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「本気の――好き、なんです」
しおりを挟む聞き間違いじゃないよな?
いま、夢叶先生の声がしたよな?
夢叶先生のことを考えすぎで、幻聴を聞いた、とかじゃないよな?
てか、いまそんなに夢叶先生のこと考えなかったと思うんだけど。
「な、なぁ.......」
募る不安を描き消すように、亜沙子に呼びかける。
「何だし?」
「い、今。夢叶先生の声しなかったか?」
「聞こえなかったし」
何を言ってるの、と言わんばかりのキョトンとした表情を浮かべた亜沙子。だがしかし、夢叶先生の声を誰よりも気づけるのは俺なんだ。
俺は誰よりも、夢叶先生を想っている自信がある。だから、きっと聞き間違えなんかじゃないはずだ。
きっと、きっと夢叶先生はいるはずだ。
「これが稜くんの部屋?」
「ここでスイカ」
俺の部屋の扉の向こう側。そこから、綾人さんの声と一人の女性の声がした。
そうだ。この声は間違いない。俺が恋焦がれてやまない、夢叶先生の声だ。
「なぁ、なぁ。聞こえたよな!」
「はいはい、何か聞こえたのは認めるし」
亜沙子は少し寂しそうな表情を浮かべながら、曖昧な声色で返事をした。それからゆっくりと、机の上にシャーペンを置いた。
ゆっくりと、深く息を吸い込む。
「そんなに先生がいいの?」
「あぁ。俺はいま、夢叶先生以外見られない。それくらいに好きなんだよ」
「恋は盲目、って言うけど。ここまでとは思ってなかったし」
亜沙子は呆れたかのようで、切なさを感じさせるようで、哀しそうな表情を浮かべた。
「どうしたんだよ」
「別に、なんでもないし」
亜沙子がそう言うのとほぼ同時で、扉がノックされた。
「はい」
少し遠慮したような。少し緊張したような。
そんなノックのように感じられた。
「南先生だけど。いま、大丈夫?」
「は、はい!」
嬉しさが極まり、声が裏返りそうになった。それをどうにか抑えて返事をすると、ゆっくりと扉が開く。蝶番が軋み、キィーと泣く。
「あ、稜くん。勉強してたんだ!」
「ま、一応? テスト前ですし」
「そっか。偉いね」
屈託のない笑みをこぼした夢叶先生は、タイトスカートを綺麗に折り曲げ、床に座る俺と視線を合わせる。
「そ、そうでしょ!」
「私が誘ったんですけどね」
胸を張り答えた所に、亜沙子が水を差す。
でも、そんなことよりも、夢叶先生が来てくれたことが嬉しかった。俺の様子を見に来てくれたのだろうか。
あの日の告白が――実を結んだのだろうか。そんなことが脳裏によぎる。
「おいおい。それは言わない約束だろ」
「そんなこと言われてないし」
ぷいっ、とそっぽを向きながらそう言うと、亜沙子は置いていたシャーペンを手にし、数学のワークに視線を落とす。
「過程なんてどうでもいいだろ」
「やることが大事だからね」
夢叶先生は苦笑混じりで言葉を紡ぐや、すぐさま表情を引き締め直した。
「それでね、稜くん。青井くんのこと何か聞いてる?」
「海斗先輩ですか?」
いつもニコニコしているからこそ、たまに見せてくれる真剣な表情はギャップがあって胸が締め付けられ、ドキッとする。
ドキッとしたけど、同時に残念だった。業務的に来たのだと、言われたようなものだから。
俺の想いはいつになれば.......。心がぎゅっと締め付けられる。
「うん。最近、学校に来てないらしいの。それが職員会議で問題になって.......」
「あっ。そう言えば、みなが荘でも見てないし」
端正な顔に困惑を刻みつける夢叶先生に、亜沙子が思い出したかのような口ぶりで言う。
「青井くんって、そんなにみなが荘に居ないの?」
更に困惑を深めた表情で、夢叶先生は俺と亜沙子を交互に見る。
「え、いや。なんて言うか、その.......」
「どういうこと?」
眉をひそめる夢叶先生。口を濁す俺に詰め寄り、海斗先輩がどういう人となりなのかを知ろうとしている。
だが、海斗先輩の行動と言えば十八禁ものだ。それを夢叶先生に向かって言うのは憚《はばか》られて、口を噤んだしまう。
もし口にして、夢叶先生に引かれでもすれば。未来が閉ざされてしまう。
「夜帰ってこないことはよくあることだし」
「え、そうなの? どうして?」
口を開いた亜沙子。その内容に、ただでさえ大きな目を見開く夢叶先生。
学生が夜に寮を空けて出掛けている。その理由が分からない。早くその答えが欲しいのか、前のめりで聞き返してくる。
亜沙子は一瞬俺を見る。
その目からは、答えるの? と訊かれている気がして。思わず目を逸らしてしまう。
すると、亜沙子は分かりやすくため息を吐き捨て口を開く。
「女の人と遊んでるんですよ」
手にしたままだったシャーペンを置き、亜沙子は天井を見上げるようにして言う。それを聞いた夢叶先生は、顔を真っ赤にして、戸惑いを隠せない様子を見せる。
