなるべく口を利かないように行動し、時にはあからさまに美紀を仲介して遣り取りをする。マシな事と言えば、家庭で暴力を振るう事がなかったくらいだろうか。
それでも今なら自分が間に入る事で何となく、少しずつではあるがうまくやっていける様な気がしていた。理恵の様に、素敵な親子の関係を築いてみたいと思う様になっていた。
家の中に入る前に、その異変に気付く事はできなかった。玄関のドアには鍵が掛かっていたが、持っていた合鍵で、容易に開ける事ができたからだ。
その異変に最初に気付いたのは、玄関のドアを開けた後だった。外からでは気付かなかったが、家中の雨戸が閉まっていて、廊下の奥の部屋が全て真っ暗だった。
「……ただいまー……」
そう言ってはみたものの、やはり返事は返って来なかった。別に今更、温かい歓迎を期待している分けではないのだが、こちらの都合で顔を合わせるタイミングを逃してしまったと思い、少し落胆していた。
どこか遠出でもしているのだろうか。もしかしたら仲直りをして、二人で旅行にでも出掛けているのかも知れない。もしそうだとしたら、置いて行かれても仕方がない。それは自分が悪いのだ。美紀はそんな事を考えていた。
何故かブレーカーを上げても電気が点かないので、美紀はキッチンの格子窓から射し込んでくる光を当てに、ゆっくりと前進した。
家の中は、静かだった。まるでそこだけが真空状態の様な、耳が痛くなりそうな程の静寂だった。
キッチンには少々の生ごみが残っていて、腐敗が始まっていた。もう何日も経っている様だ。食器は全て棚に整頓されていた。ガスコンロは使えず、水道の蛇口を捻っても、水が出て来ない。冷蔵庫の電源が入っていないのにも拘らず、中には幾つかの食べ物が入れ放しになっていた。バスルームも既に乾燥しきっていて、白い粉が吹いている。もう何日も使用していない様だった。
狐に頬を摘まれた様な、虚ろな気持ちで家の中を歩き周り。美紀は衣服や下着が大凡なくなっている事に気付いた。勿論、洗濯物は一枚もない。テレビ、ビデオ等の電化製品、家具類は全て置き放しだった。
何だか、とても嫌な予感がする。次第にどう仕様もない寒気が美紀の体を襲った。
居た堪れない気持ちになり、美紀は自分の部屋に逃げ込んだ。さすがにこの部屋の荷物だけは、美紀が家を出た時のままだった。尤も、最初から何の飾り気もない地味な部屋だった上に、衣服や下着は殆ど正人の部屋に持って行ってしまった。今となっては、他の部屋と何等変わりはない。
部屋の片隅のごみ箱に、黒色のリボンとフリルの付いたハンカチが捨てられていた。それを見て、美紀は吐き気がする程切ない気持ちになった。それは、美紀が母から貰った筈のハンカチだった。
今考えると、とても下らない事で母に逆恨みしてしまい、勢いに任せて、美紀はそのハンカチを母の目の前でごみ箱に投げ捨ててしまったのだ。
違う。本当に嫌いな分けじゃない。分かっている。母は買い物の序でにそのハンカチを買ってきただけだ。決して他意はない。それでも美紀は当時、それがご機嫌取りや点数稼ぎの類に思えてしまったのだ。当時の状況が鮮明に蘇る。
「こんなの恥ずかしくて使えるわけないでしょ!大きなお世話だから、さっさと出て行ってよ!」
「そう、ごめんね」
それが美紀が母と交した、最後の言葉だった。母は美紀を叱る事もなく、気を落としたまま部屋を出て行った。美紀は間もなく、家を出ていった。
もう二度と、会う事はできないのだろうか。そんな悪い予感だけが、空しく頭の中を過る。
今はただ置き去りにされたハンカチを手に取り、呆然と立ち尽くしている。悲しみよりも恐怖に近い、押し潰されそうな胸の不安に、耐えるしかなかった。
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