5 / 11
5.回想-2
しおりを挟む
やんわりとではあったが田上から注意を受けたにも関わらず、鈴木はそれからも相変わらず平然とした様子で店にやって来た。
あの時の私に対する鈴木の行動は、彼の中では単なるコミュニケーションだという認識だったのか、彼は私の連絡先を手に入れることを諦めなかった。また、田上や金子の目を盗むようにして、この後一緒に飲みに行こうよと、ねっとりした目でしつこく誘ってくるようにもなった。
彼に絡まれた場合、田上か金子を呼ぶという暗黙のルールがあったとはいえ、二人だって忙しい。常に私に注意を払っていられるわけではないし、タイミングが悪い時もある。だからもちろん私自身も気をつけて、鈴木の周りに誰もいないような時には、彼の傍に近寄らないようにしていた。
私が避けていることにようやく気がついたのか、あるいはたまたまか。その日の鈴木は珍しく私に接触してこなかった。小一時間ほど静かに飲み、いつもより早い時間に田上に声をかけて支払いをすませた。
その時私はカウンターの中にいたが、偶然にも鈴木と目が合ってしまった。彼の目を避けるように慌てて頭を下げる。
隣で田上が歯切れよく言った。
「ありがとうございました!」
彼の穏やかな声が聞こえた。
「ごちそう様」
こつこつと遠くなっていく足音を耳にしながらほっとした。ゆっくりと頭を上げた時、ドアに向かっていた鈴木が突然振り向いた。目が合ってしまい緊張する。彼の視線が刺さり、ぞっとした。それはじとっと恨みがましく、それでいて私を値踏みでもするかのように粘着じみていた。
ドアベルの音に続いてドアが閉まる音がして、鈴木の気配がようやく消えた。
「佳奈ちゃん、大丈夫?」
その声にはっとする。
田上が心配そうな顔で私を見ていた。
いつの間にかエプロンの裾を握りしめていたようだ。白っぽくなった手を離し、私は長々と息を吐いた。
「緊張しちゃって……」
田上が申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「ごめんね。ほんとは出禁にでもできればいいんだけど、なかなか難しくて……。あのさ。もしも佳奈ちゃんさえ問題ないんなら、うちのバイトはやめてもいいんだよ。もちろん、本当はやめてほしくないんだけどね」
私はうな垂れた。
「すみません。私、マスターにご迷惑かけてますね……」
「いやいやいや、そんなことないよ!いつも本当に、すごくすごぉく助かってるんだよ。俺の方こそ、きっぱり断れなくて申し訳ない」
私たちは互いにしゅんとして肩を落とす。
「マスター、木村さんがチェックだって!」
金子の声が飛んできた。
その声に、私も田上も仕事モードに戻る。
「はいはい!ちょっと待っててね」
その翌週からだった。毎週来ていた鈴木の姿を見なくなったのは。
もう来ないかもしれない――。
そう思うくらい、鈴木が姿をまったく見せなくなってからひと月ほどが過ぎた。
そしてその日も、いつも来ていた時間を過ぎても彼が姿を現すことはなかった。だから、きっともう来ないはずだと、私はすっかり安心しきっていた。心配事から解放された私は晴れ晴れとした気分で楽しく働き、いつものように店を出た。鼻歌を歌いながら階段を降り、出入り口に向かって足を踏み出す。数歩進んだその時、私の前にふらりと立った人がいた。鈴木だった。
「バイト、今終わったの?」
ひゅっと喉の奥が締まりそうになった。私は顔を引きつらせたまま、声を励まして言った。
「あ、あの、お久しぶりです。えぇと、しばらくお見かけしなかったので、マスターもどうしたのかなって言ってたんですよ……」
私の言葉を聞いているようには見えない。鈴木はにやにやと嬉しそうに頬を緩めて、私の方へゆっくりと足を踏み出した。
「今日はね、佳奈ちゃんと一緒に飲みに行きたいなと思って、ここで待ってたんだ」
背筋に悪寒が走った。
「私はもう帰るところなので……」
言ってからすぐに、店に戻った方がいいと考え直し、私は鈴木の方を向きながらじりじりと階段の方へと後退した。
「そんなこと言わないで、つき合ってよ」
「そ、それじゃあ、マスタ―のお店で飲みましょう」
踵を返して階段に足を乗せようとした。
しかし鈴木の手の方が早く、手首をつかまれてしまう。
「違う所で二人で飲みたいな」
「は、離してください!」
「そんなつれないこと言わないでよ。佳奈ちゃん、僕の気持ちに気づいてたよね?」
鈴木の手に力が入る。
怖い!誰か!
