6 / 34
6.貴方にとってのわたし
しおりを挟む
来訪はマリー様でもアイリーン様でもカミラ様でもなく、オリヴィア様でした。
「いつ来ても素敵なお庭ですわね」
細い水路から流れる水音と風が樹木を揺らす音だけが耳心地よく響く静謐なるガゼボに、凛とした声が通る。
わたしは茶菓子をワゴンからテーブルへと移し、淹れたての紅茶を二人の前へと並べた後、少し離れた場所で控える。
本当は早々に下がりたいのだけれど、『いろ』との命令が下っているので、二人の優雅なお茶会の邪魔にならないよう、出来る限り存在感を消すことに努めるしかない。
美男美女による茶会、なんて光景を前にしていると自然とわたしの存在なんて、葉の裏に潜む虫くらいのもになっていくので、そう難しくはない。
それでも令嬢方からの『邪魔だ』という圧は凄い。
特にオリヴィア様はわたしのような出所のわからない人間がアロイス様の側にいることをよく思っていないようで、剥き出しの視線が恐ろしいったらない。
もっと出来た使用人の方を置けばいいのに、わたしが嫌がっていることを察しているからだろう、来客時のこの仕事はアロイス様直々の命によって、いつもわたしだ。
こういう細かい嫌がらせ地味に効くんだよなぁ、と心の中だけで嘆息する。
「美しい──ですが少し、地味なようにも感じます。アロイス様がお住まいになる場所には、もっと華々しいものの方がお似合いだと私は思いますわ」
例えばあそこの小さな花より大輪の薔薇の方が、貴方の高潔さに相応しい。
そうオリヴィア様はすいと細めた視線を近くのアリッサムへと向けて言う。
たしかに今季の花は庭師の方から許可をもらって、わたしが選ばせてもらったもので、全体の印象はやや控え目だ。
ただアロイス様は庭園で落ち着かれることも多いので、少しでも安らぎを届けられるようにと思いながら植えたもので、何よりわたしは、彼には絢爛豪華な花も勿論だけれど、静かに彩る花だって、可憐で似合うと思っている。
オリヴィア様の言葉にはギクリとしたが、『俺、こういう小さい花って可愛くて好きなんだ』と昔アロイス様は笑って言ったのだ。
だからきっと──
「たしかに、オリヴィア様を迎えるには些か不十分ですね」
わたしに向けられた言葉ではないけれど、鉛を飲まされたような気になった。
「とんでもないですわ! ただわたしは、敬愛するアロイス様に最も似合うものを、選び続けて欲しいだけなのです」
ほんの一瞬だけオリヴィア様の視線がこちらに向けられ、息が詰まる。
「ありがとうございます。そうですね、私も華やかなものの方が気持ちが明るくなって好きなので、貴女の仰る通りにさせましょう」
「ええ、ええ! やっぱり、私たちとても好みが合いますわね」
彼女の弾んだ声が、どこか遠く聞こえるように思えた。
体の内側が冷えていく。
それと同時に、どこか恥ずかしささえ覚えた。
わたしだけが、過去の些細な言葉を、まるで縋るようにずっと覚えているなんて、馬鹿みたいだ。
胸の奥がキリキリと痛む。
ああ、もう、嫌だな。早くお開きにならないだろうか。
「……ねぇ、アロイス様。私、二人だけでお話しがしたいわ」
「今がまさに、二人きりではないですか?」
「いいえ、だって……」
オリヴィア様の視線がはっきりと刺さり、体が飛び上がりそうになった。
わたしは、どうしたらいいのだろう。空気を読んで姿を消すべきなのか。
しかし言いつけに順ずる体は、新たな言いつけがなければ動き出そうとしない。
ぎちり、と軋むようにしてアロイス様を見る。
わたしは主人である彼の言葉を訊かなければ、
「ああ、アレは気にしないでください」
アロイス様はちらりとこちらを一瞥しただけで、その後心の底からどうでも良さそうに言った。
「いてもいなくても、関係ないので」
いつも通りの柔らかな声だけれど、わたしにとっては鈍器で殴られたような衝撃だった。
生まれてこの方、誰にも必要とされたことがなかったから、あの時アロイス様が差し伸べてくれた手が、泣きたくなるくらいに嬉しかった。
ここにいてもいいと、初めて許されたような気がして。
