彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

文字の大きさ
40 / 53

『下顎水平埋伏智歯抜歯』 ~その痛みがいつまでも続くとお思いか?

しおりを挟む
「うん。横向きだね」
「はい」
「おまけに完全に埋まっちゃってる」
「はあ」

 レントゲン写真を前に先生にそう言われても、亜衣は気の抜けた返事しか出来ない。
 それは去年、別の歯医者で言われたことだった。
 水平埋伏智歯。
 横向きに生えて、かつ歯茎に埋まってしまってるタイプの親知らず。
 親知らずの中でも相当厄介なものだった。
 それが下の最奥、左右に一本づつ。
 疲れたりするとズキンズキンと腫れ、鎮痛剤でもごまかしが効かなくなってきたのでいよいよ抜くことにした。
 が、口腔外科があり、水平埋伏の親知らず抜歯もするとホームページに掲げた歯医者に行くと「うちでは抜けない。どうしても抜きたいなら大学病院用に紹介状書くけど?」と言ってきた。
 ここで抜けるのでは?と問うも、それで紹介状はどうするの?いるなら書くけど?うちでは抜けませんが、の一点張り。

 それから一年。
 やはり時折訪れる腫れが辛く、鎮痛剤代が馬鹿らしいので改めて抜くことを決意した。
 以前とは違う別の歯医者でレントゲンを撮ってもらい、紹介状を書いてもらって大学病院へ、と思っていたのだが。

「で、どうする?いつ抜こうか。えーっと今月だとね。どこが空いてるかなーっと」

 先生はカルテを見ながら言った。

「はい。え?ここで抜けるんですか?」
「ん?うん。抜けるよ?口腔外科だし。ボクが抜くんだけど」

 ボクと先生が自分を指差す。白髪交じりのおじいちゃん先生だが口調や表情は若々しい。

「前に別の歯医者行ったら大学病院とかじゃなきゃ抜けないって言われたんですけど。抜くの難しいタイプだからって」
「んー?いやあ大丈夫だよ。どうしても全身麻酔とかじゃなきゃ嫌だとか一気に全部抜くっていうなら紹介状書くけど」
「いやいやいや!ここで抜けるならお願いします!」

 抜くのは嫌だが大学病院というのはもっと嫌だった。
 たかだか歯科関係で大学病院だの入院だの全身麻酔だのわざわざバスで遠くの病院まで通うだのとなると、もうそれだけでしんどくなってしまう。
 それがネックで渋っていたのだ。
 徒歩五分圏内の町医者で抜けるなら万々歳だ。

「そうか。じゃあいいのね?それだといつ頃がいいかな」
「一番早いといつでしょうか」
「一番早いとー、午後でもいいかな?」
「はい。大丈夫です」
「だったらね」


「来週頭に歯ぁ抜くって」
「え?早くね?」
「だけどもう少しすると繁忙期らしいし」

 帰ってきた亜衣は、家に来ていた恋人の多恵にそう報告する。
 先生によれば、もう少しすると新学期や新生活に向けて歯を治しておこうという客が増えるらしい。
 親知らずもそれに含まれるらしいが、口腔外科の診療日が少ないため、早ければ早いほど良いという。
 だが早ければ早いほど良いのは抜く日だけではない。

「はー。でも親知らず懐かしー。あたしもう抜いたしなー」

 多恵がそう長くもない人生を振り返る。
 それは何度も聞かされた昔話だ。親知らずを抜こうかと相談した時もされた。
 そして以前抜こうとした時に訊いたことを再度訊いてみる。

「準備とか、心構えとかある?」
「って言っても10代の時だしなー。あたしフツーに鎮痛剤飲んで呑み行ったりしてたし」

 10代での飲酒も問題だが、外科手術、しかも口内のをやってそれは、と亜衣が固まる。

「あと友達とかも抜いて、夜中の生番組とか出てたんじゃないかな」

 多恵は10代の頃アイドルみたいなことをしていた。
 別のアイドルグループのメンバーも抜いたが、そのままネットの生配信番組に出たという。
 抜いて直行で来たの?といじられはしたが、そうとは思われないほど特に腫れもなかったらしい。
 多恵自身は出かかっている親知らずが虫歯になりかけているので、マネージャーに相談したところ早いうちに抜いちまえと抜いたらしい。
 特に休んだりもせず、普通に学校にも行ったらしい。
 若さゆえか。
 しかし虫歯というだけあって抜きやすい、顔が出ているタイプの親知らず。
 参考にはならなかった。


 親知らずを抜歯するので休みたいの旨を伝えると、会社の方針からわりとあっさり休みは取れたものの、周りの意見は様々だった。

 そうだね、休んだ方がいいねと言うのは抜歯経験者。
 親知らず抜くくらいで普通休むかねえ、は非経験者。
 水平埋伏経験者なら、うん、休んだ方がいい、初めてなら尚更と言い、大学病院で一気に全身麻酔で四本抜いたと自慢する者も居た。
 そこから歯医者談義に花を咲かせたが、亜衣が知りたいのはやはり心構えや準備だ。

「食べたいもん食べといた方がいいよー。口開かなくて食べれなくなるからー」
「あと抜糸まで一週間くらいうまく歯ぁ磨けなくて絶対口ん中汚くなるから、最後に歯石取りみたいのしてもらったほうがいいな」
「食事とかは?」
「私はゼリーのやつかな。ちゅーって吸えるやつ。でも口すぼめると血の蓋が取れるから上向いて口開けて口にぴゅるーって入れるようにした方がいいね」
「ドライソケットですか?」
「あーっ!そう!ドライソケット!それになるから強めにうがいするなって俺も言われた!なんかうがいするなら口に水含んでぶるぶるって顔左右に振れって言われたわ」
「でも実際どれ位痛いんだろうねえ。ドライソケットって」

 血の蓋、いわゆる血餅についてはネットで調べておいた。
 抜いた穴にきちんと血の塊が出来て、それが蓋になってくれないとドライソケットといって骨がむき出しになり、激痛らしい。

「あとはもう薬飲んでただひたすら寝る。眠らなくても横になって。僕、張り切って本でも読もうって用意してたけど、結局読めなくてスマホでゲームしてたな。なんか抜いたとこがズクンズクンして内容入ってこないの。心臓の鼓動に合わせて痛むっていうか」

 ズクンズクンという表現に亜衣はひやっとするが参考にはなった。

 総意としては大したことはない、ということだった。
 だがほとんどの経験者は町医者レベルで抜ける易しい親知らずで、水平埋伏経験者は大学病院で抜いたらしい。
 ただその理由は口腔外科がない田舎で抜いたから、だった。
 そして、抜いたのはそんな田舎に、親元に住んでいた学生時代。
 やはり抜くのは皆若いうちなのだ。

 手術同意書にあった後遺症やらなんやらは怖かったが、亜衣はなぜだかワクワクしていた。
 何しろ親知らず抜歯にはおまけがついてくる。
 第一に小顔効果だ。
 これは女子的には嬉しい。
 そして肩こり解消。
 歳なのか肩こりが酷い。が、これがもし放置した厄介な親知らずのせいならそれが無くなるかもしれないのだ。
 どうなるかはわからないが、だからこそワクワクした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...