助けを呼びたくても恐怖のせいで声が出ない。
「ねぇ、佳奈ちゃん、好きなんだよ」
鈴木の手が、私を自分の方へ引き寄せようとした。
「いやっ!」
鈴木の手から逃れようと体を捻った時、ビルの中に入って来た人がいた。天井の照明が影を落としていたせいで顔はよく見えなかったが、若い男の人のようだ。
鈴木はチッと舌打ちして私から手を離した。
その隙を捉えるようにして、その人は私を背にかばうようにして立った。
「大丈夫ですか?今、この人に絡まれていましたよね。ひどいこと、されませんでしたか」
その人は鈴木の方を向いたまま、私に気遣う言葉をかける。
落ち着いた声に安堵して、途端に膝から力が抜けそうになった。しかし足を踏ん張って立ち、私は震える声で答えた。
「はい、大丈夫です……」
鈴木はぎらりとした目でその人を睨みつけた。
「絡んでいたわけじゃない。ただ話をしていただけだ。邪魔だ、どけよ!」
しかしその人はまったく動じず、淡々と言う。
「でも彼女、怖がっているように見えますけど」
「そんなはずはない。……ねぇ、佳奈ちゃん。僕、怖いことなんかしていないよねぇ?こっちにおいで」
鈴木の猫なで声に、嫌悪感で首筋がざわざわした。
「嫌ですっ……」
「そんなこと言わないで。ほら、おいで?」
目の前に立つ見知らぬその人のジャケットに、私は縋るように手を伸ばした。
「彼女、嫌だって言ってますね。諦めた方がいいんじゃありませんか?あぁ、それとも警察を呼んだ方がいいのかな」
その人はポケットから携帯電話を取り出して、画面をタップした。
その光を見た鈴木がびくっと全身を震わせたのが見えた。
「わ、分かったよ。……仕方ない。今日は帰るけど、佳奈ちゃん、また来るからね」
鈴木は悔しそうに言いながら、小走りでビルの外へと出て行った。
あの時の私に対する鈴木の行動は、彼の中では単なるコミュニケーションだという認識だったのか、彼は私の連絡先を手に入れることを諦めなかった。また、田上や金子の目を盗むようにして、この後一緒に飲みに行こうよと、ねっとりした目でしつこく誘ってくるようにもなった。
彼に絡まれた場合、田上か金子を呼ぶという暗黙のルールがあったとはいえ、二人だって忙しい。常に私に注意を払っていられるわけではないし、タイミングが悪い時もある。だからもちろん私自身も気をつけて、鈴木の周りに誰もいないような時には、彼の傍に近寄らないようにしていた。
私が避けていることにようやく気がついたのか、あるいはたまたまか。その日の鈴木は珍しく私に接触してこなかった。小一時間ほど静かに飲み、いつもより早い時間に田上に声をかけて支払いをすませた。
その時私はカウンターの中にいたが、偶然にも鈴木と目が合ってしまった。彼の目を避けるように慌てて頭を下げる。
隣で田上が歯切れよく言った。
「ありがとうございました!」
彼の穏やかな声が聞こえた。
「ごちそう様」
こつこつと遠くなっていく足音を耳にしながらほっとした。ゆっくりと頭を上げた時、ドアに向かっていた鈴木が突然振り向いた。目が合ってしまい緊張する。彼の視線が刺さり、ぞっとした。それはじとっと恨みがましく、それでいて私を値踏みでもするかのように粘着じみていた。
ドアベルの音に続いてドアが閉まる音がして、鈴木の気配がようやく消えた。
「佳奈ちゃん、大丈夫?」
その声にはっとする。
田上が心配そうな顔で私を見ていた。
いつの間にかエプロンの裾を握りしめていたようだ。白っぽくなった手を離し、私は長々と息を吐いた。
「緊張しちゃって……」
田上が申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「ごめんね。ほんとは出禁にでもできればいいんだけど、なかなか難しくて……。あのさ。もしも佳奈ちゃんさえ問題ないんなら、うちのバイトはやめてもいいんだよ。もちろん、本当はやめてほしくないんだけどね」