だけど彼にとってわたしは、きっとあの頃から、どこまでも取るに足らないものでしかないのだ。
『ずっと一緒にいようね』
この庭園で、二人きりでこっそりと小さな指を絡ませた約束は、子どもらしいままごと。
それをいつまで経っても鵜呑みにしているわたしは馬鹿だ。
割り切らないと。
これは仕事で、生きるために必要なこと。
急速に心が冷えていく。
わたしに無駄な感情があったから、その下心を察して、アロイス様も煩わしく感じたのかもしれない。
──いらないものは、ちゃんと捨てなきゃ。
そうして見えない壁一枚隔てた先にいるような二人の仲睦まじい姿から、そっと目を逸らした。
「いつ来ても素敵なお庭ですわね」
細い水路から流れる水音と風が樹木を揺らす音だけが耳心地よく響く静謐なるガゼボに、凛とした声が通る。
わたしは茶菓子をワゴンからテーブルへと移し、淹れたての紅茶を二人の前へと並べた後、少し離れた場所で控える。
本当は早々に下がりたいのだけれど、『いろ』との命令が下っているので、二人の優雅なお茶会の邪魔にならないよう、出来る限り存在感を消すことに努めるしかない。
美男美女による茶会、なんて光景を前にしていると自然とわたしの存在なんて、葉の裏に潜む虫くらいのもになっていくので、そう難しくはない。
それでも令嬢方からの『邪魔だ』という圧は凄い。
特にオリヴィア様はわたしのような出所のわからない人間がアロイス様の側にいることをよく思っていないようで、剥き出しの視線が恐ろしいったらない。
もっと出来た使用人の方を置けばいいのに、わたしが嫌がっていることを察しているからだろう、来客時のこの仕事はアロイス様直々の命によって、いつもわたしだ。
こういう細かい嫌がらせ地味に効くんだよなぁ、と心の中だけで嘆息する。
「美しい──ですが少し、地味なようにも感じます。アロイス様がお住まいになる場所には、もっと華々しいものの方がお似合いだと私は思いますわ」
例えばあそこの小さな花より大輪の薔薇の方が、貴方の高潔さに相応しい。
そうオリヴィア様はすいと細めた視線を近くのアリッサムへと向けて言う。
たしかに今季の花は庭師の方から許可をもらって、わたしが選ばせてもらったもので、全体の印象はやや控え目だ。
ただアロイス様は庭園で落ち着かれることも多いので、少しでも安らぎを届けられるようにと思いながら植えたもので、何よりわたしは、彼には絢爛豪華な花も勿論だけれど、静かに彩る花だって、可憐で似合うと思っている。
オリヴィア様の言葉にはギクリとしたが、『俺、こういう小さい花って可愛くて好きなんだ』と昔アロイス様は笑って言ったのだ。
だからきっと──
「たしかに、オリヴィア様を迎えるには些か不十分ですね」
わたしに向けられた言葉ではないけれど、鉛を飲まされたような気になった。
「とんでもないですわ! ただわたしは、敬愛するアロイス様に最も似合うものを、選び続けて欲しいだけなのです」
ほんの一瞬だけオリヴィア様の視線がこちらに向けられ、息が詰まる。
「ありがとうございます。そうですね、私も華やかなものの方が気持ちが明るくなって好きなので、貴女の仰る通りにさせましょう」
「ええ、ええ! やっぱり、私たちとても好みが合いますわね」
彼女の弾んだ声が、どこか遠く聞こえるように思えた。
体の内側が冷えていく。
それと同時に、どこか恥ずかしささえ覚えた。
わたしだけが、過去の些細な言葉を、まるで縋るようにずっと覚えているなんて、馬鹿みたいだ。
胸の奥がキリキリと痛む。
ああ、もう、嫌だな。早くお開きにならないだろうか。
「……ねぇ、アロイス様。私、二人だけでお話しがしたいわ」
「今がまさに、二人きりではないですか?」
「いいえ、だって……」
オリヴィア様の視線がはっきりと刺さり、体が飛び上がりそうになった。
わたしは、どうしたらいいのだろう。空気を読んで姿を消すべきなのか。
しかし言いつけに順ずる体は、新たな言いつけがなければ動き出そうとしない。
ぎちり、と軋むようにしてアロイス様を見る。