「え、だって。高校生だよね? そ、そんな.......」
「今の高校生、舐めちゃダメですよ?」
天井を仰いだまま、亜沙子はそう告げる。
「そ、そうなの?」
そんなことありえないでしょ。表情にそう現れている夢叶先生は、助けを求めるように俺に話を振る。
「さ、さぁ。わかんないです。でも、まぁ今はスマホとかで色々見れますしね」
そういうものに触れる機会というのは、昔より遥かに多くなり、ハードルも下がっているだろう。
だが、昔は今よりも娯楽施設が整っていなかった。その分、することがなかったから――。という考え方も出来るのかもしれない。
結局そこは、恋人同士、そういった関係同士の問題なのだろう。
「りょ、稜くんも.......?」
「い、いえ! お、俺はもう全然!」
「そ、そっか」
「ウチは何を見せつけられるんだし」
交際経験ですらまともにない俺が。それ以上の事があるわけが無い。
訊ねる夢叶先生が顔を真っ赤し、答えた俺も顔を朱に染める。2人して照れに包まれた、甘ったるい空間が生まれた。
それはまるで、付き合う前の仲のいい男女のようで。俺はその状況がとても嬉しかった。
でも、そんなものがいつまでも続くわけが無い。場違い感を感じたのであろう亜沙子が、冷たい視線を俺にぶつけてくる。
「ご、ごめんなさい」
咳払いをひとつして、佇まいを整える。それから夢叶先生は、大きく深呼吸をした。
「ということは、2人は青井くんのことは知らないってことだね?」
「はい」
「そういうことになりますね」
夢叶先生の確認に、亜沙子と俺がそう答えると夢叶先生はゆっくりと立ち上がる。
業務が終わったから帰る。そういうことだろう。
「そっか。わかった」
「海斗先輩は大丈夫なんですか?」
立ち上がった夢叶先生につられるように、俺も立ち上がった。
テスト前とか。そんなの関係ない。俺はもっと、もっと夢叶先生といたい。
たとえ1問でも、教えて欲しい。今開いてるのは、夢叶先生の教科なのだから。もう少し、俺に構ってくれてもいいじゃないか。
「そうだね。もしこのまま期末テストも受けないで夏休みに入れば、卒業も厳しいかもしれないね」
顎に手を当て、夢叶先生は思い出すような素振りで答えた。恐らく、職員会議で出た結論なのだろう。
「そうですか」
「稜くんが気に病むことじゃないよ。私たちの方でも出来ることはするから。きっと大丈夫よ」
海斗先輩を心配しているように見えたのだろう。夢叶先生は俺の肩に、手をぽんっと置いてから続ける。
「稜くんは、ほんとうに優しいね。自分のことじゃないのに」
「俺はそんなんじゃ.......」
そんなんじゃない。俺はただ夢叶先生を引き止めたくて。夢叶先生が1秒でも長く、俺の部屋にいてくれる為に。
たまたま口に出たんだ。海斗先輩を利用して、夢叶先生と話せる時間を作ったんだ。
「そっか。それじゃあ、稜くん、内田さん。テストに向けて勉強頑張ってね」
俺たちに向け小さく手を振った夢叶先生は、背を向けて扉の方へと歩いていく。
そして部屋を出る寸前。何かを思い出したかのように、振り返る。
「お節介かもだけど。テスト終わったら、もうちょっと家具とか買った方がいいよ、稜くん」
何も無い。殺風景な部屋を見渡してからそう言うと、夢叶先生はそのまま部屋を出て行った。
なんだよ。最後の最後に――
「だってさ」
立ち上がった俺を、座ったままの亜沙子が見上げるようにして言ってくる。
「うっせぇよ」
本当に最後に。夢叶先生は一瞬だけ、俺を見てくれたような気がした。業務じゃない言葉を俺に掛けてくれたような。
投げかけられた言葉は到底喜べるようなものでは無い。でも、それでも。俺を見てくれたことが嬉しかった。それと同時に、もっともっと夢叶先生に見て欲しいと思ってしまう。
「もう大丈夫なんでスイカ?」
「うん。ありがとね」
玄関口から綾人さんと夢叶先生が会話をしているのが聞こえた。
あぁ、もう帰っちゃうのか。結局、あの日告白してから何も進展してない。
俺の想いは伝えたはずなのに。夢叶先生の言葉は聞いていない。みなが荘に来た日から、少し様子のおかしな日はあったけど。結局、何も無い。
「どうかしたし?」
立ったまま、閉まった扉を眺め続け、何も発さない俺を不思議に思ったのだろう。亜沙子が声をかけてくる。
こんなにも近くにいたのに。距離は遠のいてる気がする。もっともっと、近くに行きたい。
夢叶先生の一番に。隣に――
何があっても、俺がいると思ってもらえるようになりたい。
今までずっと抑えてきた感情が、ふつふつと沸き上がる。
夢叶先生に掛けられた言葉1つ1つが、嬉しくて切なくて。いつまでも生徒からランクアップしていないのを痛感している。
あの時は伝えることで精一杯だった。でも、夢叶先生との関わりが増える度に募る想いが。
玄関が開く音。夢叶先生が帰ってしまう。
――このままでいいのか?
