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「それを本気で言ってんなら、引くわ」
しおりを挟む俺、どうして.......。覚悟は決めた。でも、それは俺の一方的な覚悟で。
夢叶先生のことなんて一切考えてなかった。
「俺、嫌われたかな」
涙を流していた夢叶先生。俺はあんな顔をさせる為に、言ったわけじゃないんだ。
夢叶先生を笑顔にするため。ずっとずっと、隣で笑っていて欲しくて。
烏滸《おこ》がましいかもしれないけど。本気でそう思っていたのに。
みなが荘までの僅かな道のりが、永遠に続く闇の道にすら見える。
ぎゅっと拳を握りしめ、夕焼けの空を仰いだ。西陽はまだ届いている。だけど、遠くの空には曇天が空を覆い始めている。
星が出る前に、ひと雨降りそうな、そんな雰囲気が漂っている。
「くそ.......。俺の馬鹿野郎が.......」
掠れ、嗄れた声が喉の奥から溢れ出る。
やっぱり俺は子どもなんだ。
自分のことしか考えられず、突っ走って相手を困らせる。
何が夢叶先生を笑顔に、だよ。
巫山戯んなよ。俺が1番に泣かしてるくせに。
「やっちまったな」
堪えていた涙がスっと流れ落ちた。
胸の中がモヤモヤして。言ったことを少し後悔している自分がいる。
まだ早かったかな。あのままずっと秘めておくべきだったのかな。
何もかもが分からなくて。
恋愛には数学や歴史のように答えがないから。どういった人と恋したらいいのか。どのタイミングで告白したらいいのか。
解説とかあればいいのに――
「あ.......」
ポツリ、ポツリと。空から涙のような雨が降りはじめる。
次第に雨足は強くなり、溢れた涙を誤魔化してくれる。
諦めなければならないのかもしれない。でも、俺は本気で夢叶先生が好きだ。
だから、諦めたくはない。
でもいまは――
「時間を空けた方がいいよな.......」
土砂降りになった雨。遠方で轟く雷鳴。それらにまみれ、俺はそっとそう呟いた。
* * * *
「はい。みなが荘の生徒たちも知らないそうです」
稜くんや内田さんに聞いた話を、教頭先生に伝える。
青井くんは一体何をしてるのか。どこにいるのか。
分からないけど。でも、さすがに女の人と遊んでいる話は、問題になると大変だから伏せておいた。
「そうか。それよりも南先生」
「なんでしょうか?」
教頭先生に頭を下げ、その場を去ろうとした時。教頭先生に不意に呼び止められる。
なんだろう。そう思いながら顔をあげると、教頭先生は軽く咳払いをしてから言った。
「そんなに濡れては仕事にならんじゃろ。今日はもう帰っていい。風邪でも引かれては困る」
「あ、はい.......」
先程降り出した雨に降られ、衣服には雨がぐっしょりと染み込んでいる。
タオルで拭き取ったとはいえ、髪はまだ湿っており、悩みの種でもあるくせっ毛が発動している。
でも、本当はまだ仕事をしていたい。仕事をしていれば、稜くんとの出来事を思い返さなくて済むから。一人になれば、きっと思い出してしまう。
こんな私なんかに、一直線に向けられた好意。私に必死になってくれている姿が可愛かった。
嫌いになんてなれる訳がないのに。
私は先生.......だから。
「お疲れ様です」
濡れた格好のまま、挨拶を残して、私は職員室を出た。まだ雨は強く降り注いでいる。
カバンに入れていた折り畳み傘を出し、雨を防ぐ。
「稜くん.......濡れていないかな」
別れた後、直ぐに降り出した雨。きっと稜くんも濡れたはず。
私を追いかけたせいで。私のせいで。
風邪ひかないといいな。
いつも無邪気に笑いかけてくれる。いつも楽しくお話をしてくれる。
いつも私の心配をしてくれる。
いつも、いつも.......私を見てくれている。
笑った顔。困った顔。嬉しそうな顔。色んな稜くんを見てきた。でも、今日の稜くんははじめてだ。
あんな悲しくて切なそうな顔。私は見たくなかった。
「なら、あんな言葉掛けなきゃよかったじゃん」
学校最寄りの、大里駅へと向かいながら独りごちる。幸い、降り注ぐ雨のおかげで人通りもほとんどなく、その雨音で声は掻き消してくれる。
稜くんにぶつけた言葉。それは本心であり、本心じゃない。
私は先生だけど。先生だから、恋愛しちゃダメとかは無いんだ。
でも、相手は――。
「なんで。なんで稜くんは私の生徒なの.......」
