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しおりを挟む「アレクサンドル・フォン・シーバラッド!貴様!とんでもない真似をしてくれたな!!」
穏やかな陽光の差し込む食堂で兄弟と共に昼食後のお茶を楽しんでいたアレクサンドルは、自身を名指しする怒鳴り声に「ん?」と振り向いた。
こちらを睨んで立っていたのはこの国の第一王子であるカルロスとその側近達。そして、カルロスの背に庇われてこちらを涙目でみつめる子爵令嬢。
「はて、カルロス殿下。僕に何か?」
アレクサンドルが首を傾げて問うと、カルロスは秀麗な眉目を歪めて激怒した。
「とぼけるな!貴様の犯した罪は許されるものではない!言い逃れできると思うな!!」
「罪、ですか?」
アレクサンドルは席を立ってカルロスの前に立った。
「心当たりがないのですが……」
「貴様!エミリーを見てもまだそんなことが言えるのか!!男の風上にもおけん!!」
そう罵られて、アレクサンドルはエメラルドのような鮮やかな緑の目をエミリーという子爵令嬢に向けた。
彼女は小動物のように身を震わせ、目を潤ませてアレクサンドルを見上げている。
アレクサンドルは、ふむ、と顎に手を当てた。
彼女のことは知っている。公爵家の次男として学園に通うアレクサンドルと子爵令嬢では身分に隔たりがあるため普通なら関わることはないのだが、エミリーなる令嬢はしょっちゅうアレクサンドルの周りをちょろちょろしていたからだ。
しかし、そういえば最近は姿を見ていなかったな、とアレクサンドルは思った。
「エミリー嬢がどうかなさったのですか?」
「この期に及んでまだとぼけるつもりか!!」
カルロスが顔を黒くして激高するのだが、アレクサンドルにはいっこうに心当たりがない。首を傾げるばかりだ。
「カルロス殿下。我が弟が何かそちらのご令嬢の気に障ることでも?」
見かねた公爵家の長男フリードリヒがアレクサンドルを庇うように間に入って尋ねた。三男のアルフォンスもアレクサンドルの背後に立って様子を窺う。
「お前達にも教えてやる!そこにいるアレクサンドルはこのエミリーを襲って妊娠させたのだ!!公爵家の権力を使い子爵家のエミリーを脅してな!!」
「「「……」」」
シーバラッド家の兄弟は無言で顔を見合わせた。
ちなみにここは貴族の子息子女が通う学園の食堂である。当然、彼らの他にも多くの生徒が昼食をとっていたし、王子の無駄によく通るでかい声は食堂中に響き渡った。響き渡らせていい内容ではないのだが、何故場所を選べなかった?せめて小声で言えなかった?
アレクサンドルは思わず憐れみの目でエミリーを見つめた。
「ふざけるなっ!!アレクサンドルがそんな真似するわけがあるかっ!!」
王子のとんでもない発言に真っ先に声を上げたのは、アレクサンドルの兄でも弟でもなく、食堂の一角で友人達と食事をしていた少年だった。
「アレクサンドルはその女に付きまとわれて迷惑していたんだぞっ!!」
アレクサンドルの仲の良い友人であるエルヴィンが椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
「なんだ貴様は!傷ついた女性を侮辱するとは!!」
「侮辱しているのはそちらの方だろう!!アレクサンドルに濡れ衣を着せて名誉を貶めようとするとは!!」
カルロスとエルヴィンが言い争うのを見て、アルフォンスが「先越されちゃった」と苦笑いで呟いた。
「だいたい貴様、何者だ!!」
「俺はアレクサンドルの友人だ!!」
「友人だと?はっ、バッジの色からすると男爵家だろう!公爵家のアレクサンドルと友人だと!?」
この学園では身分ごとに胸に色違いのバッジをつける。公爵家は赤、男爵家は青だ。ちなみにカルロスは王族の色である紫のバッジをしている。
「そうだ。アレクサンドルは身分が下の俺でも気にせずに仲良くしてくれている!そんな奴が、身分を使って女性を脅したりするものかっ!!」
王子が相手でも、エルヴィンは一歩も引かずに言い募る。
その姿を見て、アレクサンドルは思わず目頭が熱くなった。
「あ、あの~……」
それまで黙っていたエミリーが口を開いた。
「私……、すごく怖くて……、誰にも言えなくて、ずっと……でもでも、子どもが出来てしまって……」
細かく震えながら喋るその姿に、王子とその側近達は寄ってたかって労ったり慰めたりアレクサンドルを罵倒したりと大忙しだ。
「すっごく悩んだけど……この子のために、私、アレクと結婚します!」
「はあ……?」
アレクサンドルは思わず間抜けな声を出してしまった。
「そんなことを勝手に決められても困るのだが」
