彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『事なかれ主義』 ~気分を変えよう、と私は携帯ゲーム機を手に家を出た。

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 休みを使ってその頃やっていたゲームの素材集めをしていたのだが。
 段々とそれが作業的になり、かといってその素材がないと新しい武器が作れない。
 じゃあと一日家にこもっている罪悪感もあって、私はゲーム機をバッグに携え、近所のファストフード店へ行った。

 店ではハンバーガーではなくコーヒーとチキンを買った。
 家から出なかったのでそれぐらいの食事でちょうどよかった。
 持ち帰り客が多いのか、食事時ではないからか、店には私と制服姿の高校生くらいの女の子が二人。
 どうやら勉強をしているようで、一人はオシャレで少しキャピキャピしたような茶髪の女の子。
 もう一人は黒髪で眉が太く、垢抜けないが利発そうな子だった。
 利発ちゃんがキャピキャピちゃんの勉強を見てあげているように見えた。
 店が混んでいるわけでもないので、堂々と勉強の場に使っているようだ。
 彼女達を視界の端に捉えながら、私はいつ店を出ようか考えていた。

 すでにチキンは食べ終え、コーヒーは3分の一程度残っている。
 これであとどれ位粘れるかなと。いつまで居座れるかなと。
 ゲームの進捗は芳しくない。
 なので先に店にいた彼女達が店を出たぐらいで私も、と考えていたのだ。
 店内に自分だけという状況も避けたかったのかもしれない。

 彼女達の会話を私は聞くともなしに聞いていた。
 意識の半分以上はゲームに向けられていたからだ。
 だが、

「ナンチャラナントカグウ様っていう凄く素晴らしい方が居てね」

 そのワードに、私は全身に鳥肌が立った。
 ゲーム機の画面からゆっくり目を離し、彼女達を見る。
 利発ちゃんは、えっ?と目と表情が固まっていた。
 いや、半分くらい固まっていた。
 状況を理解しかけ、かといって受け入れようとしない目。
 それには見覚えがあった。
 それは、かつての私だった。

 キャピキャピちゃんを見ると、こちらは目が明確な意思を持ち過ぎて固まっている。
 それは使命感とも言えた。
 その目を利発ちゃんにロックオンしたまま動かない。
 そして物凄い早口で何かを喋っている。口の端には泡が溜まっていた。
 その必死さは明るい見た目とは不釣り合いだった。
 そんな状態で、自分が尊敬するナントカウンタラズウ様がいかに素晴らしいかを語っていた。
 利発ちゃんも見た目通りバカではない。
 しかし、眼の前に居るのが友達ということが状況を受け入れようとしないのだ。
 まるで裏切られたみたいで。
 私もそうだった、
 学校を卒業し、かつてのクラスメイト達と一切の繋がりが無くなった私は彼女からの呼び出しが嬉しかった。
 だからその呼び出しの延長にあったお誘いが信じられなかった。

 改めて彼女達が座っている席を見てみる。
 客は居ない、とはいえ彼女達が座っているのは店の最奥。
 なぜそこをと思ったが、会話を店員に聞かせないためだろうと考えた。
 あるいは店の入口、カウンター付近にいる持ち帰り客に。
 あるいは店も、店員もグルなのか?
 この店が、全国展開しているこのチェーン店自体がグルなのか?
 こういった誘い込む場に使われているのか?
 ようは簡単に逃げられない。
 すると、

「お母さん入院してるんでしょ?きっと病気も治るから」
 
 キャピキャピちゃんがそんなことを言い出した。
 やめろ、と私はゲーム機を持つ手に力を入れた。
 家族の弱点を引き合いに出すなと。
 それは甘い言葉なんかじゃあない。
 利発ちゃんの目が戸惑う。
 それでお母さんの病気が治るなんて彼女はおそらく思ってない。
 ナントカ様を信じることで。
 それは、なんで今それを出すのと言う目だった。
 お母さんのことを言うのと。


 その後も利発ちゃんは、ああ、うんと答えるだけだった。
 キャピキャピちゃんのしゃべくりまくることを。
 彼女らしくもない。
 私は彼女のことなんか知らない。
 だが、勉強している姿を見て頭の良い子だとはわかった。
 だからつい話を聞いてしまうのだ。
 そして、それが来た。

「ごめん。ちょっとトイレ」
 
 
 そう言ってキャピキャピちゃんは席を立った。
 その言葉を聞いた時、私は心臓が止まるかと思った。
 全く同じだ。

 記憶が蘇る。



「ごめん。ちょっと電話してくるね」

 そう言って、かつて好きだったあの子も一度席を立った。
 いや違う。
 実はあとで友達が来て合流するんだけど良いかなと言われたのか。
 恐怖で記憶があやふやになっている。
 とにかく誰かがこの後来るのだ。
 大人が。
 やって来るという友達は自分達よりずっと大人で、そこから囲い込みが始まるのだ。


