先生、付き合ってもらえますか?

リョウ

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「でも、私のが年上で先生だし」

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 なんだったんだ?

 今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた亜沙子。あんな顔した亜沙子は今まで見た事がなかった。

 見なければよかった……。

 みなが荘を出るも、亜沙子の切なく胸を締め付けるような表情が脳裏からこびりついて離れてくれない。
 あの顔が一体、何を意味するのか俺には分からない。分からないから、余計に気になって。
 もう少しちゃんと、話せば良かったのかとか、色々考えてしまう。

 みなが荘から学校までは、交差点を3つ経由すれば着く。
 みなが荘から見て1つ目を右に曲がり、2つ目を真っ直ぐ進み、最後を左に曲がると学校が見える。
 迷いこそしないが、道を間違えると到着までに余計な時間がかかる。
 その道を歩く足取りは、いつもよりは軽い。やはり夢叶先生が待っているということがわかっているからだろう。でも、自分が思っている以上に足取りは軽くなかった。

 ほんと、何だったんだよ。

 楽しくなるはずだったのに。余計な思考が、夢叶先生との時間の邪魔をする。
 なんで俺、こんなに気にしてんだろ。
 ため息をつきながら、2つ目の交差点が青信号に変わるのを待つ。
 こんなに信号変わるのが長いと思うなんて。

 対面には男性が1人立っている。黒いスーツに身を包んだ、どこか見覚えのある人物に思えるのはたぶん気のせいだろう。

「はぁ.......。早く夢叶先生の所に行きたいのに」

 好きな人を待たせるとか、男の恥もいいところだ。
 そんなことを思っていると、信号が青に変わり、それを知らせるカッコーの音が鳴る。
 同時に動き出すと、俺は自然と早足となっていた。
 どこか見たことある感じの男性は、少しうつむき加減で夕陽と重なることもあり、顔がよく見えない。

 まぁ、たぶん知らない人だろうな。

 そう思いながら、その男性を通り過ぎようとした時だ。

「世の中、簡単じゃないんだよ」

 低く、渋い声が俺の耳に届いた。

「え.......?」

 思わず声を洩らし、振り向くも男性は何も無かったかのように、スタスタと歩き去っていく。
 どういう意図で、あの男性が言葉を零したのか。言葉は、ただの独り言だったのか。それとも俺に向けられたものだったのか。
 分からない。俺には何もかも分からないけど、ここで考えている時間はない。
 考えている暇があるならば、俺は夢叶先生と居たいから。

 そうこうしているうちに、俺は校門前に着いた。そこには、どこかソワソワした様子の夢叶先生が立っていた。

「あっ、稜くん!」

 夕焼けを背に、嬉しそうに微笑む彼女の姿は神々しく、俺なんかが見ていていいのかとすら思ってしまう。
 夢叶先生は小走りで俺の元まで駆け寄ってくる。その拍子に、学校では匂わなかった仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「お待たせしました」

 走った、というわけでもないのに息が上がってしまう。夢叶先生という、憧れの人との待ち合わせというシチュエーションだけで、俺は満足出来ているのだ。

「うんん、全然待ってないよ」
「それは普通、男が言う台詞ですよ」
「え、そうなの? でも、私のが年上で先生だし」

 そう告げた彼女の表情からは打算や策略などは微塵も感じられず、ただ純粋にそう思っているということだけが伝わってくる。
 屈託のない笑顔を向けられ、とても嬉しく幸せな気分になれた。だけど、同時に彼女の言葉に胸が締め付けられた。

 先生だから――

 それは昨日の俺の言葉が響いてない証拠。好きだと言う思いも、立場の違いから跳ね除けられているとしか思えない。

「それでも、その台詞は男に言わせてください」

 俺は悲しみが表に出てこないように、奥歯をぎゅっと噛み締めてから、精一杯気丈に振る舞った。

「そういうものなかなぁ、男の子って」
「そうですよ。それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
「うん。案内、お願いね」

 学校に居た時とは少し違う。薄いピンクのTシャツに、ジャージのズボンを穿いた部活指導後らしい格好の夢叶先生。その隣を歩けることを新鮮に感じながら、俺は夢叶先生と同じ歩幅でみなが荘へと向かっていく。

 ほんの5分ほどしか2人きりで居られない。
 そんな僅かな時間でも、大切にしたいから。俺を男として見てもらうための時間にしたいから。
 何か言葉を紡ごうとする。しかし、ふわっと浮かんできた言葉は刹那で泡沫に消え去り、紡ぐべき言葉が分からなくなる。
 餌を待つ魚のように、口を開けては閉めてを繰り返していると、不意に夢叶先生が口を開いた。

「あ、あのね。稜くん」

 意を決したような、いつもより少し強ばった声色の呼び掛けに、俺も少し声色が固くなる。

「な、なんですか?」

 何を言われるんだろう。やっぱり昨日のことかな。いや、でも朝は何も言われなかったし。夢叶先生だって、気にしてた様子はなかったし.......。
 考えても答えが出るわけもなく。俺はゆっくりと夢叶先生の方を向く。
 夕焼けのせいなのか。それとも、また別の理由があるのか。頬を真っ赤に染めた夢叶先生は、深く深呼吸をしてから、ゆっくりと言葉を零した。

「き、昨日のことなんだけど」

 ズキン、と胸が大きく跳ね、ぎゅっと締め付けるように痛む。
 触れて欲しかった。ずっと、今日1日ずっと。夢叶先生に触れて欲しかった話題。でも、いざその時が来ると、緊張と恐怖が俺の中を支配していく。
 サーッと体温が下がっていくのが、体感的に分かる。

 足ってどうやって動かしてたっけ?
 歩くのってどうすればいいんだっけ?
 呼吸って、今してる?