あんなに一途に思ってくれてる子を否定するのは、辛い。
歳下だけど。最初は有り得ないって思ってたけど。
稜くんの優しさに触れる度。稜くんの想いが伝わってくる度に。
私はどんどんと惹かれていった。
駅に着き、改札を抜けて、姫里行きの電車に乗り込む。
電車の中は冷房がよく効いており、服が濡れている私にとっては寒いと感じるくらいだ。
疎らに席は空いている様子だが、私は座らなかった。座らず、入口付近にもたれかかった。
「ねぇ。私はどうすればいいの?」
思わず口から出た言葉。誰にも聞こえないほど小さな声だった。
だからこそ、誰からも返事はない。
電車の走行音だけが車内に響く。
「昨日ナンパしたんだけどさ。その女、ちょーよかったんだって」
「まじかよ! オレにも回してくれや」
そんな時だ。不意に車内に響いた男性二人の声。見た様子から、恐らく彼らは大学生くらいだろう。
周りを気にしない大きな声。当の本人達は楽しそうに会話をしているが、周囲の人たちは嫌悪感を露にした態度を取っている。
「連絡先教えてやるよ」
そんな会話を聞き、私の脳裏には高校時代の彼氏の姿が過ぎった。
* * * *
彼――大山尊は学校でもベスト5に入るイケメンで、有名だった。端正に整った顔で、甘い笑顔。ファンクラブがある、と噂されていた程の人物だった。
そんな彼が、私なんかに告白をしてきた。
目立つことなく、ひっそりと学校生活を送っていただけに、その日の出来事はよく覚えている。
「俺と付き合ってください」
いつもの甘い笑みとは違った。真剣な表情。恋愛とか無関係だって、思っていた日常に突如訪れた夢のような出来事。
私なんかでいいの?
そう思ったけど、彼の真剣な表情を見ればそんな言葉を紡ぐのは失礼だと分かり、頷いた。
「ほんとに!?」
「う、うん.......」
パッと晴れた彼の表情は、可愛くて、あどけなさが残っているような気がした。
今までは、ただイケメンな子。という認識だったけど。彼女という新たな立場、視点から彼を見ると。
やけに輝いているように見えた。普通の笑顔にも関わらず、特別に見えて。彼だけが、彼といることが、幸せなんだって思っていた。
産まれて初めて出来た彼氏、ということもあり、私はだいぶん舞い上がっていたらしい。
「デート、しようぜ」
そう言って貰えた時には、心臓が止まるかと思った。でも、このあたりから私と彼との間にある歯車が狂いだしたのかもしれない。
1番はじめは、お昼から夕方まで。普通にショッピングをしたりという感じだった。
お父さんじゃない、男性と手を繋いだのは初めてで、とても緊張した。
私の手とは違って、大きくて、強ばっていた。お父さんのゴツゴツした感じとも違っていて、それだけでもなんだがキュンってしている自分がいた。
でも。2回から、私が思い描くようなデートではなくなった。
「キスさせてくれ」
高圧的な口調で、私を見下ろして彼は告げる。
「ま、まだ早いよ.......」
近寄ってくる彼の唇。それを避けるように、勢いよく顔を背けた。
「何だよ。減るもんじゃねぇーのに」
大きく舌打ちをし、分かりやすくため息をつくと。彼は来た道を引き返す。
「ど、どこ行くの?」
まだ何もしていない。少し一緒に歩いた程度。それなのに、彼は全てが終わったかのように気だるそうに歩いている。その背にそう訊くと、彼は首を回してから、軽くこちらを見て言う。
「帰る」
「え、でも.......」
「何もヤらねぇなんて、面白くねぇだろ」
そんなこともわかんねぇーのかよ。
そのような視線を向けられたような気がして、私の体は強ばった。言葉は出ず、ただその場で立ち竦むだけだ。
彼の背はどんどんと遠くなる。
私はそれをただ眺めることしか出来ず、目頭が熱くなるのを覚えるのだった。
それからしばらくの月日が経ち、久しぶりに彼から連絡が来た。
テスト前だから、ファミレスで一緒に勉強しよう、という誘いだった。
勉強は嫌いで、あまり真剣にテスト勉強をしていなかったので、これはいい機会だ。そう思い、了承して、学校終わりに二人でファミレスに行った。
最初のうちは二人とも真面目に勉強をしていた。だが、太陽が沈み、辺りが暗くなっていくにつれ、彼からのボディータッチが増えるようになった。
「ちょっと。勉強するんでしょ?」
「いいだろ、ちょっとくらい」
