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『子供嫌い』 2チリリン目
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「すいません。パンク修理してもらえますか」
インターホン越しの要求に恭子は舌打ちしそうになるが、結局は快く受け入れた。
「すいません。あの、これ」
やって来たのは中学生くらいの女の子。
手にビニール袋を持っていた。
「これ、りんごです。お母さんが持ってけって」
「どうもありがとう。やっちゃん、りんごもらったー」
応対した鈴鹿がリビングにいた恭子に言う。
受け取るために恭子が出ていくと、女の子はおどおどしながら会釈する。
その態度に妙な感じがした。うまくはいえないが、何かを。
「ありがとう。わざわざ」
袋の中を見て言うと、
「あ、はい」
女の子は落ち着かない。人見知りな子なのかと恭子は思った。
「パンクの状況とは?何か踏んだりした?」
「あの、いえ。駐輪場に置いてたら自然と抜けてて」
「いたずらじゃないだろうし。恨みかうようなことした?」
軽口程度に鈴鹿が訊くと、
「いえ…」
沈んだ表情と声で女の子が言う。
「空気入れて確かめたりした?」
「あ、はい。いえ」
どうも様子がおかしい。
中学生なのにこんなにも受け答えが出来ないものかと恭子が苛立っていると、何かと重なって見えた。
やはり何かはわからない。
「とりあえず空気だけ入れてみようか」
言って鈴鹿が空気入れで後輪に空気を入れ始める。
すぐにパンパンになるが、
「買ってどれくらい?」
「二年くらいです」
「ブレーキも甘いね」
「はい」
雑談してる間にやはり空気が抜けていく。
「やっぱパンクだねえ。時間かかっちゃうけど、どうする。すぐ乗る?早い方がいい?」
「出来れば、あの」
「うん」
「おうちで待たせてもらっちゃだめですか」
勢いこんで訊いてくる。それに恭子が息を飲む。
うちは託児所じゃない。作業してる間に相手するのは自分だ。冗談じゃない。
鈴鹿の背中にそう言うが、
「散らかってるけど」
「全然いいんでっ」
鈴鹿がそう言うと、勢いを緩めず女の子が言う。
その頃になって恭子にはようやく女の子の目的が見えた。
もしもその可能性を考えたら友達と来るかもしれない。
好奇心と侮蔑の尻尾を生やして。
うちのマンションにアヤシイ二人組が住んでいると。
しかしそうは見えなかった。
逆に自分達と同じ種族の尻尾が生えてるように思えた。
そしてもっと切羽つまったものが見えた。
ネットではわからない、生の授業を彼女は望んでいた。
ひょっとしたら鈴鹿にはもっと早くその尻尾が見えていたのかもしれないが。
ため息をつくのをぐっとこらえ、 恭子はどうぞといった。
ご近所付き合いは大事だ。
自分達がアヤシイものではなく、人畜無害の自転車修理屋だと鈴鹿は周囲にアピールしていた。
そして悩める少女の相談も請け負うと。
リビングに通された女の子は、珍しそうに辺りを見回す。
二人で撮った写真や、愛を深めるグッズなど当然置いてない。
リビングには。
ごく普通の女達の家だ。
リビングは。
「何か飲む?」
「お構い無く」
言いなれていないような女の子の言葉に、とりあえず恭子は紅茶を出した。
客など来ないからティーパックしかなかった。
「いくつ?」
「え、中学二年です…。あ、砂糖ですかっ?」
「砂糖ならないの。練乳ならあるけど」
「練乳…」
紅茶に練乳という組み合わせに女の子が眉をひそめていると、
「あの子が、鈴鹿が好きだから」
くすと笑みを浮かべながら恭子が言い、あの子という言い方に女の子は面白いくらいハッとする。
「あのっ、鈴鹿さんと、あの、お姉さんって」