自分自身に投げかける。答えは投げかける前から出ている。
「いいわけねぇだろ」
食いしばった歯と歯の間から、洩れるように零れた言葉。
「え?」
自分が投げかけた問の答えとは掛け離れた言葉に、亜沙子は首を傾げた。だが、それを気にしている暇はない。俺は勢いよく駆け出す。
「ど、どうしたんだし!?」
俺の突然の行動に、亜沙子は声を荒らげた。それを起き去り、勢いよく扉を開け、玄関へと向かった。
「どこか行くノリ?」
夢叶先生を見送り、居室へと戻ろうとしていた綾人さんが聞いてくる。
「ちょっと」
短く答え、俺は靴を履く。
早くしないと。夢叶先生が学校に戻ってしまう。そうなれば、今決めた覚悟が水の泡になる。
それだけは避けたい。覚悟を決めた、その時に行動しないと。俺はまた尻込みして、またズルズルとなってしまうから。それが目に見えてわかっているから。
「わかった」
いつもの口調はしない。綾人さんは全てを悟ったかのように、頷きながら言った。
それに返事をすることなく、俺はみなが荘を飛び出し、学校に行く道を駆ける。
直ぐに夢叶先生の背中は視界に捉えた。
その瞬間、走る脚は止めることなく声を上げた。
「夢叶先生っ!」
その声に驚いたのか。夢叶先生は肩をビクッ、と震わせてから振り返る。
「りょ、稜くんか」
「はぁ.......はぁ.......」
全力で走ったからだ。荒ぶる呼吸で、言葉が上手く出てこない。
「落ち着いて。どうかしたの?」
膝に手を付く俺に、優しく告げる。夢叶先生はいつだって優しい。そして、その優しさはいつだって俺を幸せにしてくれる。
そんな夢叶先生だから。俺は――
呼吸を整える為、大きく深呼吸をしてから。俺は夢叶先生の目をしっかりと見て、想いを言葉にした。
「俺、夢叶先生の事が好きなんです! 他の人が言う好きとは違う、本気の――好き、なんです」
覚悟は決めていたつもりだった。でも、いざ告白うとなると。
恥ずかしさや緊張が込み上げてきて。
語尾が弱くなってしまった。
「うん。知ってるよ。この間、告ってくれたもんね」
切なさが溢れた、申し訳なさそうな、哀愁や悲哀といったものが混じりあった表情で。夢叶先生は弱々しく言葉を吐いた。
「だったら――」
自分の全部を乗っけて、懇願するように言葉を発すると。夢叶先生は、曖昧な表情のまま小さくかぶりを振った。
「それは無理だよ。だって私は先生で。稜くんは生徒だから」
「俺はそんなの気にしない! 俺は本気で夢叶先生の事が――」
「ダメなの!」
張り裂けそうな。迫り来る何かを振りほどくように、夢叶先生は叫んだ。
聞いた事がない。悲痛の叫びに、俺の胸は一瞬で締め付けられた。
「そんなのは普通じゃないから。私は普通に先生してられればいいから。邪魔、しないで――」
最後は涙にまみれていた。溢れ出した涙が頬を伝い、ぼとぼとと地面に落ちていく。
ゴロゴロ、と遠くで雷鳴が轟くのがわかった。
「夢叶先生.......」
悲しみから逃れるように駆け出した夢叶先生。学校に向かって駆けていく夢叶先生の背を眺めながら、俺はそう呟いたのだった。
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