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【第3章】 氷の公爵家の奇跡、そして永遠の春へ
第27話 甘酸っぱい氷菓と、波乱のつわり生活
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親族たちを一喝して追い返してから、数ヶ月。
私の体調は、ジェットコースターのように目まぐるしく変化していた。
「……うぅ……っ」
「エリス! 大丈夫か! 桶(おけ)か? 水か?」
朝の光が差し込む寝室で、私は青ざめた顔でベッドに突っ伏していた。
妊娠四ヶ月。いわゆる「つわり」のピークを迎えていた。
ただし、公爵家の子供を宿した私の場合は、ただの吐き気ではない。医師曰く「魔力酔い」と呼ばれる症状だ。
お腹の赤ちゃん(通称:豆粒ちゃん)が成長のために魔力を欲しがり、私の体内の魔力回路を勝手にいじくり回すせいで、船酔いと二日酔いを同時に起こしたような強烈な不快感が一日中続くのだ。
「申し訳ありません、ジークハルト様……。せっかくの朝食なのに……」
「謝るな。そんなことより、何か口にできそうなものはあるか? 何でもいい、言ってみろ」
ジークハルト様は、出勤前だというのにスーツの上着を脱ぎ捨て、私の背中をさすり続けてくれている。
その顔は、重要な会議の時よりも遥かに真剣で、そして焦っていた。
「……冷たくて、酸っぱいものなら、なんとか……」
「冷たくて酸っぱいものだな。分かった」
彼は即座にハンスさんを呼びつけ、厨房へ指示を飛ばした。
レモン、オレンジ、ベリー類。ありとあらゆる果物が運び込まれたが、どれを見ても私の胃は「受け付けない」と拒否反応を示す。
「うっ……匂いが、ダメです……」
「くそっ、これでもないのか。……エリス、泣かないでくれ。代わってやりたいが、こればかりはどうにも……」
最強の魔導師である彼も、つわりという生理現象の前では無力だった。
私が苦しむ姿を見て、彼は自分の無力さに唇を噛み締めている。
その姿を見て、私はふと、ある記憶が蘇った。
「……あの、ジークハルト様」
「なんだ?」
「北の領地で食べた……『氷の実』のソルベが、食べたいです」
それは、私たちがまだ契約結婚だった頃、市場デートで食べた思い出の味だ。
北国特有の、雪の下で育つ赤い木の実。強烈な酸味と甘みがあり、シャリシャリとした食感が特徴のあの味なら、食べられる気がした。
「氷の実か! よし、すぐに取り寄せよう!」
「ですが、あれは鮮度が命です。王都まで運ぶには時間が……」
「転移魔法を使う」
「えっ、転移魔法って、国が管理するような大規模魔術じゃ……」
「知ったことか。妻の一大事だ」
彼はハンスさんに「留守を頼む」と一言残すと、窓を開けて飛び出していってしまった。
公爵様が、たかが木の実一つのために、国家レベルの魔法を使って北へ飛ぶなんて。
私は呆れると同時に、胸が熱くなった。
◇
数時間後。
ジークハルト様は、霜まみれになって帰ってきた。
その手には、籠いっぱいの新鮮な「氷の実」が抱えられている。
「待たせたな、エリス。……採りたてだ」
「ジークハルト様、そのお姿……! 雪まみれじゃないですか」
「北は吹雪いていたのでな。……そんなことより、これなら食べられるか?」
彼は服も着替えず、自らナイフを手に取り、慣れない手つきで木の実の皮を剥き始めた。
不器用な彼が、私のために必死に小さな実を処理している。
その指先は冷たいはずなのに、私には何よりも温かく見えた。
「……ハンス、器を」
「はい」
「私が冷やす」
彼は剥いた果肉をボウルに入れると、指先から繊細な冷気を放出した。
チリチリ……という音と共に、果肉が一瞬でシャーベット状に凍る。
世界を凍らせると恐れられた「氷の魔力」が、今は愛する妻のための「デザート作り」に使われているのだ。
「ほら、あーん」
「……はい」
差し出されたスプーンを口に含む。
キーンとする冷たさと、懐かしい酸味が口いっぱいに広がった。
ムカムカしていた胃の腑が、スーッと洗われるようだ。
「……美味しい」
「そうか! 良かった……!」
私が完食すると、ジークハルト様は心底安堵したように息を吐き、へなへなと椅子に座り込んだ。
「……討伐遠征より疲れた」
「ふふ、お疲れ様です。最強のパパさん」
私がハンカチで彼の額の汗(と溶けた雪)を拭うと、彼は照れくさそうに私の手を握った。
