8 / 42
第八話 お触りの理由
しおりを挟む「何を……言ってる?」
しばし教室を飲み込んだ沈黙の後で、掠れた声でアレスが呟いた。
今、この令嬢はなんと言ったか。皇太子に触りまくると言ったか。
「出来もしないことを抜かすな!」
「出来ますよ!」
出来ないと決めつけられて、やる気に満ちあふれているリートはアレスに食ってかかった。
「私は、誰に止められようと皇太子を触り続ける!!」
あまりにも堂々としたお触り宣言に、アレスは怯んだ。
目の前にいるのは特にどうといったことのない平凡な少女だ。小柄で可愛らしい顔をしているので庇護欲をそそるが、その口から出るのはこれまでどんな貪欲な女性ですら避けて通った皇太子を触りまくるという強い意志だ。藍色の瞳には、揺るぎない決意が漲っている。
「馬鹿な……っ、正気なのかっ?」
「もちろんです!」
「触るって……どこを触るつもりだ!?」
「主に手とか肩とか背中とかですかね!?」
「――……嘘を吐くなっ!!」
アレスとリートのやり取りを、ジェラルドの大声が遮った。
振り向くと、オスカーの背に隠れていたジェラルドが冷たい目でリートを睨みつけていた。
「俺を、からかっているのかっ……」
ジェラルドの体から発される強い怒りが周囲の空気を一瞬で飲み込み、教室内で一部始終を見ていた生徒達は青ざめてその場にひざまずいた。
リートはそれを見て目を瞬いた。
(これが、皇帝となる者の威厳か)
有無を言わさぬ威圧に、リートですら体が震えそうになった。
しかし、ここで飲まれてしまえば、ジェラルドの信頼を得て心を開かせるという目標が遠のいてしまう。
リートはまっすぐにジェラルドに向き合った。
「からかってなどおりません」
「……本気で、俺に触れると思っているのか?とんだ思い上がりだ」
ジェラルドが口の端を歪めて笑った。
「以前にもいたな。未来の皇妃の座を狙って俺に近づこうとしていたのに、俺の姿を目にした途端に吐いた女が!!」
それも酷い話だな。
「お前も、ちょっと肩に触れることが出来たぐらいでいい気になるな!お前はまだ俺の真のモテなさを知らないだけだ!!」
真のモテなさは知らないが、モテなさの原因は知っている。ろくでなしの神だ。
ちなみに、教室には既に担任教師が入ってきているのだが、一連のやり取りに口を挟むことが出来ずに壁にぴったりと張り付いて気配を消している。その的確な状況判断と自己保身能力、嫌いじゃない。
「皇太子殿下。殿下がこれまで辛い思いをしてきたことは推察いたします。しかし、私は本気で殿下に触るつもりです」
「世迷い言をっ……貴様も貴族の令嬢ならば、責任の持てぬ発言は慎むことだな!」
「いいえ!私は責任持って殿下に触ります!」
なぜならば、上司の不始末だからだ。責任がある。
「ふっ……ここまで虚仮にされたのは初めてだ……二度とそんな口がきけないようにしてやろう!」
暗い怒りに捕らわれたジェラルドが、ずんずんと勢いよくリートに歩み寄った。勢いに圧され後ずさるがジェラルドは止まらず、壁際まで追いつめられる。
ダンッ
ジェラルドの腕が壁を叩き、リートの体を壁とジェラルドの間に挟んだ。
誰かが細い悲鳴を上げた。
「どうだ?寒気がするだろう?」
リートは至近距離に迫ったジェラルドの顔を見上げた。意地の悪そうな笑みを浮かべて、リートを見下ろしているジェラルドは、しかしどこか悲しげに見えた。
「皇太子という地位にあってさえ、平民の娘にも友達にすらなってもらえない男だぜ俺は。世間知らずのお嬢様にも、そろそろ俺の恐ろしさがわかっただろう?」
まるで自分で自分を傷つけるような言い方にジェラルドの深い絶望を読み取って、リートは眉をひそめた。
(彼はきっと、すべてを諦めてしまっている)
まだ十五歳だというのに、琥珀色の瞳に暗い影が宿っている。
それに気づいたリートは思わず手を伸ばしていた。
「わかったら、二度とそんな戯れ言を……っ」
ジェラルドが口を噤んだ。
誰かが息を飲む音が聞こえた。
リートはジェラルドの髪に手を差し入れ、するりと指を通した。少し癖のある金の髪は柔らかく、ひっかかることなくリートの手はそのまま頬をそっと撫でた。
「大丈夫ですよ」
安心させるように、リートはふっと微笑んで見せた。
(私が、ちゃんと魂を入れ換えてあげなければ)
間違えてモテない魂を入れられたなんて理由で、彼と彼の周囲の人間が苦しむのは見過ごせない。
リートのやることは決まった。魂を抜くためにジェラルドと仲良くなりつつ、ジェラルドの免疫を付けるためにたくさん触りまくる。
とはいえ、嫌がる相手に無理矢理触って余計に頑なになられても困る。
「だから、殿下も私を受け入れてください」
まずは、ジェラルドがリートに触られても大丈夫だと安心出来るようにしてやらなければならない。警戒する野良犬を懐かせるためには、向こうから寄ってくるようになるまで根気よく付き合うのが一番だ。
「……っ、ふっ、はっ、へっ、ほっ、ひっ!?」
珍妙な声を途切れ途切れにあげて、ジェラルドがざざーっ!と後ずさっていってオスカーの背中にばばっ!と隠れた。
オスカーがぶるぶると震える。いや、違う。背中にしがみついたジェラルドがガタガタガタッと振動しているのでそれが伝わっているのだ。
「ばっ、びっ、ぶっ、べっ、ぼっ」
何が言いたいのか、真っ赤な顔で胸をかきむしるジェラルドは言葉にならぬ声を発している。
「ほはっ、ひふっ、へほっ」
「ちょっと落ち着け。深呼吸、どーどー」
アレスがオスカーの背中に張り付くジェラルドの背中をさする。それから、きっ、とリートを睨みつけた。
「皇太子をこのように惑わせて、なんのつもりだ?」
「惑わせるつもりはありません」
「嘘吐け!見ろ!息も絶え絶えじゃないか!」
「はへっ、ひふっ、へほっ、はほっ」
確かにジェラルドは今にも酸欠で倒れそうな風情だ。
「クーヴィット伯爵家は皇太子に取り入るつもりか?」
アレスの目つきが厳しくなる。確かに、いきなり皇太子に近寄ればそれを疑われるだろう。
だが、もちろんクーヴィット家には何一つ後ろ暗いことはない。なにせ、本来は存在しない家なのだから。
「お疑いであれば、どうぞお気の済むまで我が家を調べなさいませ。恥ずかしながら我が家は病弱な私にかかりきりであったため、他の家との交流もなく、他国との繋がりもいっさいありません」
どんなに調べられたって、存在しない家との繋がりなど出てきやしない。リートは胸を張って言った。
「何故だ?」
アレスが少し瞳を揺らした。
「何故、そこまでジェラルドに触ろうとする?」
上司の尻拭いです、とは言えないため、リートは頭を巡らせて適当な説明を考えた。
(ここで皇太子が好きだからと言ったって信用される訳がない。もっと自然に皇太子に触りたい理由を……触るのは仲良くなりたいからで、決して変な気持ちじゃないんですよ~って、なんか好色親父の言い訳みたいだな)
うんうん唸っていると、リートの脳裏にアモルテスに言われた言葉が不意に蘇った。
お前はまだ恋を知らない。
思い出すと、むかっと腹の底が煮え立った。
(何が恋を知らないだ。あんたみたいに爛れた性活を恋と呼ぶなら、知らなくて結構だ)
永遠を生きる神には無聊を慰めてくれる愛人の存在が必須だと頭では理解出来るが、愛人同士の喧嘩に巻き込まれたりアモルテスの身近にいるからという理由で剣突食らわされてきたリートからしたらあんなもんただ下半身が緩いだけだ。恋なんかじゃない。
「……皇太子殿下。世の中には、顔が良くて女性にモテるからって、綺麗な女性を何人も何人も侍らせている癖に、まじめに働いている部下にまで「可愛い」だの「愛している」だの心にもない言葉を吐いてからかってくるクソ野郎がいます」
怒りのままに、リートは拳を握り締めた。
「そんなクソ野郎に比べれば、昨日からの殿下の態度は誠実そのものです!モテないといえど女性を無理矢理召し上げるようなこともなく、自ら近づいた私にも気を遣い、己れが傷ついてまで私のためを思い忠告してくださる。こんなにお優しい殿下がモテなくて、あんなクソ野郎がモテるのは絶対に許せない!」
握り締めた拳を天に向かって振り上げて、リートは叫んだ。
「私がどうして全女性から毛嫌いされる殿下を前にしても嫌悪感が湧かないのか、今、理由がわかりました!私は殿下に出会った瞬間から、殿下に惹かれていたんです!自らの地位と美貌を鼻にかけてこれみよがしに綺麗どころを侍らせるようなクズ野郎とは違って、平民の女の子に対しても友達になってほしいと真摯に頼み込む殿下の姿はご立派でした!ええ!あのクズ野郎なんかより遙かに!!」
相対性クズ理論である。見下げ果てたクズを知っているからこそ、モテない魂になど惑わされずに本質を見抜く目をリートは有していたのだ。
「殿下の魅力は、クズ野郎の所業にささくれ立っていた私の心に差し込む一筋の光明となったのです!だから殿下!どうか、私に殿下を触らせてください!!」
真剣な瞳でまっすぐにお触り許可を願うリートに誰もが言葉を失くし、ジェラルドの反応を待った。
緊張をはらんだ沈黙の中で、ジェラルドの視線はリートだけに注がれていた。
20
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています
鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。
けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。
指示を出さない。
判断を奪わない。
必要以上に関わらない。
「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。
それなのに――
いつの間にか屋敷は落ち着き、
使用人たちは迷わなくなり、
人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。
誰かに依存しない。
誰かを支配しない。
それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。
必要とされなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
それでも、ここにいていい。
これは、
「何もしない」ことで壊れなかった関係と、
「奪わない」ことで続いていった日常を描く、
静かでやさしい結婚生活の物語。
あなたの側にいられたら、それだけで
椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。
私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。
傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。
彼は一体誰?
