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第2章 国立キャルメット学院の悲劇

動き出す右腕

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 呆然と立ち尽くすコータは、意識が戻ったマレアに気づいた様子はない。
 そんなコータの瞳は、いつもの黒い瞳ではない。何かに取り憑かれたかのような、光りを放つ蒼色。
 ただ瞳の色が違うだけ。たったそれだけなのに、マレアには全く違う人に見えた。

「コータ……?」

 僅かに零れた言葉。しかし、コータはそれに反応すら見せず、覚束無い足取りで歩き出す。
 マレアはそれを追いかけようと、立ち上がろうとする。だが、痛みが全身を襲い、立ち上がる力が湧き上がらない。
 その間にもコータは、学院の方へ向かって歩いている。
 その背中を見たマレアは、怖気を感じた。
 滲み出す強さ、魔力量。それはこの世に存在していいものではない。
 異次元の、それこそかつて存在したと言われている魔人や魔王の類いを連想させた。
 話でしか聞いた事のないそれを思い浮かべるほど、今のコータは人間離れをしている。

「我の足は空に 駆け抜ける疾風に
 汝の理を瓦解させよ 飛行魔法"フルスロ"」

 瞬間、コータを纏う空気が一変する。超常の存在へとお仕上げ、失われた魔法として世間に知れ渡っている飛行魔法を使用する。
 コータの言葉はハッタリではなく、本当に体を浮かす。風を操り、ふわふわと浮かび上がる。
 僅かしかいない重力魔法の使い手がこぞって研究をしていると言われている魔法。それをつい先日まで、魔力制御すらままならなかったコータが、難なく使いこなしている。
 夢でも見ているのか。マレアはそう思ったに違いない。
 蒼色の瞳は、光こそ放っているが、コータらしさは感じられない。その瞳で学院を捉えたコータは、目にも止まらぬ速度で、その場を後にする。


 * * * *

「おぉ、モモリッタ……」

 自分に駆け寄ってきた女子生徒の名を呼ぶククッス。しかし、その顔を見て表情が崩れる。
 それは今しがた倒したばかりのオーガのなりかけだったからだ。
 顔色は人間のそれとは掛け離れた紫色になり、目も釣り上がっている。
 あとは額から黒曜石のような角が生えていれば、オーガの完成と言えるだろう。

「せんセイ、森ノ中でみんナガ」

 言葉が拙くなっている。もはや一刻の猶予もないと、ククッスの本能が叫んでいる。

「みんなって、コータたちか?」

「はイ」

 しかし、ここで問答無用にモモリッタを殺す勇気はククッスには無かった。
 ――これなら完全に正気を失ってくれていた方が良かった。
 そんなことを思いながらも、未来のために殺さなければ、とククッスは柄を強く握る。
 その瞬間、全身の毛が逆立つほどの圧倒的な魔力を感じた。
 ククッスとモモリッタは、その魔力を感じた方向、上を見る。

「まさかッ、援軍!?」

 オーガだけでも手がいっぱいという状況に、更なる強者が出てきたのか、と焦るククッス。
 しかし、それはいらぬ心配だった。
 上空から姿を見せたの、2人がよく知る人物コータだった。
 コータは、蒼色の瞳で周囲を見渡す。そしてオーガを視界に捉えるや、目にも見えぬ速度で詰め寄り、圧倒的な魔力を封じた魔法を放つ。同時に、オーガはおびただしい量の血を撒き散らし、木っ端微塵に吹き飛ぶ。

「あれは一体……」

 対抗戦が始まる前、いやもっと言えば模擬戦争が行われる前までのコータとは明らかに違う。
 そう感じたククッスは、声を震わせて呟く。
 オーガを殺すことに何の躊躇いもなく、圧倒的な力でねじ伏せている。

