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七十一、
しおりを挟む「ときわの巫女のためにこんな危険に飛び込むだなんて、あんたにはかきわとしての自覚がないのね」
緋色の声だ。頭の中では偽物だとわかっているのに、広隆はもう少しその声を聞いていたかった。
緋色の声はきつい調子で広隆を責めた。
「ときわの巫女は敵だとあれほど言ったじゃないの。それなのに、あんな連中にだまされてこんなところをほっつき歩いているだなんて、あんたは大馬鹿者よ」
「それは、違う」
広隆は思わず言った。
「俺はだまされてなんかいない。ときわも秘色も一緒にぐえるげるの森を目指した仲間なんだ。だから、助けにいくんだ」
それを聞いた緋色の声は意地悪く笑った。
「あいつらを仲間だと本気で信じているの?向こうはあなたなんかどうなってもいいと思っているわよ」
「なんでわかる?」
偽物だ。話しても無駄だ。そうわかってはいるのに、広隆はつい聞き返してしまう。
緋色の声でしゃべる黒蛇はあかりの中で鎌首をもたげた。
「だって、あなたは泉に突き落とされたじゃないの」
その言葉に広隆は口をつぐむ。
「あなたを殺すつもりだったのよ。それなのにあなたはそれを許すの?」
緋色の声は広隆の心を深く沈みこませた。広隆はじっと足元に視線を落とした。突き落とされた時の感触が背中によみがえる。秘色の両手のひらの感触が、緋色の言葉を肯定するようにじくじくと背中を痛める。
(だけど、しかたがないじゃないか。秘色はときわの巫女だから、かきわの俺とときわを二人にするわけにはいかなかったんだ)
自分はもう許している。しかたがなかったのだと納得している。広隆はそう言おうとした。だが、その前に緋色の声が言った。
「あなたは敵の巫女は助けるというのね。私のことは見殺しにしたくせに」
広隆は言葉を失った。緋色の声は黙ったまま立ち尽くす広隆にけたたましい笑い声を浴びせかけた。意地の悪いその笑い声は長い間洞窟内に響き渡り、やがて闇に吸い込まれるように消えて行った。
声が消えるのと同時に、黒蛇も黒いけむりとなってかき消えた。取り残された広隆は、もう聞こえない緋色の声に何を言えばいいのか必死に考えた。
(違う。違うんだ緋色。俺は君を裏切ったわけじゃない。君を助けられなかったのが悔しいから、今度こそ助けたいんだ)
でも、それは緋色に対する裏切りなのだろうか。
広隆は暗い気持ちで考えた。ときわの巫女と行動を共にすることはかきわの巫女に対する裏切りなのかもしれない。死んでしまった緋色は、広隆が秘色と共に行くことを望まなかったかもしれない。自分は一人で行くべきだったのだろうか。秘色ともときわともうちとけずに、一人でこの世界をかけまわるべきだったのだろうか。
(いいや、違う)
広隆は地を蹴って暗い道を走り出した。違う、違うと自分に言い聞かせた。
死んだ者をないがしろにするつもりはない。でも、死者に気を使って生き続けることはとても辛い。
暗闇の中でつまづいて、広隆は黒い地面に倒れた。倒れたまま、広隆は涙をこぼした。緋色は死んでしまった。広隆の行動に対し、緋色がどう感じるか、何を思うのか、知るすべはない。だから、緋色の望むようには生きられない。
(でも、俺は緋色を忘れない。この先誰と出会っても、俺の巫女は緋色ただ一人だから)
緋色はかきわの巫女でこの世界の広隆を最初に導いてくれた人だ。それは絶対に変わらない。
広隆は立ち上がって涙をぬぐった。
(俺は必ず元の世界に戻る。この世界で役目を果たして無事に帰ることが、緋色が生きた証になる)
広隆は歩き出した。この洞窟は踏み入った者の心をまどわせるのだ。だけどもう迷わないと広隆は思った。
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