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帰り道・2
しおりを挟む「それにしても……」
「なんだ?」
夜道をゆっくりと歩きながら、山﨑が思い出したように口を開く。少し前を歩いていた足を止め、提灯を持ち直して、俺に顔を向けてきた。蝋燭が匂う。じりじりと、黒っぽい煙がときおりあがった。
「祗園でも島原でも、副長の名を女達から聞かない日は無いというのに、そんな御方が忘れられない相手というのが男だとは思いませんでした」
「だから、そういう意味で忘れられないわけじゃねえっつうの。なんでも色恋に結びつけるんじゃねえよ。お前じゃあるまいし」
「は?」
「お前、初恋の相手に操をたててた時もあるんじゃねぇのか? まあ、今はもう違うんだろうけど」
「…………何故それを……」
「見てりゃわかる」
「見て……わかる……?」
「お前、結構女に恥かかせてんな?」
山﨑は、少し驚いたような顔をすると、黙ってしまった。横目で見ながら歩き出す。慌てたように俺を追いかけてきた山﨑が、隣に並んだ。
「確かに……今は、なんとも思ってない女でも、抱けます。初恋の女の子に会う前も、そうでした。けど、初恋を諦めてから、しばらくは、女はもういい、と思うようになってました。江戸へ行ったある日、修行仲間に無理矢理吉原へ連れて行かれて、そこで……」
「女に恥をかかせちまったんだろ?」
そう言うと、隣の山﨑が息をのむのがわかった。
「何故わかるんですか」
「なんでもお見通しなんだよ」
「天神……いえ、吉原じゃ、格子女郎というんですか、大層綺麗な女が座ってましてね。群がる男達を感心して見ていたら、その女が私に手招きをしたんです。女はもういいと思っていたのに、あまりの艶に、つい引き寄せられてしまい、近くまで行ったら『お前が買え』と」
「ふん。色男め」
「乱暴な口をきく娘だなぁ、と思っていたら、あれよあれよという間に、小さな部屋で酒を注がれておりました」
「……抱いたのか?」
「……抱きそうになったのですが、何故か手を出す事ができず……。それで、恥をかかせてしまったな、と」
「怒っただろう?」
「ええ。烈火の如く。女が持っていた三味線で尻を叩かれましたよ」
「っは! いい気味だ。女を馬鹿にするからだぜ」
「逆ですよ」
「あ?」
「惚れてしまいそうだったから、手を出さなかったんです、たぶん。抱いてしまったら、手放せなくなる、たぶん。でも、銭を持ってない私が身請けなど出来る筈もない。私には、わかったんですよ。あの女は、きっと手放せない、と、たぶん」
「たぶんが多すぎないか!」
「いや、だってそれしか考えられなくて! あんないい女に何故手が出なかったのか、なんとなく本能が拒否していたというか……」
珍しく焦ったような声が耳に響く。俺は、何も言えなくなっていた。本能が拒否していたのは当然だ。山﨑は無類の女好き。見た目に惑わされたからといって、本能がそれを許さない。今が、暗闇で良かったと思う。
(明るかったら、この真っ赤になった顔を見られていたからな。昔のこととはいえ、俺も無茶をしたもんだ。今思い出しても鳥肌がたつ)
山﨑が出会ったという格子女郎は、俺だった。
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