こうして、つわりの危機は、公爵様の規格外の献身によって乗り越えられたのだった。
◇
それから数週間後。
つわりが落ち着き、体調が安定した日を見計らって、私たちは「赤ちゃん用品」の準備を始めた。
王都のベビー用品店を貸し切りにしての買い物だ。
「見てください、ジークハルト様! この靴下、こんなに小さいんですよ!」
「……小さすぎる。私の親指くらいしかないぞ。本当に人間の足が入るのか?」
彼はレースのついたベビーシューズを摘み上げ、真剣な顔で観察している。
魔獣や敵兵には容赦のない彼が、壊れ物に触れるように慎重にベビー服を選んでいる姿は、店員さんたちをも微笑ませていた。
「性別はまだ分かりませんが、どちらでもいいように白や黄色を中心に揃えましょうか」
「そうだな。……だが、男なら剣術を、女なら魔法を私が直々に教えよう」
「気が早すぎます。まずは絵本の読み聞かせからですよ」
平和だった。
お店の中は柔らかい布と優しい色に溢れ、未来への希望しかなかった。
私たちは、ベビーベッド、産着、おもちゃ……山のような幸せを買い込んだ。
「エリス」
帰りの馬車の中で、ジークハルト様が私のお腹に手を当てた。
安定期に入り、少しふっくらとしてきたお腹。
そこからは、トクン、トクンという確かな命のリズムと、パパ譲りのひんやりとした魔力が伝わってくる。
「私は、お前に感謝している」
「え?」
「こうして子供の服を選んだり、名前を考えたりする未来が、私に来るとは思わなかった。……私は自分が『奪う側』の人間だと思っていたからな」
彼は窓の外に流れる王都の景色を見つめ、静かに言った。
「だが、お前が教えてくれた。私にも『与える』ことができるのだと。命を育み、未来を作ることができるのだと」
「ジークハルト様……」
「絶対に守り抜くぞ。この子と、お前を」
彼は強く誓うように言った。
その横顔は、父親としての自覚と強さに満ちていた。
――この時の私たちは、まだ楽観的だった。
つわりも落ち着き、医師の経過観察も順調だったからだ。
「魔力中和」さえしていれば、なんとかなる。そう信じていた。
けれど、お腹の中の「氷の豆粒ちゃん」の成長速度は、私たちの想像を遥かに超えていた。
季節が巡り、お腹が目立つようになる頃。
「幸せな準備期間」は終わりを告げ、命をかけた「維持期間」へと突入していくことになる。
最初に異変が起きたのは、胎動を感じ始めた妊娠六ヶ月目の夜のことだった。
私の体調は、ジェットコースターのように目まぐるしく変化していた。
「……うぅ……っ」
「エリス! 大丈夫か! 桶(おけ)か? 水か?」
朝の光が差し込む寝室で、私は青ざめた顔でベッドに突っ伏していた。
妊娠四ヶ月。いわゆる「つわり」のピークを迎えていた。
ただし、公爵家の子供を宿した私の場合は、ただの吐き気ではない。医師曰く「魔力酔い」と呼ばれる症状だ。
お腹の赤ちゃん(通称:豆粒ちゃん)が成長のために魔力を欲しがり、私の体内の魔力回路を勝手にいじくり回すせいで、船酔いと二日酔いを同時に起こしたような強烈な不快感が一日中続くのだ。
「申し訳ありません、ジークハルト様……。せっかくの朝食なのに……」
「謝るな。そんなことより、何か口にできそうなものはあるか? 何でもいい、言ってみろ」
ジークハルト様は、出勤前だというのにスーツの上着を脱ぎ捨て、私の背中をさすり続けてくれている。
その顔は、重要な会議の時よりも遥かに真剣で、そして焦っていた。
「……冷たくて、酸っぱいものなら、なんとか……」
「冷たくて酸っぱいものだな。分かった」
彼は即座にハンスさんを呼びつけ、厨房へ指示を飛ばした。
レモン、オレンジ、ベリー類。ありとあらゆる果物が運び込まれたが、どれを見ても私の胃は「受け付けない」と拒否反応を示す。
「うっ……匂いが、ダメです……」
「くそっ、これでもないのか。……エリス、泣かないでくれ。代わってやりたいが、こればかりはどうにも……」
最強の魔導師である彼も、つわりという生理現象の前では無力だった。
私が苦しむ姿を見て、彼は自分の無力さに唇を噛み締めている。
その姿を見て、私はふと、ある記憶が蘇った。
「……あの、ジークハルト様」
「なんだ?」
「北の領地で食べた……『氷の実』のソルベが、食べたいです」
それは、私たちがまだ契約結婚だった頃、市場デートで食べた思い出の味だ。