「恭子よ」
「恭子さん…」
「あなたは?」
「楽美亜(ラミア)です」
最近の子っぽい名前だなと恭子は思い、こういう所がおばさんくさいのかと反省する。
「私と鈴鹿がなに?」
「あのお二人ってその」
「友人よ。ただの。何か勘違いしてる住人の方もいるけど」
後ろで結った髪に触れながら恭子はさらりと言ってのけた。
こちらから手の内を晒すのもあれかと、とりあえず全面的に嘘をついた。
しかし、
「あ…」
それを聞いた楽美亜は真っ青になる。
遠回しに勘違いを指摘されて。
それは言った恭子がびっくりするほどの血の気の引き方だった。
「あのっ」
「帰ります」
嘘よ、友人じゃなくてと言うより早く、楽美亜はカップをかちゃんとテーブルに置くと立ち上がった。
見えない何かに追い立てられるように。
一刻も早くこの場を去らなくてはと、ここは悩みを打ち明けられる場ではない、また一人悩みを持ち帰らなくてはと。
「待って!」
「すいませんでした」
玄関へ向かう楽美亜に恭子が言うが、向こうは何も聞こえていないようだった。
「わっ、どうしたの?帰るの?どうした?」
家の前の廊下にいた鈴鹿が、出てきた楽美亜に驚く。
二度目のどうしたで肩を掴もうとして、寸でで止めた。
楽美亜の体は震えていた。
おそらく悲しみで。涙で。
鈴鹿が訝しげな目で恭子を見る。
お前はこんな子供に何をしたのかと。
だがその顔がぎょっとなる。
恭子も泣いていた。
子供のようにポロポロと。
頼れそうな大人を見つけて、おそらく嘘までついて会いに来てくれたのに。
それをたやすく突っぱねた自分の罪悪感に。
大人な自分の残酷さに。
「なに、どうしたの。泣かないでよ二人して」
二人の間で鈴鹿がオロオロしだす。
取り乱す子供の涙は受け止められるが、女の涙には弱かった。
「きみもさ」
「らみあちゃん」
楽美亜をきみ、と呼ぶ鈴鹿に、恭子が涙声で教える。
「らみあちゃんていうんだ。らみあちゃん、あのお姉さんになんか言われた?」
「あたしたち、付き合ってるよ」
後ろから聞こえた涙声に、楽美亜が驚く。
恭子はさっき言えなかったことを言った。
三人にしか聞こえないくらいの声の大きさで。
ご近所には届かないくらいの声で。
鈴鹿が改めてらみあちゃんを見てみる。
らみあちゃんはどこにでもいる普通の女の子だ。
しかし、抱えた何かと頑なな雰囲気はかつての自分達の中にもあった。
それは今もかも知れないが。
「なにか、あたしたちに聞きたいことがあって来たんじゃないの、っと」
そう言って鈴鹿が肩に手を置こうとして躊躇う。
自分の手はオイルで汚れ過ぎていた。
「やこさん」
そう呼ぶと恭子はおずおずと近付き、楽美亜の頭に手を伸ばした。
触れられた方はびくっとなるが、触れてきた手は優しく頭をポンポンしてくれた。
「うちの奥さんがなんかやらかしたみたいだけど、大丈夫かな」
とりあえず楽美亜を家の中に入れ、玄関のドアを閉めたあとに鈴鹿は言った。
やはりご近所には聞こえないように。
「はい…」
奥さんという言い方から楽美亜はきちんと読み取ったらしい。
関係を。
それを理解し、鈴鹿は安心したように微笑む。
「…なんかいけないことされたわけじゃないよね?」
「鈴鹿っ」
「さすがに中学生はさあ…、中学生だよね?」
「そうです」
まだ涙に濡れた声で楽美亜が言う。
「悩める中学生は、なんか聞きたいことがあるの?恋の悩みかな?」
「あたしたちで参考になるかしら」
恭子が茶化したように言う。
調子を取り戻してきたようだ。
「なります。あのっ」
そして、二人は女の子に教えた。
一番窮屈さを感じるのは今だけで、大人になればある程度自由が利くと。
だがそれを勝ち取るには思っている以上に大変かもしれないこと。