わたしは主人である彼の言葉を訊かなければ、
「ああ、アレは気にしないでください」
アロイス様はちらりとこちらを一瞥しただけで、その後心の底からどうでも良さそうに言った。
「いてもいなくても、関係ないので」
いつも通りの柔らかな声だけれど、わたしにとっては鈍器で殴られたような衝撃だった。
生まれてこの方、誰にも必要とされたことがなかったから、あの時アロイス様が差し伸べてくれた手が、泣きたくなるくらいに嬉しかった。
ここにいてもいいと、初めて許されたような気がして。
だけど彼にとってわたしは、きっとあの頃から、どこまでも取るに足らないものでしかないのだ。
『ずっと一緒にいようね』
この庭園で、二人きりでこっそりと小さな指を絡ませた約束は、子どもらしいままごと。
それをいつまで経っても鵜呑みにしているわたしは馬鹿だ。
割り切らないと。
これは仕事で、生きるために必要なこと。
急速に心が冷えていく。
わたしに無駄な感情があったから、その下心を察して、アロイス様も煩わしく感じたのかもしれない。
──いらないものは、ちゃんと捨てなきゃ。
そうして見えない壁一枚隔てた先にいるような二人の仲睦まじい姿から、そっと目を逸らした。
1,495
あなたにおすすめの小説
カメリア――彷徨う夫の恋心
来住野つかさ
恋愛
ロジャーとイリーナは和やかとはいえない雰囲気の中で話をしていた。結婚して子供もいる二人だが、学生時代にロジャーが恋をした『彼女』をいつまでも忘れていないことが、夫婦に亀裂を生んでいるのだ。その『彼女』はカメリア(椿)がよく似合う娘で、多くの男性の初恋の人だったが、なせが卒業式の後から行方不明になっているのだ。ロジャーにとっては不毛な会話が続くと思われたその時、イリーナが言った。「『彼女』が初恋だった人がまた一人いなくなった」と――。
※この作品は他サイト様にも掲載しています。
(完)大好きなお姉様、なぜ?ー夫も子供も奪われた私
青空一夏
恋愛
妹が大嫌いな姉が仕組んだ身勝手な計画にまんまと引っかかった妹の不幸な結婚生活からの恋物語。ハッピーエンド保証。
中世ヨーロッパ風異世界。ゆるふわ設定ご都合主義。魔法のある世界。
伯爵令嬢の婚約解消理由
七宮 ゆえ
恋愛
私には、小さい頃から親に決められていた婚約者がいます。
婚約者は容姿端麗、文武両道、金枝玉葉という世のご令嬢方が黄色い悲鳴をあげること間違い無しなお方です。
そんな彼と私の関係は、婚約者としても友人としても比較的良好でありました。
しかしある日、彼から婚約を解消しようという提案を受けました。勿論私達の仲が不仲になったとか、そういう話ではありません。それにはやむを得ない事情があったのです。主に、国とか国とか国とか。
一体何があったのかというと、それは……
これは、そんな私たちの少しだけ複雑な婚約についてのお話。
*本編は8話+番外編を載せる予定です。
*小説家になろうに同時掲載しております。
*なろうの方でも、アルファポリスの方でも色んな方に続編を読みたいとのお言葉を貰ったので、続きを只今執筆しております。
婚約者が他の令嬢に微笑む時、私は惚れ薬を使った
葵 すみれ
恋愛
ポリーヌはある日、婚約者が見知らぬ令嬢と二人きりでいるところを見てしまう。
しかも、彼は見たことがないような微笑みを令嬢に向けていた。
いつも自分には冷たい彼の柔らかい態度に、ポリーヌは愕然とする。
そして、親が決めた婚約ではあったが、いつの間にか彼に恋心を抱いていたことに気づく。
落ち込むポリーヌに、妹がこれを使えと惚れ薬を渡してきた。
迷ったあげく、婚約者に惚れ薬を使うと、彼の態度は一転して溺愛してくるように。
偽りの愛とは知りながらも、ポリーヌは幸福に酔う。
しかし幸せの狭間で、惚れ薬で彼の心を縛っているのだと罪悪感を抱くポリーヌ。
悩んだ末に、惚れ薬の効果を打ち消す薬をもらうことを決意するが……。
※小説家になろうにも掲載しています
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる