雨宿りキューピッド

芙月みひろ

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3.雨宿り

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 その日を境に、俺は公園までは走り、公園に着いてからは、入り口付近にある大木の下で待つ彼女と犬と落ち合って、一緒に園内を散歩するようになった。
 日々そう長くはない時間を共有する中で、俺たちは少しずつ互いのことを知って行った。それとほぼ同時に、俺の心の中には甘酸っぱい想いが芽生え始め、それは日を追うごとに大きくなっていった。
 彼女は未知留みちると言った。聞けば高校二年生だという。住む家もそう遠くない。これまでこの公園で会ったことがなかったのは、それまで犬の朝の散歩をしていたのが兄だったためで、他のルートを通っていたからだという。その兄が社会人になって家を出てしまい、それからは彼女が朝の散歩を担当することになったそうだ。
 ある日俺は、今ではこれが普通となった気軽な口調で彼女に訊ねた。

「ここに来るようになったのは、何か理由があるの?」

 すると彼女は、迷うように口ごもった。

「えぇと……。この子の意思、というか」
「意思?どういう意味?」
「実は、設楽さんのことは、この公園で会う前に一度見かけていたの。もともと兄さんが通っていた道を散歩させていたんだけど、その日、前を走っているあなたに気がついたの。先に気がついたのは、この子だったんだけどね。この子は追いかけたかったみたいだけど、こっちは犬の散歩だし、設楽さんはランニングでしょ?追いつくはずがない。それで、いつも通りの散歩コースに戻ろうとしたんだけど、この子、珍しくその日は言うことを聞いてくれなくてね」

 彼女はその時のことを思い出したのか、はあっと大きなため息をついた。

「仕方ないから、この子の行きたいようにさせてみたの。そしたら」
「この公園に着いた、ってこと?」

 彼女は頷いた。

「当然、もう設楽さんの姿はなくて、それでもこの子は嬉しそうだったから、まぁいいかって、そのまま公園の中を散歩して帰った。そしたらね、その次の日も、そのまた次の日も、この子ったらこの公園に来たがったの。だったら、っていうので、それを機にこのルートに代えたんだ」
「ははぁ……」

 前を歩く犬に俺は声をかける。

「お前、よっぽど俺のことが好きなんだな」

 犬は飼い主をちらと見てから、まるで返事でもするかのように、「ワン!」と嬉しそうに吠え、たたたっと足を速めた。
 それを追いかけるようにしながら、俺たちはいつものルートを歩く。
 雲行きが怪しくなってきたのは、間もなく公園の出入り口だというタイミングだった。

「今日って、雨が降る予報だったっけ?」
「そんなことは言ってなかったような気がする。とにかく早く帰った方がいいね。走れる?」
「うん。大丈夫」
「よし、行こう」

 しかし、遅かった。
 雨があっという間に落ちて来た。どしゃぶりだ。

「朝からこんなに降るなんて、ありえない!」

 俺たちは近くにあった東屋に駆け込んだ。

「ここで待ってて。俺、家に行って傘を持ってくる」
「そんなことしなくていいよ。この降り方だとそんなに長くは続かないと思うし、ここで雨宿りしよう」

 未知留は言いながらポケットからハンカチを取り出し、頭を拭く。
 その足元で犬がぶるるっと身震いし、しぶきを飛ばした。

「もう、容赦ないんだから」

 彼女はハンカチで犬の体を拭おうと、膝を折る。
 すかさず俺はそれを止める。

「待って、俺、拭くよ」
「え、いいよ。私が」
「うん。でもスカート、汚れたらいけないから」

 俺はにっと笑い、素早く犬の傍にしゃがみこんだ。尻ポケットを探って、ハンカチ代わりにしているバンダナを取り出す。

「そんなに濡れなくて良かったな」

 全身を丁寧に拭いてやりながら、何年か前の雨の日のことをふと思い出した。

 あの時もこうやって、ずぶぬれだった犬の体を拭いてやったっけ――。

 ポケットにバンダナを戻しながら、俺は話し出した。

「高校生の頃、家に帰ったら迷い犬がいて驚いたことがあってさ。びしょ濡れでカーポートの下にいたんだ。ほんの少しだけ保護した形になってね。わりとすぐに飼い主さんと会えて、無事に家に帰って行ったけど、あの犬もこの子と同じような犬種だったかな。雷に驚いて脱走したって言ってたっけ」
「え?」

 彼女が息を飲んだ。

「ん?どうかした?」

 俺は立ち上がり、彼女の顔をのぞき込んだ。何に驚いたのか、目を大きく見開いている。

「その話って……」
「うん?」
「この子、昔、そういうことがあった」
「え?」

 俺は目を瞬いた。

「たまたま来客があって、うちのお母さん、玄関先でドアを開けっぱなしで立ち話していたの。その時ちょうど大雨になってね。大きな雷が鳴ったの。そしたらこの子、パニックになっちゃって、開いてたドアから飛び出して行ったんだ。その後すぐに兄さんが雨の中を探しに行ったんだけど、親切な人が、この子のこと、見ていてくれたんだって言ってて……」

 今度は俺が息を飲む番だった。

「でも、この子の名前、サーちゃんって……」
「ほんとの名前は、サスケって言うの。だから、頭文字を取って『サーちゃん』」
「えぇっ……」

 俺はなんて間抜けなのだろう。彼女が犬を呼ぶのを聞いて、今までずっと「サー」が名前だと思っていた。

「親切にしてもらったこと、覚えていたんだね。だから、あなたに気づいて追いかけようとしてみたり、あなたが来るのを待ってみたり、あなたを見るとすっごく嬉しそうだったり。そっかぁ……」

 彼女は愛犬を見下ろして優しく笑っている。
 その傍で俺は身をかがめて腕を伸ばし、犬の頭を撫でた。

「お前、やっぱり利口な犬だな」

 サー、いや、サスケはワンワンと声高らかに吠えて、俺にぐいっと体を押しつけた。その拍子にぐらりと体が揺れる。

「危ない!」

 慌てた彼女の手が俺の体を支える。

「あ、ありがとう」

 礼を言うために、俺は体勢を戻して彼女の方に首を回した。
 あまりに近い所に彼女の顔があって、痛いほど胸が高鳴る。

「ご、ごめん……」

 慌てて彼女から距離を取ろうとしたが、足元でサスケが邪魔をする。

「おい、サスケ。どいてくれよ」

 俺の足の上にどっかと乗ったサスケに困惑していると、彼女の手がそっと俺の腕に触れた。
 どきりとして見下ろした彼女のまつげに、雨のしずくが残っている。その目元に触れたい衝動が起こった時、彼女が瞬きを一つした。
 その雫が落ちたのを目で追う俺の耳に、彼女の小さな声が聞こえる。

「あなたを待ってみたり、あなたを見て嬉しくなったりしたのは、サーちゃんだけじゃないから」
「え……」

 俺は絶句した。俺だけの想いだけではなかったということかと、その意味を確かめたくて彼女の顔を見つめた。
 早く何か言えとせっつくように、サスケが俺の手をペロリと舐める。

 そうだ。黙っている場合じゃない――。

 俺は舌先で唇を湿らせて、その言葉を口にする。

「俺、君が好きだ。付き合いたい」

 顔を上げた彼女の顔に満面の笑みが浮かぶ。
 雨を降らせていた厚い雨雲がようやく切れて、その隙間から明るい光が差し込んできた。その光が彼女の表情をいっそう輝かせる。
 眩しくて嬉しくて、俺は目を細めながら彼女に手を差し出した。

「雨が上がったし、帰ろうか」

 その手を彼女の手がそっと握る。
 サスケがワンと吠えて、東屋の外に目をやった。
 二人してたどったその視線の先には、明るい青空が広がっていた。


(了)
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