だから今のうちに出来ることを出来るだけやること。
勉強でもスポーツでも、もう少ししたらお金を稼ぐことでも。
なるべくたくさんの武器を持っておけと。
両手に持てず背中に背負うくらいに。
時には家族や親戚を切り捨てることもある。
でもそれは仕方ないことだと。
切り捨てたスペースに新たな繋がりを持ってと。
そして、未来ではなく今は。
好きな女の子に関しては貴女ならいいかもと思わせること。
周囲にバレた場合、まああの子ならいいかと思わせること。
そういった要素があったとしても、受け入れてもらえる下準備をしていくこと。
そして一人で、あるいは愛する人と国の制度や支援など受けれなくても生きていく術を見つけること。
でも使えるものがあったら使いまくれと。
「また来てもいいですか」
二人で玄関まで見送ると、楽美亜は先程の陰鬱さなどどこへやら、図々しくもそう言った。
それは生き抜く上で大事なことだ。
「うん、まあ、休みが合えば」
鈴鹿が腕組みしながら言う。
先程の話の中でもしたが、二人の休みは不定期だ。
女二人で慎ましく生きていくとなるとなかなか多忙になる。
楽美亜が恭子をちらと見るが、
「私は、話すの苦手だけど」
困ったように恭子が言い、
「やこさん」
「話したいことがあるなら」
咎めるような鈴鹿に重ねるように言う。
聞き役なら出来ると。大したもてなしは出来ないが時間を共有するぐらいなら出来ると。
「あとね」
鈴鹿が声をひそめる。
「はい」
「あたし達の家に遊びに来たこと、言わない方がいい」
楽美亜の笑顔が凍る。
なぜ、と。
「バレた時に立場が悪くなるかもしれない。あたし達とらみあちゃんと、あとご家族も」
中学生の肩から力が抜ける。
どうしてと。
こんなにも暖かな場所をみつけたのにと。
「よからぬ想像をする人もいるかもしれない。怪しげな女二人が女子中学生を連れ込んで、いかがわしいことをって。まあ私は見ての通りお子さんには興味ないけど」
言って鈴鹿が恭子の肩に頭を乗せ、それを顔を赤くしながら恭子が手で押し退ける。
それに楽美亜はふふっと笑うが、悲しそうな顔になり、すぐにキッとした顔を真正面に向ける。
いわゆるいい面構えになった。
世間の仕組みを理解した。
二人はまだ異端であり、自分もそうなのだと。
「わかりました。言いません」
「まあ使うなら、そうだね。秘密基地みたいな感じで」
人差し指を唇に当て、微笑みながら鈴鹿が言うと、
「はい」
それならわかりやすいと返事をし、楽美亜は元気に出ていった。
女子中学生を見送ると、はあ、と孫が帰ったあとのおばあちゃんのようなため息を恭子がつく。
「お疲れさん」
苦笑いで鈴鹿が労をねぎらう。
パートナーが子供が苦手なことは当然知っている。
それでも見せてあげたかった。
教科書として。
結婚せずとも世間から隠れるようにしていても、自分達は楽しくそれなりに幸せにやっていると。
常識のレールから外れ、未来が見えない若者に。
「…夕食作らなきゃ」
「うん。あ、恭子」
キッチンに向かう恭子を鈴鹿が呼び止める。
「なに?」
「今日抱いていい?」
「なにを」
「恭子」
間の抜けたことを訊く恭子に、ぽそっと鈴鹿が言う。当然だろと。
しかし少し恥ずかしそうに。
一瞬置いて、恭子の身にぞわぞわとしたくすぐったさと恥ずかしさと嬉しさが足元から駆け上がる。
そして、
「…いいけど」
「そっか。良かった。ご飯早くね」
そう精一杯の素っ気なさで言うと、まだ完全に油を落としきれてない自分の手を見て鈴鹿はぱたぱたと洗面所へ向かった。
それを見送り、恭子はキッチンの方に向き直ると、口元に微かな笑みを浮かべる。
さして広くもない愛の巣。
お母さんに言われ、おやつを食べる前に手を洗う子供のように、鈴鹿はハンドソープで丹念に指を洗い、お湯で洗い流す。
