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act.3 常夜心酔
3-3
しおりを挟む「勧誘と言うか取引ですが、呑んでくれれば我々は人界から一切手を引きます」
「え?…一切?」
「はい」
絶対ロクでもない条件に違いない。身構える青年を他所に、彼は皮手袋を付けた指でコートの懐から謎の小瓶を取り出した。
「これを埣取さんに盛って欲しいんです」
「……毒か?いや、何でサトリさんに…」
「捕縛用の昏睡薬です。実は弊界の王が彼の身柄を欲してまして」
何故?少ない脳容積が疑問で満ち、創はじっと透明な瓶の中身を凝視する。
敵の目的は父の殺害だった筈だ。それを従者の身柄で妥協するなど、傍目にはまったく交換条件になっていない。
「前魔王はご隠居なさっているんでしょう、今更王位に戻る意向もなさそうですし、眠れる獅子を起こす気はありません」
「いや…だからってサトリさん連れてってどうする気だよ」
「知りませんけど、公妾にでも迎えるのでは?」
「コ…ショウ?」
「平たく言えば愛人っすね」
ガッタン。派手な音と共に、創が縛り付けられた椅子ごと立ち上がる。バイパーの目は未だ興味深そうに人の子を値踏みしていたが、青年は既に怒り心頭で叫んでいた。
「できるかあ!そんなもん!!!」
「うーん?破格の条件だと思いますけどねえ…既に君たちだけの問題でもありませんし」
また怪訝な面になる創の前で、黒いコートを纏う男の輪郭が歪む。何か術でも使う気かと後ずされば、次の瞬間悪魔は見慣れた友人の姿形に変化していた。
出会した日に同じ、人智の及ばぬ魔法に息を呑む。悪魔はほくろの位置から髪の癖から。何処を見ても完璧に友人の姿を再現し、瞳だけが蛇の瞳孔を湛えてこちらを見ている。
おまえにそれは瞬きの間に輪郭を変え、別の友人、また別の友人へとホログラムみたいに移り変わった。その筆舌に尽くしがたい気持ちの悪さに、上から背筋を撫ぜられた様に悪寒が走る。
「お前…!それ、お、俺の…!」
「我々、人間殺せないんですよ~…何てのも昔の話でね。現魔王が法改正に踏み出したお陰で、人界で大分自由に動けるようになりそうです。ゲートも一般開放されるでしょうし」
「はあ!?ちょっと待て…そんな事したらどうなんだよ」
「溢れますかね…人界に魔族が。君の友人や知り合いにも早い内にお別れを言った方が良いかもしれません。しかしまあ、本官もそんな紊乱やぶさかじゃありませんし、此処は世界を救う為に協力しましょうよ」
元の容貌に戻ったバイパーがコートを探り、煙草を取り出して一本咥える。青年は嗅ぎ慣れたあの苦さを予期して身構えたが、辺りに漂ったのはチョコレートを思わせる甘ったるい香りだった。
「一滴の血も流れず平和が保たれるならいい事じゃないですか。増して氷の一族の寿命なんて130年程度なんだから、あと数年の命でしょうし」
「……あ?」
冷や汗を流していた青年の挙動が止まり、看過できない発言にブレーキを掛ける。
130年。あと数年の命。埣取当人から呪いの旨は聞いていたが、具体的な残り時間を告げられた衝撃は想像を絶した。
手を拱いていれば、彼はあと数年で死んでしまうのか。
それを当人も察し、恐らく最後の仕事として父を説得するため人界に降りてきたのだろう。そんな悲哀や弱音など微塵も聞けずにいたが、そもそも自分とは短い付き合いと割り切っていたのか。絶句。
「幾ら美しかろうと、君も若いんですから…もう少し長持ちする花を選んだら良いのに」
「…何だって?」
「死に損ないを護るより、もっと有意義な時間の使い方があるって話です」
柔和を保っていた悪魔が嘲り、化けの皮を剥がして明け透けな本音を吐く。こちらの恋慕を知った上で蔑むような物言いに、創は久方振りに我を忘れて地を這うような声を出していた。
「もう一度言ってみろ」
恐らく両手が自由だったとして、一つの傷も負わせられないだろう。それほど圧倒的な力量差を理解しながら、青年は抑えきれぬ憤懣に震える。
黄色い蛇の目が不思議そうに瞬き、人の子の怒りを眺めている。尚も余裕を崩さぬそのさまに、創は声を張り上げて応戦を迫った。
「聞こえてねえのか!!もう一度言ってみろよコラァ!!!」
ガシャーン!と大仰な音を立てて括りつけられていた椅子が落下した。それはだだっ広い倉庫に転がって反響し、数コンマ無音の間を生み出した。
悪魔は呆けた様に青年を見詰めている。なんせ、先ほど自分が魔力拘束を施した椅子だ。唯の縄でない、人の子が暴れようがどうにも出来ない筈の枷。
「――ちょ、ちょっと待った!」
そのまま距離を詰めて拳を振り被れば、何やらバイパーは一転して動揺し、静止に手を掲げている。
「暴力は止めましょう!本官は非戦闘員なんでそう言うの請け負ってないんすよ!」
「嘘吐けェ!!貴様、その上着に仕込んである大量の武器は何だ!!」
「分かりました分かりましたから、少し待って下さい…」
言って背後に飛び退くと、バイパーは左手を光らせて数メートル四方の魔法陣を描く。同時に辺りがカッと鋭い光に焼かれ、創が誘拐された時に同じ真っ白い壁に包まれていた。
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