 逃げられない逃げられない逃げられない。
 あの頃の逃げられない私がそこにいた。 
 今なら利発ちゃんは逃げることが出来る。
 逃げて逃げて逃げてと念を送ると、キャピキャピちゃんがトイレに行ったと同時に、利発ちゃんは大急ぎで自分のケータイを取り出し、どこかにメールしだした。
 私と違い、バカではなかった。
 いや私だってあの子と途中参加の大人が話しているテーブルの下で、必死で友達にメールで助言を求めていた。
 こういう時どうしたらいいと。
 目の前の二人にはバレバレだったかもしれないが。
 そうだ、ちょっとトイレと言って中座したのは私だった。
 ファーストフード店のトイレの中で友達に電話し、どう切り抜けたら良いか訊いたのだ。
 とにかくメールなんてしてる場合じゃないんだっ、早く、早く逃げろっ。
 そう思った私はゲーム機をしまうと、自分のケータイを手に立ち上がった。
 キャピキャピちゃんが入ったトイレは最奥席の裏、更に最奥にあった。
 そのトイレにでも向かう振りをして、私は利発ちゃんの横を通り過ぎる。
 と、見せかけて無言で自分のケータイ画面を見せた。


「友達、かんゆーしようとしてる。
このあと大人の人が来て囲い込まれる。
適当言って逃げた方がいい」


 それだけをケータイの下書きフォルダに書き記した。
 すぐに消せるように。
 利発ちゃんはケータイ画面を見た後に私を見る。
 私も彼女を見ていた。
 友達が戻ってくる前に早く、と。だが、

「おまたせー」

 彼女は帰ってきた。
 そして、

「えー?いいじゃんいこうよー。カラオケとかさぁー」

 私はスイッチを入れた。

「キミ、チョー可愛いからさー、どっか遊び行こうよー」

 スイッチを入れ、利発ちゃんをナンパしだしたのだ。
 性別からすれば相当に無理がある。
 小さい頃からそうだったが、なぜ自分は男じゃないのかと自分の性別を呪った。
 しかし利発ちゃんの頭の良さを信じた。
 ここから抜け出すためにこちらの誘いに乗れと。

「なんですか」

 だが硬い声でそう訊いてきたのはキャピキャピちゃんだった。

「え?ああ、今ナンパ中ー」

 そう私がチャラさを保ったまま言うと、キャピキャピは訝しげに見てくる。
 女が女を?という目だった。

「じゃあさ、三人でどっか行く?」

 それならいいでしょ?それならどう?とキャピキャピと利発ちゃんに訊く。
 これでキャピキャピが諦めてくれるかなと思ったが、

「まあいいですが」

 予想に反してキャピキャピの方が誘いに乗ってきてしまった。
 結局三人で連れ立って店を出た。
 仕方ない、キャピキャピはどこかで撒いて、その後利発ちゃんを改めて逃してやろうと、私達は夕方6時過ぎの街に出た。
 利発ちゃんがナンパした理由を理解してるのかわからない。
 よし、途中でまたケータイに伝言を書き、見てみてこれー、とか言って見せようと思った。
 そうだ、この子を無事に逃してあげるのが、あの日の私に今出来ることなのだ。
 あの時は誰も助けてくれなかった。
 こことは違い、あの店は人で溢れかえっていたのに。
 だからこそ私がどんな話をふっかけられているかわからなかったのかもしれないが。
 とにかく、私はこの子を助けたかった。
 そうすればあの日の私は救われる。



いや、そんなこと出来るわけ無いじゃん。



 私がヒーローのような妄想にかられている内に、キャピキャピは帰ってきた。
 当然ケータイで無言の逃げろを伝えるなんてことも出来なかった。
 わりと時間はあったのに。
 そして本当に、そのすぐ後に、

「はあーい。こんにちわー。あ、こんばんはー、か」

 私の横を通り過ぎ、大きい明るい声とともにそれは来た。
 一瞬だけ見た顔は顔立ちの濃いおばさんだった。
 圧がある。
 私の時はバブル期みたいな感じの女性だった。
 何もかもがかぶる。
 この店の近くで待っていて、トイレに行った隙にケータイで呼び出したのは容易に想像がついた。
 おばさんはフレンドリーに二人がいた四人がけのテーブルにつく。
 女子校生二人は隣合って座っていたが、おばさんは向かいに座った。
 隣と向かい。
 利発ちゃんはもう逃げられない。


 だから、
 私が逃げた。


 携帯ゲーム機をしまい、空の紙コップとチキンが入っていた紙袋の乗ったトレイを手に立ち上がる。
 足は震えこそしてなかったが、トレイを持った手はどうだったかわからない。
 トレイの上のものをゴミ箱に放り、トレイは所定の場所へ。
 そして私自身は店の出入り口へ。
 これで店はあの三人だけになる。
 何を話しているのかはわからない。
 意図的に聞こえないように身体が拒否していた。
 ただ、物凄いにこやかな圧力を感じた。
 店内で召し上がる客が来て、それに気付いて助けてくれればと願った。
 とにかくここにいては自分が危ないと思った。
 顔も覚えられたかもしれない。
 防犯カメラに顔が写っているかもしれない。
 彼らの情報網は計り知れない。

 だから、逃げなくてはと。


 店員のありがとうございましたという声を背に無事店を出ると、この店にはもう来れないなと思った。
 店自体がグルかもしれないと。
 そういえば私が捕まったあのファストフード店にももう何年も行ってない。
 誘いを受けた地元は離れたものの、チェーン店がいくつもあるから街で見かけても利用したことがない。
 無意識に避けているのだとわかった。

 店から離れながら改めて考える。
 私は逃げだした。
 あの女の子を助けてあげられなかった。
 だが頭の良い子なのだろうと信じた。
 私と違って。
 うまく逃げてと願った。
 それだけだ。
 まっすぐ家には帰れず、私は街をさまよった。

 大人しく家にいればよかったと思った。



〈了〉
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