自分を気遣うその水音を、恭子は幸せな気分で聞いていた。
(了)
インターホン越しの要求に恭子は舌打ちしそうになるが、結局は快く受け入れた。
「すいません。あの、これ」
やって来たのは中学生くらいの女の子。
手にビニール袋を持っていた。
「これ、りんごです。お母さんが持ってけって」
「どうもありがとう。やっちゃん、りんごもらったー」
応対した鈴鹿がリビングにいた恭子に言う。
受け取るために恭子が出ていくと、女の子はおどおどしながら会釈する。
その態度に妙な感じがした。うまくはいえないが、何かを。
「ありがとう。わざわざ」
袋の中を見て言うと、
「あ、はい」
女の子は落ち着かない。人見知りな子なのかと恭子は思った。
「パンクの状況とは?何か踏んだりした?」
「あの、いえ。駐輪場に置いてたら自然と抜けてて」
「いたずらじゃないだろうし。恨みかうようなことした?」
軽口程度に鈴鹿が訊くと、
「いえ…」
沈んだ表情と声で女の子が言う。
「空気入れて確かめたりした?」
「あ、はい。いえ」
どうも様子がおかしい。
中学生なのにこんなにも受け答えが出来ないものかと恭子が苛立っていると、何かと重なって見えた。
やはり何かはわからない。
「とりあえず空気だけ入れてみようか」
言って鈴鹿が空気入れで後輪に空気を入れ始める。
すぐにパンパンになるが、
「買ってどれくらい?」
「二年くらいです」
「ブレーキも甘いね」
「はい」
雑談してる間にやはり空気が抜けていく。
「やっぱパンクだねえ。時間かかっちゃうけど、どうする。すぐ乗る?早い方がいい?」
「出来れば、あの」
「うん」
「おうちで待たせてもらっちゃだめですか」
勢いこんで訊いてくる。それに恭子が息を飲む。
うちは託児所じゃない。作業してる間に相手するのは自分だ。冗談じゃない。
鈴鹿の背中にそう言うが、
「散らかってるけど」
「全然いいんでっ」
鈴鹿がそう言うと、勢いを緩めず女の子が言う。
その頃になって恭子にはようやく女の子の目的が見えた。
もしもその可能性を考えたら友達と来るかもしれない。
好奇心と侮蔑の尻尾を生やして。
うちのマンションにアヤシイ二人組が住んでいると。
しかしそうは見えなかった。
逆に自分達と同じ種族の尻尾が生えてるように思えた。
そしてもっと切羽つまったものが見えた。
ネットではわからない、生の授業を彼女は望んでいた。
ひょっとしたら鈴鹿にはもっと早くその尻尾が見えていたのかもしれないが。
ため息をつくのをぐっとこらえ、 恭子はどうぞといった。
ご近所付き合いは大事だ。
自分達がアヤシイものではなく、人畜無害の自転車修理屋だと鈴鹿は周囲にアピールしていた。
そして悩める少女の相談も請け負うと。
リビングに通された女の子は、珍しそうに辺りを見回す。
二人で撮った写真や、愛を深めるグッズなど当然置いてない。
リビングには。
ごく普通の女達の家だ。
リビングは。
「何か飲む?」
「お構い無く」
言いなれていないような女の子の言葉に、とりあえず恭子は紅茶を出した。
客など来ないからティーパックしかなかった。
「いくつ?」
「え、中学二年です…。あ、砂糖ですかっ?」
「砂糖ならないの。練乳ならあるけど」
「練乳…」
紅茶に練乳という組み合わせに女の子が眉をひそめていると、
「あの子が、鈴鹿が好きだから」
くすと笑みを浮かべながら恭子が言い、あの子という言い方に女の子は面白いくらいハッとする。
「あのっ、鈴鹿さんと、あの、お姉さんって」
「恭子よ」
「恭子さん…」
「あなたは?」
「楽美亜(ラミア)です」
最近の子っぽい名前だなと恭子は思い、こういう所がおばさんくさいのかと反省する。
「私と鈴鹿がなに?」