そして私は……?
アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。
_____________________________
私らしい作品になっているかと思います。
ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。
※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります
※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)
【完結】王宮内は安定したらしいので、第二王子と国内の視察に行ってきます!(呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。の続編です)
まりぃべる
恋愛
異世界に呼ばれた佐川マリア。マリア・サガワとしてこの世界で生きて行く事に決め、第二王子殿下のルークウェスト=ヴァン=ケルンベルトと一緒に、この国をより良くしていきます!って、実際は2人で旅行がしたかっただけ?
呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。の続編です。
長くなりましたので、前作の続きでは無く新しくしました。前作でしおりを挟んでくれた方ありがとうございました。
読んでなくても分かるようにしております。けれど、分かりにくかったらすみません。
前作も読んで下さると嬉しいです。
まだまだ未熟なので、稚拙ではありますが、読んでいただけると嬉しいです。
☆前作で読者様よりご指摘が有りましたのでこちらにも記載しておきます。
主人公の年齢は設定としてありますが、読者様が主人公になれたらな(もしくは好きな年齢に当てはめて読めたら)という思いを込めて敢えて年齢を記載していません。
揺れぬ王と、その隣で均衡を保つ妃
ふわふわ
恋愛
婚約破棄の断罪の場で、すべては始まった。
王太子は感情に流され、公爵令嬢との婚約を解消する。
だが、その決断は王家と貴族社会の均衡を揺るがし、国そのものを危うくする一手だった。
――それでも彼女は、声を荒らげない。
問いただすのはただ一つ。
「そのご婚約は、国家にとって正当なものですか?」
制度、資格、責任。
恋ではなく“国家の構造”を示した瞬間、王太子は初めて己の立場を知る。
やがて選ばれるのは、感情ではなく均衡。
衝動の王子は、嵐を起こさぬ王へと変わっていく。
そして彼の隣には、常に彼女が立つ。
派手な革命も、劇的な勝利もない。
あるのは、小さな揺れを整え続ける日々。
遠雷を読み、火種を消し、疑念に居場所を与え、
声なき拍手を聞き取る。
これは――
嵐を起こさなかった王と、
その隣で国家の均衡を保ち続けた妃の物語。
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
図書館の堕天司書 ―私達も図書館から禁帯出です―
ふわふわ
恋愛
有能司書レリアンは、蔵書管理ログ不整合の責任を押し付けられ、王太子の判断で解任されてしまう。
だがその不祥事の原因は、無能な同僚テラシーの入力ミスだった。
解任されたレリアンが向かったのは、誰も使っていない最下層。
そこに山積みになっていた禁帯出蔵書を、一冊ずつ、ただ静かに確認し始める。
――それだけだった。
だが、図書館の安定率は上昇する。
揺れは消え、事故はなくなり、百年ぶりの大拡張すら収束する。
やがて図書館は彼女を“常駐司書”として自動登録。
王太子が気づいたときには、
図書館はすでに「彼女を基準に」最適化されていた。
これは、追放でも復讐でもない。
有能な現場が、静かに世界の基準になる物語。
《常駐司書:最適》
---
もしアルファポリス向けにもう少し分かりやすくするなら、やや説明を足したバージョンも作れます。
煽り強めにしますか?
それとも今の静かな完成形で行きますか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる