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七十三、
しおりを挟むずいぶん長い間、光子は広隆を抱き締めていた。真っ暗な玄関に散らばったビー玉が、ドアの上の小さな採光窓から差し込む月あかりを受けてかすかに光っていた。
光子の脳裏にあの時の広隆が思い浮かぶ。正広が死んだ日、病院の廊下に立ち尽くしていた広隆。あの時、光子は何もしなかった。
いや、あの時もそれからこれまでも、自分は何もしなかったのだと光子は思った。
何をすればいいのかもわからなかった。
今、ようやく一つだけわかった。あの時、立ち尽くす広隆をこうして抱き締めるべきだったのだと。
光子は涙を流した。広隆を抱き締めたのはこれが初めてだった。
(どうしてこんな簡単なことができなかったんだろう)
今はもう、光子よりもずいぶん大きくなってしまった広隆。抱き締めているのは自分なのに、守られているような安心感がある。
(そうだ。今まで守られてきたのだ。私も広也も)
光子は気が付いた。正広は広隆を残していってくれた。光子がすべきことは先にいった正広をうらむことではなく、目の前にいる広隆と向き合うことだったのだと。
それなのに、光子はずっと広隆を見ないようにしてきた。年を追うごとに正広に似ていく広隆が怖かったのかもしれない。
「広隆……」
光子は抱き締める腕に力を込め、小さくごめんなさいと呟いた。それが聞こえたのか、広隆は光子の肩にそっと手をのせると静かに自分から引き離した。光子は涙に濡れた目で広隆を見た。暗い中でもその顔立ちは正広にそっくりだった。
自分はずっと、正広のすべてを受け継いだ広隆に嫉妬していたのだ。広也を熱心に塾に通わせたのも、広隆と一緒にいる時間を減らすためだ。自分が好きだった正広のいいところを全部持っている広隆に、広也だけはとられたくなかった。そのねじまがった心が、結果的に広也を追いつめてしまったのだと、光子は初めて知った。
(そうだ。広也)
広也はどこへ行ったのだろう。そしてなぜ、広隆は玄関にいたのだろう。まるで誰かが帰ってくるのを待つかのように。
「広也がいないの……」
光子は眉根を下げて言った。広隆は黙ったまま光子を眺めた。それから、視線を扉に向けてこう言った。
「もうすぐ、帰ってくるから」
確信している声だった。その言葉を聞いただけで、なぜか光子は安堵した。
「一緒にいきますか?広也を迎えに」
広隆は振り向いて微笑んだ。
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