「あのお二人ってその」
「友人よ。ただの。何か勘違いしてる住人の方もいるけど」
後ろで結った髪に触れながら恭子はさらりと言ってのけた。
こちらから手の内を晒すのもあれかと、とりあえず全面的に嘘をついた。
しかし、
「あ…」
それを聞いた楽美亜は真っ青になる。
遠回しに勘違いを指摘されて。
それは言った恭子がびっくりするほどの血の気の引き方だった。
「あのっ」
「帰ります」
嘘よ、友人じゃなくてと言うより早く、楽美亜はカップをかちゃんとテーブルに置くと立ち上がった。
見えない何かに追い立てられるように。
一刻も早くこの場を去らなくてはと、ここは悩みを打ち明けられる場ではない、また一人悩みを持ち帰らなくてはと。
「待って!」
「すいませんでした」
玄関へ向かう楽美亜に恭子が言うが、向こうは何も聞こえていないようだった。
「わっ、どうしたの?帰るの?どうした?」
家の前の廊下にいた鈴鹿が、出てきた楽美亜に驚く。
二度目のどうしたで肩を掴もうとして、寸でで止めた。
楽美亜の体は震えていた。
おそらく悲しみで。涙で。
鈴鹿が訝しげな目で恭子を見る。
お前はこんな子供に何をしたのかと。
だがその顔がぎょっとなる。
恭子も泣いていた。
子供のようにポロポロと。
頼れそうな大人を見つけて、おそらく嘘までついて会いに来てくれたのに。
それをたやすく突っぱねた自分の罪悪感に。
大人な自分の残酷さに。
「なに、どうしたの。泣かないでよ二人して」
二人の間で鈴鹿がオロオロしだす。
取り乱す子供の涙は受け止められるが、女の涙には弱かった。
「きみもさ」
「らみあちゃん」
楽美亜をきみ、と呼ぶ鈴鹿に、恭子が涙声で教える。
「らみあちゃんていうんだ。らみあちゃん、あのお姉さんになんか言われた?」
「あたしたち、付き合ってるよ」
後ろから聞こえた涙声に、楽美亜が驚く。
恭子はさっき言えなかったことを言った。
三人にしか聞こえないくらいの声の大きさで。
ご近所には届かないくらいの声で。
鈴鹿が改めてらみあちゃんを見てみる。
らみあちゃんはどこにでもいる普通の女の子だ。
しかし、抱えた何かと頑なな雰囲気はかつての自分達の中にもあった。
それは今もかも知れないが。
「なにか、あたしたちに聞きたいことがあって来たんじゃないの、っと」
そう言って鈴鹿が肩に手を置こうとして躊躇う。
自分の手はオイルで汚れ過ぎていた。
「やこさん」
そう呼ぶと恭子はおずおずと近付き、楽美亜の頭に手を伸ばした。
触れられた方はびくっとなるが、触れてきた手は優しく頭をポンポンしてくれた。
「うちの奥さんがなんかやらかしたみたいだけど、大丈夫かな」
とりあえず楽美亜を家の中に入れ、玄関のドアを閉めたあとに鈴鹿は言った。
やはりご近所には聞こえないように。
「はい…」
奥さんという言い方から楽美亜はきちんと読み取ったらしい。
関係を。
それを理解し、鈴鹿は安心したように微笑む。
「…なんかいけないことされたわけじゃないよね?」
「鈴鹿っ」
「さすがに中学生はさあ…、中学生だよね?」
「そうです」
まだ涙に濡れた声で楽美亜が言う。
「悩める中学生は、なんか聞きたいことがあるの?恋の悩みかな?」
「あたしたちで参考になるかしら」
恭子が茶化したように言う。
調子を取り戻してきたようだ。
「なります。あのっ」
そして、二人は女の子に教えた。
一番窮屈さを感じるのは今だけで、大人になればある程度自由が利くと。
だがそれを勝ち取るには思っている以上に大変かもしれないこと。
だから今のうちに出来ることを出来るだけやること。
勉強でもスポーツでも、もう少ししたらお金を稼ぐことでも。
なるべくたくさんの武器を持っておけと。
両手に持てず背中に背負うくらいに。
