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七十九、
しおりを挟む立ち上がったときわは握っていた拳を開いて手のひらを見た。血で汚れた手のひらと片方の手に握った白い刀を交互に見つめ、それから地面に散らばった繭の破片を見下ろす。
背中に痛みの余韻が残っている。体が疲れ果てているのはさっきまでと変わらない——むしろ先程よりも疲労は濃いぐらいだ——なのに、体の奥から燃えるような気力が湧き上がってくる。
ときわはもう一度拳をぎゅっと握った。目を閉じると、狒狒の死体が浮かんでくる。だが、ときわはもうそれから目をそらさなかった。
(たとえ、時間を戻せるとしても、僕はきっと同じことをするだろう)
命有るものを殺した自分がどれほどいとわしいものか知っている。それでも、自分はあの時狒狒を殺したことを後悔はしない。きつね達を、自分の命を守るために、襲い来るものを打ち倒した。その重みに押しつぶされそうになったが、己の命を守ったことを悔やんではいない。
怒りに任せて刃をふるった己の醜さから目をそらして、繭の中に逃げようとした自分は、ただの卑怯者だったのだ。
(全部、背負わなければいけないんだ。背負って生きていくのだ。だって、僕は選んだんだ。狒狒を殺したときも、繭を壊したときも、自分の命を守ることをーー生きることを選んだのだから)
ふと、秘色のことが思い出された。
かきわの背を押した時、彼女は何を思っていただろう。その重さに今、押しつぶされてはいないだろうか。
ときわは刀を握り直すと、辺りを見回した。周りなど見ずに歩いてきたから、ここがどの辺りなのかわからない。うたい町を出てからは確か、細い獣道を歩いてきた記憶がある。今、ときわが立っているのは広い平原だ。いつ木々が途絶えたのか覚えていないが、おそらく自分はまっすぐ歩いてきたはずだとときわは振り返りながら考えた。
ときわは頭の中でマヨヒガの地図を組み立てようとした。晴の里を出て、川に沿って歩いて湿地を抜けて、狒狒の森を出てガラスの林を通って、山の中で岩娘に追いかけられて地下に落ちた。光の巨人に押し上げてもらって地下を脱出し、ぐえるげるの森に入った。
そこで、かきわは泉に落とされおそらくはガラスの林に戻った。
秘色はどこに行ってしまったかわからないが、ときわは混乱に任せて闇雲に歩き回った自分の不注意を呪った。
落ち着いて、来た道を戻り、ガラスの林にかきわを探しに行くべきだったのだ。そうすれば、音無しの村に捕まることもうたい町に迷い込むこともなかっただろうに。
しかし、あの二つの場所に迷い込むことは、自分にとって必要なことだったような気がすると、ときわは思った。
必要なこと。
ふと、ときわはぐえるげるの泉に映った白い光を想い浮かべた。あの泉はその人間に必要な場所を映し出すと、ぐえるげるは言った。
では、自分にはあの白い光が、白い光が飛んでいる場所が必要だったということだろうか。それはうたい町のことなのだろうか。
だが、ときわにはそうは思えなかった。確かに、うたい町では狒狒を殺す羽目に陥り、自分の心をみつめるきっかけとなった。だが、本当にそれが自分に一番必要なことだったろうか。狒狒を殺したことは偶発的に起きた出来事であり、白い光とは関係のないことのように思える。
もう一つ思い浮かぶ白い光が飛んでいた場所は巨人のいた地下だ。ぐえるげるの泉が映したのは、もしかしたらうたい町ではなく、あの地下なのかもしれない。
だが、どうやってあの場所に行けばいいのか。ときわは首を捻った。
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