「貴様!!責任をとらないつもりか!?男の風上にも置けない奴め!!安心しろエミリー!奴がなんと言おうと、私が必ず結婚させてやる!!」
「カルロス様!ありがとうございますっ」
アレクサンドルは虚ろな目で兄と弟の顔を見た。兄弟は苦虫を噛み潰した顔で目配せしあう。
「……あー。王子、我が弟はそちらのご令嬢をはらませてはいません。何かの間違いです」
「ちゃんと調べて下さい。アレクサンドル兄様は無実です」
フリードリヒとアルフォンスが乾いた声で抗議するが、カルロス他は聞く耳を持たない。「責任をとれ」だの「人でなし」だのと好き勝手に喚いている。
アレクサンドルは脱力しそうになるのを堪えながら、なんとか弁明した。
「あのですね……エミリー嬢には以前から迷惑していまして。僕が剣の稽古をしていれば「すっごぉいアレク!でも、無理しないで!」とか言って腕にからみついてきて邪魔だったし、図書室で自習していれば「お疲れ様!差し入れ作ってきたんだ!アレクの口にあうかな?」とか言って飲食禁止の場所に甘ったるい匂いの菓子を持ってくるわで、正直迷惑で避けていたんですよね。最近見なくなったから安心していたのに……そもそも、僕は彼女に「アレク」と呼ぶのを許した覚えもないんですが」
仲の良いエルヴィンでさえ「アレクサンドル」なのに、なんでよく知りもしない子爵令嬢に「アレク」呼びされなくてはならないのだ。
そう説明したアレクサンドルだったが、王子とその他はやっぱりまったく聞く耳を持たないし、エミリーとやらは「ひどい!」などと言って目を潤ませて震えているしで、収拾がつかない。
シーバラッド兄弟は再び顔を見合わせて―――深い溜め息を吐いた。
「あと三ヶ月……」
「こんな馬鹿共のせいで今までの頑張りが無駄に……」
フリードリヒとアルフォンスが肩を落とす。アレクサンドルも自身の真紅の髪をかき上げて眉をしかめた。
「あのですね……三ヶ月後に僕の無実は必ず明らかになりますが、それまで待ってもらえますかね?」
「何を言う!その間に逃げる気だろう!」
「お父様がこのことを知ったら子爵家を追い出されちゃう!責任とって今すぐ結婚して!」
お父様に知られたくないなら、なおさらこんなところで馬鹿でかい声で騒ぐべきではなかったのでは……?
もう彼ら彼女らが何を考えているのか理解できなくて、アレクサンドルはくらくらした。
「大丈夫か?アレクサンドル」
「エルヴィン……ありがとう」
真っ先に自分を庇い、心配してくれるエルヴィンに、アレクサンドルは感謝を込めて美しく微笑んだ。
フリードリヒとアルフォンスも美形だが、アレクサンドルは彼らよりもさらに整った容姿だ。学園中の令嬢がアレクサンドルが通りかかっただけで切ない溜め息を吐くと言われるほど、真紅の髪に緑の瞳の公爵家次男の美貌は有名だった。
「さて、兄様、アル。こうなってはもう仕方がないかもしれません」
「ああ……」
「兄様の剣の腕と僕の魔法があれば大丈夫でしょう。ちょうど、明日は王宮でガーデンパーティーがあるではありませんか。その時にしましょう」
シーバラッド兄弟は顔をつきあわせてこそこそと囁き合った。
「おい、貴様ら。何をこそこそと……」
「殿下。この件については明日、改めてお話させていただきます」
「では、失礼」
「急いで帰って支度しましょう。……はぁ。ほんと、あと三ヶ月後だったら……」
「まったくだ。あと三ヶ月だったのに……」
シーバラッド兄弟は口々に「あと三ヶ月……」と呻きながら去っていった。
その姿を見送って、エミリーはぽかん、とした後で「明日が勝負だわ!」と気を取り直した。
エミリーはこの学園に入学した時から、一際目立つ美貌の持ち主アレクサンドル・フォン・シーバラッドに目を付けていた。
幸い、男の庇護欲をそそる外見と所作には自信があった。しかし、培ってきたテクを総動員して迫っても、アレクサンドルはいっこうに靡こうとしなかった。
プライドを傷つけられたエミリーは、どんな手を使ってもアレクサンドルを落とすと決意したのだ。
そのためにアレクサンドルより身分の高い王子を味方に付け、妊娠をでっち上げた。
そう、でっち上げだ。本当は妊娠などしていない。
でも、こう言えば周りはアレクサンドルがエミリーに手を出したと思うし、アレクサンドルも責任をとらざるを得なくなるだろう。結婚してしまえばこっちのものだ。
結婚後すぐに妊娠できれば妊娠日を誤魔化せばいいし、流れたことにしてもいい。結婚さえしてしまえば、どうとでもなる。
エミリーはそう考えて、明日を楽しみにしていた。
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