「わかラなイ」

 モモリッタですらも分からない。一体何がどうなって、この状況になったのか。
 そんな言葉を零す二人に、コータは一瞬視線をやる。だが、それだけ。話しかけることはおろか、まるで他人を見るような視線を浴びせる。
 そしてそのまま、次なる目標に向かって移動を始める。


「コータ……だよな?」

 人としてのそれを感じさせなかった彼に、ククッスはそう零すしかなかった。


 * * * *

 次々と"駒"であるオーガが殺されていく様子を、学院長室から眺めていたインタル。
 過去、魔族の襲来により最愛の妻と娘を失い、復讐を強く望むインタルにとって、これは前哨戦だ。
 このようなところで躓いていては、決して魔王を殺すことなどできるわけが無い。
 人間と魔族の平和。そんな時代が来るとは思わない。ただ、互いが不可侵で、接触しなければ同種のみの平和は望めるはずだ。
 インタルはそれを望んでいた。だからこそ、ここで駒を増やし、魔族領へと帰るのだ。

「ヤバい状況になってきたと思われるが?」

 同室にいるインタルの腹心、イグニティはそう呟いた。

「そうですね。なら、あなたを投入するまでです」

「マジかよ」

「マジですよ。私はあなたを信じていますし、あなたならこの状況を変えられるでしょ?」

 イグニティを試すような口調。そのように問われ、イグニティがやる気を出さないわけが無い。

「当たり前だな。オレサマが出て負けるわけがない」

「ははは。頼もしい限りだ。それではお願いするよ?」

「あぁ。任せておけ」

 短くそう告げたイグニティは、勢いよく学院長室から飛び出す。

「本当に、彼らしい。元軍人の血が騒いだかな?」

 勢いよく閉めた扉が反動で少し開く。そこを眺めながら、インタルは呟く。
 視線を外すことなく、インタルはパツパツになった服の胸ポケットに手を忍ばせる。
 取り出したのは一枚の写真だ。
 そこには片目を髪で隠した1人の青年が写っていた。

「イグニティ、君は忘れているかもしれないが、君は人間を守るために、人間に殺されたんだ。だからこそ、私は人間にも復讐をする。私の妻子を守れなかった人間と、決別するために」

 軍服に身を包み、屈託のない笑顔を浮かべた人間の姿のイグニティ。嬉しそうに敬礼をしており、その隣には容姿こそあまり似ていないが、おおよそ兄妹だと分かる幼い女の子が写っている。

「君は驚いたね。私が人間だと伝えたとき――」

 インタルは自らの過去を打ち明けた時のことを思い返しながら、扉に向かって歩く。そして扉に手をかけ、ゆっくりと閉める。

「――でもね、オーガは元々みんな人間なんだよ。オーガなんて魔物は存在しなかったんだよ」

 インタルはそのまま学院長の机の前に立ち、机を叩き割る。
 同時に、その上にあった紙や本やらが崩れ落ちる。そして、崩れ落ちた本の中から1冊を抜き出す。

「こんなことをする連中がいるから、魔物に堕ちるものが出てくる。オーガは人間の造った魔物だ」

 手に取った本には、人体錬成と書かれている。
 インタルが行っていた人体蘇生魔法から派生した禁断魔法の1つだ。

 インタルを魔物化させたウルアルネに何故自分をオーガと呼ぶのか、と問い詰めたことがあった。
 すると、ウルアルネは何ともないように答えた。
 禁断魔法の1つである人体錬成には副作用があり、その失敗作として、人間が魔物化した。
 その魔物を人間がオーガと呼んだらしく、それを真似たと告げていた。

 インタルはイグニティの写真を胸ポケットに戻し、手に残ったままの人体錬成について書かれた本をぺちゃんこにひしゃげた。

「私は私の望む世界を作り上げる。人間も、魔物も、私の思い通りにならないものはいらない」

 軋むほど強く噛み締めた歯と歯の間から零す言葉。
 インタルがそれを吐くのとほぼ同時に、イグニティがコータの前に立つのだった。
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