ガールズライフ

木村 卯月

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(天使の爪痕編)

懐疑のはじまり

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九月――


 二学期になってからというものの、理恵の様子がどうもおかしい。そう思っているのが、美紀の他にもう一人いた。中澤涼子という少女だ。
 彼女は二人のクラスメイトで、最近特に美紀と仲が良い。
 彼女には妙な癖というか特徴があり、教師先輩は疎か、同じ学年の生徒にまで敬語を使って喋る、ちょっとした変わり者だった。日本人形の様なさらさらの黒髪にをしており、美紀よりも更に色白で透き通る様な肌をしている。しかし常に生徒手帳の校則の見本みたいな髪型をしており、加えて最近では探す方が難しい様な銀縁の眼鏡を掛けていて普段はあまり目立たない。虐められっ子、嫌われ者の類ではないのだが、友達は少なかった。
 大様で刺のない性格をしているので、美紀にとっては受け入れ易い存在だった。
 その涼子が、ある日始業前に唐突に美紀に話を振って来た。
「何か海野さん、最近ちょっと変わりましたね」
「うーん……」
「夏休みの間に、何かあったんですかね」
「うーん……」
「狩谷さん。夏休みの間に、海野さんと何かありました?」
「えっ!?……いや。別に、あたしは何もしてないよ!」
「そうですか……」
「あたしは……ちゃんと今まで通り……海野さんとは普通に話してるけど……」
 涼子の鋭い勘繰りに、美紀は焦ってしまった。涼子は何か勘付いている。それでも、自分からはそれ以上追及して来ないであろう事も分かっている。ただこの時ばかりは、直ぐにでもその場を立ち去りたい気分だった。

 次の休み時間、美紀と理恵は、久し振りに二人きりになった。しかしお互い、夏休み中の出来事を口に出すわけにもいかず、更に美紀は、家族がいなくなってしまった事を理恵に話すべきなのか、迷っていた。この停滞した雰囲気の中でさらっと話すには余りにも重過ぎる内容に、打ち明けるタイミングが掴めないでいた。 
「ねえ、狩谷さん。ちょっとお願いがあるんだけど……」
 先に口を開いた理恵は、思い詰まった表情をしていた。普段のイメージが底抜けに明るい分、暗い表情をされると余計に重苦しく感じた。
「今度、狩谷さんのうちに泊まりに行ってもいいかな?」
「えっ!?いつ?」
「いつでもいいんだけど……迷惑?」
 とても二つ返事でオーケーと言える状況ではないのだが、縋る様な表情の理恵を見て、この場で直ぐに断る事も出来なかった。
「いやいや……いいよ。でも帰って家の人に相談してもいい?都合もあるし」
「ありがとう。ちなみに相談したい事っていうのは、その事じゃないよ。今度泊まりに行った時に、ちゃんと話すから」
「うん、分かった……」
 理恵が本当に相談したかった事の内容は結局分からなかったが、いずれにしても、家族の事で大きな不安を抱えている美紀にとって、この状況は憂鬱でしかなかった。
 海野理恵と木村卯月、二人とも心の距離は以前よりずっと縮まっている筈なのに、今では余計に話し辛い事ばかりの様な気がしていた。
 教室に戻って一人になった時、美紀は項垂れて大きな溜息を吐いた。

 卯月の部屋に帰ってきた後も、美紀は理恵の話をなかなか切り出せずにいた。どこかで話せる切っ掛けを掴もうと思って饒舌になっている、というよりは空回りしていた。
 美紀がそわそわしている事は気付いていたが、これまでの心情を考えると卯月の方にも少し躊躇いがあった。
「美紀、何かいい事あった?」
 何時ぞやと同じ様な口調で聞いてみたが勿論、実際にはそう思っていなかった。
「別にいい事なんてないよ……夏休みが終わっちゃったから海野さんともあんまり遊べなくなったし……」
「ああ、海野さんねー。何かもう、名前が可愛いよね」
「顔も凄く可愛いよ」
「私も一度会ってみたいなー」
 その言葉を聞いて、美紀の目が大きく見開いた。千載一遇のチャンスだった。
「本当?あのね、実はお願いがあるんだけど……」
「何?言ってみて」
「……海野さんと会ってくれないかな?」
「いいよ、私も会ってみたいし」
 文字通り溜飲が下がる様な感覚を覚え、美紀の顔が綻んだ。
「ありがとう。実はね、海野さんから、うちに泊まりたいって言われちゃって……海野さん、悩んでたみたいだったし、こっちの事情も説明しそびれて……卯月さんの家に勝手に泊まるような事になっちゃったら、どうしようかと思ってた……」
「海野さんがいいって言うなら、私は別にそれでも構わないから。あんまり変な事で思い詰めないでよ。まあ、事情を聞いたら分かってくれると思うんだけど。美紀の口から説明し辛いんだったら、私が言おうか?」
「……うん。そうして貰ってもいいかな……」
「ちなみに海野さんって、彼氏はいないの?」
「うーん、多分。もてるだろうけど、部活一筋って感じだし。気になる?」
「いや、別にそんなに深い意味はないんだけど……」
 卯月は目下、自分と美紀の関係について考えていた。
 体の関係があり、第三者からすれば愛し合っているように見えるだろう。しかし、実際に二人を結び付けているものは違う。
 酷い言い方をすれば、美紀は家を出る為に卯月の事を利用し、卯月はそれを利用して『知り合い』に似ている美紀を手籠めにしたとも捉える事が出来た。
 そして、先日拒絶されてから、二人は一度も性行為をしていない。それは、理恵に対して操を立てているのではないかと、卯月は邪推せずにはいられなかった。
「……ねえ、美紀。海野さんの事、好き?」
「……何でそんな事聞くの?もしかして、嫉妬してるの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど、何となく気になったから」
「それって言う必要ある?」
「……そうだね、ごめん……」
 ぐうの音も出なかった。例えそこで肯定されても、海野理恵という少女が美紀を恋愛の対象として見ていない限り、その恋が成就される事はない。
 そして美紀の家族の行方が分からない現状では、二人で手を取り合って生きていく以外に選択肢はなかった。
「……まあいいか」
 一緒にいる理由なんて、実はそんなに大した問題でなはいのかもしれない。それに今は、二人で一緒にいる時間が掛け替えのないものである事には違いない。そう思って卯月は深呼吸をする様にその言葉を吐き出し、少し間を置いて美紀もそれを真似した。
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