私はうな垂れた。
「すみません。私、マスターにご迷惑かけてますね……」
「いやいやいや、そんなことないよ!いつも本当に、すごくすごぉく助かってるんだよ。俺の方こそ、きっぱり断れなくて申し訳ない」
私たちは互いにしゅんとして肩を落とす。
「マスター、木村さんがチェックだって!」
金子の声が飛んできた。
その声に、私も田上も仕事モードに戻る。
「はいはい!ちょっと待っててね」
その翌週からだった。毎週来ていた鈴木の姿を見なくなったのは。
もう来ないかもしれない――。
そう思うくらい、鈴木が姿をまったく見せなくなってからひと月ほどが過ぎた。
そしてその日も、いつも来ていた時間を過ぎても彼が姿を現すことはなかった。だから、きっともう来ないはずだと、私はすっかり安心しきっていた。心配事から解放された私は晴れ晴れとした気分で楽しく働き、いつものように店を出た。鼻歌を歌いながら階段を降り、出入り口に向かって足を踏み出す。数歩進んだその時、私の前にふらりと立った人がいた。鈴木だった。
「バイト、今終わったの?」
ひゅっと喉の奥が締まりそうになった。私は顔を引きつらせたまま、声を励まして言った。
「あ、あの、お久しぶりです。えぇと、しばらくお見かけしなかったので、マスターもどうしたのかなって言ってたんですよ……」
私の言葉を聞いているようには見えない。鈴木はにやにやと嬉しそうに頬を緩めて、私の方へゆっくりと足を踏み出した。
「今日はね、佳奈ちゃんと一緒に飲みに行きたいなと思って、ここで待ってたんだ」
背筋に悪寒が走った。
「私はもう帰るところなので……」
言ってからすぐに、店に戻った方がいいと考え直し、私は鈴木の方を向きながらじりじりと階段の方へと後退した。
「そんなこと言わないで、つき合ってよ」
「そ、それじゃあ、マスタ―のお店で飲みましょう」
踵を返して階段に足を乗せようとした。
しかし鈴木の手の方が早く、手首をつかまれてしまう。
「違う所で二人で飲みたいな」
「は、離してください!」
「そんなつれないこと言わないでよ。佳奈ちゃん、僕の気持ちに気づいてたよね?」
鈴木の手に力が入る。
怖い!誰か!
助けを呼びたくても恐怖のせいで声が出ない。
「ねぇ、佳奈ちゃん、好きなんだよ」
鈴木の手が、私を自分の方へ引き寄せようとした。
「いやっ!」
鈴木の手から逃れようと体を捻った時、ビルの中に入って来た人がいた。天井の照明が影を落としていたせいで顔はよく見えなかったが、若い男の人のようだ。
鈴木はチッと舌打ちして私から手を離した。
その隙を捉えるようにして、その人は私を背にかばうようにして立った。
「大丈夫ですか?今、この人に絡まれていましたよね。ひどいこと、されませんでしたか」
その人は鈴木の方を向いたまま、私に気遣う言葉をかける。
落ち着いた声に安堵して、途端に膝から力が抜けそうになった。しかし足を踏ん張って立ち、私は震える声で答えた。
「はい、大丈夫です……」
鈴木はぎらりとした目でその人を睨みつけた。
「絡んでいたわけじゃない。ただ話をしていただけだ。邪魔だ、どけよ!」
しかしその人はまったく動じず、淡々と言う。
「でも彼女、怖がっているように見えますけど」
「そんなはずはない。……ねぇ、佳奈ちゃん。僕、怖いことなんかしていないよねぇ?こっちにおいで」
鈴木の猫なで声に、嫌悪感で首筋がざわざわした。
「嫌ですっ……」
「そんなこと言わないで。ほら、おいで?」
目の前に立つ見知らぬその人のジャケットに、私は縋るように手を伸ばした。
「彼女、嫌だって言ってますね。諦めた方がいいんじゃありませんか?あぁ、それとも警察を呼んだ方がいいのかな」
その人はポケットから携帯電話を取り出して、画面をタップした。
その光を見た鈴木がびくっと全身を震わせたのが見えた。
「わ、分かったよ。……仕方ない。今日は帰るけど、佳奈ちゃん、また来るからね」