北国特有の、雪の下で育つ赤い木の実。強烈な酸味と甘みがあり、シャリシャリとした食感が特徴のあの味なら、食べられる気がした。
「氷の実か! よし、すぐに取り寄せよう!」
「ですが、あれは鮮度が命です。王都まで運ぶには時間が……」
「転移魔法を使う」
「えっ、転移魔法って、国が管理するような大規模魔術じゃ……」
「知ったことか。妻の一大事だ」
彼はハンスさんに「留守を頼む」と一言残すと、窓を開けて飛び出していってしまった。
公爵様が、たかが木の実一つのために、国家レベルの魔法を使って北へ飛ぶなんて。
私は呆れると同時に、胸が熱くなった。
◇
数時間後。
ジークハルト様は、霜まみれになって帰ってきた。
その手には、籠いっぱいの新鮮な「氷の実」が抱えられている。
「待たせたな、エリス。……採りたてだ」
「ジークハルト様、そのお姿……! 雪まみれじゃないですか」
「北は吹雪いていたのでな。……そんなことより、これなら食べられるか?」
彼は服も着替えず、自らナイフを手に取り、慣れない手つきで木の実の皮を剥き始めた。
不器用な彼が、私のために必死に小さな実を処理している。
その指先は冷たいはずなのに、私には何よりも温かく見えた。
「……ハンス、器を」
「はい」
「私が冷やす」
彼は剥いた果肉をボウルに入れると、指先から繊細な冷気を放出した。
チリチリ……という音と共に、果肉が一瞬でシャーベット状に凍る。
世界を凍らせると恐れられた「氷の魔力」が、今は愛する妻のための「デザート作り」に使われているのだ。
「ほら、あーん」
「……はい」
差し出されたスプーンを口に含む。
キーンとする冷たさと、懐かしい酸味が口いっぱいに広がった。
ムカムカしていた胃の腑が、スーッと洗われるようだ。
「……美味しい」
「そうか! 良かった……!」
私が完食すると、ジークハルト様は心底安堵したように息を吐き、へなへなと椅子に座り込んだ。
「……討伐遠征より疲れた」
「ふふ、お疲れ様です。最強のパパさん」
私がハンカチで彼の額の汗(と溶けた雪)を拭うと、彼は照れくさそうに私の手を握った。
こうして、つわりの危機は、公爵様の規格外の献身によって乗り越えられたのだった。
◇
それから数週間後。
つわりが落ち着き、体調が安定した日を見計らって、私たちは「赤ちゃん用品」の準備を始めた。
王都のベビー用品店を貸し切りにしての買い物だ。
「見てください、ジークハルト様! この靴下、こんなに小さいんですよ!」
「……小さすぎる。私の親指くらいしかないぞ。本当に人間の足が入るのか?」
彼はレースのついたベビーシューズを摘み上げ、真剣な顔で観察している。
魔獣や敵兵には容赦のない彼が、壊れ物に触れるように慎重にベビー服を選んでいる姿は、店員さんたちをも微笑ませていた。
「性別はまだ分かりませんが、どちらでもいいように白や黄色を中心に揃えましょうか」
「そうだな。……だが、男なら剣術を、女なら魔法を私が直々に教えよう」
「気が早すぎます。まずは絵本の読み聞かせからですよ」
平和だった。
お店の中は柔らかい布と優しい色に溢れ、未来への希望しかなかった。
私たちは、ベビーベッド、産着、おもちゃ……山のような幸せを買い込んだ。
「エリス」
帰りの馬車の中で、ジークハルト様が私のお腹に手を当てた。
安定期に入り、少しふっくらとしてきたお腹。
そこからは、トクン、トクンという確かな命のリズムと、パパ譲りのひんやりとした魔力が伝わってくる。
「私は、お前に感謝している」
「え?」
「こうして子供の服を選んだり、名前を考えたりする未来が、私に来るとは思わなかった。……私は自分が『奪う側』の人間だと思っていたからな」
彼は窓の外に流れる王都の景色を見つめ、静かに言った。
「だが、お前が教えてくれた。私にも『与える』ことができるのだと。命を育み、未来を作ることができるのだと」
「ジークハルト様……」
「絶対に守り抜くぞ。この子と、お前を」
彼は強く誓うように言った。
その横顔は、父親としての自覚と強さに満ちていた。
――この時の私たちは、まだ楽観的だった。
つわりも落ち着き、医師の経過観察も順調だったからだ。
「魔力中和」さえしていれば、なんとかなる。そう信じていた。
けれど、お腹の中の「氷の豆粒ちゃん」の成長速度は、私たちの想像を遥かに超えていた。
季節が巡り、お腹が目立つようになる頃。
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