 つい先程まで意識すらせずに出来ていた事が、何故か分からなくなる。襲ってきた先生の言葉に、脳が支配され、それ以外のことが蚊帳の外になる。

「私は先生だから。稜くんは生徒としては好きだよ。でも、それ以上にはなれないよ」

 固く決意のこもった声色だ。俺がどうしても、どんなに駄々をこねても、夢叶先生の答えは変わらないような気がした。
 
「そう.......――」

 ですよね。あとたった四文字。たったの四文字で文ができるのに。俺の口から言葉がこぼれることは無い。
 分かっていた。こうなることは分かっていたのに。
 いざ答えを言われると、辛くて全身が張り裂けそうな、そんな感覚に襲われた。
 虚ろになった目で捉える視界。そこに映る夢叶先生の姿は、言葉とは裏腹にどこか切ない様をしているように感じた。
 でもそれは、気のせいかもしれない。俺が都合のいいようにそう解釈しただけだと思うから。
 でもずっと勘違いの解釈をしたままでいよう。きっと、そっちの方が俺にとっては楽だから。

「ねぇ、稜くんは今まで恋、したことある?」
「ないですよ」
「そっか。じゃあ、これからもっと色々な恋をしていくといいと思うよ。まともに彼氏もいなかった私が言うのも変だけど」

 自嘲気味に言う夢叶先生。その姿があまりにも切なくて儚く見え、俺は思わず夢叶先生の手を握った。

「え? ど、どうしたの?」

 あまりの突然の出来事に、夢叶先生は素っ頓狂な声を上げて驚いている。

「夢叶先生は俺の全てなんです。だから、自分を卑下するようなことは言わないで下さい。夢叶先生は、夢叶先生が思っているよりもずっと、ずっと素敵な人です」
「あ、あはは。まさか、稜くんに慰められる日が来るとはね」
「な、なんですか.......」

 握っていた手を離し、赤く染った頬を隠しすようにそっぽを向く。すると夢叶先生は、小さく笑った。

「やっぱり稜くんは優しいね」

 そして、囁くようにそう言った。甘く、蕩けてしまいそうな声は、俺の耳にハッキリと届いた。しかし、それについて俺は何も言わなかった。
 例えそれが本心だったとしても、俺が夢叶先生から欲しいのはそんな評価じゃないから。
 夢叶先生に言って欲しいのは、そんな誰にでも言えるような単語じゃないから。
 気づかない振りをして、眼前に迫ったボロいアパートのような建物を指さす。

「あれがみなが荘です」

 行きは引っかかった信号にも、1つも引っかかることなく辿り着く。2人きりでいる至福の時間の終わりに、寂しさを感じつつもどこか安堵している自分がいることにも気づいていた。
 このまま2人で居ても、何も進展することは無い。いや、むしろ後退するような気しかしなかったから。

「あれがみなが荘なんだね。なんだか.......」
「ボロいでしょ」
「う、うん.......」

 言葉を選ぼうとしていた夢叶先生に、1番分かりやすく単純な言葉をぶつける。夢叶先生は少し困った顔を見せながらそれを肯定した。
 困った顔も、すごく可愛い。整った眉が八の字になって、コロコロ変わる表情は見ていても飽きない。

 ずっと、ずっと。夢叶先生の隣に居たい.......。

「どうぞ」

 そんな叶うはずのない願いを心に秘め、俺はみなが荘の扉を開けた。

「ただいま」

 2人きりでいる幸せからは解放されたが、2人きりということで張っていた気が解放されたことに安堵を覚える、柔和な声で言う。
 それに続いて、どこか遠慮したような夢叶先生の声が響く。

「お、お邪魔します」
「お邪魔って、ここ一応学校のものだから」
「それもそうだね」

 靴を脱ぎ、夢叶先生に上がるように促す。

「えっと.......」
「鞄、持ちましょうか?」
「お願いできるかな?」

 夢叶先生の鞄を預かろうとすると、ドンドンと階段から誰かが降りてくる音がした。たぶん、亜沙子だろう。きっと、先程のお願い事とやらを言いに来たのだろう。
 にしても、あの時のあの表情って一体なんだったんだ。
 夢叶先生を迎えに行く寸前、亜沙子の見せた哀愁漂う表情。帰りこそ、夢叶先生との時間が楽しく忘れていたが、行きは脳裏にこびりついて離れなかったあの表情。気にならないと言えば嘘になる。

「って、重!?」
「ごめんなさい。授業で使う資料とか色々あって.......」
「夢叶先生、毎日こんなに重たいもの持ってるの!?」

 あまりの重たさに目を丸くすると、夢叶先生はつい先程までしていた話が無かったかのように、ケタケタと笑いながら言う。

「これでも軽い方なんだよ?」
「これで軽いなら、いつもはダンベルみたいなの持ってるってことになるよ?」
「それは言い過ぎだよー」

 夢叶先生が知らない振りをするならば、俺もそれに合わすしか無い。みなが荘にいる人は、俺が夢叶先生に想いを告げたことを知っているけど。夢叶先生はみなが荘の皆が知っていることを知らない。だから、隠そうとするならば、俺も付き合う。
 にこやかに笑って、会話を重ねていく。
 そんな時だった。先程よりも一層強い音を立てて、階段を降りてきた亜沙子。
 そして、そのまま俺たちの前まで歩いてくる。

「あっ、内田さんもみなが荘で生活してるんですね」

 夢叶先生は亜沙子を見るや、微笑を浮かべて言った。亜沙子はその言葉に見向きもせず、俺を指差して言う。

「今度の日曜日、ウチとデートしてもらうし」
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