マヨヒガ

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
106 / 107

百五、

しおりを挟む





 泉から離れた広也と広隆を、トハノスメラミコトは手招いた。

「迷ひ家は迷い子のための場所だ。おぬしらはもうここにいてはいけない」

 広也と広隆はしっかりと頷いた。

「この世界から旅立つ者には何か一つ餞別を贈ることになっているのだが、おぬしらは何を望む」  

 トハノスメラミコトに問われ、広隆はポケットの中から鈴を取り出し、おずおずと尋ねた。

「あの、これ、持っていっちゃ駄目かな」  

 赤い大きな鈴が、りんと音をたてた。

「巫女の大事な鈴だから駄目かな。でも、俺これを持っていきたいんだ」  

 しかし、トハノスメラミコトは難しい顔をしてじっと考え込んでいる。広隆の顔に落胆が浮かんだのを見て、広也は思わず口をはさんだ。

「大丈夫。持って帰れるよ」

 広隆は不思議そうに広也を見た。

「だって、僕はその鈴のおかげで助かったんだもん」  

 思えば、広隆はわざと広也が鈴をみつけるようにしむけたのかもしれない。別世界に迷い込む弟に、身代わりの鈴をお守りとして持たせてくれたのだろう。

「よかろう。持っていくがよい」  

 トハノスメラミコトが言った。目を丸くして広也を見ていた広隆の顔に、あけはなしの喜色が浮かんだ。暗い雰囲気が取り払われたその顔は、やはり広也の知っている広隆のものだった。

「では広也は。何を望む」  

 トハノスメラミコトに問われ、広也は顔を上げて言った。

「僕はもうもらっているんです。兄から。そして秘色と緋色から」  

 そう、自分はすでにもらっていたのだ。気付かなかっただけで。
 広也は空に向かって思い切り手を伸ばし、胸一杯に空気を吸い込んだ。叫び出したいぐらいにうれしかった。




 トハノスメラミコトが右手をすっと上げると、それまでじっとしていた龍がぶるぶると身を震わせ、その形が崩れてただの水の塊になった。水の塊はみるみうちに大きく丸くなっていき、一枚の大きな水鏡をつくった。

「この水鏡を通り抜けていくがよい。元の世界に帰れる。おぬしらの望む場所に」

 広也はふと広隆の顔を見た。
 このまま別れてしまうのはためらわれた。

(何か、言いたい)  

 だが、言葉は胸の奥でとどまって声にならなかった。何かとても言いたい言葉があるような気がするのに、それがなにかわからない。
 水鏡の前に立った広隆は、そんな広也の気持ちを察したかのように振り向いた。そして、こう言った。

「その言葉は、向こうに帰ってから言おうぜ。お互いに」

 そう言ってにかっと笑うと、広隆は水鏡の中に飛び込んだ。鏡の表面が波だって、やがて元に戻る。  

 広也もまた、水鏡の前に立った。広隆がそうしたよう に、水鏡の中に己の身を投じた。  
 途端に、辺りが白い霧に包まれた。

(同じだ。ここへ来た時と………)  

 広也は白い霧の中を歩き出した。  

(この世界に、もうときわとかきわが必要ないように、僕らにも、もうこの世界は必要ない)  

 ときわは白い霧の中を歩きながら思った。

(でも、忘れないでおこう。この世界のこと。十三才の夏のこと)  

 絶対に、忘れないでおこう。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました

藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。 相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。 さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!? 「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」 星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。 「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」 「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」 ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や 帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……? 「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」 「お前のこと、誰にも渡したくない」 クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。

とある旅行の話

森永謹製
絵本
ハリネズミのウーフーと、モグラのルベンが、海を見るために旅行に行くお話。

童話絵本版 アリとキリギリス∞(インフィニティ)

カワカツ
絵本
その夜……僕は死んだ…… 誰もいない野原のステージの上で…… アリの子「アントン」とキリギリスの「ギリィ」が奏でる 少し切ない ある野原の物語 ——— 全16話+エピローグで紡ぐ「小さないのちの世界」を、どうぞお楽しみ下さい。 ※高学年〜大人向き

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

【短編】子犬を拾った

吉岡有隆
絵本
 私は、ある日子犬を拾った。そこから、”私”と子犬の生活が始まった。  ハッピーエンド版とバッドエンド版があります。

処理中です...