彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『片付けられない病』 2袋目

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「さて、どっから手つけようか」

 その日の学校帰り。映実は櫻の汚部屋を片付けるべく、櫻邸へ向かった。
 相変わらず大きな一軒家で、好都合なことにご両親は仕事で留守にしがち。姉は大学入学を期に一人暮らし中。若い二人にとってはこれ以上ないぐらいの好物件だ。
 来る途中、何か掃除用具のようなものを買ってから向かおうとしたが、何を買えばいいかわからなかったので、百円ショップでゴミ袋と二人分の飲み物、お菓子だけを買った。
 早速櫻の部屋のドアを開けると、入り口から二歩ですでに床がものに溢れていた。改めて見ると凄い。

「とりあえず服多いから服はまとめよう。で、いらない服は捨てるか売るかして。いる服は洗って、季節ものじゃないやつはしまって」

 てきぱきと映実が段取りを決める。

「靴箱とかショップ袋は全部捨てて」
「えっ!?」

 櫻が驚きと悲しみが混ざった顔をする。それに対し、

「いらないでしょ?」

 映実がニッコリ笑って言う。意見は受け付けない笑顔で。

「でも…、いつか使うかもしれないし」

 それを聞いた映実は芝居がかった動きでため息をつき、自分よりほんの少し背が低い櫻を抱きしめる。映実の腕の中で、櫻が身を固くする。そして、

「全部捨てますから」

 抱きしめたまま映実がきっぱり宣言する。

「ええっ!?」

 櫻が腕の中で再度悲鳴をあげる。学校にいる間に映実はネットで出来る限りのことを調べあげた。
 おそらく櫻は片付けられない病だった。
 そして片付けられない病は捨てられない病を併発している。
 片付けの基本は捨てることだ。捨てれば片付く。簡単で、とてもシンプルだ。
 しかし櫻はおそらくそれが出来ない。
 言葉で語らず、映実は宥めるように頭をポンポンと叩き、もう一度櫻を抱きしめる。

「…ごめん」

 映実の腕の中で櫻が呟く。
 ダメだと思っていてもどうしようもないのだ。自分では捨てられない。片付けられない。

「大丈夫だよ」

 櫻は病気だ。
 そして片付けられない病なんて病気は簡単に治せる。風邪よりも簡単に。
 映実はバッグから携帯音楽プレーヤーと手のひらサイズのスピーカーを取り出した。

「とりあえず30分目安でやろうか」

 音楽をかけ、時計を確認して作業を開始する。
 部屋には入るのは映実だけ。櫻は入れない。片付けられない病の人間はいざ片付けても何からしたらいいのかわからなかったり、手にしたものを懐かしんだりで役に立たない。
 映実一人でやるしかない。一人で片付けるしかなかった。


 映実の身体に変化が現れたのは作業を始めて1分後だった。
 鼻がむずむずし、喉が痒い。目が痒い。

「あれっ?あっ、しまった」

 花粉症と同じ症状だが違う。

「やっべ」

 映実は埃アレルギーだった。買ってくるものはマスクと伊達眼鏡だった。
 しかしもう遅い。既に埃と服の細かい繊維をたっぷり吸い込んでいた。

「あー、櫻ぁー」
「なに?」

 廊下でおとなしく座っていた櫻が入り口から顔を覗かせる。

「細長いタオル貸して。顔に巻けるようなやつ。あとゴーグルみたいなのある?」

 言ってるうちにみるみる鼻がぐしゅぐしゅし、喉と目の痒さがひどくなる。


 映実が部屋に積まれた服どもを景気よく、ばすばすとゴミ袋に詰める。
 音楽プレーヤーはあまり難しいことを考えなくてすむよう、ノリのいい曲ばかりを入れたフォルダを選んでかけていた。
 それが作業の効率を良くし、20分後には服が入ったゴミ袋が廊下にいくつも並んだ。 

「これ着るの?」
「着る」
「これは?」
「着る」
「これはいるの?」
「いる」
「このTシャツは?首よれよれだけど」
「いる」
「このパーカーは?子供っぽいの」
「中学の時着てた奴」
「いらないよね」
「いる」

 映実が借りたタオルを口に巻いたまま、くぐもった声で聞いていく。この服はいるのか。いらないのか。
 それに対し櫻は同じような、発展性のないことを言う。まったく捨てる気がない。
 映実はタオルの向こうでため息をついた。タオルを首もとまで下げると、櫻の手首を掴み、

「なに?ちょっと!」

突然のことに驚いている恋人をゴミ袋が散乱する廊下に押し倒した。

「今日中に部屋片付かないとここでするけど」

 鼻が詰まり、目が赤らんだ状態で映実が言う。映実の鼻先以上に櫻の顔が赤らむ。

「……わかった」

 観念した櫻は、映実がいらない服候補にあげた服をいらないもの袋に詰め、しっかり封をする。それらをとりあえず玄関に運ぶ。それだけでもかなりの成長だ。

「あとはカバンかな。よっ、ほっ」

 池の上の浮き石を渡るように映実が部屋を飛び跳ねて通り、カバンだけをピックアップしていく。薄汚れたリュック、トート、肩掛けカバン、ポーチ、雑誌の付録らしきもの。いくらでもあった。

「これは?」
「中学の時部活で使ってたやつ」
「いるの?」
「いる…。いらない」
「これは?」
「小学校の時、塾行くのに使ってたやつ」
「いるの?」
「…いらない」
「このトートの山は?」
「いらないっ」

 徐々にだが部屋は片付いていった。気付けば作業から一時間半が経っていた。

「あー、ちょっと休憩」

 買ってきた飲み物で喉を潤すと、映実は音楽プレーヤーを止めてからゴミ袋が並ぶ廊下に横たわった。
 鼻が詰まり、呼吸がつらい。タオルマスクのせいで熱が篭り、少し頭が重い。
 段々と思考が鈍くなっていく。作業も荒くなっている気がした。
 廊下の床の冷たさと静けさを感じながら、映実は口呼吸をしながらぼんやりと櫻の方を見た。
 櫻はゴミ袋の間の狭いスペースで、ちょこんと体育座りをしてこっちを見ていた。
 櫻が映実、と辛そうに呼吸をする恋人の名を呼ぶ。

「何?」
「今日、お姉ちゃんの部屋でする?」

 一瞬何のことだかわからなかった。何をするのか。
 その意味がわかり、映実が顔を赤らめる。

「いいよっ」

 そうとは知らず映実が櫻の姉の部屋でしようとした時、櫻は嫌がっていた。当然といえば当然だが。

「でも、今日中に終わんないよ」

 夕方から始めた片付けはいまだ終わらず、外はすでに夜になっていた。

「別にそれ目的じゃないし」
「だって」
「最初はそれ目的だったけど、これ見たらもう」

 これ、と映実が手に持ったペットボトルで指し示す。だいぶ片付いたとは思ったが、改めて考えれば片付けはやっと3割終わった程度だ。
 いらないものを仕訳して、部屋から出しただけ。そこからいるものを戻し、収納しなくては。ベットも、シーツや布団カバーを洗い、冬布団を出さなくては。やることがたくさんある。
 それを考えたら部屋でするだのどうこう言ってられない。果たして終わるのか―。
 呆然と部屋を見ながら、映実が鼻をぐしゅぐしゅと鳴らしていると、

「ごめんね、あたしわかんなくて」

 櫻が自分の膝に顔を埋める。その声は涙に濡れていた。

「お姉ちゃんがいた頃はお姉ちゃんに手伝ってもらってたんだけど、お姉ちゃんいなくなってからやり方わかんなくて。お母さんも、自分の部屋ぐらい自分で掃除しなさいって言うし」

 ゴミ袋の山で泣く恋人。そして自分の目の前にはその恋人の汚部屋。
 擦り過ぎて腫れぼったくなった目で映実がそれを見る。
 状況も光景も、悲しみ以外の何物でもない。

「櫻、いつから自分の部屋あんの?」
「小学生」
「そっか…」

 映実たち姉妹は小さい頃から六畳という空間で、お互いの領土を侵略しないようにしてきた。しかし、小学生からあんなに広い部屋を与えられたら片付けも出来なくなるのかもしれない。
 片付けなくても広いのだから。
 広い部屋が物で侵略され始めてもまだ広い。更に侵略されてもまだ平気。そして完全に物で制圧された頃には手がつけられない。
 家が広いから、親がいないから友達が来てもリビングで遊べばいい。
 男の子は掃除が出来ないからと親が介入してくれる。でも女の子はそれぐらい出来て当然と干渉しないのかもしれない。物欲が多く、買い物依存性になりやすいのは女なのに。

「櫻」

 廊下を四つん這いで進み、映実が小さく縮こまった恋人を抱き寄せる。

「やべー、櫻泣くとムラムラしちゃうんですけど。ここでしちゃうよ?いいの?」

 それは泣いてる恋人を笑わせるための、慰めるための軽口だった。頭が回らないので、あまり気の利いたことが言えない。しかし櫻は、

「いいよ」

 映実の腕の中であげた櫻の顔は映実以上に目と鼻が赤く、涙が滲んでいた。
 映実が戸惑っていると、櫻はその首にゆっくり腕を回し、ゴミ袋が並ぶ廊下に押し倒した。

「わっ」

 いらない服が満載に入った柔らかなゴミ袋の間で、櫻が映実の首に口付ける。許しを乞うように、懺悔するように。
 いつもの櫻はこんなに能動的に迫ってこない。恋人の身体を抱きとめながら、こういうシチュエーションも悪くないと、映実は思った。
 けれど掃除をしたばかりの自分達の手はあまりにも汚れていた。
 お互いの粘膜を触れ合うにはあまりにも汚れている。そして身体を重ねるにはあまりにも環境が劣悪すぎる。
 頭が回らない。しかし理性がダメだと言った。

「ダメダメダメっ!」

 耳に指を這わせ、頬にキスを繰り返す櫻を、映実が押し退けた。

「終わったら、終わったらするからそれまではダメっ!」
「だって」
「今日終わんなくても明日やればいいでしょ?どうせ今日中に終わんないよ、こんなゴミ溜め!」
「ひどいっ!ゴミ溜めって!」
「本当のことじゃんっ!とんだ汚部屋だよ!とんだ汚ギャルお嬢様だよっ!」

 さっきまでの性的雰囲気はどこへやら。二人はいつしか笑っていた。
 休息と充電は充分に出来た。
 映実は再度、作業を開始した。


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