時には家族や親戚を切り捨てることもある。
でもそれは仕方ないことだと。
切り捨てたスペースに新たな繋がりを持ってと。
そして、未来ではなく今は。
好きな女の子に関しては貴女ならいいかもと思わせること。
周囲にバレた場合、まああの子ならいいかと思わせること。
そういった要素があったとしても、受け入れてもらえる下準備をしていくこと。
そして一人で、あるいは愛する人と国の制度や支援など受けれなくても生きていく術を見つけること。
でも使えるものがあったら使いまくれと。
「また来てもいいですか」
二人で玄関まで見送ると、楽美亜は先程の陰鬱さなどどこへやら、図々しくもそう言った。
それは生き抜く上で大事なことだ。
「うん、まあ、休みが合えば」
鈴鹿が腕組みしながら言う。
先程の話の中でもしたが、二人の休みは不定期だ。
女二人で慎ましく生きていくとなるとなかなか多忙になる。
楽美亜が恭子をちらと見るが、
「私は、話すの苦手だけど」
困ったように恭子が言い、
「やこさん」
「話したいことがあるなら」
咎めるような鈴鹿に重ねるように言う。
聞き役なら出来ると。大したもてなしは出来ないが時間を共有するぐらいなら出来ると。
「あとね」
鈴鹿が声をひそめる。
「はい」
「あたし達の家に遊びに来たこと、言わない方がいい」
楽美亜の笑顔が凍る。
なぜ、と。
「バレた時に立場が悪くなるかもしれない。あたし達とらみあちゃんと、あとご家族も」
中学生の肩から力が抜ける。
どうしてと。
こんなにも暖かな場所をみつけたのにと。
「よからぬ想像をする人もいるかもしれない。怪しげな女二人が女子中学生を連れ込んで、いかがわしいことをって。まあ私は見ての通りお子さんには興味ないけど」
言って鈴鹿が恭子の肩に頭を乗せ、それを顔を赤くしながら恭子が手で押し退ける。
それに楽美亜はふふっと笑うが、悲しそうな顔になり、すぐにキッとした顔を真正面に向ける。
いわゆるいい面構えになった。
世間の仕組みを理解した。
二人はまだ異端であり、自分もそうなのだと。
「わかりました。言いません」
「まあ使うなら、そうだね。秘密基地みたいな感じで」
人差し指を唇に当て、微笑みながら鈴鹿が言うと、
「はい」
それならわかりやすいと返事をし、楽美亜は元気に出ていった。
女子中学生を見送ると、はあ、と孫が帰ったあとのおばあちゃんのようなため息を恭子がつく。
「お疲れさん」
苦笑いで鈴鹿が労をねぎらう。
パートナーが子供が苦手なことは当然知っている。
それでも見せてあげたかった。
教科書として。
結婚せずとも世間から隠れるようにしていても、自分達は楽しくそれなりに幸せにやっていると。
常識のレールから外れ、未来が見えない若者に。
「…夕食作らなきゃ」
「うん。あ、恭子」
キッチンに向かう恭子を鈴鹿が呼び止める。
「なに?」
「今日抱いていい?」
「なにを」
「恭子」
間の抜けたことを訊く恭子に、ぽそっと鈴鹿が言う。当然だろと。
しかし少し恥ずかしそうに。
一瞬置いて、恭子の身にぞわぞわとしたくすぐったさと恥ずかしさと嬉しさが足元から駆け上がる。
そして、
「…いいけど」
「そっか。良かった。ご飯早くね」
そう精一杯の素っ気なさで言うと、まだ完全に油を落としきれてない自分の手を見て鈴鹿はぱたぱたと洗面所へ向かった。
それを見送り、恭子はキッチンの方に向き直ると、口元に微かな笑みを浮かべる。
さして広くもない愛の巣。
お母さんに言われ、おやつを食べる前に手を洗う子供のように、鈴鹿はハンドソープで丹念に指を洗い、お湯で洗い流す。
自分を気遣うその水音を、恭子は幸せな気分で聞いていた。
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