幾ら私が嫌がる素振りを見せても、彼は私に触れることをやめようとしない。そして、挙句の果てには、女性物の服を取りだして、私に渡した。
「これに着替えて」
「ど、どうして?」
「ホテル行くのに、制服だとまずいだろ」
彼は何ともなしにそう告げた。意味がわからない。勉強をすると言っていたのに。何がどうなれば、ホテルなどという単語が出てくるのか。
分からないことだらけで。
「どうして、尊くんはそんなことばかり言うの!?」
テーブルに手をつき、少し声を上げて。私は彼に真剣に問いた。
「お前馬鹿だな? 付き合ってヤることなんて1つしかないだろ」
「そ、そんなことないよ。もっといっぱいあるよ」
「子どもの戯言だろ。それを本気で言ってんなら、引くわ」
彼は蔑むような視線を私にぶつけてきた。そこでようやく悟った。
彼は、私の身体だけを目的に付き合っているんだって。言葉が出ない。ドラマのような、甘くて酸っぱい恋に憧れていたのに。
少女漫画のような、綺麗な恋がしたかった。
「.......」
「もういいわ」
同時に、彼も悟ったのだろう。彼にとって、幻想的で、現実的では無い恋を、私が描いていることを。
冷たく、軽蔑するような声色だった。そして、そのまま彼は携帯を取り出した。
そして、アンテナを立ててから耳に当てた。
「あ、もしもし?」
「.......。今日今からヤれる?」
「.......。おっけ。じゃあ、いつものホテルでな」
仮にも彼女の前だと言うのに。彼は別の女の人に連絡を取ったのだ。
もう、何が何だか分からない。恋って何なのか。恋愛の答えが欲しい。
身体を合わせるだけが恋だっていうなら。
そんな恋は要らない。
この件は私の高校で有名になった。
ヤらせてくれない女子、ということらしい。私からすると、全く気にするようなことでは無い。身体を許さないとダメな恋ならしたくない。
でも、そのせいで私の青春は潰えた。
* * * *
「今も昔も変わらないってことか」
昔を思い返していると、姫里駅に着いた。
人の流れに乗り、電車から降りる。
そこで青井くんの話が思い返され、思わず口をついた。
私の時と同じ。いつも子どもとして見ている彼らが、そういう行為をやっていると思うと。
想像するだけで恥ずかしい。
また、赤面になりそうなのをぐっと堪えて。足早に改札を抜ける。
「でも、稜くんだけは.......」
私を、私という人を見てくれているような気がして。それが嬉しくて、心惹かれているんだ。
姫里駅の南口から出て、歩いていく。北口から出ると商業施設が揃っているが、南口はマンションなどがずらりと並んでいるのだ。
雨はまだ止まない。雨足は少し弱まったが、それでも傘をささないと辛いレベルでは降っている。
高校を卒業し、大学に入学して暫くしてから。父の浮気が発覚し、両親が離婚した。
発覚の原因は父の携帯に残っていた、行為を撮影した動画だった。
そこで私は思ってしまった。
男の人は、やっぱり身体しか興味が無いのだと。
何か嫌がらせを受けた訳でもない。一生残るような傷を負った訳でもない。だから、男性恐怖症にはならなかった。でも、恋には臆病になってしまった。
男性を好きになるのが、怖くて。夢物語のような、綺麗な恋ばかりを想い描いて。
ずっと恋愛から遠ざかってた。
それでも、ようやく見つけることが出来た。
それなのに。私を見てくれる人は、私が絶対に想ってはいけない相手。
「まだあの子、帰ってきてないんだ」
玄関に鍵が閉まっていることを確認し、私と同居している"あの子"がまだ帰ってきてないことが分かった。
「こんなのって、ないよ.......」
鍵を開け、部屋に入った私は、誰もいない静寂に包まれた部屋に、鼻にかかった声を洩らした。
それと同時に涙が溢れる。溢れた涙はとめどなく流れて、時折嗚咽が交じる。
神様の悪戯にすれば、あまりにも酷すぎる。
はじめて、自信を持って好きと言えると思ったのに――
淡く期待した想いは、決して叶えてはならないから。
稜くんを酷い言葉で跳ね除けたのは、心が痛むけれど。これでいいんだ。
これが私が稜くんに出来る精一杯だから。
大きくなった嗚咽が、しんとした部屋に無情に響く。
堪えようとしても、堪えられない。それをこぼしながら。
風邪をひかないように、お風呂へと入るのだった。
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