鈴木は悔しそうに言いながら、小走りでビルの外へと出て行った。
0
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
夏目萌
恋愛
過去の恋愛が原因で、「女にだらしない男」を何よりも嫌う向坂 来海(29)。
一方、御曹司で誰にでも優しく、来る者拒まず──けれど、誰にも本気になったことのない羽柴 充輝(29)。
本来なら交わるはずのなかった二人は、ある出来事をきっかけに関わるようになる。
他の女性とは違い媚びることも期待することもない来海の態度に、充輝は次第に強く惹かれていく。
「誰にも本気にならない」はずだった彼の、一途すぎる想いに触れ、恋を信じることを避けてきた来海の心は少しずつ揺らぎ始めていき――。
不器用で焦れったくて、簡単には進まない二人の恋の行方は……。
他サイト様にも掲載中
三十路の社畜OLが出会った翌日に八才年下男子と結婚した件につきまして
七転び八起き
恋愛
社畜として働く女、川崎七海(なみ)は居酒屋でイケメン大学生店員、林勇凛(ゆうり)と出会う。
彼は私と恋がしたいと言った。
恋なんてしてる余裕はない七海。
──なのに
その翌日、私たちは夫婦になっていた。
交際0日婚から始まるラブストーリー。
訳あって、推しに激似のクールな美容外科医と利害一致のソロ活婚をしたはずが溺愛婚になりました
羽村 美海
恋愛
【久々の連載にお付き合いいただきありがとうございます🙇🏻♀️💞】
狂言界の名門として知られる高邑家の娘として生を受けた杏璃は、『イケメン狂言師』として人気の双子の従兄に蝶よ花よと可愛がられてきた。
過干渉気味な従兄のおかげで異性と出会う機会もなく、退屈な日常を過ごしていた。
いつか恋愛小説やコミックスに登場するヒーローのような素敵な相手が現れて、退屈な日常から連れ出してくれるかも……なんて夢見てきた。
だが待っていたのは、理想の王子様像そのもののアニキャラ『氷のプリンス』との出会いだった。
以来、保育士として働く傍ら、ソロ活と称して推し活を満喫中。
そんな杏璃の元に突如縁談話が舞い込んでくるのだが、見合い当日、相手にドタキャンされてしまう。
そこに現れたのが、なんと推し――氷のプリンスにそっくりな美容外科医・鷹村央輔だった。
しかも見合い相手にドタキャンされたという。
――これはきっと夢に違いない。
そう思っていた矢先、伯母の提案により央輔と見合いをすることになり、それがきっかけで利害一致のソロ活婚をすることに。
確かに麗しい美貌なんかソックリだけど、無表情で無愛想だし、理想なのは見かけだけ。絶対に好きになんかならない。そう思っていたのに……。推しに激似の甘い美貌で情熱的に迫られて、身も心も甘く淫らに蕩かされる。お見合いから始まるじれあまラブストーリー!
✧• ───── ✾ ───── •✧
✿高邑杏璃・タカムラアンリ(23)
狂言界の名門として知られる高邑家のお嬢様、人間国宝の孫、推し一筋の保育士、オシャレに興味のない残念女子
✿鷹村央輔・タカムラオウスケ(33)
業界ナンバーワン鷹村美容整形クリニックの副院長、実は財閥系企業・鷹村グループの御曹司、アニキャラ・氷のプリンスに似たクールな容貌のせいで『美容界の氷のプリンス』と呼ばれている、ある事情からソロ活を満喫中
✧• ───── ✾ ───── •✧
※R描写には章題に『※』表記
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません
※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。
✿エブリスタ様にて初公開23.10.18✿
密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる