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14.気づけばそこは-1
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部屋に入った私は早速カバンを開く。持参していた下着や部屋着を取り出しそうとして気がついた。
「なんだ。浴衣があるじゃない」
バスルームのドアを開ければ、そこにはフェイスタオルとバスタオルが用意されている。
脱衣スペースで服を脱ぎ、シャワーを浴びる。シャンプーを終えて、洗い髪をタオルで包み頭の上に固定する。次に体を洗おうとバスソープに手を伸ばした時に、壁面に取り付けられた鏡に上半身が映った。見慣れた自分の体だというのに、はっとする。
首にはまだ赤みが残っていた。今日着ていたブラウスはフリルの着いた立ち襟だったから、髪をおろしていたこともあって他人の目には触れなかったはずだ。だが、こうして見るとやっぱり分かってしまう。恐々と目を落として見た体には、紫がかったあざや噛み痕と分かる痕が点々と散っていた。
「こんなの、絶対に違う……」
悲しい気持ちに囚われながら、いたわるようにして自分の体を洗った。
バスルームを出てベッドの方へと足を向けた時、サイドテーブルに置いておいたスマホが鳴った。
どきりとして足が止まる。拓真とは先程別れたばかりだし、時間的に会社からとは思えない。それなら家族か友人かと、半ば祈るような気持ちで恐る恐る画面を覗き込んだ。そこには太田の名前が表示されていた。出ようか出るまいか躊躇しているうちに、音が鳴り止む。その隙に確認した着信履歴には、懇親会が終わった辺りの時間から、太田の名前ばかりがずらりと並んでいた。
私は身震いしてベッドに腰を下ろした。途端に再び着信音が鳴る。見なくても分かる。きっと太田からだ。このまま無視を続けようかと思った。私は今、彼から離れた場所にいる。電話に出ないからと言って、私の状況を確かめるために、太田がわざわざここまでやって来ることはないだろう。
だけど、帰ってからは――?
この前のように待ち伏せされるかもしれない。その時私は彼をうまくかわせるだろうか。そして、もしもこの前以上にひどいことをされたりしたら、どうしたらいいのか。男の人の力には到底かなわない。ひとまず電話に出ようと、私はごくりと生唾を飲み込み、震える手でスマホを手に取った。
「もしもし……?」
―― あぁ、笹本。やっと電話に出た。何かあったのかと心配だったんだ。
電話に出なかった理由を追及されるかと思っていたが、意外にも太田の声は優しい。
私は張り付きそうになる声を励ます。
「私、別れると言ったはずですけど」
―― 俺は「うん」とは言ってないよ。
太田はやけに優しい声で言った。
その猫なで声にぞっとする。
―― 明日の夜に戻って来るんだったよな。
「でも、会いませんから」
私はスマホをぎゅっと握りしめながら固い声で返した。
ひと呼吸ほどの間の後、太田はため息まじりに言う。
―― 本気なのか?俺は別れるつもりはないぜ。
「私はもう、太田さんとは付き合えません。理由はこの前言った通りです」
太田は探るように訊ねる。
―― なぁ、北川と何かあった?
「何もありませんよ」
私は即座に否定した。新幹線の中でのこと、懇親会後に手をつないでホテルまで歩いたこと、それらが太田にとっての「何かあったこと」だというのなら、なおさら正直に話す訳がない。
―― ふぅん……?
太田が私の言葉を疑っていることは分かった。
さらに追求されるかと身構えたが、彼はあっさりと引き下がった。
―― まあ、いい。とにかく明日の夜に会いに行く。その時もう一度話し合おう。それじゃ、おやすみ。出張頑張って来いよ。
太田は一方的に言って電話を切った。
当然私は彼に会うつもりなどこれっぽっちもない。話し合おうなどと言ってはいたが、どうせまた同じことの繰り返しになるに決まっている。
逃げるしかないのだろうか――。
ふとそんな考えが頭をよぎる。しかしすぐにその考えを振り払った。同じ職場にいて顔を合わせないわけにはいかない。一緒に仕事をすることだってある。太田から完全に逃げるためには、最悪、転職や転居も考えざるを得ないのかと、暗澹たる気持ちになる。
考えれば考えるほど暗い沼の中に堕ちて行きそうだった。何かに、誰かに縋りつきたいと思う。
次の瞬間、私はカードキーだけを持ち、部屋を飛び出していた。
「なんだ。浴衣があるじゃない」
バスルームのドアを開ければ、そこにはフェイスタオルとバスタオルが用意されている。
脱衣スペースで服を脱ぎ、シャワーを浴びる。シャンプーを終えて、洗い髪をタオルで包み頭の上に固定する。次に体を洗おうとバスソープに手を伸ばした時に、壁面に取り付けられた鏡に上半身が映った。見慣れた自分の体だというのに、はっとする。
首にはまだ赤みが残っていた。今日着ていたブラウスはフリルの着いた立ち襟だったから、髪をおろしていたこともあって他人の目には触れなかったはずだ。だが、こうして見るとやっぱり分かってしまう。恐々と目を落として見た体には、紫がかったあざや噛み痕と分かる痕が点々と散っていた。
「こんなの、絶対に違う……」
悲しい気持ちに囚われながら、いたわるようにして自分の体を洗った。
バスルームを出てベッドの方へと足を向けた時、サイドテーブルに置いておいたスマホが鳴った。
どきりとして足が止まる。拓真とは先程別れたばかりだし、時間的に会社からとは思えない。それなら家族か友人かと、半ば祈るような気持ちで恐る恐る画面を覗き込んだ。そこには太田の名前が表示されていた。出ようか出るまいか躊躇しているうちに、音が鳴り止む。その隙に確認した着信履歴には、懇親会が終わった辺りの時間から、太田の名前ばかりがずらりと並んでいた。
私は身震いしてベッドに腰を下ろした。途端に再び着信音が鳴る。見なくても分かる。きっと太田からだ。このまま無視を続けようかと思った。私は今、彼から離れた場所にいる。電話に出ないからと言って、私の状況を確かめるために、太田がわざわざここまでやって来ることはないだろう。
だけど、帰ってからは――?
この前のように待ち伏せされるかもしれない。その時私は彼をうまくかわせるだろうか。そして、もしもこの前以上にひどいことをされたりしたら、どうしたらいいのか。男の人の力には到底かなわない。ひとまず電話に出ようと、私はごくりと生唾を飲み込み、震える手でスマホを手に取った。
「もしもし……?」
―― あぁ、笹本。やっと電話に出た。何かあったのかと心配だったんだ。
電話に出なかった理由を追及されるかと思っていたが、意外にも太田の声は優しい。
私は張り付きそうになる声を励ます。
「私、別れると言ったはずですけど」
―― 俺は「うん」とは言ってないよ。
太田はやけに優しい声で言った。
その猫なで声にぞっとする。
―― 明日の夜に戻って来るんだったよな。
「でも、会いませんから」
私はスマホをぎゅっと握りしめながら固い声で返した。
ひと呼吸ほどの間の後、太田はため息まじりに言う。
―― 本気なのか?俺は別れるつもりはないぜ。
「私はもう、太田さんとは付き合えません。理由はこの前言った通りです」
太田は探るように訊ねる。
―― なぁ、北川と何かあった?
「何もありませんよ」
私は即座に否定した。新幹線の中でのこと、懇親会後に手をつないでホテルまで歩いたこと、それらが太田にとっての「何かあったこと」だというのなら、なおさら正直に話す訳がない。
―― ふぅん……?
太田が私の言葉を疑っていることは分かった。
さらに追求されるかと身構えたが、彼はあっさりと引き下がった。
―― まあ、いい。とにかく明日の夜に会いに行く。その時もう一度話し合おう。それじゃ、おやすみ。出張頑張って来いよ。
太田は一方的に言って電話を切った。
当然私は彼に会うつもりなどこれっぽっちもない。話し合おうなどと言ってはいたが、どうせまた同じことの繰り返しになるに決まっている。
逃げるしかないのだろうか――。
ふとそんな考えが頭をよぎる。しかしすぐにその考えを振り払った。同じ職場にいて顔を合わせないわけにはいかない。一緒に仕事をすることだってある。太田から完全に逃げるためには、最悪、転職や転居も考えざるを得ないのかと、暗澹たる気持ちになる。
考えれば考えるほど暗い沼の中に堕ちて行きそうだった。何かに、誰かに縋りつきたいと思う。
次の瞬間、私はカードキーだけを持ち、部屋を飛び出していた。
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