たんぽぽ 信一・維士

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維士 大学生

2007年 3月 維士

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2007年 3月 維士(ドク)

 次の日、ドクは
(アパート探しに明後日東京に行きます。
時間が合えばお会いしたいです。  ドク)とメールを送ったが、返事は来なかった。

 もともとの予定通り1人で探した。
 信一からのメールが来なくなったが、考えないようにした。

 メールだけの繋がりだったのでもう連絡の取りようがない、何があったかより、人は怖いと思った。

 僕の心を弱くする、信じて頼りたいと思った心を、簡単に壊すのも人だ、僕に無理矢理纏わりつくのも人だ、出会わなければ良かった、期待しなければ良かったと思った。
 心を保つ為忘れる事にした。

 新生活を始めて2週間が過ぎ、今日は大学の入学式だった。
 貰った時計も東京に来てから使っている、2週間経って手に馴染んできた。
 
 外出の度、色々な人達が声を掛けてくる、ついてくる、アパート近辺で待ち伏せしている人もいる、恐怖だった。
 怖くて、怖くて大変な状況になりつつあるので、どうしたら良いのか考えていたが、わからない、頼る人もいない。
 お母さんに(東京に決めた)と言った時の心配様を思いだすと絶対に言えない。
 
 僕は、絵を描いて、絵の中にだけ入っている事が多くなった。
 
 殆ど外出しなくなったが、入学式には出ようと思った。
 外が怖かったが入学式は安全だと思い急いで向かった。武道館が会場だった。
 
 会場前で後ろから「ドク」と聞き覚えのある声がしたので振り向くと、高校の時の前の席のヤツだった、

「オッ元気だったか、ちょっと見ない間に痩せたなぁ、飯食ってる、もしかして母ちゃんの飯じゃないと食えない奴」って笑顔で言ってきた。

 僕は答えないで、苦笑いが出ていた。
 一緒に行く事した。

「入学式だなぁ、3年前高校の入学式思い出すなあー、ドクを見た一瞬 マネキンが歩いているって思ったなぁ、こんな人間いるんだって感心したのが昨日の事のようだ、、、今更だけどドクさぁ、おれの名前知ってるかあ、一回も呼ばれた事無いし、世紀(セキ)って名前だ、名前呼んでくれ」と言って笑った。

「セキか、初めて知ったよ、わかった」と僕も笑いながら言った。

 セキは僕の腕時計を、一瞬見たが何も言わなかった。
お互い住んでいる所が、近いとわかった。

「時給高いから引っ越しのバイトしてるんだ。忙しくて、ここ2週間全部外食だ。すっかり飽きた」と笑ってた。

「僕は自炊だよ」と言ったら僕の家に食べに来る事になった。

 セキが夕飯食べに、毎日僕のアパートに来るようになった。セキが食材を買って来る。
 大学は最低限行って、他の外出は殆どしない。
 1人暮らしをして始めてのお正月にも家に帰らない事にした。
 外の奴らが実家まで付いて来そうで怖かったからだ、絶対にお母さんに迷惑をかける訳には行かないと思った。
 東京の大学に行くって言った時も、とても心配していた。小さい時の事は僕も覚えているので、お母さんが異常なくらい心配するのはわかったが、押し切って東京にきた、

(正月はバイトするから帰らないよ、
毎日楽しいから心配しないで  維士)
と、お母さんに8か月振りにメールをした、

(残念だけど、バイト楽しんで頑張れってね
 夏頃、維士を訪ねて来た人いたけど、住所とか何も教えていないので心配無用です、
名のらなかったので、、何かのセールスかな
元気でね  母)
と返信が来た。

 あぁ、信一さん携帯無くしたんだって思ったが、忘れる事に、した事だったので、もうどうでも良かった。

人に期待すると、期待通りに行かない時は辛い、人には期待しないと改めて思った。


2009年 維士(ドク)

 僕は大学3年生になった。
 3年間で3回引っ越しをした。

 入学式でセキと再会して以来、殆ど毎日夕飯は一緒だった。
 アパートの周りにいる人達がドク目当てだとセキは直ぐ気づき、最初は(すげなぁ)というだけで、軽く考えていたようだったが、1年生の夏休みには、真剣に引越しを進めてきて。「外のヤツら、何するかわかんねぞ、何か、あってからだと遅い」と、僕に言った。
僕も引っ越しは考えていたが、踏ん切りが付かないでいたが、背中を押されて直ぐ引っ越をした。

 その後2回引っ越しを、したが今も状況は変わっていない。最低限の外出だけだ。

 大学生活はもっと学生らしい生活をイメージしていたが、学生らしいってなんだろうと時々考える。セキのようにバイトと単位取る為に授業受ける事か、サークルに入って視野を広げる事か、色々考えてたがもう3年生になった
 僕の大学生活は、人から逃げることだなって思った、
 今年、何とか授業を受けて単位を取って終えば、4年生は何回か大学行くだけで卒業出来るはずだと思った。東京を離れようと最近は真剣に考えてた、卒業出来る目処がたったら、人が少ない町で絵を描きたいと思った。

 相変わらず毎日絵を描いている。

 高校卒業と同時にオークションに絵を出すのはやめていたが、昨年20歳と同時に3ヵ月に1枚のペースでオークションに出し初めた。
自分の通帳を作りお母さんにも、オークションに絵を出している事を、教えた、

 (連絡ありがとう 維士も大人です、思い通りの事して下さい、オークションに高校生の時から出していたとは、少し驚きましたが、今度オークションに出す時は、教えて下さい。維士の描いた絵を見たいです。
 パート先の電気店閉めました。ここは働く所ないので、盛岡で仕事初めます、アパートも決まり、後はお母さんが行くだけです。
 ちょうど連絡しようと思ってました。
お母さんの事は心配しないで、維士は自分の事だけ考えてね 新しい住所 盛岡市---
また連絡待ってます 母)と、メールがきた。

お母さんと連絡取ると、切なくなる、時々昔描いた絵を眺めた、当時を思い出す。

 4年生になる僕は2週間後、人口1万人の町へ引っ越しを決めた。

 ひと月前、セキに、

「4年生になるし、4年生は何回か行くだけで卒業出来る見込みなんだ、セキなら僕の状況わかったてると思うけど、外、凄いだろう、実家に帰るよ、学校に出る時だけ新幹線で来るよ」って、僕はセキに言った、

「毎日会っていたのに寂しくなる、ドクの飯も食え無くなるなぁ、この状況考えると岩手で就職探した方が良いなぁ、こっちよりはましだろうし、引っ越しするまで、俺が時間の合う限り守るよ、今まで何事もなかった事が、奇跡みたいなもんだからなぁ」って言ってくれた。

「ありがとう」と僕が返したら、目に涙を溜めていた。

 2週間後に向け、ちょこちょこ引っ越しの準備を始めるた。
 昨日はネットで見つけた引っ越し先に挨拶に行ってきた、30歳くらいの独身の男の人の、今は誰も住んでいない親の家を借りる事にした。
古い小さい家だった。「静かな所で絵を描きたい」と借りた理由を言ったら、「静かだけが、取り柄の町だ」と言って笑ってた。
「引っ越し荷物とか、俺が受け取るから遠慮なく送ってくれ」と言ってくれた。

 
今日は大学のロッカーの荷物をとりに行く。
 約束の17時にセキが家に向かいにきてくれた。

大学の門の所で「ドク」と聞こえた。
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